10話 協会と呼ばれる者たち
奏南の家で過ごすこと早いもので三日もの時間が経っていた。特に変わったこともなく、暇つぶしに水無月と近くを散歩して、昔からある駄菓子屋でかき氷を食べたりと、のんびりと過ごしていた。
夜は奏南お手製の地元の食材がふんだんに使われた夕食を楽しむ。神社の周囲の地域は奏南の結界が働いているおかげで悪霊に出くわすこともなく、本当に久々の平和で……どこか退屈な日々であった。
「今日の夜ご飯は何だろう」
『まだ朝なのに、もう夕飯のことか?』
畳の上でゴロゴロと転がりながら、のんびりと言った夏南の近くに座っていた水無月が呆れた声を漏らす。ツンツンと背中をつついてくる夏南の頭を撫でる。
「だって、ここってばすーっごく平和なんだもん」
『まぁ、確かに平和だな』
「これも全部、奏南さんのおかげなんだよね」
『……そうだろうな』
途端に不機嫌な声を出す水無月に夏南はプッと肩を揺らす。奏南のことを良く言うと、いつも彼女は少しだけ機嫌が悪くなる。それはまるで、小さな子供が拗ねるように可愛らしいもの。
「いつもだけど、水無月って本当に奏南さんと仲悪いよね」
『アイツは陰陽師。私のような存在からしたら敵だ。仲良くもなれんさ』
「そう、だよね……」
できれば、二人には仲良くしてほしい。夏南にとって二人はかけがえのない大切な家族だから。だが、霊とそれらを祓う陰陽師というお互いの位置がそれを許してはくれないのだろう。
でもそれが、とてつもなく寂しかった。すると、水無月がぽんと夏南の頭に手を置く。
『奴という人間は嫌いではない』
「ほんとに?」
『ああ、本当だとも。こんなくだらんウソをお前にはつかんよ』
その眼差しに嘘はない。長年隣にいたから夏南だからこそわかる。きっと、ほかの人であれば全くわからないだろう。そう言い切れるだけの自信があった。
「わかった。今回は信じてあげる。もっと、仲良くしてね?」
『気が向いたらな』
またしばらく、水無月の膝枕を堪能しながら、夏南はまどから差し込む日差しの暑さに少しだけ顔をしかめていた。
住んでいる街よりもいくらか涼しいが、やはり夏ということもあって暑い。でも、動くのは少し億劫だった。それに、水無月の体温が少し低めで心地よいというのもあるだろう。
「それにしても、なんでここはこんなに平和なんだろ?」
『それはしっかり、管理が行き届いているからだろうな。アイツが街の隅々までしっかりと結界を張っているから雑魚は入れないんだ。それに、鳥居がたくさんあっただろう? あれが、悪いものを弾いているんだ』
「へぇ……じゃあ、私の所にもいっぱい置けばいいのに」
『そう簡単ではない。あれは管理者がしっかりと管理できなければ、逆に悪いものを呼び込むことになってしまう代物だ。今の神主にそれができるとは思えん』
夏南の住む街には大きな神社がある。そして、そこの神主を思い浮かべる。もういつ引退してもおかしくないほどのよぼよぼのおじいちゃんは、後継ぎである息子があまりにも不出来なせいで引退しようにもできないと街では知られすぎた話だ。
なんなら、まだまだ幼いが、歴代最高かもしれないと謳われる孫に継がせようかという話さえ出ているのも有名な話だったりする。
最近見た時は車いすに乗って、それを孫に押してもらっている姿まで思い出した夏南は「無理そうだね」と零す。
『力はあるんだ。なかなかの力だ。だがな、管理をするためには鳥居一つ一つ、直接訪れなければならない。それは力が許しても体が許さんだろうさ。……まぁ、息子がもう少しマシであれば違っていただろうがな』
「あ、やっぱ水無月から見ても、ダメダメなんだ」
『才能もなければ神職であれば、持っていなかければならない加護も皆無だからな、将来は絶望的としか言えん。加護が貰えないほどとなると、おそらくは幼いころなりに神の逆鱗にでも触れたのだろう。だが、その代わり、孫の将来は安泰だな。あれほどの加護を持った人間は滅多にいない』
夏南の頭を撫でながら水無月は少しだけ懐かしそうに目を細めて遠くを見る。
「もしかして、私のお母さんも?」
『ん? あぁ、アイツはとんでもない加護の持ち主だったな。それこそ、日本中の神に愛されたと言ってもいいぐらいだ』
