新たに秘めた思い
ドキドキと跳躍する鼓動とは裏腹に、勝の表情は硬かった。隣にいる翔太や孝輔も黙りながら、事の成り行きを見守っている。勝たちは今、幸也の家の前に来ていて、幸也の姉の江里菜と押し問答していたのだ。
「……本当に幸也から来てほしいってラインがあったのね?」
「は、はい、何か話したいことがあるって内容でした。だから……」
「入らせてあげてもいい。けどね。幸也はいろいろありすぎたの。わかるでしょ?」
つんけんした言葉の裏には、まぎれもなく弟を心配している気持ちが見え隠れしていた。江里菜としては、これ以上弟を傷つかせるようなことをしたくなかったのだ。
「はい、でも約束したんです。家に来てもいいって」
「あの子が、ねぇ……」
表情からは、まさかありえないというのが読み取れたが、腹をくくったらしく幸也に会ってもいいということになった。ただし、もし幸也に何かあったら即家から出る、という条件付きで。
「あの子は今部屋にいるから。……静かにしてよ?」
もちろん勝はそのつもりだった。幸也を家から引っ張りだせるかもしれない唯一の絶好の機会が来たのだから。
私は体の痛みも忘れて走りだしていた。屋敷の中に入ったとたん、まるで私がやってくることを最初からわかっていたかのように、烏頭の妖怪が私に向って襲いかかってきたからだった。多勢に無勢、相手の数が多すぎたせいで、私は体をつっつかれるのも構わず逃げださなければならなくなっていた。
三途の川に逃げ込んだ時には、もはや私の体は血まみれになっていた。立ち上がろうとすると、傷口から血が漏れだし、疼いて眩暈がした。独りで立ち向かおうとするなんて、無謀だったのだ。私の意志とは裏腹に、体の震えが止まらなくなっていた。
やっぱり、紫乃聖人を倒すには、ひとりだけでは無理だったのだ。意識も朦朧とし始めたとき、誰かの声が聞こえた。
「お前は本当にバカだな。相手が誰なのかわかって敵地に突っ込んだのか? ……今回は特別だ。お前のケガを治してやるから、おとなしくしとけよ」
目を覚ますと、刺す様な痛みが体中を襲った。少なくとも死んではいないようだった。死んでいたら、こんな痛みには襲われないはずだから。
「まったくお前は世話を焼かせるやつだな。本当に今回だけだからなっ」
この人はいつも三途の川の橋のそばにいる人だ。どうやら、私のそばで見守っていたらしかった。このつんつんした態度も、照れ隠しだろうか。だとしたら、こんなにかわいいことはない。
「ワンッ!(ありがとうっ)」
「お前に言われてもうれしかねえよっ」
そう言うと、その人は私から離れていった。どうして素直にどういたしましても言えないのよっ。まあいいわ。手当てしてくれたおかげで死なずに済んだのだから。恐る恐る立ってみると、やはり、と言うべきか、あまりの痛さのせいで立つことができなかった。しばらくはこの痛みに我慢しなくちゃね……。
しばらく会わないうちに、幸也はやつれてしまっていた。それでも、眠れているのか、顔色はそこまでひどくなかった。精神状態も安定しているみたいだった。だからこそ勝たちを呼びだしたのかもしれないが。先に話を切りだしたのは翔太だった。
「話したいことがあるって言ってたよな。……どんな、ことなんだ?」
「ま、前に海野にラインを送ったんだ。う、海野が、日野たちを、う、裏切るかもしれないっていう、ゆ、夢を」
「ああ、確かにそんなことあったな?」
その時幸也は大きく息を吐いた。もしかしたらまだ気持ちを落ち着いてないかもしれない、と感じた勝は帰ったほうがいいんじゃないか、とさえ思った。が、幸也は勝の心配をよそに後を続けた。
「……じ、実は、ラインでは、い、言ってないことが、あ、あるんだ。こ、この枕、なんだけど」
そう言って幸也はベッドの上にある枕をとりだした。いたって普通の枕に見える。それがそうしたというのだろうか。
「こ、これ、普通の枕じゃない。こ、この枕で寝ると、悪い夢を見ても落ち着けるようになる。け、けど……」
