表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
短編集:私がダンジョンマスターになったわけ  作者: 木苺
(10)ぼやくミーちゃん・気にする銀ちゃん
64/92

ミーちゃんの性格

みーちゃんは わりと「気にしぃ(=相手を気遣うタイプ)」である。

なので、人と一緒に仕事をしているときは、相手をいたわる方向に感情が向かう。


というのも 子供のころ通っていた学校で「グループ学習」なるものを強制され


いつも「お前 仕事早すぎ」とほかのメンバーから文句を言われ続け

早く役割を終えたので ほかの子の作業が終わるのを待っていると「さぼっている」と教師から難癖をつけられるわ、「お前がいるだけでうっとうしい」と男子から文句を言われるわ、


「自分の仕事が終わったのなら手伝って」と女子から言われて手伝えば

「なんでも一人でやる」と女の子たちは大人の前でミーちゃんの悪口をいいながらも実際には、

 女子たちは みーちゃん一人にすべての仕事を押し付けて自分たちは遊びに出かけ、

 終了時間になるとちゃっかりと戻ってきて 見回りに来た先生に「できましたぁ」と報告に行く

 など さんざんな経験をしていたからである。


というのも 貧しい子供時代を送ったミーちゃんの父親は、幼い娘の優秀さに気が付いたときに、「娘の出来が良いのは俺が娘に楽な生活をさせてやったからだ。なのに娘が優秀だと褒められるのは気に入らん。俺と同じ苦労を味わえ!」とばかりに

故意に、社会的最底辺層が通う学校にミーちゃんを通わせたからだ。


一方 ミーちゃんの母親はお嬢様育ちなので、娘にそれ相応の教養を身に着けさせようと躍起になり、みーちゃんに上流階級のお嬢様にふさわしいマナーをたたきこんだだけでなく そのマナーを学校でも維持するように強要した。


 ミーちゃんとしては 学校と家庭とで言葉遣いなどを使い分けて クラスにとけこもうとしたのだが

授業参観に来た母親にそのことがばれ、たった7歳の娘が 食事抜きで家の外にたたき出され家の庭で何日も野宿させられたのだ。


 しかも 地域環境が悪いので うっかり一人で門の外に出ると 文字通り乱暴されるので

(実のところ 毎日の通学そのものも命がけ、生傷の絶えない日々だったので)

どこにも逃げ場のなかったみーちゃんは、母親のしつけに従う以外に生き残る道はなかった。


しかも みーちゃんは 本質的に共感能力が高かったので、愛情深く情感豊かな性格だった。


(その優しく情感豊かな性格は母親からひきついだのであるが

 そしてのその母その性格ゆえに 出自が低いが優秀な男が頑張る姿に心を動かされ

 そこにまた野心的な男が漬け込んで強引に婚姻に持ち込んだ結果としてミーちゃんができたので

 無理やり妻にさせられたミーちゃんの母としても 娘に対していろいろ思うところがあったであった。

 幼い子にとっては そんな大人の感情など知るはずもなく 知ってからもすぐには理解できたわけでもなく・・あらゆる意味で受け取とめるのがむつかしい環境の中で育ったのであった。)


それゆえ、みーちゃんは、自分にいじわるする子らの貧しい生活・底辺層に生きる人間たちの我欲むき出しの対人関係に気付いていたがゆえに、その子たちの学校での悪しき振る舞いを責めることが

できなかったのである。

 最初は、校内では、その学校に巣くう人間たちの様式に従った対人パターンと

 母親向けのつきあいと、父親向けの対応を切り替えればよいと思ったのだが

 そういう「相手によって態度を変えるのが許せん!」と両親から徹底的に攻められせっかんされては お手上げだったのだ。 

 「なんで こどもは 郷に居れば郷に従えという、合理的対処法で無用のトラブルを避けようとしただけでせめられなければならないのだ?理不尽な」と思ったが、そう思うことすら生意気だと体罰制裁の理由になれば・・考えも感情も表に出さず 無用の攻撃を避けるよりしかたがないと判断し

自分が自分でいられる場所を入手できるだけの力を持った大人になりたいと 心ひそかに決意をかためたのであった。


 さらに、ある程度の年齢になった時に、

 貧しい生活を送っていることを 他人を苦しめることの免罪符に利用する人間が存在する集団には

 己の生活改善を図る力が皆無であるということに気づき、人の世の無常を感じたのであった。


そういう知的理解力が付くまでは、

「お前のほうが恵まれているのだから 俺たちに文句を言うな」と主張し暴力的に人を従わせようとする輩への 嫌悪感を募らせてるとともに、いわゆる各種道徳なるものへの疑問を募らせていた。


なにしろ教師もクラスメートも父親もそういう主張を暴力的にミーちゃんに叩き込み続けていただけでなく、「年長者を敬え・学校では教師を、家庭では親の言うことを聞くのが人としての正しい在り方、この(つと)め・規範を守ってこそ人間」と説教しつづけていたから。

