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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
囚われた魂
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それでも守らなければならないもの

 抗議したけれど無駄だった。ずっとこの学校に通い続けたかったけれど、父親の意志は覆らなかったようだった。稔は父親の決断が、家族を守ることだということはわかっていたとはいえ、紫乃聖人に深く関わってしまった罰は避けられないのではないかと思っていた。


 父親の会社は後から入ってきた紫乃聖人の関係者たちの言いなりになってしまった結果がこのざまだ。父親の会社は教育関係をやっているのだが、その中に紫乃聖人の思想を徐々にしみこませていったあげく、父親が当初考えていたものとは違う方向へ行ってしまったのだった。


 経営者たる父親は紫乃聖人にそれとなく苦言を呈したが、のらりくらりとかわされてしまった。単なる教育関係の品物を販売していたはずが、いつの間にか神秘主義のようなものがはびこってしまったのだ。


 稔はそれとなくその商品を手に取ってみたことがある。その瞬間、紫乃聖人の嫌らしい邪念が稔を襲いかかってきた。あまりの強さに自分の意思がなくなってしまいそうになることを感じた稔は恐怖しそれを投げ捨てた。


 とにかく、これに関わってはいけない。そんな思いから稔は徐々に何物にも触れるのを恐れるようになってしまった。転校するときには、もうどうにでもなれ、という気持ちにさえなっていた。何もかもが、忌まわしかった。


 けれど、会社がつぶれた、というのを耳にはさんだ時、なぜか得も言われぬ安堵感が駆け巡ったのを認めないわけにはいかなかった。これで汚らわしいものを世にばらまかれるのを阻止できた、と。でも、事態はこれで終わりではなかった。紫乃聖人の思惑は全く潰えてなかったことに気が付くには、そう時間はかからなかった。





「ヨル~。どこにいるんだよ~。出て来いよ~」


 ヨルを探してからしばらく経った頃、勝は弱気になっていた。後ろにベトベトさんがいるとはいえ、はたから見れば子どもが一人夜道を歩いているようにしか見えないので、勝は少し心細かった。


 もしベトベトさんが見えればそれなりに心強いのだが、あいにくベトベトさんは音だけの存在なので、姿を見せて、というのは無理な話なのだ。勝とベトベトさんはさっきまで妖怪が人間社会でどう見られているかなどを話していたが、今では話すネタも底をついていた。


 スマホで動画を見ようと思ったが、住宅街の中で音を出すのは、はばかられる。ヒタ、ヒタ、という音だけが勝が一人きりじゃない、という証拠だったが、こうも無言だとやり切れない思いでいっぱいになった。だからか、勝はヨルを探す口実のために、「ヨル~。どこだ~」と言っていたのである。


 けれど、ここは住宅街だ。むやみに大きな声を出して注目を浴びることだけは避けたかった。勝はユーチューバーのような人気者になりたかったが、ヘンな意味での有名人にはなりたくなかったのである。もっとも、学校ではヘンな意味での有名人にはなっていたが。




 足も痛くなってきて、もうそろそろ帰ったほうがいいんじゃないか、と思った頃だった。


「ワンッ、ワンッ」


 どこからか犬の鳴き声が聞こえてくる。もしかしたらヨルかもしれない、と思った勝は自然と駆け足になった。


「どうしたのっ」


 後ろからベトベトさんの声が聞こえたが、勝はそれに答えず、犬の声がするほうへと走って行った。ヨルはすぐそこにいるかもしれない。その思いが足の痛みを忘れさせた。





 勝のいない部屋。もぬけの殻になったベッドには、目立たないように抱き枕が入っていた。一見しただけでは、あたかもそこで勝が寝ているようである。父親はいつものごとく残業で、母親は別の部屋で寝ていたためか、勝はあっさりと家を抜け出した。


 そうとも知らず、勝の部屋を訪問しているものがあった。火の玉のナキメと、子鬼のみっちゃんだ。火の玉は軽々と二階まで飛びあがり、窓の鍵を小細工で開けることに成功していた。


 が、子鬼のほうはというと何のことはない、玄関のドアが開かず下のほうで喚いていたのを、うるさいとばかりに火の玉が子鬼を宙づりにして二階にまで連れてきたのだった。無様な扱いをされた後なので、とても虫の居所が悪い子鬼は、勝の部屋に入るなり、物を蹴飛ばし始めた。


