第1話:異世界へのきっかけ
私が異世界に行こうと思い立ったのは、あまり積極的な理由からではない。
岐阜から大学進学を期に上京した私は、とある中堅私立大学の社会学部で勉学に励むことになった。理系ほど忙しくもない文系大学生ならば、大学四年間を留年せずにストレートで卒業することなど、それほど難しいことではない。
マジメな学生なら三年生になる頃には就職について考え始める。私も例に漏れずそのクチだった。社会学部で取った教員免許を活用しようと思い、高校教師一本に絞っていた私の就活は、皆様の予想以上にハードなものだったことはお伝えしておきたい。
お上りさんの私は星の数ほどある東京の高校の、どこかには就職できるだろうと考えていた。しかし少子高齢化の並みや若者の公務員志向は私の想像以上に進んでいたのか、その競争率は都教員でも例年三倍を超えており、私立に至っては募集数と応募数が十倍から五十倍、時には五百倍とかけ離れていることなど日常茶飯事であった。
別に都に限った話ではなく、千葉、埼玉、横浜も同じような状況である。都教員は3次の試験と面接を受からなければ話にならない。私立は市立で先述の通り競争率が高く、さらに地元が関東である候補者を自然と優先するものであるから、中部の田舎者が受かる素地は到底存在しなかった。
当然、第二候補として地元中部の都市圏でも幾度もなく応募した。しかし減らない教員数に対して漸次減少する生徒数、学校数に対しては圧倒的に受容がなく、こちらも内定を頂くことはできなかった。一方で受けていた民間企業も、特段の資格や会話的アドバンテージを持たない(口下手という訳ではない……はず。)私を取ってくれる所は皆無であった。
そこまで品行方正に生きてきた訳ではないが、不良を気取ってきた訳でもない。立ち振る舞いがあまり上手くなかったのだ。と気づいたときには、大学を卒業して一年近くが経とうとしていた。
大学を卒業してから二年目の九月後半、私の許に届いた一通のIMがその転機となった。送り主は高校時代の同期で、阪大に行った島田という男だった。
『久しぶり。噂に聞いたんだが、就活難航してるんだって?』
二年にも及ぶ空振りに疲弊しきっていた私は、既に就職の建設的な話さえ受け付けないようになっていた。一方で高校以来疎遠であった友人からの、久々の連絡。あまり付き合いたくない話題ではあったが、それでも嬉しいことに変わりはなかった。
『久しぶり。嬉しくない話題だけど、実際そうだなぁ』
『悪いな。こういうきっかけでもないと、中々声掛けする機会もないから』
『いいよ。心配は普通に嬉しいわ。今お前は何してるの?』
『新京の市庁だよ。一応中級官僚扱いだぜ?』
『新京か』
大体こんな内容だったと記憶している。
島田の消息については、阪大の外国語学部に行って以来寡聞にして知らなかった。唯一公務員試験に合格したことくらいは親の伝手で聴いていたが、それくらいのものだった。それがまさか、異世界に赴任していたとは。私は純粋に驚いていたと同時に、世間一般の人々にも浮かぶ一通りの好奇心からチャットを続けた。
当時の記録が残っていないので、以下は私の記憶を勝手に補填した内容に依る。
『俺もネットやらニュースやらでよく話は聞くが、中々大変そうじゃないか? 特にアメリカの統治下では武力衝突もあるみたいだし、ちゃんと五体満足で帰って来いよ』
『いやいや、日本の統治地域は全く平和なもんよ。多少の政治的困難はあるけど、人種も多様だし偏見も言われてるほどじゃない』
『文治主義は偉大だな。お前はそっちでどんな仕事をしてるんだ?』
『あまり詳しいことは伝えられないが、基本的には日本語と現地語の翻訳作業さ。あと、政務担当者同士の通訳もやってる』
『お前もファンタジーとかSFとか好きだったし、ある意味天職かもしれないな』
彼と私は中学も性格も違う人間同士だったが、小説や物語が好きという共通点から話し始めた仲だった。向こうは女子にも好評でバスケ部、オマケに旧帝大に行く完璧な人間を備えた人気者。一方の私はどちらかというとクラスのオタクと仲が良く、地頭も程々の凡人。今こうして書いていても、知的で会話上手な彼と教室で交わした会話は楽しい一時だったと、微笑ましい青春の在りし日が思い出されるものである。
この時の私もそんな懐かしい思い出に浸っていたのであろうが、それは彼が送ってきた一枚のポスターに遮られるような形で現実に戻されてしまった。
『なに、話を戻そうか。連絡したのはこれの件なんだよ』
『第二次新京開拓団?』
