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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
秋の風
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燃え残る悪業

 物事は自分の思うようには動かない。それがたとえどんなに自分にとっては気に食わないことだとしても。何が許せないといってもそれは自分自身の感覚でしかない。それがわからないまりいは、ただ怒りに任せて泣いていた。


「……ねぇ、知ってたの? ふわふわは、あいつが月臣つくおみ兄ちゃんだってこと」


「じゃあ、逆に聞くけど、まりいはどうして私のことふわふわって呼んだの? それを教えてくれたら、言ってもいいわよ?」


 その言葉に目を丸くしたまりい。どうも思っていたことと違うようだった。


「え? だってあなたのその尻尾、あのふわふわって言う毛玉と一緒の感じがしたんだもん。だから、ふわふわが本当の姿になって来たんだとばっかり……」


「カリョウさまにも言われたわ。私はふわふわのときと変わってないってね」


「え、それじゃあ、やっぱりふわふわじゃ……」


 涙がすっかり枯れたらしいまりいが驚きのまなざしでキツネ耳を見つめた。変身能力があるのだと思ってるらしい。


「けれど、今の私はお狐さまと呼ばれてるの。ふわふわは過去のことよ」


 今の説明にいまいち合点がいかなかったまりいだったが、気を取り直して言った。


「じゃあさっ、月臣兄ちゃんのこと、教えてくれるっ? あの黒犬のことも」


「本当に、いいの? あいつのこと知っても、良いことなんてないよ?」


「いいのっ! だから、教えてっ!」


 溜息を吐いたキツネ耳は仕方がない、とばかりにまりいに教えることにした。黒犬の、いや、月臣の荒んだ過去のことを。





「どういうことなんだよっ? 俺のことを裏切ってるだってっ?」


 青ざめた表情でヤタガラスを問い詰める。やっとのことで大声を出すのをこらえた勝だけど、本当は叫びだしたかった。いったいこのカラスはどうしてこんなことが言えるのだろう?


「認めたくないかもしれないけど、本当のことよ。彼はあなたのことをねたんでる。だからこそ、あなたを助けるふりして、あなたが気がつかないように災いの種をまいてるの。彼は……」


 バタン! その音は勝が勢いよく立ちあがったときに、隣にあったイスを蹴り上げた後だった。勝は怒りの表情で握り拳をしている。


「……もう、聞きたくないっ。俺を守るなんてどうせ嘘なんだろっ。出て行けよっ!」


 一瞬ヤタガラスはひるんだが、憐れむような眼差しを勝に向けると、開け放たれた窓から出ていった。部屋で一人きりになった勝は座りこむと、水の入った深皿を手にした。水が漏れるのも構わず振り落とそうとした。


 が、何かに阻まれたように力なく座りこみ、ベッドに突っ伏した。裏切られている。その言葉が割れたガラスの破片のように勝の心を突きさし、深くえぐった。




 その夜、勝はまたしてもあの夢を見た。ヨルを助けに行ったときの夢だ。黒犬が現われ、勝の目の前の人を無慈悲にも咬み殺したのだった。生々しい血しぶきが飛び、首はあらぬ方向へ折れ曲がる。ヨルは何が起こったか分からずキョトンとしたまま死んだ人をまたぎ、勝のそばへ寄ってきた。勝は、声にならない叫び声をあげ、気を失った。


 いつの間にか場面が切り替わり、河原の夢になった。誰か見知らぬ人が立っている。勝はその人に近づいてみるとあっと息を飲んだ。憎悪にまみれた目つきをしていたのだ。見ている先のほうを見ると、どこからか何人かのごろつきらしき人達がその人のところへやって来た。皆いやらしく笑っている。


「黒野月臣だな。悪いが、貴様には死んでもらうぜ」


「……紫乃聖人の差し金だな」


 目の前の人は苦々しく吐き捨てる。どこか聞き覚えのある口調だが、はっきりと思いだせない。


「はぁ? 何言ってんだか。おい皆、るぞっ!」


 リーダー格の人がそう言うと、周りの人達が金属バットやバールを振り回し始めた。最初のうちはその人は軽やかに攻撃をかわしていたが、いつの間にか疲労がたまっていき、バッドやバールが体にあたるようになってしまった。勝は、前の人を助けだそうとしたが、思うように足が動かなかった。


 そして、なす術もなくその人は殺されてしまった。息をしていないのがわかると、その人を襲ったごろつき達は解散し始めた。が、その時。


「うわぁ~!」


 背中を向けて帰り始めた人達の何人かが肩から血を吹きだして倒れたのだ。


「ひぃっ」


 勝は腰が砕け、その場に座りこんだ。その際に、手にヌメッとしたものがついた。血だった。勝は殺された人のそばに座りこんでしまったのだった。そこから離れようとすると、またしてもありえないことが起きた。


