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異世界日誌(仮)  作者: 鈴木啓一
第一章:赴任
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第2話:赴任までの経緯

 半年強だった冬の寒い某日、私は長野県の松代で長距離バスに載っていた。このバスはノンストップ、目的地は新京である。


 九月の一件以来、私は異世界に憑りつかれていた。嗚呼、何と甘美な世界かテフレア! そこは石造りの街が広がり、多種多様な人種が広大な世界に広がっているという。人間は勿論のこと、金髪銀髪のエルフ、ドワーフ、亜人、獣人、それに魔族まで。地球人は使えないが魔法も存在する。ファンタジーが好きでこの世界を旅したくない人など、いないと断言してもいいだろう。私も話を聞けば聞くほど惹かれていた。ドラゴンの棲む山、魔族の支配する大陸、無限に広がる森林を私も歩んでみたい。その強い思いが、私が歩む求人事務所までの足取りを力強く押してきた。

 当然、強い不安もあった。果たして地球人の私が、突然別の星で暮らすことができるのだろうか? 家族はどうなる? 病気や治安、生活レベルは果たして大丈夫だろうか? 常にそういった不安が頭の片隅に纏わりつき、大人げなく浮かれる私の少年心を鎮めようとしてきたのである。どちらが正解かなど、この当時知る由もない。分かるのは、就職の絶好のチャンスであるということと、暫くは実家にも東京にも帰ることができないということだけ。

ここで引き返せばまだ間に合うし、受かってからもまだ辞退する時間はある。そう言い聞かせ、私は池袋区役所から求人に申し込んだ。


試験や面接、研修については簡単に流れだけ書かせていただく。新京開拓団では職業区分ごとに試験があり、教員や現地公務員の区分にはもれなく二次試験から面接までの日程が組まれていた。最初の試験からおおよそ一か月で面接までが終わり、その後二週間程度で採用の可否が通知される形式となっていた。

結果は言わずとももう判明しているが、私は面接までの全ての日程をクリアし、無事に内定を手に入れることができた。試験内容や面接ともに自治体の試験を超えるものではなく、特徴的なものと言えば本人の思想調査に類するものがあったくらいで、それ以外に特筆すべきものはなかった。思想調査の件も、いじめや差別的な経歴がないかと言った、極めて形式的で簡単なものであった。


合格通知が来てから諾否期限の二週間は、私は歓喜と苦悩に満ちた日々を送っていた。初めて内定が出た喜びはそれはもう大きく、これでやっと就活地獄から解放されたのだと遊び回ることも考えていた。しかし通知から三日もすると興奮も冷めやり、果たしてこの内定を受けるかどうかを深刻に悩むに至ったのである。


新京に行くべきか否か。行けば私は夢にまで見たファンタジーの世界に行くことができる。未知の人、未知の土地を知る楽しさは、何事にも代えがたいだろう。それに日本を代表して向こうにいくというのも良い。支配者側というのも素朴な愛国心ゆえか気持ちよく、偉大な文明を遅れた異世界に教えるという稚拙な使命感は、今思えば恥ずかしながら私を満足させるものだった。

しかし、それは少なくとも任期中は現代文明を半分捨てるようなものだ。パソコンや携帯は持ち込めるが、インターネットの通信は設備不足でまだ一般人には使用制限がある。当然映画館や本屋、デパート、レストラン、スーパー、パチンコのようなものは皆無である。普段当たり前のように使っている文明の利器が存在しないのは、実際かなりの拷問ではなかろうか。

その辺の一般人が、人手不足という理由でアフリカの後発発展途上国に飛ばされる。と考えるとどうだろう。行きたいと言う人は恐らくかなり少ないのではないだろうか。ファンタジーという美しい偏見が押し支えているとはいえ、冷静に考えると向こうでは他に転職のしようもない。日本人の統治地域以外に行くことができるのかどうかも不明。そういった現実に存在しうるデメリットが、頭から離れなかったのである。


結局の所、悩み続けて承諾した最大の理由は、年齢と待遇であった。二十四歳の冬、これを逃せばこれほどの好条件の仕事を引き受けることは難しいだろう。次の開拓団がいつ募集されるかも分からない中で、待ち続けるのはこの国の一般的な採用方式を鑑みるにデメリットしか存在しない。それに、次の開拓団の際に大規模募集されるとも限らないのである。

任期は三年。手取りが二十五万前後と考えれば九百万+三年分のボーナス。配給を上手く使えば、百万から二百万程度は貯金ができるだろう。最悪向こうが合わなければ、帰国してその貯金を食い潰す前に転職をすればよい。少なくとも、有象無象の新卒の一人として日本で就活をするよりはアドバンテージがある。

そういった短絡的な計算を元に、私は「今よりはマシ」と応諾の連絡をしたのであった。


応諾からは官公庁特有の形式で、淡々と進む流れに身を任せるのみとなった。まず提出しなければならない膨大な書類を済ませ、各種研修を受けることとなった。外交官が外国に行くのにさえ一年の国内研修があることを考えると、三か月という研修期間はほぼ異例と言ってよいだろう。それほどまでに向こうの人材不足が逼迫しているのか、それともそれほど準備する必要がないということなのかはこの当時まだ分からなかった。よく覚えているのは、オリエンテーションはまるで昭和の大作ファンタジーの解説を受けているような気分だったことだ。文学部の授業を聴講しに行ったときのようだった。


