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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
惑うものたち
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私は、ニセモノ

「お前、ずっと穴掘ってるんだな。疲れないのか?」


 裏山のふもとに土が山のようにうずたかく積み上げられている。私が、毎日飽きもせずに穴を掘り続けたからだ。最初のうちはぬっぺがやめさせようと、強引に穴に入ったりしてきたのだけど、今ではすっかり口を出さないようになっていた。私に話しかけてきたのは、翔太だった。呆れたように、私の穴掘りを眺めていた。


「ワンッ、ワンッ(楽しいからいいの!)」


「お前は楽しそうでいいかもしれないけどな、これはちょっと異常だぞ。前肢からちょっと血が出てる」


 確かに足が少しばかり痛かった。けれど、私は穴掘りが楽しいのだから、ちっとも構わないのだけど……。けれど、翔太は何かを取り出すと、穴の中に入れた。その何かはたちまちのうちに嫌な匂いを放ち始めた。たまらず私は穴の中から飛びだした。


「ワン!(何よ、これ臭い!)」


「どうだ? 俺の父ちゃんの靴下の威力は。穴掘りどころじゃないだろ?」


 もう! 翔太のそういうところが嫌いなのよっ。それにしても、どうしてここに来たのかしら? 翔太は私の思ったことがわかったのか、こう言った。


「実はお前に試してほしいことがあるんだ」





 こうやって面と向かうのは何か月振りだろうか。里奈は江里菜に呼びだされ、カフェテラスで気まずくミルクティーを飲んでいた。呼びだした江里菜はと言うと、目の前の抹茶ラテを飲もうともせず黙りこくったままだ。時折里奈のほうをチラチラとうかがっている。けれど口火を切ったのは里奈のほうだった。


「……話があるんでしょ? お茶代はおごるからなんて言って呼びだすということは、何か悩みでもあるんでしょ?」


 江里菜はうなだれた後、重々しく口を開いた。


「実は、幸也のことで相談があるの。……その……」


 ここまで言うと江里菜は口を詰まらせた。前の里奈との決別のことを頭をよぎったらしいことは明白だった。けれど、重い気分を取り払いたいという気持ちが勝ったようだった。


「絶交した後でこんなこと頼むのは馬鹿げてるってわかってるっ。けど、相談できるのは里奈しかいないって気づいたのっ。……幸也を助けてほしい、何でもするからっ」


 そう言うと、江里菜は頭を下げた。近くで飲んでいた大学生らしい二人が呆れかえって江里菜のほうを見ていたが、江里菜は構わず頭を下げていた。


「ちょっと待ってよっ。本当に何があったのっ? そこを説明してくれないとっ」


「……幸也、部屋で思い詰めたように何かを言い続けてる。自分は呪われてる、こんな力があるくらいなら、寝ないほうがましだってっ」


「幸也君、何日も寝てないの?」


「……たぶん、部屋に入らせてくれてないから、確認はしてないけど、きっと寝てないと思う。このままじゃ、幸也がダメになってしまうっ」


 そこまで言うと、江里菜は口元を震わせた。目にはうっすらと涙が光っていた。




「やっぱりな……」


 私は、翔太に変な匂いのするものを飲まされ、その反動で近くの木に吐いていた。それを見た翔太が何かわかったかのように一人うなづいていた。


「ワンッ、ワンッ(ひどいじゃないっ! こんなもの飲ませるなんてっ)」


「そう怒るなよ。実はこれ、ただの水なんだ。けれど、ちょっとした味付けをしてあって、なんと、前に誰に何をされたかがわかるという魔法の水なんだぜっ」


 誇らしげに胸を張る翔太。ひどい味のものを飲ませておいて、よく威張れるわねっ。それにしてもどういこと? 前に、誰に何をされたかって?


「お前、前に誰かにつかまってただろ? その時に、お前ちょっと体をいじられたようだな。そのせいでお前はこんなにも穴掘りをしてしまうようになったんだっ」


 ……は? どうしてまずい水でそんなことがわかるのよ? 確かに、今も穴掘りがしたくってたまらないのだけど……。


「けれど、お前の体をいじった奴は間違いをしでかしたようだ。奴はお前を殺したがりにしたかったようだけど、間違って穴掘りをしたくってたまらないようにしてしまったんだっ」


 そこまで言うと、翔太はこらえきれなくなったのか、笑いながらこう続けた。


「はははっ。それにしてもよかったなっ。お前の送り犬としての本能が穴掘りしたいという気持ちに抑え込まれたんだぜ? これは大いに喜ぶべきことじゃないか? あはははっ」


