第6話:授業開始まで
さて、一つ本題から外れた話を挟んだのだが、彼とは縁浅からぬ関係上、時折この小説にも登場していただくことになるだろう。そういう意味では、時系列的に彼を登場させたことはあながち間違いとも言えない。読者の皆様におかれては、多少の冗長性を感じたかもしれないが。
仕事の前準備が始まり日常が慌ただしくなりはじめたのもあり、あの軽食屋以降特筆すべき記事はあまりない。時折現地の異世界人(当然、獣人や亜人のようなものも含まれる)を見かけて目で追うようなことはあっても、それから何かしらのイベントが発生するようなことはなかった。接点もないような人間に積極的に話しかけるような変人性は、私とて持ち合わせていない。となると必然的に喋る相手は仕事相手や近所の日本人、異世界人でまともに話していたのは軽食屋のアレムと、その主人くらいのものだった。
ファンタジー世界が好きという理由で新京に赴任した身としては自分でも驚くほど保守的な生活様式だし、読者の皆様を少し落胆させたかもしれない。しかし実際に行動してみると分かるが、言語が通じるか分からない人間と実際に交流することへの不安はそう簡単に拭えるものではない。ましてや、相手が地球的な文明を理解しているか分からない場合においては、当然の如く詐欺や誘拐、あるいは悪意がなくとも有害な物質を売りつけられるといった事態が考えられるからである。多少の交流で打ち解けた場合を除き、完全な見知らぬ人に話しかけるほどの勇気はなかった。そうなれば、日本人ばかりと話していたことも納得していただけるとは思う。
話を戻すがこの頃の私は業務が始まり、先述の通り慌ただしい生活を送っていた。といっても突然授業が始まる訳ではなく、こちらでの一か月ほどの研修がそれにあたる。先にこちらに赴任した先輩方が手探りで準備した異世界人との付き合い方についての講習や、こちらの世界知識、マナー、宗教、禁忌といった内容だ。特に日本人が気を付けることがあるわけではないが、支配者側として軋轢を生まないよう、こういった情報を知っておくべきという市庁側の認識なのだろう。とはいえ内容はそこまで体系化はされておらず、集めた情報を手探りで分類し、集約した。というようなものだが。
まだ統治から数年しか経ってない状況から、圧倒的に経験や知識が足りない。研修ではそんな印象を受けた。
特に教師はテフレア人と交流が多い職業柄、こちらの行動原理や社会的常識についてよく研究するようにとの指示があった。何か月かに一回、各学校の先生方や外交官、研究者などが集まってそういう情報交換会もやっているという話である。私もいずれそういった会合に出席せねばならないと考えると、少し気が重い。
さて、研修が進むにつれ私の詳細な仕事内容が判明した。
私の仕事場は新京第十三社会人学校高等科という所で、家から二、三キロほど南にくだったテフレア人の街の中にある。そちら方面にはついぞ行ったことがないが、日本人が多く住む私たちの居住地域との境目当たりのようだ。日本人とテフレア人の居住地域は完全に分離しているわけではないが、利便性や安全性を考慮して市庁が密集するように当てはめられている。そのため日本人居住区にも異世界人は住んでいるし、逆に希望する人は異世界人の居住地域に住むこともできる(あまりいないようではあるが)。
実際に研修後、その建物の実見に行った。思っていたような日本式の建物というより、私の家のように廃墟だった建物を現地式に急ごしらえで整備した、異世界風の建築物だった。小さな宮殿……とまではいかないが、小金持ちの邸宅ほどの大きさで、こちらの学校程大きくはない。周囲は小さな庭園があるが、運動場のようなものはなかった。庭園自体も綺麗に整備されてはおらず、雑に刈り取られた雑草の後がここが廃墟だったことを匂わせている。
私の家もそうだが、この街には放棄された建物が多いのだろうか? この疑問に関してはこの街の成り立ち自体と関係しているようなので、説明は今後に譲ることとする。
社会人学校。というのは、どうやら想像通りこちらの壮年以上の学生に講義を行うことを主目的としている。こちらの成人到達年齢は十五歳なので、それ以上の学生が対象というわけである。当然目的は地球式の社会常識や計算、法律、倫理といった通念を教え、新京市民として組み込むことを主眼としている。社会人学校自体は初等科、中等科、高等科に分かれ、私が担当するのは高等科である。初等科は日本語教育を重点的に行うために、それ専門の学科を出た教師陣が担当する。中等科では工業や農業、書類作成など、実学系に重きを置くためにその専門性が必要だ。最後に高等科であるが、地球人との取引や高度な理論、技術などとより発展した社会通念を教えることが求められる。
簡単に羅列すれば
初等科:基本的な日本語会話と常識
中等科:当人の興味、職に合致した専門性
高等科:より高度で広範な理論、技術、教養
を主眼としていると言えよう。
当然私は高等科で社会科教師なので、現代社会に関することを教授する身となる。その内容は漠然とした指導要領によれば、日本の高校程度の内容にプラスして、テフレアでは身につくことのない各種の常識、例えば紙幣の高度な信用性など。なども教える必要がある。
授業形態は想像と少し違い、高校と大学方式の中間といった感じだろうか。指導要領に沿って四講義を各日一回(こちらは一週間が五日のため)、一日四、五回行う。これだけ見れば高校の専門教諭に近い感じもするだろうが、実際は固定された人員がいる教室ではなく、流動性の高い大学の講義室のような形になるそうだ。講義によっては、一日に同じ講義を二回やらなくてはならない。これは働いている学生がいるためであり、それに合わせるような形になる。また、学生によって分かれる専門性によっても受ける講義が違うため、講義の種類が違えば当然理解難易度も変わるようにせねばならない。
例えば、一日の私の授業がこのような内容だったとする。なお、一限当たりの時間は九十分である。
一限:地球社会1
二限:なし
三限:地球社会2
(昼休み)
四限:なし
五限:地球社会2
六限:地球社会1
七限:地球社会3
(実際の授業名はもっと詳細に分かれているが、七限があるのはこちらの世界が地球換算で一日三十時間もあるためである)
この場合、地球社会1は比較的簡易な内容で、2,3はそれに合わせてより詳細な内容になる。この翌日は例えば「法律と倫理」や「現代国家と統治」「民主主義」といった、別の主題に合わせた内容で1から3まで行うような形式である。しかしこの授業方法も暫定形式であり、今後需要が増えれば変動する可能性があるという。
なぜならそもそも社会人学校の高等科自体がこの年に設立されたのだから。言い方を変えれば、中等科を卒業して高等科に入学する資格を得た学生が初めて出るのがこの年であり、それに合わせて新設されているのである。つまり行政も現地の先生方も、完全な手探りで始まった中等教育学校(日本の学制ではこの内容は、高等科という名称に反して中等教育に当たる)なのである。
さて、長々と学校の説明が入り申し訳ないが、次からは本格的に授業と異世界人との交流に入っていく。とはいえ一学年総勢百人程度の学生を全員紹介することはできないので、その中でも私と特に懇意にしてくれている生徒を紹介し、それにまつわるエピソードもここに記述していくつもりである。
既に紹介する生徒については目星をつけてあるが……。
そう、やはりここは日本本土での人気を加味して、エルフを一番に紹介させてもらおう。




