第七話 奴隷貿易協定(後編)
残ったオークたちの視線は厳しかった。だが、すぐにガリュウも呼ばれた。
「ガリュウ・モン様。主がお呼びです。三番応接室にどうぞ」
執事オートマンに従いて行く。ロビーにある扉を開けて中に通される。
中にはソファーと木の机と椅子があるだけの質素な応接室だった。
上座にある木の椅子には、男の子供に似せた木製のオートマンが座っていた。
オートマンは黒髪。赤と白のチェックの柄のシャツに、半ズボンを穿いていた。
(ガラガラ侯って、オートマンに似た悪魔なのかな)
他に挨拶する者がいないので、挨拶する。
「初めましてガラガラ侯爵閣下。マインド・コントローラーが族長ガバスの息子・ガリュウ・モンです」
オートマンから若い男の声がする。
「私は悪魔貴族のガラガラ。人は私をガラガラ侯と呼ぶ。君もそう呼んでくれて構わない。それと、オートマンの体で失礼するよ。君が私を暗殺しに来たかもしれないからね」
(いきなり何を言うんだ、ガラガラ侯は)
「暗殺だなんて、とんでもない」
ガリュウは間違われると困るので、即座に否定した。
オートマンのガラス玉の目が、ぎょろぎょろせわしなく動く。
「いやいや、暗殺者の九割は暗殺に来た行為を否定するんだよ。私のような弱い悪魔は用心しないと、すぐに殺されちゃうからね」
(暗殺を常套手段として用いるからこそ、自分の暗殺には用心するんだな。それとも暗殺をし過ぎて、いつも自分が狙われていると思い込むようになったんだろうか)
後者なら少し用心だった。
「さあ、席に座って」と優しい声で促されたので、席に座る。
オートマンの口が開き、不気味な笑みを浮かべる。
「用件を聞こうか。楽しい話だと良いんだけどな」
気を取り直し、背筋をぴっと伸ばして申し出る。
「奴隷貿易協定のお話ですが、お断りさせていただきたい」
「拒否だって? 拒否する理由は何だい? オートマン越しにしか話さない僕が嫌いだから? それとも、僕が信用するに値しない悪魔だから?」
言葉は優しい。だが、言葉の裏に潜む不快感をガリュウはしっかりと感じていた。
できるだけ、丁寧な口調を心掛けて会話する。
「滅相もない。ただ、今回の協定は我がマインド・コントローラーに利益が薄いと判断しました」
オートマンの首がうんうんと頷く。ガラガラ侯は親しみを込めて訊く。
「はっきり言うね。それで、その裏は何?」
ガリュウは身の危険を感じた。
(これ、ここからの受け答えを間違えると、死ぬな)
ガリュウは正直かつ端的に答える。
「裏なんて、ありません。利益がない。それが全てです」
ガラガラ侯は軽い調子で水を向ける。
「またまた、そんな言葉を言って。フェニックス侯辺りが動いたら、協定を結んだりするんでしょう?」
(調子は軽い。だが、言葉は重い。ガラガラ侯は今まで出遭った中で、最も危険な悪魔だ)
「フェニックス侯爵から申し出があったと仮定します。それは、その時になってみないと、わかりません。条件がわからないからです」
先ほど飲み物を飲んだはずだが、口の中が乾くのを感じた。
ガラガラ侯はつまらなそうに答える。
「利益については、考慮したんつもりだけどね。不満ならしかたない。帰っていいよ」
体から力が抜ける。短い間だが、掌に汗を掻いていた。
ガリュウは一刻も早く、ガラガラ侯の前から消えたかった。
だが、まだ社交辞令を述べて退席するだけの理性は残っていた。
「今回は残念ですが、また何か、良いお話がありましたら、考慮させていただきます」
ガラガラ侯が冷たい口調で告げる。
「待って、勘違いしないで。僕はこの館から帰っていいと認めたのであって、アルベリアンから去っていいとは、認めていないからね」
ガラガラ侯の口調から見せかけの優しさが消えていた
オートマンのガラスの瞳がじっとガリュウを見据えていた。
オートマンの瞳は先ほどと同じ瞳なのだが、今のオートマンの瞳はうすら寒く感じた
(まだ、交渉は終わっていない、だと?)
恐る恐る真意を尋ねる。
「どういう、意味ですか?」
オートマンがテーブルに肘をついて砕けた調子で話す。
「君たちに考えを変えてもらうためだよ。生活費は気にしなくていいよ。宿代は出すからさ」
調子は砕けたものだが、冗談ではないと思った。
「考えを変えるまで軟禁ですか?」
オートマンが手を組み合わせて、顔の前に持ってくる。
「暗殺において、何が重要か知っているかい?」
ガラガラ侯が初めて真面目な声で質問してきた。
ここで、拷問されて殺されるのでは、そんな予感がした。
不吉な考えを振り払って、どうにか声を絞り出す。
「殺し方、ですか?」
ガラガラ侯は声に力を込めて断言した。
「違うよ。タイミングだよ。タイミングを間違えると殺し損になるなんて状況はざらにある。入念な全ての準備が無駄さ。まったくもって、暗殺を失敗した時よりも、がっかりする」
(ガラガラ侯爵は何を言いたいんだ? 僕に何をさせたいんだ?)
オートマンの首が百八十度回転して後ろを向いた。
「さあ、お喋りは、ここまでだ。宿屋で吉報を待つといいよ」
応接室を出る。ロビーに人気はなくがらんとしていた。
工場御殿を出た。なぜだか、生きているのが不思議な気がした。
同時にガバスを酷く恨んだ。
(何が断るだけの簡単な仕事だ。話しただけなのに、滅茶苦茶に身の危険を感じたぞ)