送られてきた画像は二枚。官報のように文字ばかりが載った文書と、中世風の宮殿が掲載されたポスターだった。
『統治が始まってから大体三年ほど経つが、ようやく体裁が整ってきた頃でな。そろそろ本格的に街の発展をするんで、政府が新京に赴任する人を募集するんだよ。来週には公式に発表される』
『そんなもんもう出しちゃっていいのかよ』
『いいんじゃね? だって俺たち現地員も、人が足りないから知り合いとか伝手で来てくれそうな人がいたら声かけてくれって言われてるからな。お前に声をかけたのはその一環なんだよ。どうよ、お前も好きなファンタジー世界よ? お給料いいよ? 家と食料は配給あるよ?』
なるほどな。まあ、突然連絡があるんだからタダで思い出話に浸るわけじゃないのは流石に勘付いてはいたが。
『そんな自衛官みたいな勧誘されたら笑っちゃうだろ。憧れはするけど、現代文明を離れて生活ってなるとそりゃ尻込みもするわな。俺だって、一も二もなく飛びつくようなことはできないよ。日本に帰省するのだって制限あるんだろ?』
『皆お前みたいな考えだから、人手が足りないんだよ。どうだ?第二次開拓団では現地人教育にも力を入れる予定でな。高校の教員免許持ってるやつも大々的に募集するんだよ。俺から内地の知り合い紹介してやるから、面接ほぼスルーだぞ』
『試験はあるんだろ? 落ちたらどうなるんだよ』
『その場合は弁護の仕様がないね。一回受けるだけ受けてみないか?』
『実はお前が寂しいだけだろ』
『それは確かにある』
当然、興味がないわけではなかった。私とて彼には及ばないが、筒井康隆やトールキン、ゼルダ、果ては異世界モノまで親しんだ身である。中世ヨーロッパのような、しかも魔法まであると聞く世界で働けるというのならば、無条件に少年の心が疼くものである。当地で仕事をするとなると絵に描いたような大冒険をするわけにはいかないが、向こうの新鮮な文化、風習に親しむこともまた冒険の一種なのである。私もそんな生活がしてみたい。と純粋に思う心は、二十も半ばに差し掛かった私にも確かに存在した。
しかし一方で、二十半ばは大人なのである。彼にも伝えた懸念を無視するほど子供ではなかった。現代文明で生まれ育ち、日本からさえ出たこともない私が果たして向こうで慣れ親しめるのか。そればかりは未知数の問題であり、日本に愛着もある私の中で確かにしこりとなって残っていた。
フラッシュバックするのは、高校時代にオーストラリアに短期留学した同級生の話である。半年の滞在のうち、二か月目から三か月目は本当に日本が恋しくて溜まらなかったという話を聞いたことがある。果たして、私がそうならないと言い切れるだろうか?同じ星の中でさえ、ホームシックになるというのに。ましてや初上京で、故郷岐阜に恋しさを感じた私が。
しかし、職なしバイトのつなぎで生活する私にとって、この提案が渡りに船だったのも事実である。とりあえず話を聞く分には損することはないだろう。そう思い、彼に詳しい話を聞くことにした。
『俺は教員免許こそ持ってるが、実際に教壇に立ったことは実習の一度しかないぞ。それでも大丈夫なのか』
『おそらく大丈夫。こっちは人手がマジで必要だから、求人は多分入れ食い状態だよ。教育学部出で専門教育受けたやつとか、経験者はそういう所に送られるし、お前のようにほぼ未経験のやつは担当しやすい所に送られる。他の募集職種、例えば工事従事者とか、研究者、医者なんかもそうだ。溢れた人員は市庁で事務員にもなれる。それくらい不足してるんだ』
『待遇は?』
『公務員で初任給が三十万前後、色々と抜かれて手取り二十五万ってとこか。事実上帰任までは帰れないから、その補償も込みだ。さっきも言ったが、家や食料は配給がある。詳しいことは後日公開されるからそっち見た方が早い。休みはこっちの暦に合わせるから、だいたい五日に一回、地球より少なくなるから、有給の数は多くなるぞ。教師だと職業柄、平日の有給消化は厳しいかもしれないけどな』
待遇的には悪くないだろう。向こうの生活に慣れるまでは大変だろうが、特需中の仕事と考えれば旨味が多いのは事実だ。となると、次に気になるのは
『となると、次に気になるのはあれだよな。どんな世界なのかっていう』
『待ってましたよ、その質問』
『どんなのだった? ラゴスか? ゼルダか? ブレイブ・ストーリーか? それともハリー・ポッターか?』
『おいおい、そう焦るなよ。まあまだ割り当てパケットは十分あるからな。どこから話そうか――。』
私たちはおよそ八年ぶりの物語談義と、島田の経験談に花を咲かせることとなった。




