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「[ある殺人者の告白」

人の命は何よりも大切だ、というが、例外のないルールはない。

当たり前のことだが人生は不公平だ。受けるに値しない幸福を得る人もいれば、何の因果もないのにおそろしいほどの不幸に見舞われる人もいる。似たような経験でも、ある人にとっては幸福で別の人にとっては不幸だったりもする。

それでも、この世に生を受けた以上、人は自分の人生をまっとうする…、これは権利? それとも義務? 

義務であれば他人の命だけではなく自分の命も奪ってはいけない。権利なら自分の命を奪うのはかまわない、ということになる。この国の法律では自殺は罪にならない。自分の人生をまっとうすることは義務ではなく権利だ。他人を殺せば死刑になることもある。自分の人生をまっとうする権利は、他人の命を奪うことによって奪われる。

私は何人かの死に関わってきた。でも、私が罪に問われることはない。私が関わってきた死のすべてが自殺。自殺教唆罪や自殺ほう助罪という罪もあるが、やはり私には関係がない。自殺は必ずしも絶望の先にあるわけではない。私が死に関わった人たち(全員が男とは限らないが、彼らと呼ばせていただく)は誰一人、絶望などしていない。彼らの人生は羨ましがられるようなものではないかもしれない。どちらかといえば平凡でささやかな人生だ。でも、彼らはそんな人生を十分すぎるほど楽しんだ。その裏で何人もの人生を壊したが、そこはまったくの無自覚だった。私は彼らに伝えた、彼らに人生を壊された人の話を。それを聞いて、彼らはよりいっそう自分の人生が楽しいものであることに気がついた。ドラマが多ければ多いほど豊かな人生だと呼べるから。誰の人生も壊さないより、誰かの人生を壊す方がずっとドラマチックで素晴らしい人生だから。

でも、ものには限度がある。「もう十分楽しんだでしょう? まだ誰かを不幸にするつもり?」私は笑顔で彼らに伝えた。彼らも笑いながら「その通りだね」と同意した。

これが私のしたことのすべて。時を経ずして彼らは自らの命を絶った。

「ある殺人者の告白」というタイトルは人目を引きたいがために盛ってみた。私は殺人罪に問われることはないが、人を殺したという自覚は持っている。

死はすべての苦しみから人を解放する。でも、彼らに人生を壊された人は、どんなに苦しくても自らの命を絶つことなく生きている。もし彼らが、誰かの人生を壊す代わりに命を奪っていたら、その人たちはとっくに苦しみから解放されていた。生きていれば立ち直れるチャンスもあるというが、それはただ可能性の問題だ。絶望したところでほとんどの人は死ぬこともできず、苦しみを抱えて生きていく。他人の命を奪うことよりも、他人の人生を壊すことの方がよほどたちが悪い、私はそう信じている。

私の母は不倫相手だったSという男に人生を壊された。私が最初に関わった死は、Sの自殺だ。そのとき私は二十歳の大学生だった。こう書いてしまうと、復讐だと思う人もいるかもしれないが、復讐なんて私には決して縁のない言葉。だって、私はSさんに対しては感謝の気持ちしかないから。母は不倫相手のSさんとの間に子供を作ることを望んだ。でも、Sさんは決して母の望みを受け入れてはくれなかった。母は不倫関係を清算するために、夫婦の間に子供を作った。そうして生まれた娘が私。もしSさんが母の願いを受け入れてくれたら、私がこの世に生を受けることはなかった。だから、私はSさんにはただただ感謝をしている。Sさんの死に関わった理由は、私がSさんと同じ種類の人間だと確信したから。Sさんも間違いなく私の中に同じ匂いを見つけたはずだ。

今から数年後、あるいは数十年後に、Sさんの前に現れた私のような人間が、今度は私の前に現れて、私のせいで不幸になった人たちの話を教えてくれて、「もう十分でしょう?」と言ってくれたら、私もきっと自分の人生を終わらせるだろう。私もSさんも、他人を不幸にして自分だけは楽しく生きられるモンスター。そのモンスターに人生を壊されるのは必ず母のようなまっとうな人。「私が一番愛したのはあなたの父親ではない別の人だったけれど、不倫関係を清算するためにあなたを妊娠した」こんなことを実の娘に言ってしまうくらい母は壊れてしまった。そして、母からこの告白を聞いたときに、私は自分の人生がスタートからドラマチックで素晴らしいものだと感じてしまった。

