【終】大小かねる私たち
【終章】大小かねる私たち
〈続 十二月二十日 月曜日〉
[終]情報提供者→芽亜里(小さい物好き)
影に飛び込んできたメアちゃんは、すぐにぐったりとした。あたしもそうだけど、裏自分から急に切り替わると、一瞬こんな感じになる。
あたしはすぐに、倒れ込んできた彼女の体を支える。
「……ん……うぅ」
「あ、メアちゃん……じゃなかった! 芽亜里ちゃん、大丈夫? 痛いところとかない?」
「……あ」
暗闇の中でも、その両目がぱっちりと開かれたのがわかった。彼女の視線はそのままあたりをさまよって、そしてあたしに気がついて静止する。
「あ、あぁ……!」
その瞬間に、芽亜里ちゃんはあたしから離れて、すごい勢いで小屋の壁に後ずさりした。
「ご、ごめんなさい……私、大丈夫です」
怯えたようにしながらも、今がどういう状況かはわかっているみたいだ。
あたしはできるだけ怖がらせらないように目を合わせたままで、小屋の入り口を指差す。
「そっか。とりあえず、外に出ようか。ここじゃお互いよく見えないし」
「はい……」
連れ立って外に出ると、高台はいまだしんとしていた。
暗闇から逃れたことで、さっきまでよく見えなかったお互いの姿が見えてきた。
芽亜里ちゃんは、当たり前のことだけど、見た目はメアちゃんそのものだった。でも顔には自信がなく、視線は頼りなく下のあたりに向いてしまっている。今の結城芽亜里は、ひとりぼっちの子猫みたいだ。
うつむく芽亜里ちゃんに、なんとか話しかけてみる。
「えーと、始めまして……で良いのかな?」
芽亜里ちゃんはしばらく、顔を少し上げてあたしの様子をうかがっていた。
そして次の瞬間
「……その!」
そう言って、突然頭を下げた。
「ごめんなさい! 今まで、ゆめちゃんのことを騙してて、ごめんなさい! 私はすべてを見ていました。ゆめちゃんが私のためにしてくれた全部を、この目で見ていました。……それなのに、最後まで嘘ついて、騙しちゃって……っ」
芽亜里ちゃんはずっと、謝罪と後悔の言葉を口にし続ける。でもそれは、あたしには毛頭必要ないものだ。
「騙されたなんて、思ってないよ。それに裏自分を使ってたって意味なら、あたしも一緒だよ。あたしたちは、一緒なんだよ」
芽亜里ちゃんの顔色が、変わるのがわかった。
きっと彼女はずっと苦しんでいたのだろう。裏自分と本来の自分の境界で、ずっと。
擦り切れるような声がした。
「……ありがとうございます」
芽亜里ちゃんがメアちゃんとは真逆の性質を持っていることは予想していたけど、少しの応対だけで、彼女が善なる心を持った、まともな人間だとわかってよかった。だって、せっかくメアちゃんを倒したのに、実は芽亜里ちゃんがそれを上回る邪悪でしたなんて展開だったら、さすがにあたしの気も持たない。
一息ついてから、あたしはずっとやりたかったことを実行に移す。
「芽亜里ちゃんの方とちゃんと会ったのは初めてだから、自己紹介するね。……あたしは高崎ゆめ。これからよろしくね。ずっとあなたに会いたかったんだよ!」
どうやらその思いは伝わったみたいだ。
少し複雑な顔をしていた芽亜里ちゃんは、力なく口角を上げて、やっと目を見てくれる。
「私は、結城芽亜里です。メアちゃんって、呼ばれてたこともありました。基本的に私のことは、彼女と真逆の存在だと思ってくれれば大丈夫です」
お互いの自己紹介も終わって、やっと芽亜里ちゃんは落ち着いてきた様子だ。彼女の存在は、メアちゃんから攻撃力を全部引いて、代わりにいたいけさだけを足したようなものなので、卒倒するほどかわいい。小動物的なうるうるとした瞳や、ちょっとしたことにも怯えるその仕草は、左右にわけたお下げ髪と後ろに流したウェービーな後ろ髪を可憐に引き立てている。名付けるなら、そう「深窓の令嬢」といったところか。
本当ならすぐにでも抱きしめて元気づけてあげたいところだけど、まだやっておかなければならないことがある。
「芽亜里ちゃん、ゆっくりでいいから説明してくれると嬉しいな。今まであなたが、どんな世界で生きてきたのかを」
(改行が不自然な表示)
起きたばかりで少し酷かもしれないけど、今までの全てに対する答え合わせがまだ残っているんだ。そして、それができるのは彼女だけだ。
「お願い」
重ねて言うと、芽亜里ちゃんは少し思いつめたように顎を引く。地面を見つめて、なにか考えているみたいだ。
でも、芽亜里ちゃんはすぐに顔を上げてくれた。
「わかりました。私もそれが、責任だと思ってます」
力強い言葉だった。
芽亜里ちゃんは、小屋の前に置かれたテーブルを指差した。あたしもすぐにその意味を理解して、テーブルに着席する。
向かい側の切り株椅子に座った芽亜里ちゃんは、大きく息を吸ってから言った。
「わたしの物語を、聞いてくれますか?」
もちろん、深く頷く。
それを確認してから、芽亜里ちゃんは語りだした。
鏡の向こうに閉じ込められた、もう一つの物語を。
*
