表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界日誌(仮)  作者: 鈴木啓一
第二章:テフレア人の生徒たち
8/9

第7話:エルフのエスカ1

「先生、あなたは神を信じますか?」

 それは授業が始まってから一週間程度(五日程度)経った頃のことであった。その日は週に一度の祝祭日、地球の日曜日に当たる日であり、私は未だ慣れない授業を軌道に乗せることに全精力を費やしていた。特に最初は生徒の反応や授業の進行速度など手探りな所が多く、それらにある意味怯えながら毎日の授業をこなしていたのである。

 この日は翌週からの授業のために、四日分の授業資料を整理して生徒から質問がきそうなところ、特に説明が必要な個所などのチェックをしていた所であった。場所は学校の図書室である。

 学校の図書室は本が不揃いで今だ空きの棚が多く、貴重な本も半分が日本語学習用、もう半分が日本本土から篤志で送られてきた資料集などである。充実しているとは言い難く、より多くの調べものが必要な際は市庁附設の市営図書館に行かざるを得ない。どちらかというと自習室といった風合いの部屋である。また、休日に生徒に解放されている数少ない学校内施設の一つであった。

 十時半に当直の先生方に挨拶を済ませて資料を持ち、図書室へと入った。その時には既に真面目そうな生徒がまばらに着席してプリントや本を開いていたので、私もその邪魔をしないよう静かに授業の準備を始めたのである。

 昼直前の十四時過ぎ、少し休憩をしていた所で一人の生徒が入ってきた。長く煌びやかな金髪と長い耳が目を引く、エルフの子であった。当然、大方の生徒を相手にしていた私には見覚えのある顔で、いつも私の授業を最前列で聴いていた。服装はこちらの平均より少しアッパーな印象を受ける白い、洋風のカスタムをしたアオザイのような形式の上下ワンセットをいつも着用していた。

 この日も同じ服装で入ってきて周りをキョロキョロした後、私を見つけたと思いきやグイグイと近づいてきて放った第一声が冒頭のそれである。

 当然、私は面喰った。というより、反応に困った。当たり前である。授業中に一言二言喋ったことがあるだけの相手から突然信仰告白を強いられれば、日本人なら誰だって次の台詞に困ることだろう。

「…………」

「…………?」

 白い肌と薄い唇に浮かべた笑みを絶やさない。こう、どこかで似たような空気になったことがあるな。と思ったが、池袋駅で声をかけてきたキリスト教系の新興宗教のオバさんと同じ笑みだった。

なんだろうか、布教活動中なのだろうか。学校で?

 日本人の感覚ならあり得ない……わけではないか。確かに、私が大学に通ってた頃も新興宗教の勧誘には気を付けろという旨の掲示はあった。

 こういった場合は適当に断ってその場を離れるのが常識的な対応であることは理解している。しかし相手は自分の学生。そう無下にしてこれからの関係性を壊すようなことはできる限り控えたい……。

 無言が続き、相手もだんだんと苦笑いに近いような顔になっていく。耐えかねた私が絞り出した言葉は

「とりあえず、座ってください」

 だった。


 生徒の名前も把握しておこうと生徒名簿を持ってきていて正解だった。彼女にバレないよう横目でそれを見て、思い出した。彼女の名前はエスカ・デルスパシャである。エスカが名前で、デルスパシャが苗字のはずである。

 座ってくださいと言われた彼女はパァと明るい顔で私の対面に陣取り、にこやかに話しかけてきた。細い体に合った服がひらめき、横顔もスタイルも正しく人形のようである。なるほど、大平先生の言うことが分かるというものだ。

「良かったぁ。鈴木先生はお話を聞いてくださるんですね」

 目を輝かせてそう言われると、なんとも微妙な罪悪感に包まれる。教師と学生という立場上、適当にお茶を濁してしまおうと思っていた所だったというのに。

 彼女は手を心臓に交差させて祈りのような体制を取った。

「これも天地の神々のおかげですね」

「そっか……」

「でも驚きました。休日は多くの方が休まれるのに、日本人の皆さんは皆さん働かれているのですね。今日学校に来るまでもいろんな方が仕事の服で移動されていました」

「それ皆進んでやってる訳ではないと思うよ」

 慇懃な誉め言葉に見せかけた侮辱に聞こえるのは、現代社会の病理だろうか?

 エスカは首を振る。

「真面目に働くことは美しいことです。して、先生もお仕事ですか?」

 私の目の前に広がる雑然とした書類を流し見てそう言った。

「そうだよ。授業は市庁の教育委員会から求められる指導要領があるからね。今学期中にそれが終わるよう、計画をもって挑まないといけない。そのために来週用の授業内容を粗方決めておくんだよ」

「きょーいくいいんかい? しどうようりょう?」

「ああ、市庁の学校を担当するところが教育委員会で、教える内容が指導要領ね」

「なるほど、勉強になります!」

 流石に高等科にまで進んでくる学生は日本語が流暢で私も当初は驚いたが、やはり難しい漢語などは置き換えて教えなければいけない。日本、市庁、国家、先生といった単語は初等科、中等科で習うだろうが、委員会、要領、勤勉、美徳といった単語は言い換えなければならない。中学二、三年生レベルくらいだろうか。

