はびこる元凶
本当に突然だった。稔が引っ越したと言う話を別のクラスの生徒が別の誰かに話しているのを偶然耳にしてしまったのだ。勝はついその生徒二人を呼び止めた。
「本当かっ? 海野が引っ越ししたって?」
普段は話さない別のクラスの勝が話しかけてきたことで、話をしていた生徒二人は顔を見合わせた。
「……まぁ、そうらしいけど」
「どこに行ったか、わかる?」
勝が質問したことで明らかに嫌そうな顔をした。勝の嫌な評判は別のクラスにも伝わっているらしい。
「そんなのわかるわけないだろ。せんせーは理由なんて言ってなかったぞ。おいっ、もう行こうっ」
「そうだな……」
そういうと二人は勝を押しのけ行ってしまった。呆然としながらも、勝は先日稔ともめたことが原因だと思った。やるせなかった。
休憩時間を見計らって翔太に話しに行くと、翔太はもうそのことを知っていたらしく、勝が話している間も顔色を変えなかった。
「やっぱり、前に俺らがもめたことが原因かな……」
「いや、それはない」
「なっ、何でそう言いきれるんだよ?」
きっぱりと言い切る翔太に半ばあきれながらも勝は言い返した。
「人間関係がこじれたから引っ越ししたって言いたいのか? お前はバカか。偉い人物気取りするな。今のお前はちょっと自意識過剰だぞ」
「そんな言い方しなくっても……」
「これを見ろよ」
さらに言い返そうとした勝の目の前にスマホをつきだした。とあるニュースの記事が載っている。
「こ、これって……」
記事のニュースには、稔の父親が運営していた会社が破たんしたことが書いてあった。稔の親が会社を経営していたことを知らなかった勝は、稔のことをまるで知らなかったことを痛感した。
「……海野が、紫乃聖人と絡んでたかどうかはこの際どうでもいい。けどな、あいつは、奴と関係してようといなかろうと、親の会社のことで結構苦しんだと思う。会社ってきれいごとでは成り立っていないんだ。あいつがどこかで感受性をなくしたって不思議じゃないのかもな」
「そんな……。あいつ、一言もそんなこと言わなかったじゃないか……」
「そんなこと言って何になる? 気休め程度の言葉かけてもらっても、海野にはどうしようもならないことだったんだよ」
落胆しその場を立ち去る勝をよそに、翔太はこっそり独り言ちた。
「海野の親の会社が破たんしたのは……。やっぱり、奴が絡んでる。それは間違いないんだ……」
その屋敷は人目につかないところにあった。誰もこんなところにあるだろうと思わないくらい、周りは木々が生い茂っていて閑散としている。奴は、ここにいるんだ。今度こそ、仕留めてやる、そう勇んだ時だった。
私の足に何かが当たった。とても白くて、細いそれは、何かの骨のようだった。思わずそれをとろうとすると、何者かが邪魔してきたらしく、私の体は弾き飛ばされてしまった。そのせいで、傷口がまた開いてしまい、血が出てきていた。傷口をなめていると、誰かがそばに来るのを感じた。
「その骨を返してもらうぞ。俺の、バカな母親の骨だ」
里奈はスマホを耳にしている。スマホを持つ手は震えていて、今にもずり落ちそうだ。
「……それじゃ、本当なの? その送り犬は、黒野月臣って人の生まれ変わりなのね?」
『そうだ。しかも、その前も、送り犬として生きていたらしい。そいつの死には天狗が関わっていた』
「え、でもさっきの話じゃ、黒野月臣は紫乃聖人に関わって殺されたって……」
なんだか納得できなかった里奈は、話に追いつこうとした。電話の相手は里奈をなだめるように落ち着いている。
『紫乃聖人は間違いなく、天狗に操られている、としたらどうする?』
「……! 確かに、あの送り犬は紫乃聖人だけでなく、天狗も怨んでいるようなことを言っていたっ。でも、ということは、あの送り犬は、昔からの記憶をずっと持ち続けてるってことじゃない……」
『それに、こんなこともわかった。黒野月臣は送り犬と同じ能力を持っているそうだ』