〈一年前 十二月・鏡の向こうの私〉
私がその〝おまじない〟を知ったのは、高校一年の冬でした。
人と話すのが苦手な上に、高校進学で数少ない地元の友だちと離れてしまった私は、いつもひとりぼっちでした。
あたしの唯一の居場所は、ずっと図書室でした。本は別に好きではありませんでしたが、静かで、誰かの視線を浴びることもなくて、ちょうどよかったのです。
ある日、いつものように読みもしない本を傍らに積んでいた私は、その中の一冊に目を留めました。色あせてところどころ穴の開いた、少し厚めの本でした。
『暗示』
表題は、そうありました。
なんだか物騒な名前だと思いましたが、シンプルなタイトルに惹かれて、表紙をめくってみました。実のところ、あたしが本を積み重ねるのは「調べ物に忙しくて図書室から出られない」というポーズをつけるためだったので、持ってきた本に手を付けるのは珍しいことでした。
本にはたしかに、色々な「暗示」の方法が載っていました。性格を変えたり、味覚を奪ってしまったり、行動を制限したりと、暗示と言っておきながらその実は催眠術のたぐいがほとんどでした。でも、その危険な方法を次々と知ってしまうことは不思議と快感で、気がつくと隅々まで読み込んでいました。
中でも気を惹かれたのが、〝鏡の暗示〟と呼ばれるものでした。本には「鏡を使った暗示は作用が強く、巨大な危険性をはらんでいることに留意せよ」と、注意書きがありましたが、そう言っているわりには方法を全部載せてしまっているので、むしろ読者に推奨している雰囲気がありました。
だから私は手を染めたのです。
本に書いてあっった通りに、太陽が出ていない時間まで待ち、
お風呂場にあった鏡を見つめながら、なりたい自分を想像し、
「出てきてください」
十回唱えてから眠りにつきました。
まさか本当に効果があるとは、夢にも思っていませんでした。
しかし翌日、私の世界は一変しました。
そう『メア』の登場です。彼女は私の〝裏自分〟であると名乗り、そのまま全てを上手くやってくれました。
彼女は話が上手く、すぐに友達を作ってくれました。その中身は、適当な作り話とゴシップが大半でしたが。
彼女は勉強に長時間取り組んでも、まったく疲れない集中力を持っていました。ただし短期記憶に限っては、壊滅的でしたが。
『メア』と私は、まさに鏡のように真逆でした。
小さくて可愛いものが好きな私に対して、『メア』は大きいものを愛するという風に、特に趣味嗜好については、まったく反りが合いませんでした。
当時、私には好きな人がいました。
いつも図書館に通っていたのも、半分はその人と合うためでした。彼女の名前は、高崎ゆめということを、『メア』が調べてくれました。
最初に惹かれたのは、白状すると、ゆめちゃんの外見でした。小柄で、キュートで、とてもタイプだったのです。しかし、ゆめちゃんはそれだけでなく、人には思いつかないような遊びを考えるユニークさや、長いマラソンを息も上がらずに最速で走り切る力強さも持っていました。また彼女が時折見せる物憂げな表情や、図書室で悩んでいる姿にも、影で見ていた私はドキドキしていました。
でも、今となっては惚れた弱みですね。結局のところ、私は彼女のすべてが好きだったのです。
最初は本当に、私は少し離れた席から彼女を見ていることしかできませんでした。今日は図書室に来てくるかなと、悶々とすることしかできませんでした。
でも『メア』は、その状況すら一変させてしまったのです。
彼女は気さくにゆめちゃんに話しかけると、その悩みを見抜いてアドバイスをし、一瞬にして心を掴んでしまいました。私はその件以来、『メア』を全面的に信頼するようになりました。
ただ一つ誤算があるとすれば、ゆめちゃんはあくまで『メア』のことを好きになり、『メア』のことをだけを求めているという事実でしたが、私は『メア』の中からゆめちゃんの笑顔を見たり、たまにしてくる告白にドキッとするだけで満足していました。(残念ながら『メア』は「ゆめはタイプじゃないから」と言って、全部断ってしまいましたが)
〈四月某日・おまじないを広められる私〉
高校二年生になった私は、あることを知りました。それは私だけが知っていたはずの〝鏡の暗示〟が、クラス中で流行っているということでした。聞いたところによると、例の暗示は〝鏡のおまじない〟という風に名前を変え、その内容も「鏡の前で十回『出てきて下さい』と唱えると、理想の自分になれる」という、若干間違った認識のものになっていました。
まさに都市伝説といったクオリティでしたが、その出どころはわかっていました。もちろん、『メア』です。なぜなら、春先の図書整理で『暗示』というタイトルの古書は処分され、その内容を知るものは、もはや私だけになっていることを知っていたからです。どうやら『メア』は、たまに私の精神が眠っているあいだに、噂を広めていたようです。
