5話 夏はアイスがすぐ解ける
散歩も無事終えた昼過ぎ。
夏南は自室で宿題を進めていた。面倒な数字の羅列を眺め、時折うんうん唸りながら問題を解いていく。その横で静かに水無月がお茶を飲んでいる。その姿ですら絵になっていて、ついつい見続けてしまいそうになる。が、それを我慢する。
苦手科目ではないが、好きな科目でもない。そのため、気分は上がらずついついだれてしまいそうになる。小さく欠伸をすれば、水無月が『集中』と額を小突いて注意をする。
それを何度か繰り返したとき、夏南はグーッと体を伸ばしながら言った。
「そういわれてもさーなんかやる気でないんだもん。それに微妙に難しいし」
『適当に見ているからだろう。まったく、真面目にやればすぐに終わるだろうに。そんなんでは、アイツにまた小言を言われるんじゃないのか?』
「あぁ……この前赤点取ったら奏南さんにすっごい怒られたな……あれはほんとに怖かったよ」
電話口でも相手の顔が分かるぐらいの激しいお説教を思い出した夏南はげぇ、と舌を出した。別にテストの点数なんて知らせていないのに……どうやって知ったのか。赤点を取っただろうとわざわざ電話をしてきたのだ。あの時は本当に恐ろしかった。思い出した今でも体が震えそうになる。
気を取り直して問題を解いていく。水無月はサラサラとペンを走らせる夏南の手を見ながら肩をすくめると、急須からお茶を入れて机に置く。
「ありがと」
『どういたしまして』
宿題を終えた夏南はグーッと体を伸ばす。水無月がそんな彼女の前にカステラの乗ったお皿を置く。黄金色にも見えるスポンジからは甘い香りが漂う。お礼も早々に早速フォークで切り取って一口食べる。
フワフワの食感の後に敷かれたザラメがジャリッと音を立てて甘さが増す。思わず頬が緩む。そんな様子を向かいに座っている水無月は幸せそうに見つめている。
『本当に甘いものが好きだな』
「もっちろん。女子高生はみんな甘いものが好きだよ」
『そういうものなのか……?』
水無月が軽く顔を顰めて首をかしげる。
「水無月が生きていて私と同い年ぐらいの時は何が好きだったの?」
『うぅむ。私はあまり甘味などには興味がなくてな、もっぱら、近所の道場に行っては道場破りをしていたからな』
「うわー」
あまりのことに夏南は信じられないといった目で水無月を見る。彼女が生きていた時代でもそれが普通とは到底思えない。どこの世界に、女子高生が道場やぶりを趣味とする世界があるだろうか。
「今は?」
『あれだな、この前食べたクレープがお気に入りだ』
「あぁ、あれ?」
ショッピングモールで買ってきたチョコバナナクレープが頭に浮かぶ。確かにあれを食べてる時の水無月は普段に比べてご機嫌だったように思える。てっきり、羊羹とかどら焼きとかの和菓子系を言われると思っていたので、夏南は思わず可愛いなと思ってしまう。
すると、水無月がどこか不機嫌そうにして見る。
『なんだ。クレープはダメか』
「いや、そうじゃないよ。てっきり、どら焼きとか和菓子系だと思ってたから」
『好きではあるが飽きたな。人間だれしも、目新しいものが好きだろう? それと同じさ』
「ふーん。じゃあ、今度さパフェ食べに行こっか。ちょうど、人のあんまり来ない喫茶て見つけたからさ」
『あぁ、あの陰気な場所にできた店か。だが、いいのか? そういう場所は嫌いだろう』
「いーよ。水無月が一緒なら」
にっと笑って見せると、水無月は軽く肩をすくめ、夏南の頭を撫でた。
「ねぇ、水無月」
『なんだ?』
別の日の休み。夜風は用事で遊べないということだったので、特にやることもなく、以前に水無月から貰った幽霊やら妖怪などのことが載っている本を読んでいた夏南は、とあるページに目を止めた。
そこは、“呪詛” という項目だった。水無月がその項目を目にするなり、僅かに顔を顰める。その顔はなんだか見つけてほしくなかったと言っているように見えた夏南はより一層の興味を引かれる。
「やばいやつ?」
『むぅ……それを説明する前に、夏南……お前は悪霊がどういう存在か説明できるか?』
何を簡単なことをと思いつつ、夏南は答える。
「悪霊はこの世に未練を残した幽霊が恨みとか怒りを増幅させて、人を襲うようになった奴のことだよね」
