告白の理由
私は小説サイトに「ある殺人者の告白」という文章を投稿した。
この国では一年間に140万人ほどの人間が亡くなるが、殺人事件はわずか1000件弱、しかも3割程度は親族による犯行だ。小説、映画、ドラマの中にはやたらと怨恨や口封じ、あるいはお金のために殺される人間が登場するが、現実には殺人事件の被害者になる確率も、生きている間に殺人者と関りを持つ確率も宝くじに当たるようなものだ。
「ある殺人者の告白」という文章を投稿した理由は、私がやったことがちょっとした冒険だったせいで「告白欲」と呼ぶべきものが自分のなかに芽生えてしまったからだと考えている。それは自己顕示欲や自分を理解してほしいという欲求とは違う。ただ純粋に自分のやったことを告白したい、それだけのこと。もう終わったことなので、私の告白が今から何かしらの影響を及ぼすことは望まない。だから実名も必要はない。告白しているのが私だとわかれば、告白の中に出てくる人間も特定される。だから、「私の告白」である必要もない。考えた末に、自分がしたことを「20歳の女子大生がやった」フィクションに仕立て、小説サイトに投稿する、という方法を思いついた。
投稿して気がついたことは、告白欲というものは簡単に満たされるということ。「告白欲」という言葉が存在しないのも当然だ。世の中にはもっと楽しいことがたくさんあり、時間は限られている。探偵という職業が自分の居場所であると、私は思ってはいない。食べていけるのなら職業などいつ手放してもいい。それでも、誰かが私を気にかけ、私に仕事をくれて、その仕事が私の好奇心を刺激する。
一度告白したら気が済んだということは、遺書を書いてみたかったのだと理解すれば辻褄が合う。死のうと思って遺書を書いたわけではない。何年か経って自分の書いた遺書を見直した時に、「なんて青臭い文章なのだ」と笑うことができたら、それはそれで楽しい人生なのだろう。
遺書は読まれるために書かれるものだが、自殺の際に誰かにあてて遺書を残せば、読まされる方はたまったものではない。それでも人間は他人に迷惑をかけながら生きるもので、この世に生を受けたら一つくらいは世の中に伝えたいと思うことがある。
人は日記にも真実を書かないというが、遺書にも真実は書かないのだろう。死んだらおしまい。告白をしたいなら生きているうちにやるしかない。
父は、私が小学生の時に、出張先のホテルの浴室で溺れ死んだ。父はときどき湯船につかったまま寝ていた、と母は言ったが、私は父が自殺したものと信じている。思い返しても父は酒に弱かった。ビールを少し飲んだだけですぐい真っ赤になり、そのまま寝てしまう姿を何度か見た。その父がホテルの部屋で一人で缶ビールを数缶開けてそのまま湯船に浸かった。私はその経験から二つのことを学んだ。即座に学んだことは、溺死が確実な自殺手段であること。その後何年かたってから学んだことは、自殺というのはたいていは衝動的なもので、そもそも自分の人生の幕引きを自分でしようと考えるのはマイノリティであること。マイノリティは相対的に数が少ないだけで、何十人か何百人かの人間が集まれば、そこには必ずマイノリティが存在する。父や私のような人間は決して珍しくはないはずだ。誰かに言われて自分がマイノリティだと気がつく人もいる。「ある殺人者の告白」の中で、私がSと記した冴木という男のように。
数か月前に、初瀬栞と名乗る20歳の女子大生が私の勤務する探偵事務所に現れ、私を指名した。
「冬春夏子さんにお願いがあって来ました」
「どうして私のことを?」
彼女はガールズバーでアルバイトをしている。接客のつもりで客の男に身の上話をしたところ、その男が私に依頼することを勧めてくれたらしい。しかも調査費用はすべてその男が出してくれると言う。なるほど、納得だ。その男の初瀬栞に対する下心などどうでもいいことだが、少なくともその男には好奇心があるらしい。その男は好奇心を満たすために金を遣い、私は自分の好奇心を満たすことでお金を受け取る。世の中は持ちつ持たれつだ。慶應という大学を出てよかったのはこういうところだ。貧乏な女探偵の私に仕事をくれる同窓生が次々と現れる。お金に恵まれるには幸運が才能の少なくともどちらかが必要だが、私にはどちらもない。それでもお金で手に入れられるものなら、自分にお金がなくてもヒマさえあればご相伴に預かれる。暇で貧乏で好奇心を満たすためだけに生きている女探偵でも、三田会のおかげで、物質的にも精神的にも毎日が楽しい。