私は『メア』を責めました。「どうして広めてしまったのか、私の秘密がばれたらどうするんだ」と、彼女をなじりました。でも『メア』はまったく意に介さずに、
「なぜって、みんなが知りたがってたから教えてあげただけよ。それにもし隠したりしたら、信用ならないやつだと、レッテルを貼られてしまうわよ。ねえ芽亜里、あなたはまた一人ぼっちになりたいのかしら?」
確かに彼女のセリフは正論でした。もとは私が、人様の本の内容を勝手に占有しようとしていただけなのですから。
でも、私はその日以来、『メア』と考えの違いで言い争うことが増えました。自分と言い争うのは、きまって鏡の前でした。
〈六月某日・疑われる私〉
『メア』との言い争いが、ある日お母さんにバレてしまいました。母親は鏡に向かって怒鳴る私の姿を知って、とても怯えていました。「どうしてそんなことしてるの!」と問い詰められたので、正直に『メア』のことを話しましたが、状況は悪化しました。お母さんからすれば、娘が幽霊にでも取り憑かれているのだと思ったのでしょう。仕事が忙しく、いつも家を空けている父とは違い、いつも家にいるお母さんとの関係は、それからも修復されることがありませんでした。
〈十二月一日・裏切られる私〉
その日も、ゆめちゃんは私に告白して来ました。百回目の告白だと、私は覚えていましたが、『メア』はやっぱりゆめちゃんを振ってしまいした。正直、ここまでの流れは私も慣れていたので、多少残念に思うくらいでした。しかし、「どうすれば好きになってくれるのか」というゆめちゃんの問に対して、なにを思ったのか『メア』がこう答えたのです。
「あんたに、私の妹のことをお願いしたいのよ」
それから『メア』は、ゆめちゃんに私を探し出すように言いました。そしてあろうことか、私を学校に連れ出して欲しいと頼んだのです。彼女は、私がそれを一番望んでいないと知っているくせに。
私にとっては、『メア』がゆめちゃんにした「依頼」は、裏切りや当てつけに他なりませんでした。しかも私には「芽亜里」という名前があるのに、「結城空」という架空の名前を付け、妹だということにもして……本当に、許せませんでした。
その晩、あたしはお風呂場の大きな鏡の前で、『メア』を責めました。かなりの大声で罵声を浴びせましたが、『メア』はのらりくらりとかわすだけで、まともに取り合ってはくれませんでした。
〈十二月三日・噂される私〉
夜中の大声が、近所のレコード屋さんまで聞こえていたようで、苦情が入りました。私はますます怖くなりました。それと同時に、ゆめちゃんが色々と調べだしたことと、その様子から、どうやら彼女が「ゆめっち」という裏自分を呼び出していることも知って、鬱になりました。だからこの日以来、私は夜中に散歩をするようになりました。光のない夜道は、私の唯一の安息地だったからです。しかし皮肉にもそのせいで、近所には「結城芽亜里の妹」という存在が噂されるようになりました。
〈十二月四日・上から見下ろす私〉
あたしはこの日も、体育をサボって高台からゆめちゃんの姿を高台から見下ろしていました。小屋に入ると『メア』は解除されてしまうので、その後の授業は私が『メア』のフリをする必要がありましたが、その対価を支払ってでも、ゆめちゃんの走る姿を見るのが幸せでした。
授業が終わり、家にすぐ帰ってまどろんでいた私は、物音で目が冷めました。下の階に降りていくと、お母さんが青白い顔で荷物をまとめているところでした。どうやらお母さんは、私が『メア』と言い合う機会が増えている上に、近所にまで存在しないはずの妹の噂をされ、精神が参ってしまったようでした。止める暇もなく母は家から飛び出しました。しかしそこで、なんとゆめちゃんが現れました。私は息をひそめて、お母さんとゆめちゃんの会話を聞いていましたが、お母さんはゆめちゃんの口にした「妹」というフレーズでついに発狂してしまいました。さらにお母さんは「この家には芽亜里でない、別の『誰か』がいる」と言い残し、それきり家を出ていってしまいました。お母さんの言う『誰か』というのは、十中八九『メア』のことでした。
〈十二月六日・夜道の私〉
私は夜の散歩に出かけました。お母さんの件はすぐお父さんに連絡して、居場所だけは見つけてもらいましたが、お母さんは完全に錯乱しきっていて、回復にはまだ時間がかかるということでした。そんな最悪の気分の道中で、あろうことかゆめちゃんに出会ってしまいました。普段と様子が違うことに気付かれそうだったので、『メア』のフリをして乗り切ろうとしました。『メア』のモノマネは結構慣れていましたが、気の利いた話が思いつかず、とりあえず四日に見た横断幕のことを話しました。ゆめちゃんのことをずっと見ていたので、それだけが記憶に残っていたのです。なんとか信じてくれたゆめちゃんでしたが、最後の最後で、妹の話を訊かれてしまいました。私はどう答えてよいかわからず「妹なんていない」と答えて、逃げるようにその場を後にしました。
〈十二月一六日・ひとりになる私〉