異世界テフレア。向こうのリンガ・フランカで「第四」を著す名詞が、そのまま星系第四惑星の名前として採用されたという。

広大な星の中にはメインとなる大陸が三つほどあるが、その中で中心となるのは東大陸と呼ばれる地域である。大陸の中で最大の推定面積を持ち、文明もその大陸中心に発展しているというので、地球で言うユーラシア大陸のようなものだろうか。

覇権国家たる通称「帝国』は、二千年ほど前に旧宗主国を破り建国。周辺国のほとんどを従属国または植民地としていた超大国である。地球とつながるまでは超大国としての権利を恣にしていた。その状態が各種危機を乗り越えつつ一千年も続いたというのだから、歴代中国王朝やローマ帝国もびっくりの超長期政権である。

しかし盛者必衰の理は異世界も共通の理。地球の核保有軍事大国の軍事力を目の前にしては、春の夜の夢の如く敗退した。

最初の転機はアメリカの油田大陥没事故であった。シェールオイルの油田の陥没自体がそもそも科学的に考えにくく、アメリカは国家をあげてその陥没内部の実地調査をしたところ、その穴が巨大な洞窟に繋がっていたのであった。当初は巨大な未知のジオフロントだと考えていたが、洞窟からの出口が発見されたことでその仮説は崩壊した。

なんと繋がっていたのは、全く別の惑星だったのである。

当時私は中学生か高校生だったが、世紀の発見に連日大ニュースとなっていたことだけは今もよく覚えている。連日テレビに映される広大な砂漠の景色や見たこともない植物の様子は、魅力的な未踏の地というイメージを膨らませるのに十分であった。

しかし、それから一年もするとテレビで現地映像が流れることは少なくなってしまう。理由はアメリカが現地政府と接触し、交渉の末に武力衝突に突入したという。アメリカの言い分では現地政府との和平交渉が行き詰まり、一方的な最後通牒を渡された上で現地研究員や外交官を殺されたことを派兵の直接的原因としているが、これについては今なお機密情報や錯綜する出所不明の情報、専門家らによる解説がインターネット上に出回っているのでそちらに譲る。

結局の所、米国は五年ほどの派兵によって向こう側の敵対勢力をほぼ沈静化した。アメリカの占領政府が現地に臨時政府を設けるという間接統治方式が採用され、また帝国に軍事的・非軍事的を問わず戦争協力をしていた国々も占領対象とされた。その中に、日本が現在統治する「四公国」が含まれるのである。

さて、四公国は帝国とは隣接こそするものの、ある程度の独自性を残して発展した四つの隣接国家群の総称である。詳しくは後にまた説明するが、ある種の経済・文化ブロックを形成しており、帝国には独特の距離感で臣従していたようである。そのため対米戦争の際には帝国の命令に応じて傭兵や兵糧を提供する程度に留めており、積極的な参加はしていない。

世界史で例えるならば、恐らくは清朝に対する琉球王国。あるいはインド帝国内の藩王国と言った感じだろうか。冊封と朝貢という主従関係を表向きに置き、実質的には主体性の高い小中規模の独立国家の振る舞いをする。四つの王公国それぞれについては、また後に説明させていただくことにしよう。

そんな中で戦争に全く関係ない日本が異世界統治の任を割り振られたのは、地球事情によるところが極めて大きい。アメリカ一国で大規模な植民地を持つことが国際的非難(特に米国と対立する国々からの)を避けられないと判断され、広大な帝国以外は米国の同盟国に配分されるところとなったのである。

さて、そんなこんなで役得を得た日本と、とばっちりをくらった四公国であった。


という話は少し調べればすぐにでも分かることではあるが、当時の研修で話された経緯もだいたいこれと相違ない、当たり障りなくテフレアの概要を伝えるようなものであった。また特集されて伝えられたものの中には日本人の権利、地位関係や現地人との付き合い方との注意事項など、支配者側と被支配者側という特殊な関係を除けば海外赴任の研修と大差はない。あれから数年たって今この文章を書いてはいるが、今も大して内容は変わっていないだろう。強いて言えば、現在では異世界人もかなり日本の風習に慣れてきているので、研修内容も当時のそれより楽になっているかもしれない。ということくらいか。


果たして赴任当日がやってきた。日本から四公国、そして新京に向かうにはわざわざアメリカの大陥没跡を通る必要はない。長野県某所にある自衛隊管理施設、そこに開かれた人口のトンネルから直接四公国の領土内にある洞窟に繋がっているのだから、日本人が使用するメインの進入ルートはこちらとなる。

こればかりは未だにその科学的原理が不明である。そもそもアメリカの大陥没跡が別の惑星に繋がっているという時点で十分科学的に不可思議ではあるのだが、その辺は現地の魔法技術によるものであるらしい。こちらの解説も別の解説サイトに譲ることとする。機会があれば、そちらも開設させていただくこともあるだろう。