 喜べって言われたって……、なんだかバカにされてるような気がするんですけど? 翔太はしばらくの間、お腹が痛くなるまで笑い転げたのだった。そのとき、誰かが私たちのところへ近づいてくるのが見えた。あ、あの子は、稔じゃないのっ♡ 


「ちょっと、ヨルに話したいことがあるんだ。ちょっといいか?」


「何で俺にじゃなくて、こいつになんだよ? ……まあ、重要そうな話みたいだし、俺は帰るか」


 翔太は何か訳ありげな顔をして帰っていった。そうよっ。これから私は稔とデートなんだから、翔太はさっさと帰ってよねっ。





 仲直りした勝と孝輔は一緒に帰ることが多くなった。今までの空白を取り戻すかのようにこれまでのことを話し合ったりした。が、勝は一つ気にかかっていたことがあったので、聞いてみることにした。


「そもそも、どうして俺のこと許してくれたんだ? 俺といてもいいことないだろ?」


 前にも同じことを聞いたが、毎回はぐらかされてばかりだった。一体何が理由で勝のことを許す気になったのか、勝としてはやはり気にかかるところなのだ。


「……ああ、そのこと? もういいだろ? 過ぎたことをほじくり返してもよくないぜ? しいて言えば、離れて始めてお前の良さがわかったってところかな」


 今回もはぐらかされてしまった。きっとこれからも話すことはないのだろう。これ以上聞けば、やっと取り戻せたはずの友情をまた壊すことになりかねない、と感じた勝は、もうそれ以上このことを聞くのはやめにしようと思った。気持ちを切り替えた勝は、来週行われる文化祭について聞くことにした。


「来週の文化祭さ、お前んとこのクラス、何をやるんだ?」


「今それを聞くか? そういうものは当日になってからのおたのしみじゃないか。それとも、楽しみを半減させたいのか?」


「ごめんごめん。それもそうだよな。その日になってからのお愉しみだもんな」


「そういえば、さ。聞きたいんだけど……」


 立ち止まり急に声を潜める孝輔。どうしたんだろうと思った勝は同じく足を止めた。


「何を?」


「お前、死んだ人間に会ったことあるか?」





 黒い帽子を目深にかぶった佐野香苗はこの前会った甥っ子の孝輔のことについて思い返していた。あいつはどう見ても口の堅いタイプには見えない。きっと自分について周りに言いふらすに違いない。そうなれば、いつまでも身元を隠せるとは限らない。


 佐野香苗は今こうして紫乃聖人の下に仕えているとはいえ、一度死んだ身なのだ。香苗は紫乃聖人に関わったことを深く悔やんだ。奴の事を放っておけば、殺されることにならず、また、奴に仕えるということもなかったのだ。


(私の事を黙っておく代わりに、日野勝って子と仲直りしてヨルのことを聞きだせって言ったのが間違いだったかな……。いつまで、こういうことが続くんだか……。私の人生、しくじりまくりだ……)


 香苗はベンチから立ち上がると、空になった缶コーヒーをゴミ箱に入れた。鬼になってからというもの、人間の食べ物や飲み物が一度もおいしいと感じたことがなかったが、ブラックコーヒーだけは唯一飲める飲み物なのだ。そのために何度も金をくすねたことか。


 人間だった時と今の自分では、見た目が似ていても中身が変わったことを感じないわけにはいかなかった。悪いことは悪いと言っていたかつての自分。でもそのために深く身を落とす羽目になったのだから。


「生きるも地獄、死ぬも地獄、か……」





 相変わらず、私の体はベッドに横たわったままだ。ずっと寝たきりのままのせいか、やつれ果てて見えるのは気のせいだろうか。私は意を決してベッドの中の私に突っ込んだ。


「ぎゃっ、いたたたた……」


「大丈夫っ? ケガはないっ?」


 顔をあげると、キツネ耳が心配そうに私のほうへ駆けつけてきた。私は大丈夫と言いかけて、ギョッとした。私が、私の体を貫通してる……。私は気にしないようにしてベッドをすり抜けた。うまくいくと信じていただけに直視できない。こんなところを見られてたなんて、恥ずかしすぎるっ。気にしないふりをして立ち上がったけれど、私はキツネ耳の顔を見ることができなかった。


「だ、だ、だいじょぶでしょっ。気にしないでっ」


 変に声が上ずってしまってこれが自分の声だと思えない。キツネ耳が変な顔をしているのは、やっぱり私がしたこと見てたとしか思えない。


「そ、そう? だといいんだけど……。ねえ、ちょっといい?」


「……え? 何?」


「話したいことがあるの。ここじゃダメだから、別の場所で、いいかな?」





 苔むしたお稲荷さんが座している神社で話しているキツネ耳は、どこかで聞いた狐の嫁入りのような感じがした。違うのはここにはその相手がいない、ということだけ。キツネ耳は熱心に話し終えると、私の顔を見るなりこう言った。