『そうだ。元は善霊だったが、周囲の負の感情などを知らず内に吸い取ってしまったことによって変質したヤツも同様だ』
「もしかして、呪詛ってやつは悪霊が関係してるってこと?」
『いや、違う。呪詛と言うのはな――生きている人間からしか生まれない』
その声が冷たく吐き捨てるようだったので、夏南は首をかしげる。水無月は顎に手を当てて、理解しやすいようにとかみ砕きながら説明を続けた。
『生きている人間が強い怒りや恨みの念を持って生み出されたもので、純粋な負の塊だ。悪霊なんかよりもずっと質が悪く厄介なものだ。簡単には払えず、下手に手を出しても出さなくても、近づいただけで呪われる。そんな存在だ』
「めちゃくちゃ危ないんだ」
『そうだ。昔、私がまだ生きているときに、呪詛が生まれた。そしてなんの罪もない周囲の村が三つ飲み込まれるところを見た。そこにいた人間は死ぬか、生きていても気が狂って……最終的におぞましい化け物となり果てた。あの時の光景は今でも鮮明に思い出せるほど、酷いものだった』
その声音は僅かに震えて、表情に至ってはとても苦し気でいた。いつも強い彼女の見ない姿に、夏南は呪詛という存在が本当に危険な物なのだと思うだろう。
「呪詛ってやつを見つけちゃったらどうすればいいの?」
『とにかく距離を取れ。あれは、そう簡単に払うことはできぬからな』
「水無月でも難しい?」
『場合によるな。生まれたてであればなんとかなるだろう』
そこで言葉を切った水無月は自分の右手を鋭く見下ろす。
『だが、完全な形を得たモノはかなり厄介だから難しい。まぁ、そんなものはそうそう現れないがな。アレを生み出すには生半可な恨みや怒りでは足らない。それこそ、思いだけで何人もの人間を殺せるだけの力が必要だからな。今の時代の人間にそんなことができる奴がいるとは思えん』
殺してしまえるほど誰かを憎む。いったい、どんなことがあればそうなってしまえるのか。夏南には想像できない。だが、その想像できないことに胸が痛む。
夏南が暗い表情を落とすのを見た水無月はそっとその頭に手を置く。
『まぁ、お前には縁のない世界だろうさ』
「うん……でも、多分だけど……水無月が誰かに何かをされたらそうしてしまうかもしれないね」
その言葉に水無月は一瞬だけ驚いたような表情をすると『馬鹿者』と小さく笑って夏南の額を小突いた。
『何があろうと、お前を悲しませるようなことにはならんよ』
ぺらりと水無月が“話はこれで終わりだ”と言うように、ページをめくる。それは、式神を作る方法が細かく書かれていた。大小さまざまないくつもの動物の形をした式神の絵が描かれており、夏南はあっさりとそちらに意識を持っていかれる。
今、夏南が使えるのは初心者用とされる犬型だけだ。それ以外はなかなかうまくいかなかった。
「また、今度練習しないとなぁ……」
『そうだな。犬は問題なく使えていた。大きさも問題なく変えられている。次は猫や鳥などを試してもいいかもしれないな。あれらならば、初心者でもすぐに使えるようになる』
「うん。ねぇもっと慣れたらさ、これとか使えるようになる?」
そう言って指さしたのは虎型の式神。攻撃に長けた戦闘用の式神。これがあれば、手ごわい悪霊と出会ったときに頼もしい存在となってくれるはずだ。
『虎か……いずれは使えるようになるが、今のお前では無理だな。間違っても試そうとするなよ? 万が一暴走したら面倒だからな。あれは、ちゃんと制御できれば心強いが、できなければたちまちこちらに牙を剥いてくるからな』
昔、無謀にも試したやつはあっという間に噛み殺された、と水無月が付け加えれば、夏南は震えあがった。それを見て水無月がくくくと笑う。
『安心しろ、万が一暴走して、手が付けられないときは私が片付ける』
「うーん、そうしてもらったら嬉しいけど、やっぱり自分でどうにかするよ。じゃないと、水無月に頼りっぱなしになっちゃうから」
『そうか? 少し寂しいが、人間はそうやって一人前になっていくものだからな。わかった、隣でちゃんと見ていてやろう』
「見てて」
二人はそう言って顔を見合わせ笑った。