「そんなにすごい人だったんだ」
『ああ、すごい人だよ。あれ以上の人間を、私は知らない』
そう言った水無月の目は今にも泣きそうなぐらいなほどの幸せに満ちていたのを見た夏南は、ツキリと自分の胸が小さく痛むのを感じた。それが、とても小さな嫉妬だと悟った彼女は胸の内で小さく笑った。
まさか、自分の母親に嫉妬するなんて。でも仕方ない、彼女にそんな顔をさせていいのはこの世界で自分だけで十分なのだから。
二人がしばらく会話をしていると、ふすまが勢いよく開く。夏南が顔を向けると、そこには仁王立ちする奏南の姿があった。水無月は微妙そうに眉を顰める。
「夏南……暇だからって、一日中ゴロゴロして……!」
「だって、行くとこないし」
そう答えて、夏南は彼女の格好が普段見るものよりも少し違っていることに気が付く。それは、つたない記憶をたどった限り、儀式などで着用するもののはずだ。
「てか、その恰好どうしたの? どっか行くの?」
「ん、ああこれね。実は、協会の人間がこれから来るのよ。この前の悪霊のことを聞きたいんだって。祓った時の状況を聞きたいってね」
「そうなると、私も会うってこと?」
協会――日本霊的災害防除協会。
悪霊などによってもたらされる霊的災害から人々を守る組織で、世界中にあるとされ、大抵の神社などや陰陽師などが所属している。視える人間の大半が知っていて、頼るべき機関だ。と、されているが、夏南は今まで関わりを持つことはなかった。
簡単な理由だ。奏南がそこに関わることを良しとしないからだ。彼女曰く、協会の人間が水無月を見たら、全力で祓いに来る可能性が高いからというものだ。なので、夏南も協会に近づこうとは思わなかった。
やはり予想通りというべきか、奏南は首を横に振る。
「会わせても碌なことにならないから。申し訳ないけど、あっちにはあの悪霊は私が祓ったって説明する。まぁ、ウソだってバレてんだろうけどね」
「ん、まぁ……それは全然大丈夫だけどさ。平気? 怒られたりしないの?」
枸杞能登神社の管理者として、奏南も協会に所属していたはずだ。なのに、そんなことをしてもよいのだろうか。
「別に平気よ。私は最初から、必要以上の干渉はお互いにしないって契約をしてるから」
「ふぅん。そっか」
「だから、ごめんだけど、話が終わるまで散歩がてら、お使いを頼んでもいいかしら」
奏南がメモ用紙とお金を夏南に手渡す。そこには、夕飯の材料と夏南の好きなお菓子がいくつか書かれている。優しすぎる彼女に思わず笑みが浮かぶ。
「じゃ、よろしくね」
「ん、まかせてよ」
無事に買い物も終えて、帰り道を歩く。夏南は行よりも強くなった夏の日照りにバテてしまいそうだった。水無月がさりげなく日陰を作ってくれなければもっと早くにダウンしていただろう。
「あつーい」
『そりゃあ、夏だからな。暑くなければ夏と言えんだろう』
「それでもさー限度ってもんがあるじゃん。こんなに暑いと何もできなくなっちゃう」
『まぁ確かに、私が生きていたころよりは暑いな』
途中で買ったスポーツドリンクを飲む。さっき買ったばかりだというのに、もうぬるくなってあまり美味しくない。すると、水無月がそれを取って霊力を流し込む。
再び受け取ったそれは凍る一歩手前だと思うほどに冷えていた。
「はぁ、本当に何でもアリだね」
『ふっ、こんなことができるのは私ぐらいだよ』
得意気に口角を上げる彼女はとてもかわいい。
二人が幸せな時間を噛みしめていた時だった。水無月が不意に立ち止まった。驚いて夏南も立ち止まる。
すると、進行方向に二人の人間が経っていることに気が付く。
一人はスーツを着た三十代ぐらいの女性で、美しい容姿ではあるが顔には獣にでもやられたのか爪痕のような傷が三本走っている。そして、もう一人は二十代前半ぐらいのポニーテールに鉄砲袖の着物に黒の裁付袴の女性は夏南を半ば睨みつけるようにしていた。
いかにも普通の人ではない。だがそれよりも、この人たちは視える人たちだ。と、夏南は本能的にそう感じとっていた。そして、それは的中していたようで、ポニーテルの女性が忌々し気に水無月を一瞥すると口を開く。