 (大人たちの訓話だけでなく、そういう道徳の本も山盛りになって 家にも家庭にもあったのだ><)


ゆえに みーちゃんは、8歳ごろから せっせと図書館に通って法令・法規・社会学・歴史・倫理哲学といった本を読み漁った。

 それが、みーちゃんなりの 矛盾に満ち満ちた主張を振りかざす周囲の大人たちへのサバイバルであった。




思春期前の子供にとって、周囲から「規範」として示されたことと 異なる考えに基づいて行動することは、心に大きな葛藤をもたらす。

 それは 己の生活基盤そのものを否定しそこから出ていくことを意味するだけでなく

身近な存在への信頼を あらゆる意味で全否定するものでもあったから。


思春期、それは己を確立する時期の訪れであるとともに、己の住処を選ぶ=生まれ落ちた場所を出て 新たな住処を探しに行く時期=肉食動物の巣立ちの時期である。

 肉食動物は物理的に親元を離れるが、

 人間は精神的に 養育者たちの価値観を客観的に見つめる時期の到来なのだ。


その思春期に、自分を取り巻く人々の主張が いかにご都合主義の身勝手なものであるかに気づくのは、ある意味 己が生まれ落ちた環境において 誰からもその存在を認められず搾取されるだけの存在であったと気づくことでもある。

 その気づきに伴う孤独・己の立場の無さ=社会的基盤が無い・味方がゼロであるという現実を直視することは、逆に言えば 己の周りにいる同年齢の者たち・他者がいかに恵まれた存在であるかに気付くこと(=己の孤独を知ること)でもあった。


が、まぁあ「無い袖は振れぬ」「人は皆、己の手持ちのカードで勝負するのみ」「金のさじを加えて生まれてくる者もいれば、(はし)やスプーンの獲得にすら苦労する環境に生まれてくる者もいる・出生ガチャポンに文句を言ってもはじまらぬ」と割り切るのが

思春期のサバイバル術ともいえよう。


そういう境遇に生きる人間を、「基本的信頼感の形成不全」なんてたわごとで貶め、

自己改善をしろなんて迫ってはいけない。

(某世界には その手の迫害を さも知的な見解であるかのように飾り付けて大々的に宣伝するメディアや臨床心理士だのセラピストだのがはびこっているが>< これほど悪しき振る舞いはない!)



その一方で、みーちゃんは 課題達成意欲の強い子供であった。


「自由」の存在を知らない者には 「自由」を求めて戦うことができない。


「暴力はだめ。人を支配してはダメ」という建前だけを力づくで強要されていては

己を暴力的に支配しようとする周囲に対しては、ことばで反論することしかできない。


(なぜなら 子供では大人からの暴力に負けるし、

 子供同士の肉弾戦でも、みーちゃんは10人までなら相手をしても平気だったが それ以上の数を相手にすると、己の肉体の損傷を見過ごせないほどの被害が生じるからだ。

 というのも みーちゃんは 肉弾戦でも常に相手を傷つけないように手加減していたが

 衆を(つの)って暴力をふるう輩は、興奮して見境がなくなるからだ。


徒党を組む輩というのは、打ち負かされるたびにさらに多くの人間を集めて襲ってくるしょうもない連中なのである。

ゆえに最後はボスを殺さなければ勝てない状況になるとミーちゃんは気づき

平和主義者としては 肉体的闘争そのものをあきらめざるを得なかったのだ。


 集団的に強者が暴力をふるい放題。社会的弱者が同じ手段で対抗すれば罰せられる

 それを(くつがえ)そうとすれば 集団のボスを()るしかないという現実に、みーちゃんは小2の時に気づいたのであった)