 殺された人から黒いもやのようなものが出て来たのだ。そして、それが逃げ惑うごろつきを襲い始めた。それはやがて、いつの間にか黒い子犬の形をしてきていることに気がついた。


「……よ、ヨル?」


 しかし、何かが違う。ヨルにあるはずの胸元の星模様がない。それじゃ、この犬はいったい? しばらくして勝はようやく気がついた。これは、ヨルによく似たあの送り犬の過去なのだと。




 裏山が火事で大変なころ、私は和沙と一緒に公園で一夜を明かした。冷たい空気が心地よいけれど、和沙は寒いのか、両手に息を吹きかけていた。ベンチで休もうとした時、和沙が声をかけてきた。


「そういえばさ。あんたさっき倒れてたでしょ。体のほうはどうもないの?」


 そんなの大丈夫、ということを伝えるために、私はしっぽを振った。


「ワン!(大丈夫っ)」


「病気持ってるんなら動物病院連れていくほうがいいんだろうけど、あいにく私は生霊だしな~。あんたに食べさせるものもないし。何か食べたいものある? と言ってもそんなもの持ってないんだけどね」


 そう言われて気がついた。勝から離れてからというもの私は山の木の実しか食べていない。特に木霊こだまさんからもらう木の実は美味しくて、一粒食べただけで、しばらく食べなくても大丈夫な感じがしてくるのだ。


「ワン、ワンッ(ここに生えているの、食べようっと)」


 公園に生えている小さな木から生えている木の実なら、食べていいよね? 私は木の実を一つ、木からとった。


「あっ、それ公園の……。勝手に食べっちゃったりしていいのっ」


 口に入れた瞬間、私の口の中に渋い味が広がってきた。とても食べられたもんじゃないわっ。私は思わず、吐いてしまった。もう、公園の木の実をとるのはよそう……。




 スカートに大きな染みができている。雨に降られた時にできた染みではない。なぜなら、まりいの体はどんなものも(なぜかヨルは触ることができるようになったが)貫通してしまうからだった。それは、まりい自身の涙だった。


 原因はほかでもなく、月臣つくおみという、以前まで裏山のふもとにあるまりいの無縁仏にお菓子を備えていた人の過去を知ったからだった。キツネ耳自身も、カリョウ様と呼んでいる緑の小鳥から聞くまでは、月臣のことなど知らなかったし、まさかあの黒犬の過去がその月臣だとも思いもよらなかった。


 しかし、こうしてまりいに話して聞かせているうち、何かが欠けているような気がしてきた。今の黒犬はなぜか天狗を目の敵にしている。もちろん人間も嫌いだが、それ以上に天狗を嫌悪しているらしい。


 月臣の過去を見る限りでは、月臣が天狗に関わったことなど、一度としてない。嫌う理由がないのだ。それに、天狗も人間のことを忌み嫌っているところがあるから、いわば仲間のはずではないか? どうして憎み合う必要があるのか、キツネ耳にはわからなかった。




「……ねえっ、ねえってばっ! ふわふわ、聞こえてないの?」


「え……?」


 どうやら考え込んでいたらしい。いつの間にやらまりいがキツネ耳の前に立っていたことに、キツネ耳自身気がついてなかったようだ。


「ねえ、私、黒犬さんに謝らなくちゃ。ううん、月臣兄ちゃんに。私、あの犬が月臣兄ちゃんだと知らずにたくさん傷つけること言っちゃったから。月臣兄ちゃんはたくさん傷ついてきたのに、それなのに、私ったら、自分のことばかりだった。だから……、謝りに行く」


「……謝りたいなら、そうしてもいいよ」


「じゃあ、謝ってくるねっ」


 さっきまで泣いていたのが嘘みたいに、まりいは軽やかに裏山を駆け下りていった。キツネ耳はまりいを見送ると、やるせない気持ちでいっぱいになってきた。


(確かに、黒野月臣はまりいや弟の正親を愛していたかもしれない。けれど、ひどい人生を生きてきた彼にとって愛情表現もいびつな形でしか示せなくなった。そんな彼にあの子の想い、届くのかな……)




 冷たい空気が流れる中、一頭の黒犬と一個(?)の火の玉が互いをけん制していた。どちらも微妙な距離感を保ちつつ、互いの出方を推し量っていた。最初に口火を切ったのは、小さく震えていた火の玉のほうだった。