この前の一件のせいで、ほとんどゆめちゃんと話をしないまま定期テストとマラソン大会が終わりました。この頃には、お母さんも精神が回復してきたようですが、「芽亜里が『メア』だとか妹だとかの話をする限り帰れない」と言っているようで、まだ家には戻れない様子でした。
だから、私は思いついたのです。私が、私自身の精神を消してしまうことを。
私には一番悪いのが誰かわかっていました。それは、今までずっと全部を任せっきりにしておきながら、文句を言うことしかして来なかった私自身に他なりません。
私が消えれば、全てが解決します。私の身体から『芽亜里』が消えて、『メア』だけになれば、全て上手くいくことに気が付きました。一つの体に二つの人格が入っていることが問題であり、片方が退場してひとりになれば解決するのです。駄目な私なんかより、『メア』が残ってくれた方が、お母さんも嬉しいでしょう。それに何より、その方がゆめちゃんにとって幸福です。
私は『暗示』の内容の一つに、〝性格を変える〟という暗示があることを思い出しました。考えてみれば、性格を変えるということは、すなわちすでにある人格を一つ消去するという行為に違いないのです。
幸い、記憶力にだけは自信があるので、内容は覚えていました。
そのやり方は、
①自分が自己だと思っているアイデンティティを全て捨てること。
②そして自分の精神に、まったく別の人格を植え付けてしまうこと。
というものでした。でも、これは好都合でした。なぜなら私はもうすでに、少なくとも②は達成していたのだから。
私は①の達成のために、私の大好きな物や、服を全てゴミ袋に詰め込みました。すると不思議なことに、詰めれば詰めるほど、私の存在が薄くなっていくような感覚があったのです。とりあえず家にあった二つの大きなゴミ袋をぱんぱんにしてクローゼットの奥に隠してから、私は決意しました。
この作業を、この家から『芽亜里』の痕跡が全てなくなるまで続けよう、と。
〈十二月十八日・穴を掘る私〉
早朝に登校して倉庫から小ぶりなスコップを拝借した私は、高台へと向かいました。その理由は「下見」でした。高台に例のゴミ袋を埋められないかと思ったのです。実は、あのゴミ袋の中身はまだ使えるものや新品の物ばかりだったので、普通にゴミ捨て場に置いておくというのははばかられる、という事情がありました。しかし現実はそう甘くなく、軽く穴を掘ってみたものの、ぱんぱんのゴミ袋が入るくらいの穴を掘るのは、女子高生の力ではとても不可能でした。だから私は穴を埋め戻して、もっと大きなスコップを持ってくることに決めました。
その後、通学鞄だけでも置こうと自分のクラスに立ち寄った私が見たのは、私の噂をするクラスメイトたちの姿でした。しかもその噂の内容は、「芽亜里が妹を殺した」というものでした。そんな常軌を逸した話題を事実のように語るクラスメイトたちを見て、私はやっと気が付きました。
二年二組の生徒たちのほとんどが、〝裏自分〟になっていることに。
たしかに私も、〝おまじない〟の話は流行っているのに、実行する人が少ないのはどうしてなのだろう? と疑問に思っていましたが、その答えがそこにはありました。ほぼ全員がゆっくりと〝裏自分〟に変わっていったので、彼らの様子の変化に気がつけなかったのです。
恐ろしくなった私は、トイレですぐに『メア』と交代しました。本来、おまじないは前の晩にしないといけませんが、暗示が完全に染み付いた私だけは、目を閉じるだけで変身できるようになっていました。そしてその事実は、次第に私の存在が薄くなっていることの証拠でもありました。
〈十二月一九日・電話を取る私〉
これは昨日の話です。
夜に掛かってきた一本の電話を、私は取るかどうか悩みました。でも、迷った結果、私はまた『メア』のフリをして電話に出ました。
相手は予想通りゆめちゃんでした。その内容は、明日の七時に高台に来て欲しいというものでした。
でも、覚悟はしていました。いつかゆめちゃんと戦わなくてはならないことは、わかっていましたし、『メア』もそれには乗り気でした。
だから、私は最後のお願いとして『メア』に頼んだのです。
「明日は、絶対にゆめちゃんを倒して下さい」
って。
それで、本当に消えてしまうつもりだったんです……。
*
話は終わった。自分で記憶力が良いというだけあって、日記でも見ているかのような、詳細な物語だった。
本当の本当に、全部の全部を打ち明けて、芽亜里ちゃんはまた頭を下げる。
「重ね重ね言います、ごめんなさい。ゆめちゃんはよく、自分のことを駄目な娘だなんて言ってましたけど、私はこの通りもっと駄目な娘だったんです。自信がなくて、ひととお話するのも苦手で……」
絞り出すように、擦り切れた声で続ける。
「結局は、私はただの自分勝手でした。『メア』のこともゆめちゃんのことも、勝手に決めつけて、自分だけが満足しようとしていた……最っ底の人間なんです……」