「貴女が、あの悪霊を祓った祓い師ですか」
口調こそ丁寧なものの、そこには隠し切れないほどの強い敵意が見えている。夏南は表情を変えずに何も答えない。
おそらく彼女たちは協会の人間だ。そして、水無月のいつもは見せないびりついた空気から、彼女たちがかなりの力持った陰陽師であることが伺える。ならば、ここは何も答えずに早急に立ち去るべきだ。
そう思って後退りしようとしたとき――夏南は自分の体が動かないことに気が付く。顔に傷跡のある女性が口を開く。
「申し訳ないけど、動きを止めさせてもらったわ」
にこりともせずに告げられたその瞬間、夏南の隣からゾワリと冷たい殺気が漂いだす。
『おい、小娘。何をしている』
まさか、言葉を発するとは思っていなかったのだろう。二人の女性は目を見開く。が、それも一瞬のことですぐに怨念すら感じさせる目つきで水無月を見る。
その瞬間、夏南からも冷たい殺気が漏れ出す。無理もない、大切な人にそんな目を向けて黙っていられるほど馬鹿ではないのだから。動ければ式神の二つでも出して襲わせている。
水無月はちらりと怒りをあらわにする夏南をどこかほほえましげに一瞥すると、再び口を開く。
『貴様らの目的はなんだ』
「はっ、悪霊ごと気に何を偉そう――ッ!?」
ポニーテールの女性はそれ以上言葉をつづけることができなかった。なぜなら、その首を黒いしめ縄のようなものがきつく巻き付いていたからだ。もがいて外そうとするが、それはびくともしない。突然のことに隣の女性も固まってしまう。
『その首飛ばしたくなければ答えろ。貴様らの目的はなんだ』
有無を言わさない声と、思わず慄いてしまいそうなほどの迫力に、顔に傷のある方の女性が「支部長に朝守夏南と接触しろと言われたから」とたどたどしく答えた。
『理由は』
「朝守の一族は協会にとって重要な存在よ。そして、朝守奏南がひた隠しにする貴女を調べようと考えるのは協会として当然のことよ。そしたら、アナタみたいなとんでもない悪霊が憑いてるんもんだか――」
「水無月は悪霊じゃない。私の大切な人だ」
自力で不可視の拘束を解いた夏南が噛みつかん勢いで反論する。女性はその迫力に少しだけたじろぐと、「霊的存在は排除するのが協会の決まり」だと冷たく言い放つ。
『それで、どうするんだ? なんであれば私という存在に挑んでみるか?』
あたりの温度が急激に低下していく。真夏から真冬に変わったと錯覚するほどの気温に女性は白い息を吐きながら、目の前の存在に恐怖するだろう。そして、確信するはずだ、目の前の存在にはどうあがいても勝てないと。それは、隣で苦しむポニーテールの女性もだった。
『奴らに伝えろ。私たちにかまうな、と。この子に益がない限り、お前らには関わらん。もし、この子の害になるのであれば』
チラチラと雪が降り始める。それは、心臓をも凍らせるほどに冷たい雪だった。
世界が息を止めたかのように静かな空間に、静かにズシリとのしかかるような言葉が下される。
『貴様ら全員地獄に落としてやる』
女性たちが逃げ出したのを見送った水無月はフッと息を吐く。それと同時にあたりの気温が元に戻る。鳴りやんでいた蝉の声が聞こえてくる。夏南はほぅと大きく息を吐き出した。
「なにあれ」
『陰陽師だ』
「知ってる。水無月のこと祓おうとしてたし悪霊って呼んだ」
思い出しただけで、今すぐアイツらを追いかけてぶん殴りたい衝動に駆られる。水無月は何もしていないのに。それなのに、問答無用で祓おうとするのだから、良い幽霊と悪い幽霊の区別もできないほどに頭がおかしいに違いないんだ。
怒りをあらわにする夏南。水無月はどこか微妙そうに、だがとても嬉しそうな表情を浮かべる。
「水無月、私決めたよ! 協会の人なんかとはぜーったいに関わんない!」
そう宣言し水無月の手を強く握りしめる。ひんやりとした彼女の手に自分の体温が移ってしまえと思いながら、夏南は水無月をまっすぐに見上げる。
「水無月には誰も触らせないから」
たとえ、世界を敵に回したとしても彼女の手だけは絶対に離さない。彼女が手を離さないように。決意の込められた眼差しを、水無月は懐かしむような、眩しそうに見つめ返すのだった。




