私をここから連れだして
休日、勝と私は翔太たちに誘われ、隣町の公園へ遊びに行くことになった。知らない場所ということもあり、私は緊張感でいっぱいだったが、稔がいることで、安心することができた。勝も近くの公園には多くの学校の同級生が来たりするので、この誘いは勝にとって日ごろのストレスを忘れるいい機会となった。
「ここなら、勝の知り合いは来ないから大丈夫なはずだよ」
稔がそう言った隣で翔太が大きくうなずく。どうやら勝のことを心配した翔太が提案したことらしかった。それなら勝のことが心配だからって言えばいいのに。こういうことって自分から言いたくないのかしらね。
「俺、サッカーボール持ってきたんだ。ここの公園は広いし、思いっきり走れるぜ」
翔太がそう言うと、私のケガを治してくれた、飯野良平が口を出してきた。
「ちょっと! 俺があまり長く走れないことを知っててそんなもの持ってきたわけ?」
「わ、わかってたよ! 何を持って行こうか悩んでたらサッカーボールが目に入っただけだっ」
「まったくもう……」
慌ててサッカーボールを背中に隠す翔太。この態度を見る限りでは、自分のやりたいことだけを念頭に置いていたらしい。
「それじゃ、他に何をして遊ぼうか……。そうだ、かくれんぼならどう? 俺、隠れるの得意なんだ!」
そう言ったのは佐野孝輔だった。しかし、それにも不服を申し立てるものがいた。走るのが苦手な良平、ではなく意外にも稔だった。
「それは不公平だよ。なんてったって君は行けるところならどこにでも行く、神出鬼没なやつなんだから」
その言葉に勝は訳がわからないという顔をした。ややあって私は、翔太を含めその仲間たちは何かしらの能力を持っていることを思いだした。孝輔も何らかの力を持っているのだとすれば、確かにこれは稔の言う通り、不公平なことだと思った。しかしそれは皆も同じではないの? それからしばらくして、いつもおどおどしている小野幸也が口ごもりつつこう言った。
「そ、それならこれならどう? フリスビー。こ、これを投げて、勝のヨルに取らせたりとか……」
「えぇ? そんなのどこが楽しいんだよ? ただ投げるだけだろ?」
翔太が文句を言ったけれど、私は自分も遊びに加われるとあって、ワクワクしてきた。私、それやってみたい!
「……えぇっ、またかよぉ。また、飛んで行く途中でフリスビーとっちゃったじゃないか……」
私は飛んできたフリスビーを、ジャンプしていとも軽々とらえた。これで10回目だ。私はフリスビーをキャッチすることができてとてもうれしかったが、投げるほうは、最初こそホメてくれたものの、こうも何回も途中で簡単に取ってしまうので、どうも飽きてきてしまったらしいのだ。私もだんだんホメられなくなったので、楽しくなくなってきてしまった。私はフリスビーをくわえて勝の下に持ってきたが、勝はそれを受け取るなり、今度は大きく振りかぶって私が取れないように高く投げた。フリスビーはどんどん遠くへ飛んで行き、ついには遠くの茂みの中へと落ちていった。
「ち、ちょっと……、それ、僕のフリスビー……」
幸也が小声で文句を言うのが聞こえたが、私は真っ先にフリスビーが飛んでいった方向へ走りだした。
「ちゃんとフリスビー探して来いよ!」
大きな草むらの茂みの中、私は何度もフリスビーを探し回った。しかし、フリスビーには匂いがないため、どのあたりに落ちたのか、皆目見当もつかなかった。もう、本当にどこに落ちちゃったって言うのよ! どんどん茂みの奥に私は入っていったが、後に私はそれを後悔することになる。
「……遅いなぁ。なあ、フリスビーは幸也が予測したほうに落ちたことは確かなんだよな」
翔太が幸也に聞いて、幸也は小さくうなずく。どういうわけか幸也は小刻みに体が震えている。それに気が付いた孝輔が言った。
「なぁ、俺がヨルを連れ戻そうか? そのついでにフリスビーも取ってくるから」
「だ、だめっ!」
幸也が普段あまり出さない大きな声を出したので、周りの皆が驚いた。
「どうしたんだ……? もしかして、茂みに何かいるのか?」
良平が恐る恐るそう聞いたので勝はとっさに茂みのほうに走りだした。
「おい、待ってって!」
翔太が勝を食い止める。翔太の力が強いせいで、勝は止まらざるを得なかったが、顔にははっきりと心配の色が出ていた。