「いつもの君らしくないねぇ? どうしてそんなこと言ったりするのさ?」


「(ごまかすな。好き勝手言っておいて自分は無実だとでも言いたいのか)」


 にわかに火の玉のほうにじり寄る黒犬。体が弱っているせいで後足を引きずってはいるが、火の玉に比べ何倍も体が大きいおかげで弱っているのはみじんも感じさせなかった。近寄られたせいでますます震えがひどくなる火の玉だが、雨女はそんな火の玉に助け舟を出すそぶりは見せず、対立の行方を黙って見守っていた。


「そんなに怒んないでよ。ね? 第一君の敵は僕じゃない……」


「(黙れっ。あの時俺を見殺しにしたのは誰だっ。お前が紫乃聖人と絡んでないのはわかる。だがな、お前のその日和見主義なところが許せないっ)」


「それは……」


 ほとんど黒犬と火の玉の距離が縮まったときだった。どこからか駆け下りる足音がしてきた。


「やめてっ! ケンカしないで!」


 まりいがふたりの間に割って入ったときには、黒犬が火の玉を消しかけていた。火の玉は命拾いしたが、とんでもないぐらいに震えあがっていた。




 気落ちして戻ってきたヤタガラスを見た緑の小鳥もとい、迦陵頻伽かりょうびんがは、うまくいかなかったことを悟った。


(やはり、ダメだったか……)


「知っていたのでしょ? こうなることは。勝って子がヨルに関わってしまったせいで紫乃聖人、いえ、天狗に狙われることになったのは」


 どこまでも広がる蓮畑。きれいな景色がひろがるこの浄土に似つかわしくない溜息をヤタガラスはいた。





 まずいものを食べたせいで、私の胃の中は空腹で疼いた。裏山に戻ったほうがよさそうだと思い、私は立ち上がった。それに伴い和沙も私の後についてきた。


「口の中すすいだほうがいいんじゃないの? まだ残ってるんじゃない?」


 ううん。大丈夫。そう伝えるために口の中を見せた。口の中をのぞきこんだ和沙は安心したらしく、ほっと息をした。


「うん、大丈夫みたい。……あれ、これ何だろ?」


 どうしたの? 私の疑問をよそに和沙は私の体を眺め始めた。もう、そんなにじろじろ見ないでよっ。気まずくなった私は視線を合わせないために目をそらした。けれど、和沙の視線は別のところに行ったらしく、しばらくその箇所を見つめ始めた。


「これ……。どういうこと?」


 和沙は私の前肢をじっと眺めていた。




「あぁ? どういうことだよ? ぜんっぜんわかんねぇよ。お前の言ってること意味不明だぞ」


 物が散らばったアパートの一室で、子鬼がクッションを投げ飛ばす手を止め、難しそうな顔をしている。目の前には僕っ娘記者の薫が同じく難しそうな顔をしていた。


「だからっ、よみは、というか、みっちゃんの親分は、ずっと昔、人間の自然破壊を危惧した天狗が人間をそそのかして、よみにけしかけたんやってっ。だからよみはその送り犬の生まれ変わりなんやっ」


 散々説明したのか、だんだん声が枯れてきているようだ。薫は自身の説明力のなさに絶望しまいと、顔が真っ赤になっていた。


「でもよ~。もしそうだとしてもよ~。なんで、その天狗ってやつは人間をけしかけたんだよ? 人間が嫌いなんだろ? その天狗も」


「……そんなんゆうてもなぁ、それは、策略なんやって! 翠川が言うには、えぇっと、あ、そやっ。自分の手を汚さずに人間を抹殺させようということや。それに気が付いたよみは、人間だけでなく、天狗も嫌いになったんやっ」


 薫が言う翠川とは、里奈の兄のほうだ。どうやらその人の言うことを真似ようとしてみごとに失敗したらしい。


「お前がそう言ってもな~。これはどう説明するんだよ? なんで前にしのせーとが親分を狙ったんだよ? そのせいで親分はあの大ケガ負ったんだぜ。しのせーとと天狗は関係してんのかよ?」


「え?」


 ふいを突かれた薫は声を詰まらせる。どうも答えを知らないようだ。何かが欠けている、そう思わざるを得なかった。


「ま、どっちにしても、お前が気にしようと親分はずいぶん昔から人間嫌いだったってことだな。俺にしたら、そんなに嫌いだったら、しのせーとも天狗もぐずぐずしねぇでってやりゃいいのにってことだなっ。そうすりゃ万事解決だぜっ」


「う~ん」


 物事がそんなに簡単に解決するんだったら今頃よみは、普通の犬になっていただろう。そう言おうとしたが、子鬼のみっちゃんはもうその話題に飽きたらしく、もうクッションを投げ始めていた。布団を敷きながら薫はあることに気がついた。


「……あの子犬っ。もしかすると、放っておいたらあかんかもしらへんっ」

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