山での戦い5 贖(あがな)い
確信できた。天狗は紫乃聖人がただの傀儡だということを認めたのだ。表だって活動できないから、紫乃聖人を使って天狗の思想を広めているのだろう。問題は、天狗にそれをどうやってやめさせるかだ。天狗の性格上、普通に言っても聞いてはもらえないだろう。どうしようか、とキツネ耳が悩んでいる時だった。不意に天狗が立ち上がった。思わず顔をあげると、天狗が外に出て行こうとしているところだった。
「ど、どこに行かれるんですかっ?」
立とうとしてよろけそうになりながらキツネ耳は聞いた。もしかしたら、翔太が消されるかもしれない、そう思ったからだった。しかし、天狗の答えはキツネ耳の想像とは違った。
「……人間の子らがお主を助けに来ているそうだ」
「えっ」
いったい誰が助けに来たんだろう? 聞こうとしたが、その時には天狗は外に飛びたってしまっていた。烏天狗たちも後に続いて外に出ていく。私を助けに来た子たちが危ない。直感がそう告げたが、名前を知られ能力を封じられてしまったキツネ耳はなす術がなかった。
「いったい、どうすればいいの……」
「はぁ~。ここあったかいわぁ~。そういや、君たち、ここで何してはるのん?」
気の抜けたような声の薫とは裏腹に、勝と翔太はピリピリしていた。薫の連れている黒い犬が気になって仕方がないのだ。見た目がボロボロ、しかも目つきが殺気立っているせいで、気を休めることができないのだ。
ヤタガラスも何かしでかす、と言わんばかりの目で黒犬を見張っていた。それに気がつかない薫は、なぜ山奥に子どもたちがいるのか気にかかっていた。あまりにも無言が長引いたので、ヤタガラスが代わりに口を出した。
「……あなたの連れている犬、送り犬ね? ……あなたのほうこそ、どうしてここにいるのかしら。まさか、天狗の手先、なんてことはないでしょうね?」
「あぁっ、この鳥、たしかヤタガラスやない? 足が三本あるわぁ~」
目を輝かせてヤタガラスを見つめ、しまいにはスマホをとりだし写真を撮ろうとする薫に呆れた黒犬は大きく伸びをした。
「(……話を聞かない奴だな、お前は。このカラスはお前が天狗の手先か、と聞いてるんだ。さっさと答えろ)」
「ご、ごめん……。そうやな。写真撮ってる場合やないな……。僕は、天狗の手先、じゃないです。確かに、連れてるのは送り犬です。けど、僕の知っている限りではよみは人を殺してなんかいませんっ。……信じてくれないかな?」
一瞬にして気を引き締め、薫は弁解をした。勝も翔太も、ヤタガラスも黙っている。痛いほどの無言が続いた後、翔太がぼそりと呟いた。
「……確かにこの人の言ってること、嘘じゃない。ただ、この送り犬……」
そこまで言うと、翔太は口を噤んだ。どうしたんだ? と勝が翔太に聞こうとした時だった。
「そこで何しているのっ!」
ヤタガラスが大きく叫んだかと思うと、洞窟内に突風が吹き荒れた。勝たちはなすすべもなく、洞窟内を転んで行った……。
一つ一つ燃やす。残らず全て。迦陵頻伽は、なぜか全国に散らばっていった送り犬よみの前世である黒野月臣の骨を燃やしていた。どの骨も怨念をまとっており、周りの空気を悪化させていた。植物に影響しているところもあり、そのところは植物が枯れたままになっていた。骨を灰にするたびに苦悶の絶叫が聞こえる。過去の癒えない傷の映像が見えることも度々あった……。
とある記憶。家に帰った月臣は、家の中が暗いことに気がついた。異様な空気を感じ取った月臣はリビングに入っていった。そこには、彼の母親が泣き腫らしていた。どうしようか迷っていると、母親が絞り出すような声で言った。
「……お父さんがどこかへ行っちゃった……」
その時、月臣はすべてを悟った。もう今までの暮らしを続けることはできない。ずいぶん前に怪しい団体がいるというので乗りこんでしまったことが原因だと気が付いた。そこでまりいと名乗る少女に出会い、団体の妙な空気を察知した月臣はまりいを助けようとして失敗したのだった。あの時のことを考えているとそこに突っ立っていると、母親がおもむろに立ち上がった。
