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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
惑うものたち
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まりいのいる場所

 18年前、6歳だったまりいが忽然と姿を消した。突然のことだった。いなくなった当初は世間を騒がせたが、時間というものは冷淡なもので時が経つにつれて人の関心は薄くなっていった。





 まりいは、母親と一緒に買い物に出かけている途中だった。幼い子どもだから、迷子になるのは必然だった。母親が目を離したすきにまりいはどこかへと行ってしまっていた。母親の買い物につきあわされ退屈したまりいは、他の場所を見て回って、しばらくしたら母親のところへ戻るつもりでいた。


 けれど、その気持ちは長く続かなかった。まりいはあるものを見つけた。それはどこからどう見ても、頭がカラスだった。たちまち好奇心に駆られたまりいは、母親の事を忘れてそのカラス頭を追いかけたのだった。





 最初のうちはとても楽しかった。追いかけっこをしているような気持ちだった。カラスさんと友達になりたい。そんな気持ちで追いかけたのだった。そうしてまりいはいつの間にか見知らぬ建物のところに来ていた。どうやらカラス頭はその建物の中に入ったらしい。その中に入ろうとした時だった。


「その中に入るな」


 ハッとして振り返る。そこには見知らぬ少年がいた。けれど、年齢としてまりいよりも結構年上に見えたので、まりいはこう言った。


「知らない大人について行っちゃだめだってママは言ってたもんっ」


 そう言うとまりいはその建物の中に入っていってしまった。少年はまりいを連れ戻すため、その建物の中に入らざるを得なくなった。


(あいつに見つかったらおしまいだっ!)




 建物の中は薄暗かった。最初は楽しい気分だったまりいも、いつの間にか心ぼそくなっていった。


「ママのところに戻ろう……」


 けれど、建物の中は広かった。歩けど歩けど、出口らしいところが見つからない。心細くなったまりいはしまいには泣きだしてしまった。そして、最悪なことに、建物の住民らしき男性に見つかってしまった。


「誰かと思えば、子どもじゃないか。そこで何をしている」


 つっけんどんな言い方で言われたため、まりいはますます激しく泣いた。いら立った男性はまりいの手をひこうとした。その瞬間、熱いものでも触ったかのように男性は手を離した。驚愕の表情を張りつけて……。


「こいつは……」


 何かを思案したらしく、男性は声色を変えて、まりいに話しかけた。


「遠いところまで不安だったろう? ここで暮らしてみないか?」





 探しても探しても、女の子が見つからないいら立ちで少年は何度も壁を蹴り上げた。


「くそっ。何だってあんな奴の建物に入るんだよっ? あいつは、俺の家族を破滅させたって言うのにっ……。早く見つけないとっ」


 しばらくすると、遠くから誰かの声が聞こえてくる。そばだててみると、男性が誰かにここで暮らさないか、と言っているようだった。それを聞いた少年は、後先考えずその場に飛びだした。


「……誰かと思えば、黒野月臣つくおみじゃないか。不法侵入で訴えるか」


「俺の家族を破滅させておいて、何が不法侵入で訴えるだよ! その子を離せ!」


 まりいは、月臣と呼ばれた少年が激高するのを見て思わずそばにいた男性にしがみついた。


「おお、怖いねぇ。おじさんがこいつをやっつけてあげるから心配しなくていいよ」


「そいつの言うことを信じるなっ! こいつは、紫乃聖人は反対するやつを誰かれ殺すひどい奴だぞっ」


「ほ、本当に? おじさん、悪い人なの?」


 まりいがあわてて男性から離れようとするが、男性はすかさずまりいを引き留めた。


「……死神みたいな能力を持つやつが、何を言うか」




 月臣は全力で走っていた。カラス頭に追われていたからだ。腕にはまりいを抱きしめている。しかし、全速力で走った弊害が出てしまった。息切れを起こしてしまい、ついには立ち止まってしまった。周りにはわらわらとカラス頭がむらがってきていた。


「その子を渡してもらおうか」


 顔をあげると、そこには追いかけてこなかったはずの紫乃聖人が目の前にいた。いったいどうやってここまで来たんだ? 考える暇もなく、腕からまりいをとりあげられてしまった。走ったせいで体力が残っていなかった月臣は取り戻そうとしても、足で蹴り上げられてしまった。