「ご相談の内容は?」
「母の不倫相手だった男の人が今どうしているか知りたいんです」
「どうしてそんなことを?」
初瀬栞が語った内容は、私が「ある殺人者の告白」に記した通りだ。彼女は思春期の頃から母親に対して反発を繰り返した。何がそうさせるのか自分でもわからなかった。彼女は大学まで行ける私立の小学校に入った。小学校の六年間、専業主婦の母親は片道1時間の電車通学の時間を娘とともにした。朝は小学校の最寄り駅で娘と別れいったん帰宅し、午後はまた学校の最寄り駅まで娘を迎えに行った。母親は毎日4時間電車に揺られた。体力的な問題で、初瀬栞は小学校の低学年の頃から朝起きられず学校にいけないことがあった。一度学校を休むと、体力は回復しても翌日は行くのが億劫になる。それでも母親の送り迎えがあったため、小学校の間は月に一、二度休む程度のペースで通った。ところが中学生になり一人で通うようになると、タガが外れたかのように週の半分程度しか登校できなくなった。このことが母親を苦しめた。母親は帰国子女で中学生の時にアメリカから日本に戻り、帰国子女枠のある女子大の付属中学に入った。慣れない環境でも自分は休まずに中学へ行ったのに、娘は中学さえ満足に通えない、母親は娘を心配すると同時に落胆も隠せなかった。その時から、彼女は母親のことが好きではないと気づき、それは母親に伝わった。母娘関係の溝は時間とともに広がった。彼女はそのまま持ち上がりで大学に進学したが、それはもっといい大学へ進学してほしいという母親の希望を砕いた。そして、初瀬栞の言葉を借りれば母親は壊れ、娘に洗いざらいぶちまけた。不倫関係にあった冴木という男の子供を望んだこと、その望みが叶わなかったこと、不倫関係を終わらせるために夫婦間で子供を作ったことを。
私が彼女の立場だったら、不倫相手の冴木が母との子供を望まなかったおかげで自分がこの世に生を受けた、と冴木に感謝するところだ。でも、まっとうな人間である初瀬栞は間違っても冴木に感謝などしない。彼女の気持ちはグラグラと揺れた。母親への嫌悪感の正体がわかったような気がした。ガールズバーで働き始めたのは、母親へのあてつけ。でも時間の経過とともに、母親の味方にならなくてはいけないと感じるようになった。論理的にではなく感情的に。だって、家族なのだから。かわいそうな母親を彼女は愛している。だから、冴木という男が今どうしているか知りたいのだと言った。
「知ってどうするの?」私は訊いた。
「謝ってほしいです」初瀬栞は答えた。意外な答えだった。返す言葉がすぐには見つからなかったが、彼女が言葉を継いでくれた。「私の言っていることは理屈が通らない、それはわかっているつもりです。もちろん母だって悪いし、父にも原因はあります。でも、気持ちが収まらないんです。だって母は壊れてしまったんです。それでも私の母親だから味方になりたい。だから謝ってほしいんです」
気持ちが収まらない、という言葉を聞いて、私は次の言葉を見つけることができた。
「誰かに、謝ってくれ、とお願いしたことはあるの?」
「ありません」
「じゃあ、謝ってほしいと思ったことは?」
「あります」
「その人は謝ってくれた?」
「いいえ」
「今でも謝ってほしいと思う?」
「はい」
「私はあなたより十年ほど長く生きているわ、だからあなたの知らないこともいくつか知っていると思っている、『ごめんなさい』と言われて水に流せる人は、誰かに『謝ってくれ』なんて言わない、『謝ってくれ』と言う人は、謝られても決して気が済まないものよ」私は言った。
「そうなんですか?」
