ダンサンとみーちゃん
けっきょく 昼食の場にみーちゃんは現れなかった。
ニャ~ゴに促され 先に執務室を出たダンサンは そのまま食堂に案内され、
エレンに勧められるままに一人で食事をして、帰宅した。
ニャ~ゴ曰く「マスターは お疲れになりましたので、この後の会議はまた後日に」ということで。
◇
ダンサンとの会談のあと、みーちゃんは 気力を使い果たし、
ニャ~ゴから分離して 子猫形態になったケサランパサランを膝にのせてボーっとした。
子猫は ぶんぶんとのどを鳴らす。
この音は 人の神経をなだめる効果があるらしい。
みーちゃん的には ふわっふわで柔らかい毛並みに触れることでほっこりする。
いわゆる ポリエステルの起毛タイプのふわモコ生地、触れるだけで和んでしまう。
そんな毛皮をまとったケサランパサラン。
おまけに にゃ~ん と可愛く鳴かれると、嫌なことはもう何も考えず、このままぼ~ッとしていたい♡という気持ちに。
ダンサンに 本日の面談終了を告げたニャ~ゴが戻ってきて、
みーちゃんを抱き上げ、ベッドに運んだ。
そこで 優しく頭を撫でられ寝かしつけられたみーちゃん。
もちろん あごの横には ケサランパサランが居て、Happyな感覚を送り込んできている。
◇
一方 ダン菅本部にもどったダンサンは、査定部から みーちゃんも含めた過去のダンジョンマスターに関する査定書を取り寄せ、査定部で使われている マスターの評価に使われる心理学関係の本やら そのジャンルの基本書から最新情報まで取り寄せて読み始めた。
心理学の専門知識の使い方には いくつかのスタイルがある。
もともと心理学理論というのは、ただの仮設の寄せ集めに過ぎない。
その理論を立てる側の話は ややこしいので省略する。
さらに 自称専門家(=似非・未熟な者・よこしまな者)による誤った使われ方についての説明も ダンサンの行動とは関係ないのでここでは書かない。
で、荒っぽく 心理学関連のごくごく一場面だけを取り上げると、世の中には、
純粋に『今 目の前に居る苦しんでいる人の苦しみを和らげるためにできることはなにか? 自分は何ができるか? 何をすべきではないか?(←善意が人を傷つける危険性をよく知る者の発想)』を学ぶために 心理学を学ぶ者がいる。
あるいは 仕事上の付き合いで、職務遂行の効率化のために心理学を利用する者もいる。
この中には 人事管理の一環として、あるいは組織の効率化のために・構成員を酷使するために心理学の応用を図る者もいる。
その典型例が 軍隊であり、某工場の「かんばん方式」である。
あるいは 某出版社のドリコノ商法なんぞもこれに類するものである。
何を隠そう、ダン菅もまた、マスターの選定や、職員管理に心理学を使いまくっている。
ちなみに人事院などでは、本来『「労働者が喜んで働くように」組織管理されることにより、働きすぎて体を壊さぬように査定する・そのための酷使上限ラインを設定する』のがお仕事だったりする。
労働基準監督署もそれの現場部門のようなものだ。
議会がきちんと機能して、
「労働者とは 酷使されるだけの存在ではない。
労働とは、市民が文化的な生活を送ることのできるだけの収入を得るための手段であり、
市民が共有するインフラ基盤を整える手段である。
ゆえに 個人の欲得のために他者を使役したり、
企業効率のために 社員が喜んで勤労奉仕するような誘導・手法は認めない」
という『民意=大衆の意向』と
「企業の発展=国富の増大=国力の充実と税収の増加」
「資本(=労働力・金・財)の均衡の取れた循環こそが国家のリンパ液(=健康な国家をつくる)」
という発想とが両立するような、基準の制定=立法にと働いていれば
心理学を応用して、労働者が勤労に喜びを感じつつ 刻苦精鋭して、自分の身の周りを豊かにしていく社会であることで、特に問題が起きないのであるが・・
議員たちが 私利私欲で動き続けると、・・「どこぞの国の現状」のごとくなってしまうのである。 (閑話休題)
とまあ 心理学が経営関連で 組織的に使用され、その手法が独り歩きすることもあるのだが、
その一方で、かつては、集団活動を行っている者が、
仕事上の付き合いである仲間をフォローするために、
個人に深入りすることなく あくまでも 仕事上の付き合いにおけるフォローの手がかりを求めて 心理学関係を学ぶこともあった。
ただ たいていの人間は、「感情・思い込み・主観・理論・実情」の境界線を見失って、
自分と相手との関係をさらに悪しきものにしてしまったり、
あるいは フォローしたかった対象者をさらに深く傷つける結果になってしまうので、
「生兵法は怪我のもと」ということわざもできれば、
「心理学は諸刃の剣」という訓話や、
「自傷他害の源=心理学」「自称救世主・詐欺師の温床=心理学」という揶揄も生まれ
純粋な専門家ほど、自分の知見を述べない(話す相手を選ぶ)方向に向かってしまったのだが・・