一旦言葉を切って深呼吸した。重大な何かを言おうとしているようだった。孝輔は待たされるのが嫌いらしく、落ち着きなく揺ら揺らし始めたが、翔太に止められた。
「落ち着けよっ。急かして小野の姉ちゃんに追い出されたいのか?」
「わ、わりぃ……」
周りが落ち着いたのを見計らい、幸也はまた話し始めた。
「こ、この枕で夢を見ると、ど、どうも逆夢になる、らしいんだ。と、特に悪い夢を見ると」
「おい、ちょっと待てよ。海野は引っ越してしまったぞっ。どういうことなんだよ……」
孝輔が翔太に抑えれつつ、声を荒げそうになりながら問いかけた。勝も何かがおかしいと感じ、幸也のほうを見やった。が、答えを言ったのは翔太だった。
「海野は俺たちを裏切ってない、海野が引っ越したのは、海野の両親の会社がつぶれたからだ。……これは、あくまでも俺の想像だけど、海野の会社は紫乃聖人とつながっている。会社がつぶれた理由までは分からない。けど、何か不手際があったから潰されたに違いない。……例えば、何とかして紫乃聖人のしていることを阻止しようとしたとか」
部屋の中は暖かったのに、心の中にまで冷たい霜が降りてくるような感じがした。幸也だけでなく、孝輔までもが、翔太の推論に息を飲んで言葉を失っていた。これが本当だとしたら、勝たちはとんでもないものを相手にしようとしている。逆らっただけで、潰されるような相手を。
由佳の部屋の中はみあのものでいっぱいだ。みあ用のおもちゃから、ドッグフード、そしてみあそっくりに作ったぬいぐるみまで置いてある。今でも亡くなったことが信じられない由佳は、今でもどこかで、みあがひょっこり顔を出すんじゃないかと思っている。その大抵は気のせいだったが。
ハーブティーを飲みながら、スマホの画面をタップする。そこにはみあの写真がたくさん載っていて、アプリでさらに可愛く盛った写真まである。義母はいつまでも沈んでいたら、みあが悲しむと言っていたけれど、今はまだ、立ち直れていないのが現状だ。
確かに、面白いことがあれば笑うし、好きなことをしているときなど一心不乱になる。けれど、ふとした瞬間にみあのことを思いだし、気が沈んでしまうのだった。
気分転換にユーチューブを見ようとした時のことだった。いつもどおり、好きなアイドルの動画でも見ようとした時、ある動画のサムネが目についた。どこかで見たことがある人の顔が写っている。
「こ、この人、前に会った怪しい人じゃないっ……。まさか動画までアップするなんて……」
かなり怪しさ満点だったが、どういうことを言っているのか気になった由佳はいつの間にかその動画のサムネをタップしていた。
「痛いっ、歩けないっ、もう無理っ!」
すさまじいぐらいの大音量で鳴き喚く犬耳少女のみあ。手がないヤタガラスは耳を抑えることもできず、あきれてものも言えないという感じで、駄々をこねるみあを眺めていた。
「それじゃ、もうあきらめる? おとなしくもう帰ることにする?」
「いやだー! ヤタちゃんが連れてってよ~! 姉貴に会いたいっ!」
いつの間にか、みあはヤタガラスのことをヤタちゃんと呼んでいた。呼び方を変えようとしても、みあはヤタちゃんと呼ぶことに固執しているらしく、ヤタちゃんと呼び続けた。ヨルのことは姉貴と呼んでいるのに、少しは敬ってくれてもよさそうなものだ。たぶんきっと、ヤタガラスがみあより小さいからだろう。
「ダメよ。あなたを持って運べるほど、私は強くないもの」
「いや~だ~!」
本当はヤタガラスの力を持ってすれば、ヨルのところにすぐにでも行けるのだが、諦めさせるためにわざとみあを歩かせているのだった。そうとは知らないみあは往生際悪く駄々をこね続け、ヤタガラスを困らせていた。どうすればわかってもらえるのやら……。
本当はこうなることはわかっていた。薫は物が散らかっている汚部屋を見ながら溜息をついた。いつからか、黒犬のよみが帰ってこなくなったのだ。子鬼のみっちゃんに聞いても、「そんなの俺が聞きたいっ」の一点張りだし、火の玉のナキメに至っては、どういうわけかあまり反応はとぼしかった。