「その子を……かえ……せ……」


「大丈夫。この子は大事に育てるから。烏天狗、こいつをここから放りだせ」


 烏天狗と呼ばれたカラス頭たちが月臣を縄で縛りあげた。月臣は縛られたまま、雑木林の中に捨てられてしまった。





 まりいは、それから6年間の間、紫乃聖人の下で暮らしていた。まりいは最初のうちは怖がっていたが、いつの間にか、紫乃聖人の事をおじさんと言って慕うようになっていた。


 けれど、月臣のことを忘れたわけではなかった。幼いころはただの怖いだけだったが、成長するにつれ、なぜ月臣が自分を必死に取り戻そうとしたのか、疑問に思うようになったからだった。食事の時、思い切って月臣のことをおじさんに聞いてみた。


「ねえ、6年前のこと覚えてる? いたでしょ? 私に対して必死だった、何という名前だったかな?」


 気のせいか、おじさんは怖い顔になって、フォークをガシャンと置いた。


「……その話はもう忘れなさい。黒野月臣は死んだのだから」


「え? うそ……」


「いいから、忘れなさい。食事がまずくなる」


 それからというもの、まりいはこの話を持ち出さなくなった。けれど、その時にある違和感を抱いた。どうして、おじさんは人の死を何とも思わないのだろう?





 一度はその疑問を忘れようとした。何と言ってもその話を持ち出さない限りはおじさんはまりいに対して優しいのだから。


 けれども、一度抱いた疑問は決してまりいから離れようとしなかった。そこで、まりいは、おじさんがどういう人なのか、調べることにした。けれど、それはすべての運の尽きの始まりだった。




 おじさんは月に一度、どこかへと姿をくらませる。まりいはそれについて行こうとしたが、一度ならず何度も拒否された。


「いいじゃない。ついて行っても! それとも、おじさんは私の事、嫌いなの?」


「嫌いなわけないだろう。どうしてそんなことを言うんだか……。それに、そのことはまりいにとっては関係のないことだ。これからはこのことについて一切かかわらないこと。いいね?」


 有無を一切言わせない圧力を感じたまりいは口を閉ざしたが、やっぱり何かを隠している感じは否めなかった。絶対おじさんの隠しごとを暴いて見せる。まりいはそう誓ったのだった。





 そうして、それはやってきた。まりいはとうとう紫乃聖人の秘密を聞いてしまったのだった。少なくとも秘密の一部を。


 寝たふりをして、安心させた後、大きめのぬいぐるみをベッドに入れて部屋を抜け出したまりいは、あることに気がついた。薄暗くてよく見えないが、手に何か痕のようなものが見える。今までこんなものなかったのに……。


 おじさんのしていることを暴けば、この痕の謎も解けるだろう。そう思ったまりいは、おじさんを探し始めた。けれど、結局どこにもおじさんは見当たらなかった。部屋のどこにも鍵がかかっているからだった。仕方なく部屋に戻ることにしたまりいは、どこからか、声が聞こえてくることに気がついた。


 その声の聞こえているほうに近づくと、ある部屋から聞こえてくるようだった。ぼそぼそとして聞こえづらい。それでも必死に聞こうとしたまりいの耳に何かの言葉が飛び込んできた。


「……主様が末永く生きるよう、天女の血を引く……の血を捧げる……」


 不気味なものを感じたまりいは、後ずさった。そばに誰かがいるのに気がついた時には、口に何かがあてられていた。遠のく意識の中、おじさんの声が聞こえてきた。


「まったく、残念だよ。いつまでも一緒に暮らせると思っていたんだがね……」





 まりいの最期を知ったのは、偶然だった。月臣が裏山でうっ憤を晴らしに行ったときのことだ。そばには火の玉がいる。火の玉は月臣が一家離散したころから一緒にいる、いわば悪友だった。火の玉は月臣に裏山で憂さ晴らしをしたらと、提案したのだった。


「イライラを貯めたら、あまりよくないよぉ~?」


「……ああ、そうだな」


 口の軽さにイライラさせられることもあるが、この火の玉がいなければ月臣は今頃雑木林で餓死していただろう。それに、一緒にいて楽しいのは確かだった。そんなわけで月臣は火の玉の提案を受け入れることにした。まりいを見つけたのは、そういう経緯があったのだ。





 裏山を探索していると、誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。気のせいかと思うと、どうやらそうではなかった。木のそばで本当に誰かが泣いていたのだった。あまり誰かに泣かれるのが好きではない月臣はその声のするところへ行くことにした。