そもそも 心理学の学徒を正しい方向に鍛え上げ、倫理観を叩き込み 己の分相応に知識を使う(=余計なことはしない)という最低限の規範を守らせることすらできない心理学会には、
「科学」としての基盤すらないという人もいるが、それはさておき・・
まあ 中には、他領域で 知識や理論を扱かう科学的態度を叩き込まれたダンサンタイプの人間のように、
自分の目的に沿って 自分の力量の範囲で 心理学的専門知識を扱うことができると考えて手を出す者もいる。
「自分の力量に応じて 知識や情報を使う」というのは、科学者として基本のキである。
どこぞの阿呆のように 「硫酸をペットボトルに入れて運ぶ」技術者なんて、いったいこれまで どこの教育機関・組織に属していたのだ?という話だ。
硫酸の扱いなんぞ 小学校5年生で習うことだぞ。
当時の教師は 校長も含めてその小学校とそこの地域の教育委員会は何をやっとったんだ?という話だ。その後 彼が在籍していた教育機関は言うに及ばず。
もしこの阿呆が外国人労働者だったのならば、こんな人間に労働ビザ・その業務への就業許可を出すような入管なぞ、つぶして根底から作り直せ!その部門に関して徹底的に法改正をしろ!!って話になる。
(閑話休題)
◇
で、ダンサンは 考えました。
己の感情(ミーちゃんへの期待・個人的思い入れ)とは全く無関係に、「ミーちゃんの取り扱い」について。
さらにまた ダンジョン担当者・ダンジョンマスター・ダンジョン管理部 この三者の関係性の見直しについても。
◇
ダン菅が 発足した当時、それはもう ダンサン達が生まれる前の話だが
その頃は、「ダンジョンを暴走させない管理」が第一目標だった。
当時管理されていたはダンジョンは、暴走することなく、「ダンジョンの種」になってしまった。つまりダンジョンの消失が 結果としてもたらされた。
そこで ダン菅の目的は、「ダンジョンから 長く収益を上げる=素材をとり続ける」ことに変わったのだが、これは あまりうまくいかず 時の流れとともに ダンジョンは 減る一方。
それゆえ ダン菅の目標は再度変更、
「ダンジョンの種を育てて 素材がたっぷりととれるダンジョンに育て上げること」
これが ダンサンが生まれた頃のことだった。
宝くじ方式でダンジョンマスターをスカウトし、いくつかダンジョンが生まれたものの、マスター交代により消滅するダンジョンがあいつぎ、
結局マスターの引退に合わせて ダンジョンを種に戻す状態が続いている。
例外が ダンサンが担当した二つのダンジョン。
最初のダンジョンは 誕生後10年でダンマスが引退するときに、マスターの手で休眠状態に入った。
種にも戻らず、消失することもなく ただ 入口が閉鎖され、以前と同じように存在していることは確認できるのだが、誰も何も出入りできなくなっている。
エネルギーの増大も消失もない、「休眠」状態。
そして ダンサンが担当した二つ目のダンジョンが みーちゃんダンジョンである。
なので、ダンサンとしては、ミーちゃんが、ダンジョンを繁栄させ続け、だれがマスターになっても大丈夫なほどにダンジョンを育て上げてくれることを、これまで願っていた。
しかし、活力の塊のように見えたミーちゃんにも、実は 人間的な悩みがあり、疲労感がたまっていることに気付いた今は、
「第一希望
みーちゃんが 元気にマスターを続けてダンジョンを存在させ続けてくれること
第二希望
みーちゃんが引退するときのダンジョンが、せめて 休眠ではなく活動状態のままマスター権限を委譲できるほどの活力を保っていてくれること」
を願うようになった。
そのために 自分はダンジョン担当として何をなすべきか?
少なくとも 己の言動で、ミーちゃんを疲れさせてはいけない!
と考えて、心理学関係の専門書を 読むことにしたダンサンであった。
「第一目標 みーちゃんを疲れさせないダンジョン担当者としての言動を身に着ける
第二目標 ダンマスの元気を損なわない担当者になるためのマニュアル作り」
である。
なにしろ、ダンジョンの種からマスターが育てたダンジョンは、
育ての親であるマスターの精神状態との結びつきが深いらしいとという仮説が 有力になっている(=それを否定する材料がない状態)現状であるから、
マスターの精神的健康と活力の維持は ダン菅としても ダンジョン担当者としても
もっと優先度の高い課題としてとりあげてよいのではないか?と ダンサンは思いついたのだ。
つまり 第一目標は ダンジョン担当者としての実績を維持するため=自分の為
第二目標は、ダン菅の利益になり建議を上げて、組織・後輩の利となすためである。
ちなみに、ダンカン査定部から渡された『人間関係に関する専門的手引書』の前書きには、「学んだことをリアルの人間関係に持ち込んで 自分の周囲の人間を疲れさせるな!」と書いてあった。
さらに 第一章の第一節の冒頭は、「心理学とはサリン以上の超毒劇薬である」という語句で始まっていた。
再び が~ん!と頭を殴られた思いのダンサンである。