電話を切り、スマホをポケットの中にいれ、里奈の兄の賢志は腰をあげた。休憩室の中は相変わらず閑散としている。仕事の間なのだから、里奈にはもうちょっとそのことを自覚してもらいたいものだ。けれど、里奈はこのことにすでに何年も前から足を踏み入れてしまっていて、普通の生活がおざなりになるのは仕方のないことなのかもしれない。
「……お母さんがこの様を見たら、どういうだろうな……。あの世界には絶対踏み入れるなって言うだろうな……」
里奈と賢志の母親は幼い時に死別している。死因はごく最近まで聞いたことがなかったが、祖母が言うところによれば、怪異に干渉しすぎたことが原因、とのことだった。
賢志もできるなら、里奈にはこのことから手をひいてほしかった。母のようになってほしくなかった。ホッと一息を入れると、賢志はまた仕事に戻っていった。現実を見てなければ、幻想に飲みこまれる、とでもいうかのように。
顔を見上げると、一人の青年がいた。どこかで聞いたことのあるような声をしたその人は、言ったことがわかってない、とばかりにそばにある骨をひったくった。
「これは俺の母親の骨だ。返してもらう」
な、何よっ。そんな冷たく言い放たなくったっていいじゃないっ。私の視線に気が付いたのか、その人は私のほうに振り返った。
「……お前、送り犬だな。死の匂いがする」
……?! こ、この人、だれ、なの? どうしてそのことを? 戸惑っていると、その人はこう付け加えた。
「俺も、お前も同じだ。死によって生かされている。そして、それから離れることができない」
言い返すことができないでいると、その人は徐々に薄くなっていった。……建物の中に入ろう。奴を仕留めないといけないのだから。
しょぼくれながら、トボトボと歩道を歩いているのは犬耳少女のみあだった。どこを探してもヨルが見つからず、しまいには裏山に棲む妖怪たちを困らせるほど大号泣した。あまりにもうるさいので、三本足のヤタガラスがみあをなだめるため、ヨルの居場所を探したところ、思いもしない場所にいることがわかったのだった。
「ここよりもずっと北にある森の中にあるやしきにいるなんて、意味がわからないよ……」
「ごめんなさい……。役に立てなくて、送り犬はずっと一つの居場所にいることがないのよ……」
ヤタガラスがみあの頭上を飛びながら、辺りを警戒している。みあは見た目が幼いため、一人で歩かせると、悪い妖怪に襲われる可能性があるためだ。
「でも、もしかしたらここに戻ってくるかもしれないんだよねっ?! あたしを独りぼっちになんか、しないよねっ?」
独りにされることを恐れてか、みあは知らず知らずのうちに声が上ずっていた。目の端には涙が光っている。
「戻ってきてほしいの?」
みあには一人で行動できる強さを持っていてほしいとヤタガラスは思っていたが、見た目通り中身もまだ子どもなので、それはまだ無理らしい。みあは起きるたびに、ヨルを探すのに一日の大半を費やしている。度が過ぎた甘えん坊である。
「もちろんだよっ! だって、姉貴と一緒に由佳の家に住みたいんだもんっ! 絶対、あきらめないっ」
それを聞いてヤタガラスは溜息が出そうになった。化け犬は悪い存在ではないものの、みあの場合、思いが一方的すぎるのだ。一方的すぎる思いは失望を招きかねない。ヤタガラスはみあがわがままなことを見越して、あえて止めることをしなかった。
(多かれ少なかれ、この子はヨルと別れなければならない時が来る……。その時、この子は耐えられるかしら……)
みあの後ろ姿を見ながら、ヤタガラスはそう思案した。
苔むした無縁仏。それは、18年前に失踪した私の友達の谷中真里衣のために積み上げられたものだった。もう誰もここに来ていないのか、供えられたお菓子の袋はもうボロボロになっていた。誰がこれを積んだのか、誰がお菓子を備えたのか、そして、なぜもう来なくなったのか……。