モンスターが他人を傷つけずに生きる術はない。私はできるだけ人と深くかかわることを避けて、今周りにいる人たちを不幸にせずに姿を消すことをいつも楽しみに生きている。Sさんに直接会えたこともとても楽しい経験だった。でも、私はきっと忘れてしまう。Sさんと会ったこと、その死に関わったこと、その抜け殻だけを記憶して、実際に私が目にした光景や、その時の感情などすべて消えてしまい、人生って楽しい、という思いだけがただただ上塗りされていく、それが目に見えている。


多くの人は一生懸命に自分の居場所を作ろうとする。でも、私やSさんのようなモンスターにはその必要がない。いつも誰かがモンスターのことを愛してくれる。だから、モンスターにはつねに居場所がある。でもモンスターはその居場所がまったく自分にフィットしていないことを知っている。

私にはずっと誰かしら友達がいた。でも、自分に友達がいるということがものすごく不可解だった。友達や家族がなぜ私のことを愛してくれるのかさっぱりわからなかった。今はわかっている。私を愛してくれた人はみんな、他人のことを愛せるまっとうな人たちだ。私のように自分しか愛せない人間とは違うのだ。いや、私は本当に自分のことを愛しているのだろうか? 少なくとも私は自分の人生が楽しいと思っている。でもそれは、今この肉体に宿って、映画でも見ているかのように別の人を人生を経験しているような感じだ。人生の切り開き方が私にはわからない。ただこの肉体を借りて人生というものを体験し、最後は死ぬだけ。たぶん、この危うさに、まっとうな人がひっかかってしまうのだ。


母は28の時に5歳上の父と結婚した。二人が見合い結婚だったのは、ともに将来は結婚をして子供を育てる未来を描いていたからだろう。母は結婚を機に勤めていた会社を辞めた。母の勤務先はとてもコンサバな大企業で、当時は結婚をした女性は退職をするのが不文律だったらしい。それでも、母はすぐに転職先を見つけた。OGがたくさん働いていた外資系企業で、給料は前よりも上がり、父は母が仕事を続けることを望んだ。父は結婚相手に経済力を求め、経済力のある母を父は束縛しなかった。母も父の仕事に関して、あまり干渉をしなかった。おそらく二人は恋に落ちることなく結婚をした。母はおそらくそれまで一度も恋に落ちたことがなく、結婚をして30を過ぎてから初めて恋に落ちた。


Sさんとの関係を実の娘の私に話をしたことを母は二つの意味で後悔しているはずだ。一つは、とても苦しくて、墓場まで持っていくような話を自分の娘に吐露したこと。そしてもう一つは、その話を聞いた娘はただただ落ち着いていて、悲しみ、怒り、絶望といったネガティブな反応が一つもなかったこと。

母は私の感情を動かすことで、苦しみから逃れられると思ったのかもしれない。母はまっとうな人だから。でも、私はかえって母を傷つけた。私は母の話を聞いて、母を傷つけた人に対して自分と同じ匂いを感じた。

母の愛は強いと言う、自分の子供を愛せない母親は非難される。でも、自分の子供をかわいいと思えない母親は確実に存在する。母は私をかわいいと思えなかった。私は非難する気もない。だって、できないことを強制されるのはとても辛いことだ。それに私も娘なのだから、せめて母の無念さのかけらくらいは理解したいと思う。

母が父と恋に落ちなかったように、父も母と恋に落ちることはなかった。一緒に暮らして夫婦としての最低限の愛情をお互いに持っていたとは思うが、愛されているという実感は二人にはなかった。でも、二人とも大恋愛などしたことはないのだ。人を愛した経験も愛された経験もなかった。母の不倫の根本の原因はここにあるのだろう。

Sさんは母にとても優しかった。父にはできなかったやり方で、母を楽しませた。母にとっては人生で最初の大恋愛、それが結婚してから起きた。男がいて女がいればよくある話、それまでのこと。