「どこか……、行ってしまおうか……」
とある別の記憶では、月臣が山のふもとにある無縁仏の前にいた。無縁仏の前にはお菓子が備えてある。
「気がついてやれなくて、ごめん。……許してくれなくても、いい。でも……お前を殺した紫乃聖人を倒すのを、見守っていてくれ。……まりい」
また別の記憶。家を飛びだし放浪した月臣は、今より小さい火の玉のナキメに出会っていた。火の玉はピョンピョン飛び跳ねるように飛びながら嬉しそうに聞いてきた。
「手伝ってあげてもいいよっ。 紫乃聖人ってやつを殺すの。……でも覚悟していてね。君は人間の道をはずれることになる。もし君が死んだときもう人間に生まれ変われないかもしれない。……それでも、いいの?」
「かまわない。俺の人生を踏みにじって、まりいを殺した奴をそのままにはできない」
「……じゃあ、決まりだね」
邪悪な声色で言ったかと思うと、火の玉は嬉しそうに跳びはね続けた。
また別の記憶では、月臣はもう虫の息になっていた。めった刺しにされ、動こうとするたび傷口から血があふれ出る。遠のく意識の中、紫乃聖人を倒すことができないのを悔やんだ。
(……次に生まれたら、どんな姿になってでも絶対、紫乃聖人を、コロしてやるっ!!)
気が付いた時には、月臣はおぼろげな黒い子犬の姿になっていた。そして、目の前にいる月臣を殺したであろう人たちに襲いかかった。
迦陵頻伽がすべての骨を消し去ろうとした時だった。羽根が思うように動かない。それどころか、力が思うように発揮できないのだ。どうしたことかと思ったら、骨から飛びだした怨念のかけらが、羽根に取り憑いていたのだ。最後の抵抗に違いない。体中がしびれ、思考も定まらなくなって来た。意識が途切れようとした……。
「ちょっと待ってて! 今助けるからっ」
どこか聞き覚えのある声が聞こえてきたかと思うと、体中が温まってきた。体のしびれもない。立ち上がろうとすると止められた。
「かりょうさんは、休んでて。後は私がやるから」
そう言って助けた人は最後の仕上げに取りかかるため、お札に念を込めた。
(……里奈、お前さんがどうしてここにおる……)
「私だって何もしてないで見ているだけってわけにはいかないの。だから、手伝わせて。ね?」
洞窟内は暴風で拭き荒れた。ヤタガラスが、結界を張りみなを守ろうとしたが、威力がすさまじく結界は作っては壊され壊されては作ってを繰り返した。すさまじい暴風に、寝ていた稔や幸也や孝輔も体の痛みに気がつき飛び起きた。
「何がどうなってんだよっ!」
孝輔が文句を垂れ始めると、翔太が口をふさいだ。非常事態に下手に暴れてもらっても困るからだ。
「黙っててっ! むやみに動いたら飛ばされるわよっ!」
私や勝も含め、他の皆はヤタガラスの言いつけに従って飛ばされないように足を踏ん張った。しかし、その時別の動きをするものがいた。私にそっくりの送り犬だった。足を引きずりながら外に出て行こうとしている。
「ど、どこに行くんやっ! 戻ってぇなっ!」
「ワンッ(私が止めに行く!)」
「あ、待てよ、ヨル! 動くなってっ!」
体に勝がしがみついたが、私はそれを振り払った。ごめんね、勝。私はやらなきゃいけないことがあるんだから。勝が私にもう一度止めようとする前に、私は洞窟の外へ飛びだした。
洞窟の外は嵐だった。天狗と烏天狗たちが洞窟内に嵐の暴風を入りこませていたのだ。あまりの強風に飛ばされそうになりながら私は相手に咬みつこうとしたが、口が届く前に飛ばされてしまうのが常だった。
「(バカか、お前は。足を地面から離したら飛ばされるのは当然だろうが)」
「ワンッ(だったらお手本を見せてよっ。相手は空にいるのに、どうやって咬みつけばいいのよっ)」
呆れた目で私を見たかと思うと、黒犬はその場から消えた。その瞬間、カラスの叫び声が聞こえた。その場所に目をやると、烏天狗の首から血があふれだしていた。黒犬はその間も姿を見せていない。どこにいるんだろう? 辺りを見まわすと、勝が外に出ようとするのが見えた。稔が必死で勝を中に戻そうとしている。