後悔し、自分のことを責め続けるそんな様は、悲痛だった。
私は立ち上がって、テーブルの向こうで嗚咽する芽亜里ちゃんの頭を撫でた。
「芽亜里ちゃんの物語、よくわかったよ。あなたもずっと苦しんで、戦っていたんだね。本当は誰かにぜんぶ話して、楽になりたかったんだよね」
……芽亜里ちゃんはそこから、ひとしきり泣いた。
落ち着いてくると、芽亜里ちゃんは目を真っ赤に腫らしながらあたしの顔を見上げた。
「私はただ、怖かったんです。『メア』も、お母さんも、自分自身も。そして最後のほうにはきっと、ゆめちゃんのことでさえも……」
その気持は、とてもよくわかる。だって私も、一時はそんな恐怖に囚われてしまって、間違った選択肢を選び取ろうとしていたから。
言い聞かせるように、自分の言葉を送る。
「芽亜里ちゃん、あんまり自分を責めないで。……そしてよかったら、メアちゃんのことも責めないであげて欲しいの」
思い出されるのは、メアちゃんの言葉と、声。
「人間が嘘をつくときって、絶対に声が冷たくなるんだよ。表面を取り繕っても、言葉の芯は絶対に冷ややかになる。だから、ずっと嘘だらけだったメアちゃんの言葉は、いっつも冬の風みたいに冷たかった。……まぁ、そこが魅力でもあるんだけどね。」
笑ってから、芽亜里ちゃんの泣きはらした目を見つめる。
「でもあの日、今月の始めに『妹に学校を見せたい』ってあたしに依頼した時の声だけは、とっても暖かかったんだよ。だからきっとメアちゃんにとって、あの言葉だけは真実だったんだ」
芽亜里ちゃんはしばらく、言葉を噛みしめるように目を閉じていた。
そして静かに、テーブルの上に崩れ落ちる。
「……本当は、頭の片隅ではわかっていたのかもしれません。彼女があえて私に厳しくして、現実世界に連れ出そうとしてくれていたことは。きっと彼女は知っていたんです。なにもかも自分が上手くやって甘やかしていては、私は変わらないと。だから最後まで『メア』は手を抜かず、悪役でいてくれました」
彼女が泣きながら言ったその言葉にも、あたしの推理にも、確かな証拠はない。けれど、きっとそうなんだ。そういうことも、たまにはあるんだ。
高台に、一迅の風が吹く。
あたしたちはしばらく、冷たい風の前に身を寄せ合っていた。
やがて、すっかり嗚咽も涙もおさまった芽亜里ちゃんが口を開いた。
「えーっと、あのぅ……ゆめちゃん?」
見ると、すごくもじもじしている。さっきまで泣いていたぶんを差し引いても、顔は赤いし、声が震えている。
「どうしたの!? やっぱどこか痛いとか?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
否定するけど、またうつむいてしまう。やっぱりこれは、この冷気のせいで風でもひいてしまったんだろう。
とりあえず保健室に……と、言おうとした時だった。
さっきまでうつむいていた芽亜里ちゃんが、がばっと顔を上げた。
「ゆめちゃんは! その、私のお話を全部聞いてくれたんですよね」
「え、まあ。うん」
「なら……もうバレてますよね……」
「な、なにが?」
なにやら覚悟が決まった表情の芽亜里ちゃんに、恐る恐る尋ねてみる。すると彼女はすぐに椅子から立ち上がり、さっきよりもさらに真っ赤になりながら叫んだ。
「あたしが、ゆめちゃんのことを大好きってことです!」
だいすきってことですぅ、だいすきってことですぅ、だいすきってことですぅ……。
壮絶なカミングアウトが、やまびことなって裏山じゅうに響き渡った。
……そういえば、たしかに過去の話の中で、芽亜里ちゃんはあたしのことを好きだってさりげなく言っていた。それに、さっきメアちゃんにした推理でも、芽亜里ちゃんは私のことが好きだ、という結論になっている。
いやでも、普通この流れで告白の続きするかな!?
急な発表すぎて言葉もないあたしに対して、芽亜里ちゃんの勢いは止まらない。
切り株の椅子から立ち上がると、そのままテーブルの側に突っ立っていたあたしの方にどんどん近付いてくる。
「ゆめちゃんは、私のこと嫌いですか……?」
「ううん、まさか! でも芽亜里ちゃん、ちょっと、圧が……」
言っているあいだにも、芽亜里ちゃんあたしの肩に手をかけてくる。
「嫌いじゃない……ってことは、『好き』っていうことで、いいんでしょうか」
「そ、そうだよ。だってあたしからしたらどっちも大切な……って、うん、なんか目が怖いんだけど」
ついにその手は、あたしの制服のリボンへと伸びてきた。
「嬉しいです。今まではずっと、見ているだけだったから」
「こっちも嬉しいけど、さっきから自然な動きであたしの制服脱がせようとしてるのはなんでかな?」
「あ、ご、ごめんなさい! つい、我を忘れてて……」
そこまで言って、やっと芽亜里ちゃんは離れてくれた。見るからに気弱な感じなのに、いざとなったらめちゃくちゃ押しが強いタイプだったらしい。
メアちゃん、早く戻ってきてくれないと、この娘にあたし食べられちゃうよ!