「お、お前、確かあの屋敷につかまってた……」


 6年もたつと成長しているとはいえ、確かにその子はまりいの特徴である、口元のほくろがあった。顔だちも幼い時の名残が残っている。


「……お兄さん、生きてたの?」


「勝手に殺すなよ。それよりもお前、その体……」


 まりいの体が透けて見えた。後ろにある木がうっすらと見える。悪い予感が体を駆け巡った。


「ありゃりゃ、この子もしかして幽霊かもよ? どうする? あの世逝きにする?」


 そばで見ていた火の玉が楽しそうな口調で言った。まりいは思わず、息を飲む。


「あまりちょっかいをかけるな、ナキメ。この子が怖がってる」


「……月臣のほうが怖い顔なのにねぇ……」


「うるさい」


 火の玉を一喝すると、月臣はまりいのほうに向き直ってこう言った。


「……お前、紫乃聖人にやられたんだろう。もう遅いかもしれねぇけど、俺が敵を討ってやるから」


「ど、どうして……」


「弟がいたんだ。正親まさちかって名前だ。俺の家族は紫乃聖人に破滅させられた。そのせいで……。お前には、弟の二の舞になってほしくなかった。……だからだ」


 まりいは月臣の言葉に偽りがないことを見てとった。この人は本当に私を助けようとしてくれていたんだ。


「ありがとう……、月臣、兄ちゃん。あ、あと私の名前はまりいだからねっ」


「……わかったよ。まりい。てか何で俺の名前を?」


「その火の玉がお兄ちゃんの名前を言ったじゃない。月臣だって」


「……そうか、そうだったな」


「ちょっと! 僕の名前はナキメだって! 勝手に名前かえないでよっ」


「ナキメ、帰るぞ。それじゃな、かたき討ち、期待しないで待ってろよ」


「ありがとう、お兄ちゃん!」


「ちょっと! 無視しないでよ! 待ってよ、月臣~!」





 月臣兄ちゃんはいつも、私のところへ来てくれる。無縁仏という、石を積んでくれて、そこにお菓子も備えてくれた。兄ちゃんは笑顔こそ少ないけど、私のことを考えてくれるって、よくわかる。


 だってどんなにこの裏山から離れようとしても、私は出ていくことができないから。私は裏山に閉じ込められてしまったけれど、兄ちゃんが来てくれるおかげで、楽しみも増えた。兄ちゃんは約束してくれた。私をころした紫乃聖人をやっつけると。





 けれど、いつからか、兄ちゃんは来なくなってしまった。待っても待っても来なかった。裏山に棲む妖怪たちは、口々に私の事を見限ったんだって言う。私のことを見捨てたんだって。でも、嘘だよね? 紫乃聖人をやっつけるのに時間がかかってるだけだよね? いつか、倒したって報告をしてくれるよね?





「お前の話はいちいち嘘くせぇな」


 火の玉が語り終えると、子鬼が食ってかかるように言った。火の玉はいつでも口が軽いので信用ならない、というわけだ。


「信じなくってもいいさ。ただの昔話だからね」


「……でもよ~。そいつどうしたんだよ?」


 子鬼が薫の頭に蹴りを入れながらつぶやいた。蹴られたほうの薫は熟睡したまま、起きそうにない。パソコンの画面はいつの間にか暗くなっている。


「そいつって?」


「ツキヨミってやつだよ。そいつ、それからどうしたんだよ? あれからお前とは会ってないんだろ?」


「月臣だよ。つ・く・お・み。聞いた話じゃ、リンチされて殺されたって言われてるよ」


「なんかさ~。お前とつるんだ奴って、ロクな生き方してねぇ奴多いな」


「君に言われたくないなぁ~。十字路で徘徊していたんでしょ?」


「うるせー!」


 怒った子鬼が火の玉に蹴りを入れたが、火の玉はあっさりとそれをかわし、代わりに後ろで寝そべっていた黒犬にぶつかってしまった。ぶつかった拍子に、起こされた黒犬はうなった。


「……ウ゛~(……まったく、静かにできないのか)」


「ごめん! 親分! 許してっ」


 土下座しながら謝る子鬼は、さながら悪党に使える下っ端のようだ。下っ端気質が身に染みこんでいるのか、黒犬に対して何度も土下座している。


「(ところで、ナキメ)」


 土下座する子鬼をスルーして、そのまま黒犬は立ち上がろうとしたが、後ろ脚は萎えているのか、横たえたままだ。ところどころ震えている。


「ん~? どうしたの?」


「(……月臣の、話はもうするな)」


「え、でも、よみには関係ないでしょ? 過去の……」


「(いいから、話すな)」


 それだけ言うと、黒犬はまた寝入ってしまった。カーテンの閉まっていない窓から、きれいな月明かりが部屋を照らしていた。

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