夜風が転校してきて早いもので一か月もの時間が経っていた。夏本番となり、ぎらぎらと照り付ける太陽は生徒たちのやる気を奪うには十分。もうすぐやって来る夏休みよ早く来いと願う者ばかりであった。
そのうちの一人である夏南も、夜風と共にいつもの場所でできるだけ影の濃い木の下で昼食を取り、デザートのアイスを食べていた。
灼熱の太陽によって暖められた大地からの熱でアイスキャンディーはあっという間に溶け始め、夏南の手にぽたぽたと垂れ始める。
「あっつい」
「外なんか出るからだよ。教室で食べればいいのに」
パウチ容器に入ったバニラアイスを食べる夜風は、額から流れる汗を拭うと、呆れた顔を夏南へと向ける。夏南は途端に渋い顔で首を横に振った。
「ここなら静かだもん」
「いやまぁ、そうだけどさ……暑いじゃん」
「それでもヤダ」
シャツをパタパタとさせる夜風。夏南は口を尖らせたまま解けかけたアイスを急いで食べる。
教室で食べるなんて絶対にイヤだった。誰もいないならいいが、クラスメイトがいる。そんな場所で心穏やかにご飯を食べるなんて夏南には到底できそうにない。
そう考えていた時だった、夜風が「あっ」とこぼした。
「そうじゃん。誰もいない教室で食べればいいじゃん。ほら、旧校舎のほうなら、ほとんど空き教室だし誰も来ないよね? そこならよさそうじゃない?」
「え、あーあそこ……」
確かに、旧校舎はほとんど使われなくなり、授業でやむを得ずだったり掃除などの用がない限り人は来ない。日陰も多くて確かにうってつけの場所ではあるが……夏南はあまり気乗りしなかった。
なんせ、あそこには霊道がある。そのせいで様々な霊たちがうろついており、運が悪いと悪霊もいることがある。
だが、それを説明することはできないし勇気もない。なんせそれは、自分が人には見えないものが見えることを話すことになるから。そんなことをすれば、きっとほかの人たちのように彼女も離れていってしまう。それだけは嫌だった。
「もしかして、なんかマズい場所だった? 不良のたまり場とか? それだったら無理だね」
「あ、いや。不良も近寄んないけど……」
心配そうに夏南の顔色を伺う夜風。
その視線にうっ、と罪悪感が芽生える。これ以上渋ると余計な心配をかけてしまいそうだ。夏南はポケットに入れている札をギュッと握り締める。
心を決めるしかない。それに、暑いのは確かだった。このままでは、いずれ熱中症になってしまうだろう。それはあまりにも馬鹿らしくて避けたかった。
「……いいよ、明日から旧校舎の空き教室で食べても」
「いいの? ほんとに?」
「うん。大丈夫。あそこいつも薄暗いからビビっただけ」
冗談めかして言えば、夜風はやっと安心したように「明日からは涼しく食べれるね」と言った。
その日の放課後。
用事があると言って夜風と別れた夏南は旧校舎へとやって来ていた。薄暗く湿気た空気が頬を撫でる。札を握り締めた彼女は盛大に大息を吐いた。
いかにもナニカが出そうな雰囲気。それは本当に薄闇の奥にナニカたちがいるから。
だから、見えずとも本能的に忌避感を感じとったのか、不良たちですら近寄ろうとしない。生徒たちもここの掃除は本当に恐ろしく、適当に掃き掃除をして逃げ帰ってしまうので少し埃っぽい感じがしている。
これは、あとで掃除をしないとダメそうだ。この後のことも考えて、夏南はまたため息を吐いた。
『祓うのか』
「水無月……まぁ、そうしないとちょっとお昼どころじゃないよね」
ふわりと隣に現れた水無月を一瞥した夏南は軽く肩をすくめ、目の前に続く廊下を見据えた。薄暗いそれの奥は暗闇で、その奥からナニカが見ているんじゃないかと錯覚してしまう。
ひしひしと霊の気配を感じる。かなりの数がいるようだ。それが、善霊か悪霊かの判断は、まだ夏南にはつけられない。
『ふむ……悪霊がいるな。それも、そこそこの大きさだ。迷い込んだみたいんだな。あとは、取るに足らん悪霊になりかけているやつらばかりだな。善霊はいないから、思い切りやっても大丈夫だろう』
「はぁ、よくわかるね」
『慣れだ。お前もそのうちわかるようになる』
そうなるには一体何年かかるか。夏南は肩をすくめる。そして、数回深呼吸をしてから札を地面へと叩き付けた。




