6話 君とゆっくりアイスを食べるために
土佐犬の姿をした式がすんすんと鼻を鳴らして周囲を嗅ぐ。それから、グルルと低く響くような唸り声を出した。その迫力はかなりのもので、不良がいたら逃げだしていただろう。
夏南が使える式の中で最も戦闘に長けた式だ。これならば、弱い悪霊程度が十体ぐらいが襲ってきてもあっさりと全滅させることができるはずだ。
その分、霊力が柴犬型の時よりもずっと多く必要となってしまうが。
『うむ、ちゃんと使えているじゃないか』
「まーね。ただ……この形だとまだ一体しか出せないけどね」
『それでも上出来だ』
式の背に手を置いた夏南は命令を出す。
「――狩りつくせ」
式の目の色がガラリと鋭く変わる。より獰猛な肉食獣へとなったそれは、風のような速度で駆け出すと、廊下の奥の闇へと飛び込んでいく。そして、次の瞬間に聞こえてきたのは、式の暴れる音と悪霊たちの悲鳴だった。
夏南が急いで後を追う。札の力で周囲を明るくさせると、まさに式が弱い悪霊の頭をかみ砕くところだった。
バキリ。
骨の砕けるような音と共に悪霊が消えていく。その周囲にはすでに十ほどの悪霊になりかけだったと思われる霊の残滓が漂っていた。これならば、任せてしまったまったく問題なさそうだ。
夏南はポケットから無地の札を数枚取り出す。それをできるだけ人目に付かない場所へと貼り、そこに赤いペンで呪文を書く。そして、小さく呪文を唱える。
札が淡い光を放ち、溶けるように消えていく。夏南はすぐさま立ち上がって別の場所に次々と貼り付けては呪文を唱えていく。背後で式の暴れまわる音と悪霊の悲鳴が響く。
いくつか貼り終えた後、夏南はふぅと息を吐く。これで結界を張ることができた。有効なうちはこの場所に霊たちが迷い込んでくることはないだろう。後はこの場にいる霊たちを排除すれば、昼休みも安心して使えるだろう。
『うむ、この二か月で随分と成長したじゃないか』
「そりゃあ、水無月に鍛えられてるからね」
『だが、結界に関してはまだまだだな』
「え?」
水無月の視線を追うと、ちゃんと発動していない札が剥がれかかっていた。げっ、と夏南は急いでそこに向かうと、札を貼り直し呪文も唱えなおす。すると、結界が完成したと言わんばかりに周囲に満ちていた重く暗い雰囲気が消えていく。
これですべて終わったと考えたその時――式の悲鳴が夏南の耳に届いた。
「え?」
弾かれるように振り向き、まず夏南の視界に映ったのは床に倒れた式神が力を失って消えていくところだった。自信のあった式を倒されるなんて……
懐から数枚の札を取り出して、式を倒したであろうソレを睨みつける。
そこにいたのはほかの悪霊とは違って明らかに力を持った存在だった。ずたずたに引き裂かれた派手なヒョウ柄のシャツに、釘バットを持った明らかにチンピラのような見た目のソレは下卑た笑みで夏南を見ていた。
『ふむ、この前の女よりも力を持っているようだな』
「なんでそんなのがこんな場所に……!」
強い力を持った悪霊の大抵は自分の狩場を持っている。そこに自分の力を満たして優位にするためだ。だが、目の前の悪霊は明らかにここの住人ではない。その証拠に周囲に悪霊の力が広がっている様子はなかった。
――ナァ、コロサセテクレヨ。ナグリコロサセテクレヨ。
ヒヒヒと笑う悪霊。その顔はまさに悪霊と呼ぶにふさわしいほどに醜悪で、殺意に満ち満ちている。あの時の女は悲しみを含んでいたが、目の前のアレはそんなものを微塵も持っていない。
これはマズい。確実にヤバい奴だ。
夏南はすぐさま札を地面へと叩き付け、柴犬型の式を三体呼び出す。数の力でどうにかした方がいい相手だろう。それでもどうにかなるか自信はあまりなかった。
悪霊がバットを振り上げる。それと同時に式の二体が両側から悪霊の腕へと噛みつく。悪霊はそれを簡単に振り払うと、飛び掛かろうとしていた三体目の頭へとバットと振り下ろした。
ゴシャリ!