「外に出たら危険だっ! 戻れよっ!」
「ヨルだけが戦っていて、俺が何もしないなんて嫌だ! 俺だって役立たずじゃないってとこを見せたいんだっ!」
「あっ! ダメッ! 戻りなさいっ!」
ヤタガラスが止めようとしたが、勝はもう外に飛びだしていた。手にはどこかから持ってきたらしい枝を持っている。ダメだ。あんなもので、太刀打ちなんてできっこないのに……。
思った通り、勝はなすすべもなく飛ばされ、洞窟の中に押し戻された。もう懲りただろうと思ったけど、思った以上に勝はしぶとかった。今度は幸也が勝を止めようとしたが、勝は火事場の馬鹿力でまた洞窟の外に出てきた。
その間にも、黒犬は姿を隠して烏天狗を屠り続けている。しかし、まだ風は収まらない。強力な風は天狗のほうが起こしているのだろう。ヤタガラスは守るのに必死で、外に出ようとしている勝を止めるどころではなかった。
私も飛ばされまいと踏ん張り続けているせいで、古傷から血が流れ始めていた。後手後手に回っている感じは否めなかったのだ。けれど、やられっぱなしじゃいけない。私は気を引き締めて空を見据えた。
骨に宿る怨念がやっと消える。迦陵頻伽にまとわりついてきた影もようやく消えた。顔から吹き出る汗をぬぐうと、里奈はやっと安どのため息をついた。
「……はぁ、これで大丈夫……。よかったですね、かりょうさん。……かりょうさん?」
返事がないのでおかしいな、と思い振り返ってみると、迦陵頻伽は羽を小刻みにふるわせていた。息も荒く、ぐったりしていた。
「かりょうさんっ!」
とっさに手で包み込むと、体温が思ったより低いことに愕然とした。慌てた里奈は巻いていたマフラーを首からとると、迦陵頻伽にくるませた。そして、里奈自身が疲れているのにもかかわらず走りだした。かりょうさんを助けなきゃ、その思いが里奈を突き動かした。木枯らしが吹きすさぶ中、里奈は家に向って走った。空には宵の明星と半月が輝いていた。
戦いがしばらく続く中、私はあることに気がついた。今まで烏天狗たちは見えない黒犬に襲われ首から血を流してきたが、あるときを境にぱったりと襲われなくなったのだ。つまり、烏天狗たちは何の気兼ねもせずに天狗に助力できるようになったのだ。
そのせいで、風の威力もまた先ほどよりも強まってしまった。あの黒犬はどうしたんだろう? その疑問を抱いたのは私だけではなかった。洞窟の中で待っている黒犬を連れてきた人も、心配そうに外をうかがっていた。
「よみ……、大丈夫なんやろか……」
私もそのことが気にならないわけではなかった。けれど、私が今この場から離れて三途の川に行くのは気が咎めた。私がこの場を後にすることで、皆を危険にさらすかもしれないからだ。けれど、私にできることはあまりなかった。風があまり強すぎて、その場から動けないのだ。万事休す。
冷たい暴風にあおられ続け、みるみる体力が低下していき意識がもうろうとした時だった。どこからともなく矢が飛んできて烏天狗を射貫いた。次々に矢は射られ続け、空を飛んでいる烏天狗は目に見えて減っていった。
「何をしておるっ! 態勢を立て直せっ!」
天狗の叱咤もむなしく烏天狗は地面にバタバタと倒れていった。唖然としていると、誰かが駆けてきた。
「何しているのっ! 紫乃和沙っ! あんたの敵を野放しにしてもいいのっ?! 紫乃聖人を操っているのは天狗よっ!」
衝撃の告白と同時にキツネの耳をはやした少女が駆けつけてきたかと思うと、またもや空に向い、矢を放った。それと同時に、洞窟の奥から勝が駆けだしてきた。暴風にも負けないよう踏ん張って走ったためか、走り方が変だ。
私に駆けよってきたかと思うと、私の首に何かをかけた。それはお守りだった。勝が作ったのか、縫い方が雑だ。それでも私は嬉しかった。心なしか、体が温まってきたような気がする。
「ヨル、がんば……」
そこまで言うと勝は、風に飛ばされ洞窟の中に戻されてしまった。……勝のために、何としてでもこの場を切り抜けて見せる。自分だけじゃなく、勝の未来のために。