「ちょっと、話聞いてる? 今とても大事なことを言ったんだけど?」


 しかめっ面になってこっちをにらんでいる。目元が切れ長なので、威力がある。こんな顔で凄まれたら、謝るしかないじゃないのっ。


「ご、ごめん、聞いてなかった……」


「そうだと思った……。私が言ってたのはね、あなたは本物じゃないってことなの」


「はい?」


 どういうことなんだろう? 本物じゃないって? 私が訳がわからずにいると、キツネ耳はじれったそうに言った。


「だから、ねぇっ! さっき和沙は自分自身の体の中に入っていこうとしたでしょっ」


 あぁ、やっぱり見てたんだ……。恥ずかしさが胸の奥からじわじわと込み上げてきた。キツネ耳は構わず続ける。


「うまくいかなかったのは、あなたが本物の魂だからじゃないの。生霊だからなのよ。つまり、寝ているほうの和沙を起こすためには、本物の魂を見つけないといけないの」


「ど、どういうことよっ。だって私はここにいる……」


 訳がわからなくなって混乱しそうになっていた。本物が別にいるって?


「落ち着いて、よく聞いて。残念だけど、あなたに魂は見えないの。ということはあなたは生霊か残留思念かのどちらかなのよ」


「でも、生霊って自分自身じゃないの……」


 力なく抗議しかけたけど、キツネ耳がダメ押しをした。


「残念だけど、違うわね。だってあなたは、いわゆる実体の無い影のようなものなのだから」





 私は驚いた顔をして見上げる。稔は黙ったまま私を見降ろしている。久々に稔が会いに来てくれたと大喜びしていたのに、ついさっき稔が私に向って言った言葉のせいで私は困惑していた。


「……驚くのも無理はないよな。俺だって信じられない気持ちなんだから。けれど、今さっき言ったことは本当だ。お前は本当の犬じゃない。いや、送り犬じゃないんだ」


 訳が分からないよ。どうして稔は私を混乱させることを言うの? だって、私は犬……。稔は私がオロオロしているのを見てとると優しく撫でた。なぜだか撫でられてもちっとも嬉しくなかった。今までだったらこんな風になでなでしてくれたらうれしいはずなのに、私はただうろたえるしかなかった。


「以前お前を撫でたとき、別の人間の記憶が見えたことがあったんだ。最初はただの偶然だと思った。けれど、それからも、お前の記憶と一緒に別の人の記憶が見えてきたんだ。それからは偶然じゃないと思うようになったんだ。これは俺のただの仮説なんだけど、ヨル、お前はやっぱり、人間なんじゃないか?」


 分からないよ。稔。そんなの意味がわからない。だって私には、人間の記憶なんてないんだから……。


 けれど、同時に誰かの記憶を思いだしていた。前に勝とはぐれたとき、どこかで女の人に出会った。たしかその人は草原で横になっていて目を覚まさなかった。その人は、私の元飼い主の人……? 


 触れた途端に、懐かしいと同時に嫌な感じもその時に受けたのだった。その人に虐げられたから? でもその時の記憶はない。もしいじめられたのなら、覚えているはずだった。


 ねえ、教えてよ、稔。私が本当に人間だというのなら、どうして今の私は犬なの? 稔は私を優しく撫でたかと思うと、サッと立ち上がった。待って、行かないでよ! 私が慌てて止めようとすると、稔は私を振り払った。


「……ごめん、お前が本当は人間だって考えるたび、やっぱりこんなこと間違ってるって思うんだ。だからさ、ヨル。お前が人間だったことを思いだすために、俺達のことを忘れたほうがいいと思うんだ。俺だけでなく、翔太と幸也と孝輔と、そして良平や勝のことも忘れたほうがいい。……そのほうが、ヨルのためなんだ。ほんと、ごめんっ」


 そう言うと稔は駆け出していってしまった。……そんな、嘘でしょ? 途方に暮れていると、後ろから気配がした。振り向くとそこにはぬっぺがいた。


「あ~あ、フラれちゃったねぇ? ヨルちゃんのこと傷つけるなんて、最低な奴だね。ねえ、あんな奴忘れたほうがいいよ。だから、おいらとつきあっ……」


「ワン! ワンッ、ワンッ(黙ってよ! 誰があんたなんかとつきあうもんか! もう、放っておいてよ!)」


「な、なんだよっ。そんなに怒らないでよ……。ちぇっ……」


 そう言うとぬっぺも私から離れていった。しばらくすると、何か得体の知れない感情が込み上げてきた。怒りじゃなかった。憎しみでもなかった。ただ、虚しさだけが私の上に覆いかぶさった。私は、独りきりになった。

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