「だから、たちが悪いのよ」老婆心が言葉となって口から飛び出しそうになったが、私はこう続けた。「一週間あげるからもう一度考えてほしい、この依頼を私にするべきかどうかを、一週間たっても気が変わらなかったら、正式に依頼を受けるわ」
「わかりました」初瀬栞は答えた。
小説、映画、ドラマといったフィクションの世界は、復讐のために生きているキャラクターで溢れ、リベンジという言葉はあまりにも安っぽく使われる。でも、現実では復讐などという割にあわないことはまず起こらない。せいぜい相手不幸に落ちたことを知って留飲を下げるくらいがいいところ。「長く生きることが最高の復讐」という言葉もある。
初瀬栞の母親にとって、長く生きることは最高の復讐にはならない。彼女は何度も死にたいと思ったことだろう、と私は想像する。死んでしまえば楽になれるのに、冴木と出会ってしまったことで、彼女は苦しみを抱えて生き続けている。
冴木の電話番号はすぐに調べがつき、そこから船橋市内の住所にも簡単にたどり着くことができた。住んでいる場所は単身者が生活しているアパートだった。初瀬栞が家族と住んでいる横浜のマンションとは決してつながることのない寂しい場所。冴木はそこに一人で住んで、神谷町のオフィスに通勤をしていた。何日かあとをつけてみたが、冴木は仕事帰りに決まって歩きながら女と電話で話をした。私は後ろについて電話の会話を聞いていたが、冴木はあまりにも無防備に楽しそうに話していた。ある日、冴木は仕事帰りにその女とカフェで会って話をした。私は近くの席で二人の会話を聞いていた。そのおかげで関係者に接触することなくだいたいのことがわかった。
初瀬栞の母親が退職してから数年後、冴木はリストラで外資系企業を去った。その後、就職活動をしたものの条件に合う仕事が見つからず、自宅のマンションを売却し賃貸に引っ越して、退職金と売却益で、数年個人投資家のまねごとをしていたが結局食い詰めた。その後、サラリーマンに戻ったものの、希望に合う仕事は見つからず賃貸のマンションを維持することができなくなった。息子は就職をして家を出た。冴木は妻を実家に戻し、マンションを引き払って、妻にお金を渡しながら一人でアパートに暮らしていた。端から見れば典型的な転落人生だが、どうだろう。冴木は妻と離婚ができたら別の相手と暮らすつもりでいる。彼女の存在が冴木に希望を与えていることは確かだが、冴木はこの転落人生そのものを楽しんでいる。彼女のことを冴木はユミと呼んでいた。年齢は冴木と変わらない五十代。横浜にマンションを所有して一人で暮らしている。結婚歴はない。冴木は不倫相手だった初瀬栞の母親の人生を壊し、彼の妻の人生も壊し、今度はこのユミという女性の人生も壊そうとしている。冴木に将来のビジョンか詐欺の才能のどちらかがあればここまで困窮することはなかっただろう。女を騙す気などない。ただ、何人かのまともな女たちが冴木を気にかけ、結局彼女たちは不幸になる。冴木は自身はどんな環境でも幸せに暮らせる。
「冴木さん、初瀬加奈子さんのことでお話があります」私は仕事帰りの冴木を待ち伏せし、初瀬栞の母の名前を出した。
「あなたは?」
「冬春夏子といいます。探偵です。初瀬加奈子さんの関係者のご依頼であなたのことを調べさせていただきました。心配しないでください。脅すつもりはありません。ただ、少し話をさせていただけませんか?」
「わかりました」
私たちは駅を通り越して、オフィスから離れた場所にあるカフェで話をした。
「本来なら、調査対象のあなたに直接コンタクトすることはありません。私がここにいるのはちょっとした好奇心からです。あなたを調べているうちに、私たちが同じ種類の人間だと感じました。それを伝えたかったのです」
「興味深いですね、 私たちはどんな人間ですか?」
「そのまえに、…初瀬加奈子さんが娘さんを妊娠されたのは、あなたとの関係を清算するためだったと気がついていましたか?」
「うすうす感じてはいました
