真夜中のおまじない(疑似父娘)
怖い夢を、見た。
何か、大きな、嫌なものに追いかけられる夢。
昔からよく見ていた。
大きな嫌なものの姿は、よくわからない。
手足がたくさんあって、けど、虫じゃない。熊や狼でもない。
ちらっと見える手足は、人のものだから。
それに追い付かれるともっと怖いことになる。
食べられるのか、どうなるのか、わからないけれど、とにかく怖いことになると夢の中の私はよく知っていて、必死で逃げるのだ。
まちや、森なんかを。
今日は、ここに来る前に通っていた学校だった。
「……っ」
思い出したら、現実まであの怪物が追ってきそうだった。
私は部屋のすみっこでギュッと小さくなる。
布団の中はダメ。夢がまだ、染みついてそうで。
私は、まだドキドキしている心臓を宥めるようにもっと縮こまろうとして、
「……、コトリ?」
父の声に、ビクッと顔を上げた。
見れば、衝立の向こうから、父が顔をのぞかしていた。
「! あ……」
静かに動いたつもりだったけど、起こしてしまったのかもしれない。
「ごめんなさい……」
申し訳なさに、さらに身体を小さくした。
「いや……咽喉乾いたから、起きただけや。コトリのせいちゃうよ」
「……」
父が「コトリも水飲む?」と聞いてくれたので、うなずいて、そろそろとはっていく。
父は、ペットボトルの水を私用のカップに注いで渡してくれた。
「怖い夢、見たん?」
自分のカップにも水を注ぎながら、父が聞いた。
「えっと……」
私は、そっとうなずく。
「よっしゃ、ほんなら、おまじないしたろ」
父は水を一気にあおると、私の前に手をかざした。
「?」
その手をぐっぱーぐっぱーと、握ったり開いたりした後、ギュッと何かを掴む素振りをする。
それから、思い切り窓を開けて、
「こわいのこわいの、とんでけーぃ」
つかんだ『何か』を放り投げた。
「……よっしゃ、どっか行ったで」
そしてすぐさま、ぴしゃんと窓を閉める。
「これ、一花の……おかあちゃんの直伝や」
「そうなの?」
「うん。……こうしたら、野性のバクが食うてくれるねんて」
「バク?」
図鑑か何かで見たことがある。
鼻がにょいんと伸びているけれど、象ほど長くない。アリクイによく似た生き物。
確か、パンダみたいに白黒だった気がする。
「そう、夢を食うてくれるやつ。夜にそのへんうろついてるねん」
「……ふふっ」
父が真面目な顔をして言うのがおかしくて、私はつい笑ってしまった。
白黒の鼻が長い生き物が、そのへんをうろうろして人が悪夢を放り投げるのを待っている。
そんな姿を想像すると、もっとおかしかった。
「さ、もう寝よか」
父が、私の頭を一つ撫でた。
「うん」
ふわ、と温かな眠気が私を包む。
気付いたら、怖い気持ちは本当にどこかに行ってしまった。
すごい。
本当に、野性のバクが食べてくれたのかも知れない。
「ええ夢を」
「……お父ちゃんも」
「うん」
私が笑うと、父も嬉しそうに笑ってくれた。
END.