「そんなに気にすることかい? 君はよみのことでいちいち悩んでるんじゃなかったの? 思うんだけど、あのことがあってから今まで持ったほうだと思うよ? もう、よみのことをとやかく悩むの諦めたら?」
「それは……」
火の玉が言っているのは、薫がよみたちを連れてとある場所に取材に行ったときのことを差していた。その時までは、よみは薫とも仲が良かったし、妖怪が見える以外は普通の犬として過ごしていた。
しかし、取材に行った場所が運悪く紫乃聖人のアジトだったのである。その時運悪く見つかったよみは、紫乃聖人につかまり何故か火あぶりにされたのだった。よみの送り犬としての能力が開眼したのもその時だが、その時のことがきっかけで人間嫌いになってしまったのだった。
薫は連れていかなきゃよかったと何度も自分を責めたが、よみとの関係は悪くなる一方だった。もしかしたら、あの時によみを手放していればよかったのかもしれない。けれど、償いたい気持ちが邪魔してそれはできなかった。
「とにかくさ、よみは自ら出て行ったんだよ。今まで出て行かなかったのが驚くぐらいさ。君が会いに行っても、よみは何もうれしくはないと思うね」
ジン、と胸の奥が痛んだ。やっぱり、火の玉には人の心は分からないらしい。よみがいなくて辛いと思うのは、やっぱり薫が人間だからだろうか。それと同時に薫は自分自身のことを身勝手だとも思った。あんな目に遭わせておきながら、なおも一緒にいたいと思うなんて。
「……かもしれない」
「……え? 何か言った?」
「もしかしたら、紫乃聖人のところに行ったのかもしれないっ。助けに行かなきゃっ」
「おい、それマジで言ってるのかよっ。親分ひとりでかっ? だとしたら今度こそ死んじゃうぞっ」
静まり返る室内。話が終わったと思ったのか、孝輔はもう帰る準備をしているが、勝はまだ座ったままだ。表情がこわばっている。
「……もう、そろそろ帰ろうか」
翔太が勝を促そうとすると、勝はすっくと立ち上がった。いきなりだったので、幸也が驚いた表情をしている。
「ど、どうしたのっ?」
「俺、前に紫乃聖人の親戚に会ったんだ」
いきなり何を言いだすんだ? と、孝輔が勝のほうを振り返ると、勝はとつとつと語り始めた。
「その人の話だと、俺、紫乃聖人に狙われてるらしいんだ。前にヨルを助けに行ったせいで、その人の家に入りこんだことが原因なんだ」
「おい、日野……」
翔太が止めようとしたが、勝は話すのをやめなかった。不安な気持ちを話すことによって解消しようとしているようだった。
「そこで、会ったんだよ。その紫乃聖人に。でも、そいつは、偽物だった。文化祭の時に黒帽子のおばさんに教えられた。それで、気が付いたんだ。そいつは自分に似せた奴を作れる相当ヤバい奴なんだって」
勝の声は自身でも気がつかないうちに大きくなっていった。押さえていた物が堰を切ったようにあふれ出ていった。
「おい……」
「だから……、ヨルを連れ戻そうと思う。自分で捨てておきながら勝手だと思うかもしれないけど、奴を止めるには、ヨルが必要なんだ。このままだと、俺達潰される。海野が引っ越したのがそいつのせいなら、そいつを何としてでも止めないとっ」
痛くなってきた体を休めるため、公園のベンチで寝そべっているっと、誰かがやって来た。なんだか足取りが重い。どうしたんだろう、とその人を見ていると、その人が私に向って話しかけてきた。
「ヨルも、気が付いていると思う。あなたが、いったい誰なのか。そして、いったい誰を相手にしようとしているのか」
話しかけてきた相手は和沙だった。いや、正確に言うと、私自身の幻だ。なぜなら、私の体は崖から落ちた後、もう死んだか、生きていても病院にいるに違いないからだった。話しかけてきた幻は、しゃがんで私に視線を合わせた。その姿は、紛れもない私自身だった。その私の幻が、何かを言おうとしていた。
「……これだけは言わせて。どんなことがあっても、生きていてほしい。私は生霊でしかないけど、あなたは、本物だから」
そう言って私を抱きしめた。そして、私の幻は徐々に薄くなり、いつしか見えなくなった。周りを見渡しても、もうそこには誰もいなかった。




