第九話 狩りへの誘い(中編)
馬を走らせること二時間。平原の一角に、オークと人間の集団がいる光景が見えた。
オークの数は三十名。人間の数は百名。人間とオークの大半は武装していた。
休憩用の大きな幕舎も見えた。ドッヂも見えた。
ドッヂは豪勢な革鎧に身を包んでいた。
ガリュウが到着すると、ドッヂが機嫌よく寄ってくる。
ドッヂは、とても不思議そうな顔をしていた。
「ガリュウ殿、よくぞ参った。こちらで着替えられるのか? だとしたら、向こうのテントを使われよ。して、供の者は遅れているのかな?」
「ドッヂ様、ちょっと」と迎えに来たオークがドッヂをガリュウから離れた場所に連れてゆく。
迎えに来たオークとドッヂが何やら、ごしょごしょと話す。
いかに鈍いガリュウでも、まずい事態に気が付いた。
(有力者の狩りって、こんなに大がかりでやるんだ。知らなかったぞ、こんな場所にワンド一振りを持って借り物の馬で来るって、馬鹿みたいだ)
だが、来てしまったものは仕方ない。無知のままで通すしかないと覚悟した。
性格の悪いオークたちの何人かはガリュウを見て、にやにやした顔でひそひそと話している。
ドッヂがやってくる。ドッヂの顔は笑いを堪えている顔だった。
「いや、すまん。本当に狩りの経験がないとは、思わなかった。だが、その恰好と装備を見れば、わかる。今日はゆっくりと見学してゆかれよ」
(正直な男だな。言葉は丁寧だが、馬鹿にした態度は顔に出ているよ)
人間が四人で担ぐ、天井のある輿が近づいてきた。輿がドッヂの前に来る。
輿の前面の御簾が開くと、ガラガラ侯の屋敷で見たオートマンが乗っていた。
「そう、ガリュウ殿を見縊ってはいけません。ガリュウ殿がこうして一人で来られたのであれば、一人で獲物を仕留める自信があるやもしれませんよ」
(うわあ、ガラガラ侯も酷いな)
ドッヂは、わざとらしくガリュウに謝る。
「それは失礼した。まさか一人で戦われるとは思わなんだ。許されよ」
否定してもよかったが、ここで「違います」と断るのは癪だった。
(もう、こうなれば言ってやれだ。狩りで死ぬ展開は、ないだろう)
胸を張って言い放つ。
「追い込んでいただければ、一人で狩れる獲物を狩るつもりで来ました」
ドッヂは意地も悪く訊く。
「それは、何ですか、小鹿ですか? 狸ですか? それとも、狐ですかな」
むっと来たので虚勢を張って答える。
「沼ヒドラ以外なら何でも」
ドッヂは意地の悪い顔のまま、意見する。
「これは、大きく出られたな。この草原の一㎞先は危険な湿原。何が出るか、わかりませんぞ」
ガラガラ侯のオートマンが微笑み湛えてドッヂを宥める。
「まあまま、ドッヂ殿。勢子は私のオートマンと奴隷の人間がやります。ですから、それほど危険な生物は追い込まないつもりです。気を楽にして、狩りを楽しみましょう」
ガラガラ侯に勧められてドッヂは意気込んで答える。
「そうですな。天気もよくない状況です。さっそく狩りを開始しましょう」
「角笛を」のガラガラ侯の合図で角笛が吹かれる。
ドッヂは副隊長に指示を出す。
「各隊、鶴翼陣形」
副官が銅鑼を鳴らす。
二十名ずつが一部隊になる。人間の槍兵の部隊が五つ、オークの弓兵の部隊が一つできる。人間が左右に展開して後方にオークの弓兵が位置する。
人とオークの動きを見てガリュウは感心した。
(統率が取れている。よく訓練された動きだ)
