第3話:初めての新京
第一印象は、賑やかな街だなという点であった。散見されるテフレア風の建築物は勿論のこと、政府や市庁が建設している最中の工事現場もあり、全体的に雑殿としていた。それでもやはり見慣れぬテフレアの風景は、私の目に色鮮やかに映っていた。
石造りの市街地は赤みが買った茶色のレンガ(?)をベースに様々な色合いを見せている。くすんだ緑色のテントの下には色とりどりの果物が並べられ、隣のテントでは木製らしき日用品のようなものが売られている。バスから見えたのは簡単な商店街のような場所だったが、この地に生きる人たちがそこで何気なく暮らしている様が、よく表れていた。
簡素なシャツとズボンを穿いた男が果物テントの奥に位置取り、スカート風の衣装の女性が果物を選んでいる。商人と買い手だろう。女性の後ろを通るのは鎧に身を包んだ男や裕福そうに羽織ものと帽子をし、従者をつれている男などだ。
バスは綺麗で大きな車道を行き、その隣を中規模程度の、石垣の道が通っている。こちらの道路は車専用、あちらの道路はおそらく、徒歩や馬車に類するもの専用なのだろう。実際時折馬車(当然、曳くのは馬ではない。頭の低い牛に近い動物である)が通り、ドレスに身を包んだ女性や軍服の男性、ごく稀に地球風のスーツに身を包んだ人の姿も見えた。こちらの貴族かなにかだろうか? 当然と言えば当然だが、日本人の姿も一般市街で見ることができる。警察や自衛官の配置が多く印象的だが、現地の露店で買い物をしているスーツ姿や私服姿の日本人もちらほら見ることができた。
車内の一行全員が外を注視していたのは、当然の成り行きだと思う。私でさえバスが新京の市庁本庁舎に近づいていくのも気づかず、ずっとテフレアの光景に見とれていたのだから。
子供たちが五人ほど集まって車をじっと見ていた。そして通り過ぎる車それぞれに手を振り、ニカッと笑顔を見せる。私の乗っていたバスにも一生懸命手を振り、車内の何人かが手を振り返すとやはりニカッと笑い返してくれる。その様子を、反対側の座席に座る人達も半立ちになって観ていた。
日本人が集団で移動するときの悲しい性として、各種の必要性が疑問な会合がいくつもあったのはこの際省く。官選市長の挨拶や長ったらしいガイドムービーなど、着いて早々にオリエンテーションを受けさせられたが、結局本土で学んだこと以上に為になる内容は然程なかったと記憶している。
覚えているのは市庁舎のその荘厳さだ。今は最新技術によって綺麗かつ機能的に修復されてさらに見どころのある市庁舎だったが、以前はもっと古い印象を受ける建物……というより、宮殿だった。一部修復のために覆いが被さっており、重機が出入りしていた。
宮殿、というのも本当に王侯貴族の邸宅であった建物である。四公国のうちの一つ、宗公国の宗公の避暑用の離宮だったとのことだが、新京に現地政府を設立する際に日本が徴用して使っているとのことである。
この市庁については、背後に高層ビルを建てて将来的にはそちらに本部機能を移す予定だという。この原稿を書いている現在も完成してはいないのだが、本部機能が移った後は観光用に一般に開放されるとのことであるので、往来が自由化した際は是非こちらを訪れてみてほしい。私おススメの観光スポットである。
お決まりの挨拶と集団行動が終わったのは、個人への配給物が案内されたあとである。配給の内容も職業によって差異は出てくるが、個人宅や日本国民であることを表す市民証、地図などの必需品は全ての赴任者に割り当てられた。動産の配給所は市庁とは別の場所にあり、混乱を避けるために各自割り当てられた時間に取りに行かなくてはならない。市庁で解散した後すぐに確認できたのは、自分の家と配られた簡易な地図だけであった。
さて、この辺で新京の地理を簡単に説明しておかなければ、読者の皆様に無用の混乱を招く恐れがある。ネットで調べれば簡単に出てくるのは思うが、筆者の怠慢だと思われたくないために多少の説明はここに記しておく。