一撃にして頭を粉砕された式が倒れながら消えていく。夏南は信じられないと言った目で悪霊を見る。土佐犬よりも弱いとはいえ、一撃で倒されるとは思わなかった。
どうにかして残った二体が撹乱しているが、それも時間の問題だろう。あんなものを倒せるのかと不安に駆られそうになる。
『ほぉ、なかなかやるじゃないか。見た目はチンピラだがな』
「感心してる場合じゃないよ! ホントもうどうしてあんなのがこんな場所にいるのさ!」
『まぁ、確かに少し変だな。そもそも、あんなのがこの街にいるはずがない』
水無月はふむと軽く顎をさすると、腰に下げた刀に手をかけた。
『よし、今回は私が祓ってやろう。あれは、式を倒すほど力を高める性質を持っているようだからな。今のお前には少々相性が悪いな』
一歩前に出た彼女は刀を抜いて構える。その後ろ姿に夏南は思わず見とれた。その背中は何よりも頼もしく、絶対に負けるなんて思わせない強者の迫力を持っていたから。
赤銅色のだんだら羽織が彼女から放たれる霊気によって微かにはためく。
『さて、苦しませずに一思いにやってやろう。だから――抵抗するなよ』
そう言って水無月が一歩踏み出す。
その次の瞬間、悪霊の首が飛んだ。
――ハ? ア? ナニガ……
状況も理解できずに悪霊の頭が床に落ちて鈍く跳ねる。ぎょろりと状況を理解しようと視線を動かしていたが、理解する前にサラリと砂が崩れるように消えていく。
まさに神速。水無月が刀を振るったことすら、本人以外分からなかったであろう。夏南はぽかんと口を開けたまま、呆気に取られていた。
『なんだ、手ごたえのない。抵抗の一つでもしてくると思ったんだがな』
「いや、あんなのどうやって防げっていうのさ」
『かなり手加減をしたぞ?』
パチンと刀を収めた水無月はどこかつまらなそうに言った。夏南は本当にとんでもない存在なんだなと、彼女見つめた。
「……よし、これで結界は完璧だよね」
最終チェックを終えた夏南は得意げに水無月を見上げる。が、水無月は違う方向を見ていてこちらを見てはいなかった。不思議に思って首をかしげる。
いつもだったら見てくれているはずなのに、珍しい。
「水無月、どうしたの?」
『うむ、少しここで待っていろ』
そう言うが早いか、水無月の姿が消える。十秒もしないうちに再び姿を見せた彼女の手にはぐったりと項垂れるサルの姿があった。
「えっ、ちょっとなにそれ。まさか、死んで――」
『馬鹿者。よく見てみろ。これは式だ』
そう言って水無月はズイっとサルを夏南の眼前へと突き出す。その近さに思わず身を引きそうになりながら、仕方なくよくそれを観察した。
彼女の言う通り、サルは式のようだ。真っ白な体にうっすらとながらも夏南の式とは違ったデザインの隈取が施されている。
「うわっ、ほんとだ。え? てか式って……なんで? 誰の?」
『わからん。どうやら旧校舎に入った時から私たちのことを見ていたようだな……全くくだらんことをする奴がいるようだ』
そう吐き捨てた水無月はサルの首の骨を片手で折る。短い悲鳴を上げたサルの姿が煙のように消えていく。
「それにしても、なんで私たちのことを見てたんだろう……?」
『さぁな。だが、これを作ったやつはなかなかの手練れだろう。さっきまで気配すら感じられなかったからな。ベテランの術師でも気付けなかっただろうな』
水無月は息を吐くと、鋭い目で夏南を見た。
『夏南、周りには少し気を付けておけ。なんだか、嫌な気配を感じる』
真剣なその言葉に、夏南は無言で頷いた。
次の日。朝一番で旧校舎の状態を確認した夏南は無事に結界が発動していることを確認してから授業へと挑み、昼休みには約束通り、夜風と共に旧校舎の適当な空き教室で昼食を取った。
「いやぁ、やっぱり涼しいっていいねぇ」
弁当の肉団子を頬張りながら、夜風は嬉しそうに言った。夏南は同意しながらお気に入りの肉みそおにぎりを頬張る。
すると、夜風がわずかに眉を顰め、おにぎりを凝視する。
「夏南ってさ、私と会ってからずーっとそのおにぎり食べてるよね。飽きないの?」
「いーや、ぜんぜん」
「えー、信じらんない」
「なんでよ」
ムッと不満気に見る。
美味しいのだから毎日食べてしまうのは別におかしいことではないはずだし、飽きてしまうなんてこともない。それに、おにぎりが同じなだけあって、唐揚げや卵焼きといったおかず類は毎日違う物を買っている。
「おかず違うもーん。昨日は卵焼きだったけど、今日は唐揚げだもーん」
「うわっ、そんな子どもみたいなこと言って……あのねぇ、それってほとんど一緒だからね? 毎日違うって言うけどさ、決まったおかずローテしてるだけじゃん。ほかに食べるものないの? なんなの? 毎日決まったもの食べないと死ぬ病気なの?」
「え、いや……そ、そこまで言わなくても」
夏南は持っていたおにぎりに視線を落とす。
「……正直に言うとさ、選ぶのめんどくさいんだよね。変に挑戦して失敗するの嫌だし」
ふいっと顔を逸らしながら答える。すると、夜風はこれでもかと盛大にため息をついた。
「めんどくさがり。これは考えないとだめかぁ」