ドッヂが自慢する顔で、ガリュウの横に馬を進める。
「どうかな、わが軍の動きは。狩りとは崇高な遊びの一面もある。だが、軍事訓練の一面もあるのだ」
「でも、人間を百名も動員するなんて、さぞお金が掛かったでしょうね」
ドッヂは誇らしげに語る。
「我らは、食事と戦争には金は惜しまん。狩とは訓練。訓練とは戦争の準備だ」
ガラガラ侯も上機嫌で尋ねる。
「勢子が獲物を見つけた。少々大物だが、こちらに追い込みますか」
ガラガラ侯は魔法で勢子と連絡を取っていた。
ドッヂがちらりとガリュウを見て悠然と告げる。
「獲物は何ですかな。蛇や鰐なら、ガリュウ殿にお譲りする」
ガラガラ侯が平然と獲物を告げる。
「頭二つの沼ヒドラですな」
沼ヒドラは年月を経るほど大きくなり、頭の数も増える。
頭は二つなら大人になったばかりの個体。だが、それでも旅人には脅威だった。
ドッヂは誇らしげに承諾する。
「頭二つか、四つくらいでないと物足りない。だが、せっかくガラガラ侯の勢子が見つけた獲物だ。沼ヒドラは俺が貰うとしようか」
「わかった。こちらに追い込むように命じよう」
遠くで何かが断続的に弾ける音がした。魔法でこちらに追い込む音だった。
ほどなくして、沼ヒドラが勢子に追われて姿を現した。沼ヒドラの全長は四m。ずんぐりした胴体に象のような太い二本の足を持っている。全身は緑色。大きな蛇のような顔と長い首を二つゆうしていた。
沼ヒドラとの距離が二百mを切ったところで、ドッヂが威勢よく号令する。
「者ども掛かれ」
銅鑼が鳴る。人間たち百名が進み、壁となる。
その壁の後ろからオークの弓兵が弓を射かける。
矢は次々と命中する。
沼ヒドラが怒ったのか「シャー」と咆哮を上げる。
ドッヂが怒鳴る。
「人間をもっと前に出せ」
ドッヂの指示が飛ぶと、銅鑼が鳴る。
人間たちが鶴翼の陣形を維持しながら前に進んで行く。
(いいのか? 人間をあまり前に出すと、オーク弓兵の矢に当たるぞ)
ガリュウの予想通りに矢は人間たちに当たる。だが、ドッヂはまるで気にしない。
沼ヒドラの歩みは止まらず、人間たちとぶつかった。
(人間の数は多い。でも、沼ヒドラは再生能力がある。単純に槍で突き殺すのは難しいぞ)
人間たちは沼ヒドラを包囲して槍で刺す。
沼ヒドラは屈強で、人間を次々と吹き飛ばしていく。
沼ヒドラの口が開いた。沼ヒドラが紫色の毒液を吐いた。
密集していたために、人間が二十人ばかり毒液を浴びて悶絶死する。
ドッヂは気にせず、興奮した声を上げる。
「よし、いいぞ、ヒドラにだいぶダメージが入った。弓兵隊焙烙玉用意」
炮烙玉とは油の入った壺である。
弓兵の半分が炮烙玉を持ち前進する。ここで矢が止まった。
炮烙玉の射程に沼ヒドラが入る。投擲紐で勢い付けた炮烙玉が飛んでいった。
炮烙玉を浴びて油塗れになったところで、三名のオーク弓兵が矢を番える。
オーク弓兵の中にいたオークの魔法使いが、弓に魔法を掛けた。
矢の先に魔力のこもった火が着く。
オーク弓兵が火矢を放つ。矢は飛んで行き、油塗れの沼ヒドラに命中する。
ぼっと火の手が上がると、沼ヒドラがのたうち倒れた。
燃え盛る沼ヒドラを見ながら、ドッヂが勝利に酔った声を上げる。
「どうだ、俺の腕前は、損害なしで沼ヒドラを打ち取ったぞ」
(人間が二十人ばかり死んだ。人間は数に入れないのが、オーク流の狩りか。もったいない。僕たちの考え方とは大きく違うな)