「初瀬加奈子さんはあなたの子供を欲しがった、でもあなたは決して同意しなかった、そうですよね?」
「ええ」
「彼女は、お嬢さんにあなたとの関係をすべて話したのです」
「どうして?」
「理由はわかりません、ただ彼女の人生は壊れてしまったんです、あなたのせいで、そうじゃなければ実の娘にそんな告白はしません、私はあなたを責めたりはしません、…あなたの生活が行き詰まり、家族が崩壊したことは予定調和と呼べませんか? だってあなたはどうやって死ぬかを考えたことはあっても、どうやって生きるかを考えたことがない、それなのに誰よりも人生を楽しんで幸せに生きている、あなたの幸せは誰かの人生を壊すことで成り立っているんです、奥さんとか初瀬加奈子さんとか、違いますか? これからユミさんの人生も壊すことに気づいていますか?」
「確かに君の言う通りかもしれない」
「それでもあなたは十分に人生を楽しんでいますよね?」
「そうだね」
「話が通じてよかったです、私も同じような人間ですから、自分には居場所がないことを知っているのに、誰かが私に居場所を作ってくれる、今回の仕事も私を指名してきたんです、そして私はこの仕事を楽しんでいる、もしトラブルになってあなたに殺されたとしても、ああ、楽しい人生だった、とたぶん何の未練もない」
冴木はしばらくの間、黙って何かを考えていた。私と目を合わそうとはしなかった。私は冴木の顔をじっと見つめ、彼が再び淵を開くのを待った。
「君に言われてよくわかったよ」冴木は笑みを浮かべた。「実は今まで一人だけ同じ種類の人間を知っていた、でもその人と自分が同じ種類の人間だったとは、今君から話を聞いて初めて気がついたよ」
「その人は女の人ですか?」
「うん」
「その人の話をきかせてもらえませんか? 興味があります」
「もちろん、…彼女とは一緒に働いたことがある、美人で親切で、オレが知っているだけでも数人の人から求婚をされた。結婚を申し込んだ人はみな、彼女より十歳は年上で、離婚歴もなく、マンションを持っていた。彼女は仕事ではその人たちに優しく接した、ずっと独身でいた彼らにとってついにトロフィーワイフを手に入れる機会が巡ってきたというところだろうね、でも彼女はオレにはよくもらしてたよ、冗談じゃない、あんな男たちと結婚するくらいなら死んだ方がましだと、そしてある日彼女は会社をやめることを決めた、実家が手広く商売をしていてその仕事を手伝うという名目でね、彼女の送別会の時も求婚者はすごいアタックをしたよ、オレはなんかしらけちゃってお開きになると同時に一人で帰路に就いた、すると彼女から連絡がきた、これから二人で飲みに行こうと、『主役がいなくなったらだめでしょう』オレは言ったよ、でも彼女はこう言った『送別会が終われば私の役割は終わりよ』」
「カッコいい方ですね」私は心からそう思った。
「そして彼女と二人で飲んだ、彼女とは二人で酒を飲むだけ、それ以上の関係はなかったよ
「モテるうちに結婚すればいいのに」オレは彼女に言った。冗談じゃないわよ、彼女は答えた。もし、あの人たちから私がどうしているか聞かれたら『死んだ』と伝えて置いて、それ以上のことは言わなくていいから、彼女は笑っていた。その後も何度か彼女とは会った、やめた後も彼女はしばしば社内で話題に上った、「死んだと伝えて」その言葉は社内で仲の良かった何人かの女性たちにも伝えていた、何人かは彼女と連絡を取り続け時々あっていた、だから彼女の近況はみんなが知っていたし、うまく誘えば彼女はまたみんなの前に姿を現してくれるのではないかと期待していた、でも彼女は一人ずつ今までの関係を断つようになった、その順番はオレにも回ってきたよ、どれだけメールをしても電話をしても彼女から返事が来ることはなかった、仲の良かった一人が偶然どこかで偶然彼女を見かけて声をかけたけど無視された、と言ってたよ、彼女がいまどうしているか誰も知らない、もしかしたら本当に死んでしまったのかもしれない、ただ彼女は、求婚者たちと結婚したくなったのではなく、誰とも結婚したくなかったんじゃないかと思うよ、それにイギリスに語学留学していたとは言っていたけど、高校や大学や一緒に働いた会社に来る前はどこで働いていたとか、そういう話を誰にもしなかった、何も手掛かりを残さなかったような気がする」