自衛隊基地までは自力現着であった。新幹線で長野まで行ってバスで松代まで行く。新幹線の時点で私と同じ経緯でやってきた人々が散見されたが、自衛隊基地に着いた頃には開拓団に参加する人々で溢れかえっており、混乱極まっていた。マラソン当日の新宿や、開催直前のコミケ前の様相を想像すると分かりやすいかもしれない。

事前に持ち込みが制限されているもの、例えば拳銃や麻薬といった違法物資(新京市街では日本の刑法民法が一部援用されるため、当然不可。)に加えて植物、肉製品、事前申請をしていない医薬品なども没収対象である。現地の自衛官と警官が手分けして大量の人員をさばき、荷物の内部を徹底的に検査していた。

検査場を過ぎると、まるで輸出されるのを港で待つ日本車のようにずらりと並べられたバスに続々と乗り込んでいく。膨大な人員を運搬するのであるから、ざっと計算すればバス一台定員五十名だとして、千人あたり二百台(二百往復)必要になるのだろうか。一台五往復として四十台、実際には五十台ほどはありそうだった。当然国や自治体の所有車では足りず、どうやら現地の観光バスなどを徴用しているようだった。勿論一日で一遍に人員を運ぶ必要も理由もないのだから、私が見た人数はごく一部なのだろう。実際には、当時の開拓団は三千人ほど雇用されたらしい。

教職関係者と書かれたバスに乗り込むよう指示され、それに乗り込む。戦後間もなくの金の卵もこんな気分だったのだろうなという感想を覚える。行き先が田舎から東京ではなく、東京から異世界だし、そもそも移動手段もバスなのだが。

時刻は確か昼過ぎ頃。出発まで二時間程度の余裕があった。バスの荷台に大型荷物を入れて一息ついた私は、ちょっと早く着きすぎたな。と思いながら席に着き、休憩をとった。出発三十分前までは自由に出入りできたので、トイレや気分転換を差しはさみながらタブレットでインターネットを開いていた。

無為な時間つぶしのように思えるだろうが、向こうに行けばインターネットは利用制限がある。日常的に娯楽として使用できない可能性を考えれば、文明の利器との別れを惜しむ時間が私には必要だった。



バスが出発し始めてからすぐにタブレットの接続は遮断された。五分も立たずにトンネルに入ったからである。下り坂のトンネルを三十分ほど降りると、段々と外の景色が変わってくる。無機質な支柱や定期的にあるだけの電球は変わらないのだが、そこから垣間見える岩盤の色が、ある時点を境に急変したように感じられたのである。地層がある地点を境に変わるという現象は地球でもざらにあるので、この時点でテフレアに入ったという感慨はない。地層が変わってからすぐにバスは降るのをやめて平坦な道を突き進み、乗り込んでから五十分ほどで外に出た。


国境のトンネルを抜けると雪国……ではなかった。草原であった。


 バスに載っていた皆が年齢に関係なく外を注視していたのはよく覚えているのだが、この時点でも特段の感慨は無かったと思う。現地人でもいればまた違ったのであろうが、洞窟のすぐ外にある自衛隊の駐屯地らしきものは現代建築であったし、植物も遠目からは普通の木にしか見えなかった。下に見える道路もきちんと現代風に舗装されており、別段目新しいものはない。

 唯一非日常を感じるのは、バスに載った自衛官である。しかも武装している。人によっては外よりこちらを注視しており、三十台前後の男性が興味深そうに見つめるのを、中年の男性自衛官は慣れたように無視していた。車列の中間あたりにいるであろうこのバスからは見えないが、前後では対空砲完備の自衛隊車が護衛しているとの話だった。

「大型の鳥に載った盗賊集団がいるらしいですよ」

 隣に座っていた同年齢帯の青年がそう教えてくれた。

「それはそれで、見てみたいですね」

「私も見てはみたいですが、人質に取られて身代金を要求されるらしいですよ。運が悪いと普通に殺されるって話です」

「それは遠慮したいですね」

 お互いに苦笑してから、話が弾んだ。彼は新京の理系研究員として採用されたらしく、五年の任期で登用されたらしい。研究者として五年のキャリアがあれば、本土でも学会のメインストリームに乗れる可能性が出てくるという。

「私の研究分野は中々予算が下りなくて……。こっちでキャリアをつくって資金を貯める予定なんです」

 やはり、私も含め訳ありの人は少なくないのかもしれない。こちらに来たところでまだまだ開発途上の新京では確固とした地位や安定性を掴めるかどうかは未知数だし、先述の通り治安の不安もある。このマジメそうな研究員も、恐らくはまじめだがパッとしない故に本土で恵まれず、こちらに活路を見出したクチなのだろう。

 しかし私も同じような立場なので、身の上話はお互いあまり展開しなかった。代わりにこちらでの生活がどのようなものになるか、お互いの想像をアテもなく話し続ける時間が続く。可愛い女の子やファンタジックな生き物、施設など、多少の願望を混ぜながら他愛もない会話に華を咲かせつつ、バスの向かう先を眺めていた。


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