母はSさんに、あなたの子供が欲しい、と何度も訴えた。そのたびにSさんは、「そんなことを言ったらだめだよ」と優しく拒み母を抱きしめた。その人が隣にいる限り、母は幸せでいられた。母は一人で実家を訪れた際、私の祖父母である両親の前で、「その人の子供を産みたい」と泣いて訴えた。両親は哀れな娘を怒ることはなかった。ただ優しく宥め、母に取りついた熱が冷めるのを待つしかなかった。

私の妊娠とともに、母は仕事をやめて専業主婦となった。母は自分の生活のすべてを私に注ごうとしたが、私は母の期待通りには育たなかった。


私は小学校から私立に入り、その後一度も受験をすることのないままエスカレーターで大学生になった。

エスカレーターと言っても、母にとってはまったくエスカレーターに乗っている気分ではなかっただろう。私は母の期待ほど成績がよくなかった。それに、小5の頃から、「行きたくない」と言ってしばしば学校を休んだ。いじめられていたわけではない。頻繁に学校を休むクラスメートを疎ましく思う子はいただろう。自分だって来たくないのに一生懸命学校に来ている、それなのにこの子は適当に休んでは翌日何事もなかったかのように登校する。ふざけるな。その気持ちは今はわかる。でも当時は気がつかなかった。私はただ、月に何度か、一日中部屋に籠って音楽を聴いて本を読んでいたかった。誰とも話をしないで。

通学は体力的にきつかった。電車に乗っている時間だけで片道1時間あったのだから。小学校の6年間、母は、朝、私を学校まで送り、夕方は学校の最寄り駅まで迎えにきた。母は、毎日4時間電車に揺られていた。

その学校に通うことになったのも、私がそこにしか受からなかったからだ。

母は父(私の祖父)の仕事の関係で、3年ほどアメリカで過ごし、帰国子女枠のある女子大の付属の中学に編入で入った。受験というものをしたことがない。母は、自分の経験がないためによけいに受験というものに恐怖のようなものを感じて、娘の私にもできるだけ受験をさせたくなかった。だから大学までストレートに行ける私立の小学校に行かせたかった。父は私の教育に関しては、母に任せきりだった。母は父に相談することさえどこかであきらめ、いつも私のことを一人で抱えていた。そんなことを小学生の私が知るわけもない。私は毎日楽しく暮らし、行きたくない時は学校を休んだ。

私の英語が苦手だった。それが母を大きく失望させた。「私にできたことが、どうしてこの子にはできないのか?」

私だって母のようにやむに已まれず英語を話さなければいけない環境に放り込まれたらどうにかなったのかもしれない。でも、私は英語に興味がなかった。これからの世の中は外国語を覚える必要はない。機械がすべて翻訳をしてくれる。私はそんな言葉を真に受けた。

とにかく、私は決して母の期待通りに成長することがなく、それがつもりつもった結果、母は爆発し、Sさんとの関係を泣きながら私に話した。

母はとっくに壊れている。その姿は哀れだった。


母の告白を聞いて、私はすぐに行動をした。

私はバイトをしたお金で探偵社に調査を依頼した。

私が小学生の頃にSさんはリストラにあい、母と一緒に働いた会社を退職した。その後、起業をしたものの上手く行かず、再びサラリーマンになったが条件のいい仕事は見つからなかった。マンションを売り賃貸に移り、貯えを食いつぶしながらなんとか息子を大学まで卒業させた。就職をした息子は家を出た。生活レベルの下がった夫婦の関係はもはや修復不能だったが専業主婦だった妻は離婚をしたところで生きていくことはできない。それでもSさんは別の相手と新しい生活をすることを考えていた。

端から見たら典型的な転落人生だけど、Sさんは浮き沈みのある人生を楽しんでいる、私はそう確信した。

私は待ち伏せをしてSさんに会うことに決めた。

Sさんに声をかけて、私は母の娘であること、大学名、そして20歳という年齢を告げた。

「そんなあからさまに警戒しなくても大丈夫です。母から、いままでいろいろなことで相談にのっていただいたと聞いております。私の子育てのことで悩んだときは、あなたに助言をいただいたと…」