「彼女に結婚を申し込んだ人はどうなりました?」
「彼女に結婚を申し込んだ人は4人いる、誰ひとり結婚することなく今も生きてるよ、みんな彼女以外の人と結婚する独身のままでいいと言い続けて結局そうなった、一人だけならその人がおかしいと言えるかもしれないけど、近くに4人もいたなんてよく考えたら尋常ではないよね」
「ええ、みなさんその女に出会ったことで人生が狂ったのでしょうね」
「狂ったかどうかはわからないけど…」
「狂ったんですよ、でも彼女にもどうすることもできなかった、彼女と出会ってしまったことがその人たちにとって不幸だった、それ以外の言葉はないです」
「なるほどね」
「彼女は立派な方です、自分がどういう人間かわかっていた、だから全員の前から姿を消した」
「彼女は苦しかったのだと思う」
「でしょうね、彼女は自制したが、それでも5人もの男の人生を狂わせた、そしてもう人生を終わらせたかもしれない」
「彼女が生きていることを願うべきか、人生を終わらせたことを願うべきか…やはりわからない」
「話していただいてありがとうございました、ずっと探していた私のロールモデルが見つかった気がします」
「え?」
「冴木さん、あなたにはなんの計画性もなかった、将来を考える、最後は死ぬにしか行きつかない、まともなひとは色々なことを計画します、どんなライフイベントがあるかとか、…でもあなたにはできない、自分の人生が奇跡の連続だと思っている、あなたにはきっとなりたいものがあった、でもそのための努力をしなかった、努力をしなかった理由は努力をしてもなれないことがわかっていたから、自分のなりたいものになる才能はなかった、だからあなたにとって人生は命が尽きるまでの遊びでしかない、八方美人で何も選択をしない、奥さんと結婚したのも子どもができてしまったからで責任をとったつもりだった、それにそんなことでもないかぎり結婚なんて自分には縁がないと思っていた、子供ができたら思いのほか楽しい、土日が休みで週末は家族と過ごす日常を満喫した、それは自分が子どもの頃は体験できなかったこと、そしてそれはあなたにとって守るべき日常ではなく、いつかは終わる日常だった、子供が成長すれば終わるのではなく、あなたにとっては何も永遠には続かない、続けようという努力をしない、永遠じゃないから楽しもうと思う、永遠だったら逃げ出したくなる、そうじゃありませんか?」
「こういう話ができる人と会いたかったよ」
「冴木さん、あなたもそろそろ終わらせませんか? あなたは一人で生きることなんてできない、あなたは本来生活力のない人間だった、それがたまたま途中までは上手く生きられてしまった、でももう無理、あなたは誰かに頼らなければ生きられない」冴木の瞳の中に怖い顔をした私が映っている。それでも私は言葉を継いだ。「生きたくても生きられない人がいる、命を粗末にするなんて絶対にだめだ、それはたいていの場合正しいと思うわ、でも私たちみたいに周りの人を不幸にしながら幸せに生きられる人間はどうかしら、罪を償えと言われたところで罪を償うことさえ楽しんでしまう、自殺は残されたものに悲しみを残します、ちゃんと事故に見えるようなで死に方を選んでくださいね、まっとうな人々はあなたの自殺する動機に気づくことはありませんから」
別れたあと、冴木がどうなったかは「ある殺人者の告白」に書いた通りだ。
私は、初瀬栞に電話をかけた。
「ごめんなさい、謝ってほしいというあなたの希望は敵わないわ、調査報告書はできているけど、冴木さんは先日亡くなったわ」
「先日?」
「ええ、自殺です」
「なんて勝手な男…」初瀬栞のこの言葉に私ははっとしった。冴木に死ぬことをもちかけたのは初瀬栞のためではないが、まさか彼女が憤るなんて夢にも思わなかった。
世の中は驚きに満ちている。