心の中で、思わず投げかける。
乱れた制服を直してから、ちょっとしおらしくしている芽亜里ちゃんの方を向く。
「まさかあたしが告白される立場になるなんて、思わなかった」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。こっちも嫌じゃないし、でもね……」
軽くお互いを見比べる。
「芽亜里ちゃん、あたしたちって、お互いのことをまだ良く知らないじゃん。だからすぐに芽亜里ちゃんの気持ちには答えられないよ」
言い聞かせるように言うと、芽亜里ちゃんはまた自信なさげに目を伏せる。
「大丈夫です。私はこの気持を、自分の口で伝えられただけで満足ですから……」
はぁ……。心の中でため息をつく。
それからはもっと声を張って、彼女に呼びかけた。
「芽亜里ちゃん、そうやっていつまでも受け身でいたら、またメアちゃんに怒られちゃうよ」
「えっ?」
「メアちゃんはあたしに言ったんだ。『〝現実〟と戦え』って。あたしもその通りだと思う」
当時のあたしは、それで救われた。でもその言葉が今必要なのは、きっと彼女の方なんだ。
「『なりたい自分になりたい』だとか、『恋を成就させたい』とか、結局自分で動いて、掴み取らなくちゃいけないんだよ。特にあたしたちは、それをたっぷり教えてもらったじゃない。お節介な、裏の自分たちに、ね?」
「こんな私でもできるでしょうか」
まだ不安そうな芽亜里ちゃんに、あたしは右手を差し出した。
「ねえ芽亜里ちゃん、これから一緒に学校に行こうよ。クラスは違うけど、あたしにできることならなんでもやるから、駄目なあたしと、毎日楽しく生活しよう。成功して、失敗して、お互いのことを知っていこうよ」
「これから、一緒に……」
その顔には、希望が映っていた。
ついこっちまで嬉しくなって、声にも弾みがつく。
「そうだよ。それから勉強したり遊んだりもして、今まで芽亜里ちゃんができなかったことをみんなやろう。そうやって『芽亜里ちゃん』としての思い出を作っていけばいいんだよ」
芽亜里ちゃんの方を見ると、もうそこには一点の曇りも浮かんでいなかった。どうやらやっと、彼女も出てこれたようだ。
力強く、芽亜里ちゃんは答える。
「私、これからは自分の足で歩いていこうと思います。それで……もしそれが終わったら、私と恋をしてくれますか?」
最後の方は、少し気恥ずかしそうだったけれど。
あたしは真っ直ぐ、彼女だけを向いて頷いた。
「喜んで!」
きっとそれは、メアちゃんの願いが叶った瞬間だった。
駄目で駄目なあたしたちは、ようやく鏡の世界と決別して、前に進み出せたんだ。
二人で高台を降りていると、芽亜里ちゃんが若干ぎこちなく口を開いた。
「あの、この流れで言いにくいんですけど、今日はもう帰ります」
「えぇ! あたしはもう色々教えてあげる気まんまんだったのにぃ!」
「お気持ちは嬉しいですけど、これだけのことがあった以上は、私にも決着をつけないといけないことがあるんです」
「あ、そっか。ご家族のこととか……」
そうだ。未だ芽亜里ちゃんの家では、ママが帰ってきていないんだ。それに、捨てようとしていた私物や、周囲からの誤解など、まだ問題は山積みだろう。
でも、今の芽亜里ちゃんは昔とは違う。
「お母さんには、心配をかけました。これから、信じてもらえるかはわからないですけど、ちゃんと説明して、今まで一人で抱えていたことを謝ろうと思います」
その顔は、つきものが落ちたような清々しいものだった。
芽亜里ちゃんは胸に手を当てる。
「それに『メア』とも、一度腹を割って話さないといけません。いくら遠からず私を助けるためとはいえ、彼女は色々とやってくれましたからね!」
「あれ、怒ってるの?」
「……ふふ、そうです。怒ってます。まず、心がアスパラみたいに折れやすい、こんな私に怖い思いをさせたこと。次に、なにも説明してくれなかったこと。そして最後に……」
芽亜里ちゃんはいたずらっぽく笑って、あたしのことを指差した。
「主人の私を差し置いて、ゆめちゃんのことを本気で好きになってしまったこと」
思わず耳を疑った。
「えっ、ちょっと、それって本当?」
けれど芽亜里ちゃんは、はぐらかすように、ただ笑うだけだった。
それから、
校門前での別れ際、芽亜里ちゃんは左手で手を振りながら勇ましく言った。
「これからちょっと、姉妹喧嘩をしてきます」
「そっか、頑張ってきてね」
彼女ならもう大丈夫だ。
でも先輩心から、ちょっとだけアドバイスしておこうか。
「メアちゃんはすごく手強いから、覚悟してよね」
だけどそれも不要だったみたい。
芽亜里ちゃんはウィンクしながら、軽やかに答えた。
「それを一番知っているのは、私の方ですよ。『メア』は私の、ライバルですから」
――かくして、一つの戦いが終わり、新しい戦いの幕が開いた。
きっとこれからも私たちは戦い続けるのだろう。
メアちゃんが、そう願った通りに。
〈十二月二十一日 火曜日〉
[終]情報提供者→メア(大きい物好き)