私は立ち上がると、ふと上を見上げた。切り立つような崖が眼前に迫るようにそびえ立っている。私は眩暈を感じそうになったが、こらえた。生霊として目が覚める前、確かここで月見をしていたはずだった。
どうして、落ちたりなんかしたんだろう、どうして、死なずに済んだんだろう……。視線を元に戻すと、さっきまで気にならなかったものが目についた。赤い布の切れ端が落ちている。気になった私はそれを取ってみた。
「こ、これ……」
手に取った瞬間、私は鮮明に思いだしていた。失踪直前のまりいはよくツインテールにして、赤いリボンをつけていたことを。手に取った赤い切れ端は、それによく似ていたのだ。
「まりいは……、叔父に殺されたんだ……」
その時、私はなぜ自分が崖から落ちたのか、わかったような気がした。
その日の夕方のことだった。稔が引っ越ししたことで気落ちしていた勝にラインのメッセージが入った。
『どうしても話しておきたいことがあるんだ。明日、学校の帰りに寄ってきてほしい ゆきや』
不登校中の幸也からラインが来るとはどういうことなのか頭をひねっていると、孝輔が勝に向って手を振っていた。
「いろいろ考えたんだけど、やっぱお前に謝っておかないときが済まなくなった。本当に、ごめんっ」
「もしかして、黒帽子のおばさんに言われて仲直りしろって言われたあのこと? 別に気にしてないって。そりゃ、海野にああ言われたときはショックだったけど……」
「よかった……。それで、なんだけどさ……」
廊下の真ん中だからか、ほかの生徒に聞こえないように孝輔が声を落とす。そのせいもあってか自然と勝も耳を寄せる形になった。
「……海野が引っ越したこと、どう思う?」
「えっ?」
「何か裏があるように思うんだ。わからなくてもいい。思ったこと言ってくれないか?」
とっさのことに、言葉が詰まる勝。もしかしてこれも黒帽子の入れ知恵なんじゃないかと疑ってしまうほどだ。が、後に続いた孝輔の言った一言はそんな勝の思いを汲み取ったようなものだった。
「これはあのおばさんに言われたからじゃない。本当に、海野のことが気になるんだ。だから、言ってほしい」
嘘じゃない、と思った勝は孝輔と同じ小声で答えた。
「真野に教えられて知ったんだけど、海野の親がやってる会社がつぶれたからかな……。でも、真野は紫乃聖人が絡んでるかもしれないって思ってる……」
「そうか……。だとすると、俺達、奴に追い込まれてる。海野の親が会社やってるなんて初めて知ったけど、その会社がつぶれたとなると、奴は俺らが知らない形で、俺らを追いこもうとしてるに違いない。知らねえけど、会社がつぶれるなんて、よほどのことがないとありえねえじゃねえのか? ……日野、お前、本当に気をつけろよ」
「……わかった」
この時勝は気がついてなかったが、稔の親の会社の経営破たんは、事の発端の一つでしかなかった。重大なことはじわじわと気づかれることなく忍び寄るものなのだ。まるで、獲物を狙うヘビのように。
ぶるぶると手が震える。キツネ耳はそれが寒さからくるのではないとわかっていた。恐れていた事態が、まさに差し迫っていたのだ。
「それじゃ、ヨルはその送り犬の怨念を、無意識に自分自身の思いと絡めてるってことですか? それじゃ、ヨルはあの送り犬と同じカルマを背負ったってことじゃないですかっ」
キツネ耳の声が悲鳴に近くなった。それに反して緑の小鳥は落ち着いているが、目の色は暗かった。これからのことを案じているに違いなかった。
(それだけじゃない。怨念の元凶となったその送り犬の前世の黒野月臣の骨がどういうわけか各地に散らばっているらしい。……しかも、その骨のどれもが怨念をまとっている)
信じられなかった。天狗と送り犬の争いの結果が、いまや怨念として各地にばらまかれていたなんて。ヨルのことは、その氷山の一角でしかないらしい。そのことに気が付いたキツネ耳はほかにいうことが見つからず、踵を返した。この負の連鎖を、止める方法はあるのか、あったとしても止めることはできるのかと思案して。