「くそっ。もっとましな方法はなかったのかよっ」


「いいんだよ。君は下で待っていてくれても。いたずらと言っても壊すことしか能のない君には、ここでいても意味がない」


「なんだとっ」


 サラッと子鬼をけなした後、火の玉は勝が寝ているであろうベッドに近づいた。そっと近づくと、いきなりベッドの毛布をテーブルクロス引きのように引き抜いた。勝が驚いて飛び起きることを想定しながら。


「……あ、あれ? 誰も、いない?」





 みあと別れた後、一人夜道を歩いているとどこからか勝の匂いが漂ってきているのに気がついた。こんな夜中に勝がいるのかな、と思っていると、誰かが私の前に現れた。この匂いは紛れもなく勝だった。勝は私に気が付くと、近づいて突然抱き付いた。突然のことにうろたえた私は、勝に抱かれるがままになっていた。二度も抱き付かれたので、私の体はひっきりなしに疼いた。


「……ヨル、ここにいたのかっ、探したぞっ」


「キャンッ(痛いってばっ、離してよっ)」


 しばらく勝が私を抱いていると、どこからか足音がしたような気がした。


「もう~、いつまでそうしてるつもりなのっ。勝君っ」


 間の抜けたような声が場の雰囲気をぶち壊した。姿の見えないだれかが、勝の後ろにいるようで、その声が不平を漏らしていた。


「……あっ、ごめんっ、ヨルに会ったの、久しぶりだから、つい……。ヨル、見えないかもしれないかもだけど俺の後ろにいるの、ベトベトさんっていうんだ。それにしてもヨル、見ないうちにまた大きくなったなっ。これだけ大きいと強く見えるから安心だっ」


 ……な、なんですってっ。確かに私は勝より大きいかもしれないけど、そんな言い方ひどすぎるっ。心なしか、ベトベトさんの笑い声が聞こえたような気がした。




 和解はあっさりしたものだった。今までのことを忘れたわけではないけれど、私たちには越えなければならない問題があるから、いつまでもそのことを蒸し返すのはよくないと感じたからだった。私は勝がなぜ今頃私を探しに来たのか、うすうす気づいていた。無言のまま夜道を歩いている(ベトベトさんも一緒だ)と、突然勝が口を開いた。


「……実は、海野が引っ越したんだ。たぶん、紫乃聖人ってやつのせいだと俺は思ってる。このままだと、俺が狙われるのも時間の問題だと思う。だから、奴を倒すのを手伝ってほしい」


 無論手伝わないという選択肢はなかった。もちろん私もそのつもりでいるし、そのことを使命と感じてすらいるのだから。突然勝が立ち止まったかと思うと、私に手を指し伸ばしてきた。


「もちろん、手伝ってくれるよな?」


 期待をにじませた声。断る理由がない私はそれに応えるために、勝の手にお手をした。その瞬間、勝の口元に笑みがこぼれ、私の前肢を握り返した……。


「ダメだよっ! そんなことしちゃっ。あの方に楯突こうなんて考えないでよっ」


 突拍子のない声に驚いていると、姿のないベトベトんがなおも言い張った。


「あの方が考えてることは自然のため、妖怪のためなんだっ。あの方の邪魔しようとするやつは、例えヨルちゃんでも許せないよっ」




 手狭なアパートの汚部屋に大きな黒犬が横たわっていた。吐く息がとても荒い。身体には、ベタベタした軟膏が塗ってある。ガーゼもところどころ貼ってあるが、そのどれもが血がにじんでいた。


 横で薫が薄ら眼を開けて、黒犬の様子を見ていた。顔には不安と疲労の色が浮かんでいる。布団の中に入っているが、眠らないように時おり目をこすっていた。緑色の小鳥が黒犬を連れ帰ったとき、あまりにもボロボロ状態だったので、なぜこうなったのか質問するのも忘れて看病することになった。


 緑の小鳥の持つ力で、なんとか持ちこたえている状況だが、このケガは普通のケガではないらしかった。誰かにかけようとした呪いが跳ね返ったものらしく、どんなに治しても、また次の傷が開いてしまうのだった。薫はなんとかして、この傷を悪化させまいと深夜のこの時間まで、寝ないでいるのだった。


(もうそれぐらいにしたほうがよいのでは? お前さんが寝不足になって倒れては、意味がないぞ)