すべての決着がついた翌日、あたしはいつものように通学路を歩いていた。
十二月の朝は極寒だけど、やっぱり自分の体を動かすのは最高だ。
――あたしはあの一件以降、ゆめっちを封印することに決めた。
でも、それは別に大きな決断ではなかった。涙の別れもなかった。
だって、あたしは自分の内側に、常にゆめっちがいるのを知っているし、もう〝おまじない〟が必要になるような大事件なんて、今後一生起きないだろうから。
家の前の大通りを進んでいると、大きな交差点のところに、見慣れた姿があった。
歩行者用の信号機の前で、制服姿の背の高い女の子が、その長いお下げ髪をなびかせながら立っている。
唯一気になる点があるとすれば、彼女が身長の半分ほどある、大きくて真っ赤なラジカセを担いでいることくらいだ。
すぐ近くまで歩いていくと、彼女はあたしに向かって、上品な笑みを浮かべた。
「おはよう、ゆめ。もしあんたが寝坊していたら、このラジカセで頭をかち割りに行こうと思っていたのだけど、そうならずに済んで嬉しいわ」
これは朝からごあいさつだ。二つの意味で。
「おはようメアちゃん。こっちも嬉しいよ。もうあれで消えちゃったのかもって思ってたから」
裏自分が消えるのは、その人にとっては本望なことだと頭ではわかっているけど、メアちゃんが消えてしまったらやっぱり悲しい。
複雑な思いが顔に出てしまっていたのか、メアちゃんはあたしから目をそらした。
「実は私も、消えようと思っていたのよ。もうやるべきことも終わったと思っていたから。でも、一つだけやり残したことがあったのよ」
メアちゃんはまたこちらに向き直る。
「それはね、あんたと喧嘩することよ」
「えっ、喧嘩? あたしが?」
「そうよ、だって……その、あんたにも、色々と酷いことをしたような気が、しないでもないというか……。とにかく、恨み言の一つくらい聞いてやるのが義理かと思ったのよ」
珍しく端切れが悪かった。
でも、そんなメアちゃんの言葉が嬉しくてしかたがない。
「安心して。メアちゃんに恨みなんて一つもないよ! それにあたし、結構冷たくされるの好みだし……えへへ」
「あんたねぇ」
冗談はこのくらいにして、今度こそ真面目な顔になる。
赤信号を見つめながら、あたしは言った。
「あたしね、メアちゃんが本気を出したら、もっと酷いことができたし、なんなら芽亜里ちゃんを完全に乗っ取ることも簡単だったと思うんだよ。だからやっぱり、メアちゃんは芽亜里ちゃんを助けようとしてたんだよね」
「それは、あんたと芽亜里の思い込みよ。私は乗っ取り作戦がおじゃんになって、意気消沈しているだけ」
嘘だ。だって、また言葉が冷たくなっているから。
「なら、『妹を見つけて』ってわざわざ頼んだのも、うっかり? あれさえなければ、メアちゃんの思惑通り行ったと思うけど」
別の角度から突っ込んでみると、メアちゃんはとぼけた顔をしてみせた。
「忘れたわ、私そんなこと言ったかしら? ごめんなさいね、私って記憶力が悪いから」
「それ卑怯だよぉー」
やっぱりメアちゃんにはかなわないや。
まだまだ信号は変わらない。
黙って立ち止まっていると、メアちゃんがまた口を開いた。
「ゆめ、一つだけ質問いいかしら。……芽亜里があんなに凶暴になったのは、あんたの影響?」
「なんのことかな、あたしにはさっぱり」
メアちゃんを真似てとぼけてみると、すぐに抗議するような声が上から降ってくる。
「昨日、それはもう壮絶な姉妹喧嘩があったのよ。あんなに怒った芽亜里を見たのはいつぶりでしょうねぇ。これでまた近所から苦情が入ったら、あんたの責任よ」
「責任なら、取るよ」
「前言撤回。にやにやしながらその言い方やめてくれないかしら」
やっぱり冷たくあしらわれる。
ちらりと隣をうかがうと、メアちゃんはどこか感慨深そうな顔をしていた。
「昨晩の芽亜里は凄かったわ。家に帰るとすぐに両親を呼び出して、最初こそ色々説明したり謝ったりしていたけれど、最終的には怒鳴りつけるみたいにして、私や自分のあり方を認めさせていたわ。この私が、思わず止めに入ろうと思ったくらいにね」
「あははっ」
「なにがおかしいのよ。その次はもちろん私の番で、凄く怒られて、世界が終わるほど喧嘩をしたっていうのに」
どうやら私の預かり知らぬところで世界の存亡をかけた戦いがあったらしい。
好奇心が湧いたので質問してみる。
「なにをそんなに争ったの?」
「単純なことよ。『〝大きいもの〟と〝小さいもの〟のどちらが魅力的か』って内容だったわ」
「えぇ……」
そんなことが発端で滅ぼされたら、世界もたまったものじゃないだろう。ノストラダムスもびっくりだ。
信号はまだまだまだ青にならない。ここは車通りも多いので、一度捕まると長いんだ。
通勤ラッシュの車の音を聞きながら、ごく自然なことのように、あたしは打ち明ける。
「メアちゃん、あたしまだ、メアちゃんのことが好きだよ。芽亜里ちゃんには悪いけどさ、あたしが好きななったのはやっぱりメアちゃんの方だから」
これで、何回目の告白だろうか。