新京市は四公国の地の中央西海岸、二つの国の国境付近に存在する。大部分は人間の国、ハクシア宗公国(日本語では宗公国と略すことが多いので、以降その例に習う。)に属すが、一部が獣人の国、シム獣王国(以下獣王国)に跨いでいる。海岸線に繋がる緩やかな斜面に建設された町であり、周囲を囲むなだらかな丘がその市域を規定している。
鎌倉市域の海岸線を西向きにし、市全体をさらに大きくしたようなもの。と言えば伝わりが良いだろう。もっと言えば、その西向きにした鎌倉地形の南部、丘の手前を大きな河が流れている。そこが宗公国と獣王国の国教に当たるらしい。現在は新京市域として統一されているので国境はあまり意味はなさないのだが、川の向こう側は比較的獣人が多いようだ。
市庁本庁舎はこの緩やかな坂の上、丘の中腹あたりに存在する。その下に貴族や有力者の別荘、一般市域、漁業従事者の住まう漁村のような地域が段々と存在していた。していた。というのは、度々海の魔物に襲われるせいで沿岸近くの街は半分放棄されていた状態らしい。実際私が市庁舎から町全体を見渡した時も、真新しい防波堤が海岸線に居座っていた。
配給された自宅の鍵と住所が書かれた紙、それと詳しい地図を見比べたところ、私の自宅は市庁と海岸線の丁度中腹で、河の近くにあるようだった。私だけではなくバスから降りてオリエンテーションを受けたすべての人々が、地図と住所をにらめっこしつつ、だいだいここかな。とアテを付けながらぞろぞろと市庁の門をくぐり外に流れ出ていく。その波に乗りながら、私もここでの新生活を始めるための第一歩を踏み始めていた。
市庁に繋がる巨大な公道(車道あり)でキャリーバッグを引きながらずるずると歩いていく。南北に走る中くらいの公道が出てくるたびに、人の流れの一部がそちらに吸い込まれていく。メインストリートを海岸方向に降りて二キロほど、中腹から川へと抜ける公道に出た時には、もうキャリーバッグに人が当たるアクシデントは避けられるようになっていた。
公道は場所によって舗装されていたりいなかったり。私が入った通路は片側三車線の車道程度の広さはあるが、まだアスファルトでは舗装されておらず、石造りの道そのままで残っている状況であった。(なお、執筆現在は舗装されている。)
その道に入ってすぐに私はキャリーバッグと足を止めて、ふぅ。と一息ついた。下り坂で二キロ程度とはいえ一人暮らし用の荷物を抱えて坂を歩くのは存外にきつく、少し休憩を取りたかったからである。
足許ばかり見ながら歩いていたので周囲が疎かになっていたが、そこには私の求める景色があった。ところどころ日本人の姿も見えるが、八割方が現地の人間で溢れている。バスで見えなかった人々の具体的な姿が、私の目の前に明確に現れたのであった。
大きな杖を持った銀髪の女性や、神官風の少女、犬の顔と人間の身体を持った壮年の男性らしき人が、私の隣を行き交っている。ハープのような弦楽器を持った少女が茣蓙をしいて演奏をしている。綺麗な音色だが、想像よりも音は低めだ。日本人の何人かがその少女の前に置かれたツナの空き缶に志を投げ入れ、演奏を聴いていた。行商人が足を止め、行李を開いて現地人に何かを売っている。秤を使っているが、何かの木の実だろうか? それとも穀物だろうか?
左右に居並ぶ三階建てほどの建物の列、その各一階には異国情緒あふれる看板がズラリと掛けてある。大体はテフレアの言語で私には読めなかったが、その下に必ず日本語が書いてあった。「酒屋」「かじ(恐らく鍛冶)」「フェルカ商会 新京事務所」「クヌシ(薬師か?)」「道貝(道具?)」といった具合である。ところどころ日本語というか漢字が怪しいのは、日本人が書いたものではないのだろう。商会や酒屋は綺麗な日本語と漢字で書かれているが、他はマチマチだった。
私は眼前の光景に見とれていた。本当に、異世界にやってきたのだな。その実感がふつふつと沸き上がり、形容しがたい興奮が私の中を駆け巡るのを感じていた。