 小鳥は自分の羽根を抜いて黒犬の体に置きながら薫に忠告した。羽根が置かれた瞬間、緑色だった羽が黒く染まっていった。それを見ながら薫は静かに首を振った。


「それはできない。別にあなたの力を疑ったりしてなんかない。ただ……」


(お前さんの言いたいことはよくわかる。だが、お前さんが看病したところで、よみの具合がよくなるわけではないぞ)


 小鳥が黒く染まった羽根をとった後、その羽根をつつくと跡形もなく消え去った。それを見届けると、また次の羽根を黒犬の体に置いた。これもまたすぐさまどす黒く変色していった。


「わかってる。けど……、このまま寝るのが怖い。目を覚ましたら、死んでたなんて考えたくもない」


 しばらく沈黙が続いた後、小鳥は静かにこう言った。


(……考えたくもなかろうが、よみは負の感情だけで生きておる。お前さんの愛情は、毒にしかならん)


「……そ、そんなっ、それじゃ、僕が今まで一緒にいたことは無駄だってことっ?」


 わずかに顔をひきつらせた薫は、迷った挙句言い返したがあいにく何の足しにもならない、弱弱しいものだった。小鳥は悲しげな顔をすると、首をかしげた。


(……出会いがあれば別れもあるということを、お前さんは知っておるはずだ)


「……」


 その言葉の真意が分からないではなかった。以前オカメインコを飼っていた薫は、不注意で窓からそのインコを逃がしてしまっていた。溺愛していただけに、心にあいた穴はそう簡単に癒えなかったが、幼少期よりずっと一緒にいた火の玉のナキメがいたからか、なんとか持ちこたえたのだった。


 けれど、なんとかできたはず、という思いは今でもしつこく残っていた。その思いが、よみに嫌われようともずっと一緒にいようとし、今もこうして看病しようとする原動力となっていたのだ。


 薫はよみを看病することで、ラッティ(オカメインコの名前)に対して償おうとしていたのだが、小鳥の言葉は、どんな時もなるようにしかならない時もあるということを薫につきつけていた。これは、認めたくない事実を受け入れなければならないことを意味していた。形あるものは崩れ、命あるものはいつかは消えることを。




 体を負傷し、これ以上戦えないと判断したさとりは、天狗の攻撃を避けるようにして足を引きずりながら、逃げた。こうやって今も生きているのが不思議なくらいだ。覚は逃げている間、昔のことを思いだしていた。


 山に住んでいたときのこと、何人かの子どもが山へ探検に来たときのことを。覚は一人の少女に狙いをつけ、驚かせてやろうとその子に近づいたのだった。


 とどのつまり、他の子どもたちを山から降りるように仕向け、山には覚と少女しかいないようにしたのだった。少女は最初こそ、覚の思惑通り気味悪がって怖がったが、妖怪に耐性でもあるのか、いつの間にか覚の心を読む能力を面白がるようになっていたのだ。




『あんたおもろいなぁ。なんでも私のことわかるんやなっ』


『な、何で怖がらないんだ? お前はケガしてる上に、俺に目をつけられてるんだぞっ』


『あ、ようやくまともに話しした。だけどおあいにくさまやっ、私はあなたのことは全く怖くありませんっ。……なんででしょうっ?』


 少女は質問でもするかのように、問いかける。相手が覚妖怪だと知った上での、意地悪な質問だ。


『……神社にお参りしたのか』


『あったり~! だからっ、私に悪いことしようとしても、神様とご先祖様が私を守ってくれるんやでっ。そこでなんやけど~』


 少女はそこで不敵な笑みを浮かべた。その表情に思わずぞくっとする覚。立場が逆になってしまっていることに気がつき、ますますぞっとした。覚は妖怪とは言え、神様に太刀打ちできるほど強く無い。そこでここは我慢して少女の心に浮かべた通り、オンブして山のふもとまで送っていったのだった。


『さようなら、嬢ちゃん、もう来るなよ』


『嬢ちゃんやないっ、知ってるやんっ。私は照子てるこやっ。お日様が照ってる、日野照子やっ。よう覚えときっ。あんたが悪さしようとしたら、私についとる神様が承知せぇへんでっ』


 その照子の孫がまさかあの勝だとは、この時ばかりは覚も想像だにしないことであった。


「……いつまでも、逃げていてはいけないな……。照子、お前の孫は、俺が守ってみせるからな」

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