「お母さん、そんなことを話したんですか?」

「一度ぜひお礼を申し上げたいと思っていました、それにどうしてもお伝えしたいことがあるんです、それで今日ここで待っていました、少し時間をいただけませんか?」

「お母さん、お元気ですか?」

「変わりはありません」

私はSさんを誘って近くのカフェに向かった。

「あらためまして、Sさん、私が今ここにこうしていられるのはSさんのおかげだと思っています、ありがとうございました」

「そんなことありませんよ」

「いえ、だって、もしあなたが母の願いをききいれて、母があなたの子供を産むことを受け入れていたら、私が生まれることは絶対になかったはずですから。母はあなたの子供を授かって、父と離婚して、その子供を一人で育てることを望みました。でも母からどれほど懇願されてもあなたはその願いを聞き入れることはなかった…、母は実の娘にこんな話をするほど壊れてしまっているんです。もちろん、母はこの話を私にしたことを後悔しています。だから話してもらえたのは一度だけです。最初に申し上げたように私はあなたに感謝していますが、恨んではいません、なぜ恨まないのかわかりますか?」

「いえ…」

「私はあなたと同じでまっとうな人間ではないからです、人を心から愛することも憎むこともできず、どうせ最後は死ぬのだからと将来のことで悩むこともなく、過去こともたいがい忘れて、今だけを楽しんで、いつでも自分だけは幸せで、その幸せは誰かの不幸の上になりたっている、あなたも私もそんなモンスターですよね。だから、今日は、私たちの間だけでしか成り立たない会話をするためにここに来ました。今は驚かれているかもしれませんが、すぐに慣れますよ、大丈夫です。だって、あなたなら私の言うことをちゃんと理解してくれるからです。だから楽しい会話をしましょう、ひとつ確認しておきますが、母が父との間に私を作ったのは、あなたとの不倫関係を終わらせるためだとは気づいていましたか?」

「想像はしました…」

「言葉を選んでいただかなくて大丈夫です、あなたが何を言っても私は冷静でいられる自信があります、父と母はお見合いで結婚しました、どうせ結婚するのだから相手は悪い人じゃなければいいくらいの感覚だったのかもしれません、二人は恋に落ちて結婚したわけではないのです、二人ともそれまでのあまり異性と付き合ったことはなかったのでしょう、おそらく父は女性の扱いが上手ではなかったし、母は結婚をしたあとにあなたに会って、人生で初めての恋に落ちたのでしょう。浮気をする人は終わりを考えます。母は父との間に子供を作らない限り不倫関係を終わらせることができなかった、母があなたと恋に落ちたのは、しかたのないことです。母と不倫関係にある間、あなたは心から母を愛してくれたのだと思います、奥さんとの生活が楽しくなくても、他に愛する人がいれば、幸せな結婚をするよりももっと楽しい人生を送れる、あなたはそう考えますよね? 私も同意します、あなたは母と過ごした時間を素敵な時間だったと思っていますよね、でもあなたはきっとほとんどのことを覚えていない、覚えているのは私の母を愛したこと、そしてその時間が素晴らしい時間だったということ、それだけです、母と何をしたのか、どこへ行ったのか、母がどんな顔をしたのか、言われれば思い出すかもしれませんが、きっと忘れていることでしょう、でも母は覚えているんです、母にとって思い出はとても大切なものです、残念なことに私にもあなたにもその感覚がよくわかりません、思い出に浸る時間なんていらない、記憶なんて薄れるのが当たり前、だからあなたは壊れることはない、でも母はまっとうな人だから壊れてしまった、あなたと過ごした時間はとても素晴らしかった、それを手放さなければいけなくなったことで、母は決して癒されない傷をおいました、その傷を深くしたのは私です、私は母の期待に応える娘に育たなかった、せっかくあなたの不倫関係を清算して産んだ娘がこれでは…、何回か母から相談受けていましたよね? 母はいつも私のことで悩んでいました、そもそも母が私を私立の小学校に入れたのは、あなたの家庭の影響です、私は学校をよく休みました、だって片道1時間電車に乗っていくんです、母の付き添いがあっても、小学生には辛かった、サボることは自己主張でもあった、そして、そんな私を面白がってくれる友達がいつもいた、私は居場所を作るために努力する必要なんて一度もありませんでした、必ず誰かが私の居場所を作ってくれました、でもいつも不思議だった、どうして彼女たちは私を友達として扱ってくれるのだろうって、私は自分が本質的に何か違う気がしていました、彼女たちはただまっとうな人たちだったんです、まっとうな人たちだから私の危うさを心配しながらも愛してくれた、私自身はモンスターでも私の周りにはまっとうな人がたくさんいた、この感覚、わかっていただけますよね?」