でも、隣のメアちゃんは少し横に離れてしまった。
「好きになるのは勝手だけれど、私は芽亜里の方をおすすめするわ。だって、あの娘はもう〝空っぽ〟の〝結城空〟じゃない。この身体は、すでに彼女のものだから」
そんな風に言ってみせるメアちゃんの瞳は、少しだけ悲しそうに見えた。
きっとここでの正解は、満足した様子のメアちゃんを送ってやることなんだろうなって、思う。
でも残念ながら、あたしはまだそんなに大人じゃない。
メアちゃんの肩をつついて、あたしはどん、と胸を叩いてみせた。
「心配しないでよ。あたしは『メア』も『芽亜里』も、両方、手に入れるつもりだから!」
「……ふふ、本当に馬鹿ね。あんたは」
そこで初めて、メアちゃんは素直な笑顔を見せた……と思う。
他人の感情なんて、本当のところはわからない。都合のいいように、こっちが信じるしかないんだ。
ふと、聞き忘れていたことを思い出す。
「ところで、芽亜里ちゃんとの喧嘩って結局どっちが勝ったの?」
すこし上から目線のメアちゃんと目が合う。
彼女はずいぶん、得意そうだった。
「私よ。というか、私が負けるはずないじゃない」
その時、大きなトラックがあたしたちの目の前すぐをかすめていった。
びっくりした。
いくら急いでいるからって、運転が荒いんじゃないだろうか。まったく、これだから郊外のローカル運転は……。
心の中でぶつぶつと避難してから隣を見る……すると、そこには立ったまま眠るように目を閉じたメアちゃんの姿があった。
「え!? ちょっと、メアちゃーん!」
心配して体を揺すると、彼女はすぐに目を開けた。
それと同時に、体全体のオーラというか、雰囲気も一変してしまう。
この現象には心当たりがあった。
「もしかして……芽亜里ちゃん?」
「あっ、ひゃい! そうです芽亜里です、ごめんなさい!」
この授業中に爆睡してたのを叩き起こされたみたいな反応……やっぱり芽亜里ちゃんだ。
芽亜里ちゃんは目をこすりながら、さっきとは真逆のか弱い声を出した。
「あの……『メア』との用事は、もう終わりましたか? ゆめちゃん相手にやり残したことがあるって言うから、表に出してたんですけど」
どうやら芽亜里ちゃんもなにも聞かされていなかったらしい。
あたしはメアちゃんの横暴さに、今更ながら苦笑した。
「用事なら終わったみたい。言いたいことだけ言って、そのまま芽亜里ちゃんに交代しちゃった」
「そうだったんですか」
「あーあ、また振られちゃったよ。……あ、信号機青になった!」
これを逃したら、また馬鹿みたいに待つことになっちゃう。
でも、歩き出そうとしたあたしの手を、芽亜里ちゃんが掴んで止めた。
「いいえ、そんなことありませんよ」
急になことに、転びそうになる。
「うわっ! っと、なに?」
「さっき『メアちゃんに振られちゃった』って言ってましたけど、それは違いますよ」
「え?」
「『メア』はやっぱり、あなたのことが好きですよ」
芽亜里ちゃんは、確信があるようだったけど、あまり信じられない。
「あはは、励ましてくれなくてもいいよ。慣れてるから」
平静を装って、軽く言ったつもりだった。
でも芽亜里ちゃんはあたしの腕を掴んだまま、強く首を振る。
「違いますよ! 昨日の喧嘩の内容が、その証拠です」
「えーと、たしか『大きいものと小さいもののどちらが魅力的か』……みたいなやつだっけ」
「その通りです」
頷く芽亜里ちゃんは、なにか誤解しているように見えた。
「あのね、芽亜里ちゃん、でもその口喧嘩ってメアちゃんが勝ったんだよね」
「はい」
「あのー、言いにくいんだけどね、あたしはチビ……ううん、平均よりちょっと小柄だから〝大きいもの〟に含めるのは、やっぱり無理が――」
言い終わらないうちに、芽亜里ちゃんはまた首を振った。
「昨晩の『メア』はね、『小さいもののほうが魅力的だ』って、言ってたんですよ。逆に大きいものを推していた方は、私の方です。まわりの人の大きな愛に、助けられましたからね。……でも、どうやら彼女は、私とは別の理由で、長年の考えを改めたようです」
ということは、まさか。
芽亜里ちゃんは、あたしをじっと見つめる。
「『メア』がどうして、小さいものを愛するようになったのか。こんな簡単な推理はないですけど、私はまだ、認めないことにします。だって私にとってもゆめちゃんは……」
顔を真っ赤にして、芽亜里ちゃんは少し顔を伏せてしまう。
〝姉〟よりもずっと控えめで、それでいて似たところもあって、結城空でもなんでもない彼女は、あたしの半歩後ろにいた。その距離感は、今までずっとあたしの前方を陣取っていた誰かさんと真逆で、とても新鮮に思える。
そんな彼女がまた顔を上げた時、そこには晴れやかな笑顔が浮かんでいた。
はるか未来を見据えながら、彼女は宣言する。
「どうぞこれからも、大小かねる私たちを、よろしくお願いしますね!」
その言葉を言ったのが芽亜里ちゃんだったのか、それともメアちゃんの方だったのか、あたしにはさっぱりわからなかった。
(終)