「……いる。茂みの中に、やつがいる……。でも、僕はそれを知ることができても、どうしようもできない……」
幸也のか細い声に、誰も気が付くものはいなかった。
私は目の前のそれに腰を抜かしてしまった。見たことのない生き物が、私に邪魔されたのを怒っているのは確かだった。背丈の小さい頭に角の生えたそれは、フリスビーを手に持って私に怒りをぶちまけていた。
「これを投げたのは、お前か! これのせいで、すっごい痛い思いをしたんだぞ! これの借りは返してもらうぞ!」
私は一体何をされるのかと考えると、肝が冷えるのを感じた。相手は私より小さいはずなのに、こんな相手に怯えなきゃいけないなんて! 自分に叱咤しようとしたものの、腰が引けて立ち上がることすらままならなかった。この前の鬼のことといい、あのふわふわといい、この角の生えた生き物まで私に敵意を向けてくるなんて! いったい私が何をしたって言うのよっ。相手が私に跳びかかろうとしたとき、そいつを止めたのは思いもよらない者だった。
「おい、よさんか! お前は何もしていない相手に危害を加えようというのか!」
私の目の前に現れたのは、先ほどの生き物を毛深くしたようなものだった。声から察するに年寄りらしい。叱られてしまった毛深くないほうは、抗議の声を上げようとした。
「……でも、空からいきなりこれが……」
「文句を言うでない。これは人間の作った玩具の”ふりすびー”というやつじゃな。ということは近くに人間がおるのじゃな。……お主、まさかこの茂みの外に出ていったりなどしておらぬな?」
「そんなことは! あんなおっかない生き物の前に出ていくもん……、いや、出ていかないですよっ」
明らかに言い直した角の生えた生き物は自分の犯した過ちに顔を赤くした。そんなことを気にするふうでもなく毛深いほうが私に向き直った。
「こやつが、お前さんにケガをさせようとしたみたいで悪かったのう。じゃが、こいつを怨まないでやってくれ。こやつはまだ、青いからのう……」
毛深くない若いほうがまだ文句を言いたそうにしたが、毛深いほうに一喝されたのが応えたようで何も言わなかった。とにかく、危機は脱したってことで、いいのね?
私がフリスビーをくわえて戻ってきたころには、勝を含めて皆が皆、私が無事戻ってきたことを喜んでくれたみたいだった。その顔を見るからに、茂みで変な奴に出会ったことを知っているのは間違いなかった。たぶん、きっとあの生き物は人間に対してはとても凶暴なのだろう。少し違和感を感じるものがあったが、そう思うことで納得することにした。
私があのへんてこな生き物に出くわしたこと以外には、他には何も起こらなかった。昨日の晩、幸也が見たという、予知夢には私があの生き物に出会うところまでしか見なかったという。なぜ、幸也があそこまで怯えていたのかというと、案の定、というべきか良平が言うにはあの生き物は人間に対しては相当獰猛になるらしかった。
妖怪が見える良平が見えない皆に対してその特徴や性質について教えていたので、幸也があのような態度をとったのもうなづけた。スズメバチを見たら、大概の人は冷静でいられなくなるのと同じだ。でも、犬に対しては危険じゃないのかな。……あの生き物のあの態度を見る限りではそうは思えないけど。私、これからもああいう生き物に出会ってしまうのかしら。人語を話せたら、幸也にそのことを聞けるのに……。私がインコとか言う鳥だったら、聞けたかもしれないのに、残念だわ。
その日の夜、夕食は焼肉だった。とてもおいしい匂いに、私は肉だと気がつき、今度こそ食べさせてくれると期待した。私がテーブルまで行くと、勝母は以外にも、肉を私に一切れくれた。
「これは、味付けしていないから大丈夫よ」
味付けというのがしてあるのは食べてはいけないということらしい。だったら、料理する前に私にくれてもいいのに。でも、どうやら犬が食べてはいけない食べ物があるみたいで、そう言った理由で私は勝たちと同じものを食べさせてくれないらしかった。この前のカレーというやつがそうだったみたいに。
私は勝たちと同じものが食べれるとあって浮き足たった。が、食べようとした瞬間、私の気持ちに冷や水を浴びせる言葉が降りかかった。
「待て!」
突然の言葉にびっくりして勝のほうを見上げる。どうも待てと言ったのは勝らしい。どうしてそんなことを言うのだろう?