「今週の授業はそこまで難しくありませんでした。先生も難しい言葉は全部説明してくださったので、私も分かりやすかったです」

 私はこの時学生からはじめて自分の授業の感想を聞いたのだ。悪い気分になるはずがない。たとえそれが宗教的な誘いに入るための口実だったとしても、素朴な嬉しい気持ちは、この世のものとは思えない美しい微笑を浮かべる彼女との話に私を乗り気にさせた。

「ありがとう。参考までに聞きたいんだけど、難しい所はなかったかな? 先週はオリエンテーションとはいえ、色々ざっくりと解説したからね。政府の三権分立の話とか、選挙の話とか」

「そうですね……。人権の話は難しくて、よく分からなかったです」

 当たり前と言えば当たり前の話である。初歩的な政治学とはいえ日本本土でさえその本質的内容を理解しているとは言い難いだろう。社会学部出身の私も、法学的に厳密な意味での人権定義を聞かれれば困惑するだろう。

「人権かあ。それについてはかなり歴史のある話だから、確かに分かりづらかったかもしれないな。現在の権利義務については『社会生活Ⅲ』の授業でよく取り上げるから、そっちを受けた方が早いかもしれない。そっちの授業は受けてたっけ?」

「受けてます! 私の任務の一つですから」

「任務?」

「はい。私がこの学校に来た理由の一つです」


 宗公国はかつて広大な土地を支配していた王国で、現在のアメリカ統治下の帝国が反映するまでは唯一の超大国として君臨していた国だという。かつては大陸全体の宗教でも最も高貴な位置づけであったという。言うなれば儒教の聖地中国、イスラームを抑えた歴代カリフ、ローマ教皇、神道上の天皇に近い存在である。故にその政治では宗教も重視される。

 大陸の神話ではすべての人類、亜人はエルフから分化した種族であり、そのためにエルフは太陽神に最も近い貴種として尊重される。故に宗公国の国家宗教では常にエルフが採用されており、エスカもその一人ということらしい。採用された中でもまだうら若い(とはいえ、実年齢は私より上のようだが)彼女と複数人には、日本が統治を開始したときにある氏名が与えられた。

 それは日本人との軋轢を避け、日本人にもテフレア人の信仰を布教できるようにその思想と宗教を学ぶというものであった。

「そうです! 私は日本の方々にもテフレアの多くの神の恵みを受けていただきたいと思ってます。ですから、より教えを広めやすくするためにここに学びにきたのです。帝国の方ではアメリカ人の宣教師? とやらが我がテフレアの信仰と対立していると聞きます。偉大な宗公様はそのような対立を生まないように、まずは相手の事を知れとお命じになられました」

「つまり、より一般的な日本人の習慣と、宗教についての見方を知るのが君の仕事ってことか」

「はい! 神様も多くの信者を得ることを望んでおられるはずですから、私もきっと教えを広める任務を成功させたいです!」

 私は少し迷った。確かに授業では日本人の一般的思考方法についてという名目で、政治や社会の常識を教え込む。しかしいくら三権分立、民主主義、平和主義や商取引、順法精神などについて教えても、それらが彼女の求めるモノ、布教活動に役立つとは考えにくい。

 読者の皆様は一般的な日本人であるから、突然宗教についての話や布教勧誘をされれば正直に言って距離を取るだろう。神を信じていないと言いのける方も多くないはずである。しかし一方で、元日の神社参拝や冠婚葬祭で仏式神前式の合唱に抵抗を持つ人も少ない。つまりは日本人の一般的に言う所の無宗教と、海外でいう無宗教は全くの別ものであるという話だ。

 テフレア人のエスカが布教、宣教という活動を積極的に行っている以上、こちらの宗教が多神教にせよ一神教にせよ信仰についての考え方は西洋風、つまりはキリスト教やイスラム教のように、信仰しているか否かが明確に分かれている方式に近いのだろうか。一般人については知らないが、少なくとも聖職者についてはそうだろう。その場合、日本人には距離を置かれるタイプの人間というわけだ。

 それをこの時の私には、正直に伝える勇気はなかった。「日本人に宗教の布教なんてしたら、老若男女問わず嫌われるよ」なんて、この可愛らしいエルフに伝えて大いに落胆させることなど私にはできない。

 しかし彼女自身既にその壁には当たっていたようで、憂いを含んだため息とともにこう言った。

「ですから、私も日本人の先生方に色々聞いて回ったんです。ですけど皆さん、あんまりいい返事をいただけず、その上少し避けられているようでして……」

 そりゃあそうだろうなあ。という苦笑が私に浮かぶ。

「今日は教会に寄ってからお祈りを済ませて、日本語の勉強をしようと思って図書室に来たんです。そしたら先生がいらっしゃって。先生にはまだ聞いてなかったんで、ダメ元で話しかけたらお話を聞いてくださったので、私もう感激しました!」

 椅子を半立ちになってグイと私に顔を寄せてくる。少し気恥ずかしい。

「先生は、あなたは神を信じてらっしゃいますか?」

「うん、事情は分かった。だから」

 咳払いをして、少し大仰に言った。

「まず、その聞き方をやめようか」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