そして 他者を支配することに快感を覚える連中にとって、

ミーちゃんが発する理性的反論なんてしゃくさわるだけなのだ。


なので、理不尽な環境下での人との触れ合い=「自分の存在を受け入れてもらうこと」を求めたり期待すること を断念したみーちゃん。


一方、勉学や研究の世界では 「理論的に正しいことは正しい、有用な技術開発をすることはよいことだ」と個別の人の思惑を超えた「社会基準」が明白であったから、

幼いミーちゃんとしたら 己の価値を示すのは 研究の世界しかないと思い詰めたのであった。


 まあ 成長するにつれて 研究の世界も しょせんは学校の延長上、

 ただ そこに集う人間の知的レベルが高いほど、ルールが明確化しているだけで

 実際には マウントを取り合う猿山と同じ世界と知ったのではあるが。


 それでも 感情で動き、きわめて自己中心的な価値観しか持たぬ(=視野の狭い)底辺層の集団の中にいるよりは、

 生産性の高い知的なグループの中で生きるほうが、自分にとっては生きやすいというのが

 ミーちゃんの「他者の生きざまを観察することにより得た人生観」であった。


 はっきり言えば、知能や感性にばらつきがあるのは「ヒト」族の特性であるが

 人間としては、同じ程度の知能集団・なじみやすい感性の人の集まりの中で生きるほうが、

 お互いに生きやすいということである。


  自分が異邦人である状態は、

  自分の周りに居る人たちにとってはエイリアンを抱えているのと同じ状態であり

  双方ともに ストレスを抱えるので、お互いにとって不幸な状況なのだ。


それゆえ、選択の余地なくだれかと組んで仕事をするときは、

相手の能力的限界を超えた無理をさせないように気を使い

相手の劣等感を刺激しないように気を使いながら 巧みなフォローに徹し

自分の疲労に注意を払うことなく働き続け

寝落ちするまで働いて、目が覚めたらまた奮起する タイプとなってしまった。


その一方で一人で作業しているときは、「しんどい→システムを改変するには?」と言う方向に頭が回る。

 つまり 共同作業をしている人間への気遣いエネルギーが、

 「一連の作業を効率よく省力化するためには?」という思考にエネルギーに回るのである。


だから ミーちゃんタイプの人間は、「しんどい現場こそ一人で働く方が気楽」なんて思ってしまうわけである。


ほんと 難儀な性格。

 雇用者に取ったら、こき使いやすい労働者

 労働者としては 搾取されやすい体質にできあがってしまったのだ。


ちなみに、本来なら小学校入学時・中学校入学時には 全国一斉知能検査・学力検査によって優秀な児童を発見し 家庭環境の悪い子を救い出して特別進学校に無償で送り出す制度があったのだが

ミーちゃんの父親が 娘の成績を有力者の不出来な子供と入れかえることに同意して多額の金を得ていたのであった。

 そして 己の不正の発覚の発覚を遅らせるためにわざと転居を繰り替えしていた。


というわけで、 みーちゃんは 中学を出て自活しながら 自学自習で教育制度を調べ

自ら教育局へ談判しに行って 特別試験を受けて 己の才能を証明して大学院編入を果たしたのであった。だから みーちゃんは 天涯孤独な身の上であった。あらゆる意味において。


※大人が 「子供を守る」といかに力こぶを作ろうと

 いつの時代もいつの世も 制度の穴から零れ落ちる子供はいる。

  それは 立場の弱い者を搾取する人間、いわば己の欲のために他者を捕食する人の存在を

  排除できない「人間社会」の本質的脆弱性ゆえである


 なので、無駄なイタチごっこをくりかえすよりも、

 子供自身が 救済を申し立てられるように、正しい情報を適正な方法で頒布すること

 救済制度が悪用されぬように 申し立てを審議する場や担当者を適正に用意するとともに

 その判定が的確であったか否かを検討するために、

 それらの記録を周期的に精査し追跡記録と照合し、制度の精度を高めていくシステムの構築が必要である


 そして担当者一人一人に 受け持った子供・その子の人生に対する責任を負わせる(自覚させる)システムも必要であろう。


 スクラップ&ビルドというのは、為政者が勝手気ままに 制度をいじり倒して

 関係者の欲得に(もと)づいて改悪を重ねることではない。


 最初の目的・定義にかなうように 改善を続ける

 さらにその目的・定義の検討を重ねて 人類共通の理念の遂行を目指す とまではいわなくとも

 その制度の有効性を高めつつ 必要なくなった制度を廃止して より必要なシステムに予算を配分する営みを言うのである。


 ことばにすると 抽象的→恣意的宣伝に すり替えられてしまうのが こうした問題の最大の弱点なのだが。


 さらに、「担当者の過失」をも厳しく罰し、その適応に年限を設けず発覚までに時間がかかるほどその罰を重くする制度と、担当者の職務に対する組織としての監査機能(上司に監督責任を負わせていてはとかげのしっぽきりや責任のなすりあいが発生するだけ)、不適切な扱いを受けた子供本人に対する十分な賠償の実行と賠償責任を、組織に対して明確に科す制度を構築していくことも必要ではなかろうか?


 組織や担当者が責任を果たせなかった時の罰則を厳しくすることは

 組織や担当者が 欲得づくで 己の権能を広げ権限を強めて 個人や家族へ介入することを防ぐ効果もあると考える。


 掲げた理念を実行できない場合 それをやると主張した人間たちが厳しく裁かれる社会は

 「他人に干渉する仕事で報酬を得ようとする輩が跋扈する」ことを防ぐ社会でもあると考える


人が人である限り この世に理不尽・至らぬことは多々発生する


その中で 人は 己ができることに尽力し、

他者を傷つけぬように 他者の苦しみを和らげるように手を尽くす・衆智を尽くすのみ。

 それでも できることには限りがあると自認することが大切なのだと考える。


他人を「クライアント」扱いして生き血をすする輩こそ 呪われるべき存在であろう。

ましてそれを「制度」化しようと騒ぐ団体は 社会に存在してはならない悪である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