うんうん、と頷きながら何かを呟く夜風。夏南は訝し気に彼女を見ていたが、やがて最後の一口を食べる。そして、デザートのアイスへと手を伸ばす。冷房の良く効いた教室なので、ちょうどいい感じにアイスが溶けている。
ふと、窓の外を眺める。そこには六体ほどの浮遊霊がのろのろと歩いていた。
やっぱりここ最近、この街には幽霊が増えているような気がする。以前であれば、一、二体見かけるなんてことはあったが、六体以上も同時に見かけることなんてなかった。
「どしたの? なんか外にいる?」
ずいっと夜風が夏南に顔を寄せる。その近さに一瞬驚いたものの、彼女の距離感の近さは今に始まったことではないので、できるだけ見えていることを悟られないように「別に」と答える。
「外がすっごい暑そうだなーって思ってみてただけ」
「昨日までそんな場所でお昼食べてたんだよねー。いやいやーこの私の思い付きに感謝してほしいなー」
得意げにグイグイと体を押し付けてくる夜風の頭に手を置く。そのまま目を細めて夏南は微笑み、
「ありがと」
素直に感謝の気持ちを伝える。すると、夜風の顔が面白いぐらいに赤く染まっていく。そして、恥ずかしそうに「えへへ」と照れ臭そうに笑った。
夕日が差し込む帰り道。夏南と夜風はシャツをパタパタとさせながら歩いていた。
「ねぇねぇ、夏休みどっか遊びに行こうよ。確かさ、この街ってプールあるよね? そことかさ」
「んーいいけど……休み始まってすぐは無理かも。始まったらすぐに親戚の叔母さん家に行かなきゃいけないから」
「そっか、じゃあ帰ってきたらガンガン遊ぼうねっ」
にへらと笑う夜風を見た夏南は目を細める。
「夜風は親戚のところとか行かないの?」
「んー、行くつもりなかったけど、二、三日ぐらいは行こうかな。夏南がいないんじゃ、こっちにいてもつまんないし」
寂しげな横顔。夏南の脳裏に“今年は行くのをやめようか”という考えがよぎる。が、すぐにたまには顔を見せておかないとあっちもあっちで寂しがるだろうなと考え直す。
「ごめんね」
「謝んなくていーよ。楽しんできなって。その代わり、お土産いっぱいよろしくね」
夜風の気遣いに夏南は心から感謝する。
「わかった。じゃあ、たっくさんお土産買ってくるから楽しみにしててよ」
「やった! 変なもん買ってこないでね?」
「私を何だと思ってんのさ」
「だってこの前、イセエビの形したサンダル履いてたじゃん。あのセンスを見るとちょっとなー」
「えっ、ひどっ。可愛いじゃん」
「ちょーっと私じゃ無理かな」
「えー」
二人は顔を見合わせて笑う。
あぁ、こんなに楽しい日々が送れるなんて。ずっと望んでいた友達と一緒に帰り道を歩く。普通の人からしたらなんでもないようなことだろう。だけど、ずっと夏南が幼いころから憧れていたことが現実になるなんて。もしかして夢なのではと思ってしまいそうだ。
夏南は“この瞬間が永遠に続きますように”と、噛みしめながら帰り道を歩く。
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」
手を振り夜風を見送った夏南はしばらく彼女が歩いて行った道を見つめる。遠くでカラスが鳴いている。その声を聞いていると寂しいという気持ちが、ぽろぽろと落ちてきて心の中に溜まっていくような気がした。
ふわりと水無月が姿を現し、夏南の顔を覗き込む。
『寂しそうだな』
「そりゃあ、友達とのバイバイって寂しいもんでしょ。明日会えるってわかっててもさ」
『そうか』
遠くをじっと見つめる夏南に水無月は微笑みかける。
『だがまぁ、それだけ大事な友達だということだな』
「もちろん。でも、毎回こんな気持ちになるのはなんかイヤだな……」
もっと一緒に遊んでいたい。それはきっと、子どもであれば誰でも抱く気持ちだろう。でも、幼少期にそんな思いを抱くことのできなかった夏南だからこそ、余計に強く思ってしまう。
クルリと踵を返して帰り道を歩く。だが、その歩みは少し重たい。
『ならば、帰るのをやめて夏休みが始まったら嫌になるほど一緒に遊んでいればいいではないか。アイツも“友達と遊ぶから帰れない”、と言えば喜んで許してくれるんじゃないか?』
田舎の神社で神主をしている叔母である奏南の顔が浮かぶ。厳しい人ではあるが、友達のできない夏南をいつも心配してくれて、いろいろとしてもらった。そんな彼女に友達ができたと伝えたらきっと喜ぶに違いない。
「だからだよ。電話じゃなくて、直接伝えたいの」
『そうか。まぁ、それもいいだろう』
「水無月は普通に行きたくないだけでしょ? 奏南さんと仲悪いもんね」
『悪くはない。ただ、あいつがやたらと突っかかってくるから、しかたなく相手をしてやっているだけだ』
ふんと鼻を鳴らす水無月の顔が全然イヤそうではないように見えた夏南は喉の奥で小さく笑った。
『なんだ』
「べつにー」
『あまり私をおちょくると、悪霊の巣に放り込むからな』
「マジでそれだけはやめて」
『どうだろうな』
「ね? ヤダよ? マジでやめてね!?」
想像してゾッとした夏南は、カラカラと笑う水無月の体を揺さぶった。