「ヨル、これからは俺が待てって言ったら、良いって言うまで食べるのは我慢な」
え、そんなの聞いてないわよ。勝だってお母さんから「待て」って言われてから食べてないでしょ。「いただきます」って言ってるじゃない。なぜ私の時だけ、「待て」なの? 不公平でしょ~!
「ねえ、どうしてあそこまで、あの犬にこだわるの? あなたには関係ないことでしょ?」
ふわふわが少女にそう尋ねる。夜のせいか裏山の空気はとても冷え切っている。ふわふわの質問に少女はしばらく答えなかった。答える気がないんだなと、ふわふわが思ったとき、少女はこう言った。
「あなたが知らないだけで、私には関係あるのよっ」
「なっ、そこまで怒ることないじゃない!」
ふわふわは言い返したが、はたと思いついた。
(……なんだ。そういうことだったのね。だからわざわざ回りくどいことをするんだわ)
少女はヒステリックに反応してしまったことに恥ずかしさを感じたらしく、わざとらしく顔をそむけた。しかし、その反応のおかげで、ふわふわは確信を持てた。
「……さっきはあんなこと聞いて御免なさいね。これからもあなたのこと、協力してあげるわ」
「……」
少女はなおも答えない。ふわふわは、もういいわ、とばかりに少女のもとを去ろうとした。
「……ねぇっ」
後ろから声をかけられたので、振り返る。少女が尋ねにくそうに口を開いた。
「あ、あの。頼みがあるんだけど」
少女は言いたくなかったとばかり顔をすくめる。
「まあ、できないこと以外だったらしてあげてもいいわよ」
さもありなんといったふうにふわふわは答えた。だからさっきも協力してあげるって言ったじゃない。
「私をここから出してほしいの」
会社に行かなくなってどれくらい経っただろうか。私は今、あの裏山に逃げ込んでいた。知ってる人も、知らない人も誰も彼もが私のことを無視をする。かと思えば、ときたま猫に威嚇されることはあるけど。これじゃ、まるで私、幽霊じゃない。でも、そんなふうに考えたくなかった。というより、たとえ死んだとしても、その時の記憶がないのだ。それに、体に外傷はない。毒物を飲んだ覚えもなかった。私に死ぬ理由なんて……。何かあるとすれば、あの叔父だろう。あいつが私に何かしたんだ。だから、こうやって私は無視されるのだ。死んだなんてありえない。
昼間に裏山に来たところで、あの子に会えるわけでもない。ただ、少しまどろんだ時の夢が心地よかった。見ず知らずの少年と遊ぶ夢。夢の中では、私は無視されることもない。みんな私に笑顔を向けてくれる。ただ少し、夢だからなのか、怖い夢を見る時もある。その時はいつもきまって誰かが助けに来てくれるのだけど。そうでないときでさえ、何かの拍子で危機から脱することができた。夢の中では私はとても幸せにあふれていた。ずっと、このままあの夢を見ていたいとさえ思えるほどだ。
ただ、あの夢には少し違和感がある。人間が皆私より大きく見えるのだ。それに対して私は小さい。そして無力だ。ほかの人達にできることが、私にはできなかった。それがとてももどかしかった。
しばらく寝そべっていると、誰かがこっちに来た。あの子だろうか? よく見ると、中学生くらいの男の子だった。手に何かを持っている。花だ。きっとここで死んだ誰かに手向けるものに違いない。ふとすると、少年が顔をあげてこちらと眼があった。いや、そんなはずはない。きっと気のせい。けど……。
「よかった。あなたに会えて。会えないんじゃないかとひやひやしましたよ」