「うん、よくわかるよ、若い頃は、何で自分に友達がいるのだろうってよく考えた」

「Sさん、そろそろ終わりにしたらいかがですか? もう十分人生を楽しんで周りの人を不幸にしたでしょう?」

「確かにね、言われてみたら僕は生きることなんて考えたこともないかもしれない、死ぬことは何度か考えたよ、でも人生が楽しすぎて忘れていた」

「どうやって死のうって考えたんですか? 若い頃の憧れとかは?」

「そうだね、一番憧れたのは爆死かな、ある日テロが起きて自分の身体が木っ端みじんに吹っ飛ぶ、遺体も識別できない、まるで自分という人間が最初から存在しなかったみたいにね」

「なかなかいいですね」

「この話をして狂ってると言わなかった人は君が初めてだよ」

「まともな人に話したらダメですよ、でもね、Sさん、それはあまりにお他力本願じゃないですか? そんな都合のいいこと待っていても起こりませんよ」

「その通りだね」

「あなたは、自分が家族なんか作ってはいけない人間だと知っていながら、デキ婚で家族を持ってしまいました、あなたの奥さんはとても苦しんだ、それでもあなたの息子はやりたいことを見つけ親元を離れた、あなたは家族を持つことを楽しんだ、でもあなたと奥さんは水と油のような性格だった、あなたの奥さんはあなたをまっとうな人間にしようとした、あなたがそうならないことで二人の関係は悪化した、でもそれはあなたのせいじゃない、奥さんはできないことをやろうとした、それができないことだと気がつかなかったのは奥さんがまっとうな人間だったから、違いますか? まっとうな二人がくっついて夫婦になってたまたま上手く行かなかったケースとは違いますよね?」

「そうだろうね…」

「その間にもあなたは色々な人と関係を持った、私の母だけではないですよね? でも家庭を壊そうとはしなかった、それは子供のためでしょう? 結局あなたは父親らしきことはやった、それができたことはあなたにとって大いに満足だった、そしていまあなたは新しい生活を始めようとしている、一人が好きだと言いながら、それでも家族を作りそこから25年も生きてきた、今さら一人では生きられませんよね? だから新しい相手の人と暮らそうとしてるんでしょう? 新しいお相手はずっと一人で生きてきた、このままずっと一人で生きることが恐くなったまっとうな人ですよね? あなたはきっと楽しく暮らせます、その人はきっと不幸になる、だってその人が持っていない元家族をあなたは持っているから、その人は気にしないと言ってくれるかもしれないけれどそんなことあるはずがない、私の母があなたと会った日に家に帰ってからどんな気持ちでいたのか想像をしたことはありますか? あなたの奥さんの人生を壊してしまったと感じたことはありますか? そんなこと考えることもなくあなたは楽しく生きてきたでしょうし、これからも楽しく生きていくでしょうね、だからもういいんじゃないですか? あなたは十分に楽しんだわ、あなたみたいに人生を楽しめる人はそうはいない、でもものには限度というものがあります」

「確かにね」

「私はできる限り周りの人を不幸にしないで生きたいと願っています、でも、いつか今の私みたいなのが目の前に現れて、今の私があなたにしているような話を私にしたら、『ああ、やっぱり努力したけどだめだったかあ、楽しい人生だったわ、さようなら』って言えるような気がします、Sさん、あなたにもちゃんと終わらせてほしいです」

「君と話ができてよかった。やはり人生は楽しいね、生きていればまだ楽しいことはいくらでもありそうだ、…でも確かに潮時かな」

Sさんは別れ際に私にそう言った。


有名な人や功績のある人ならどんな死に方をしてもニュースになる、そうではない人は珍しい死に方をしなければニュースにはならない、Sさんは遺書も残さず最初から存在しなかったかのようにこの世からいなくなった。Sさんの死が報じられることはなかった、

これが私が最初に関わった他人の死。


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