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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
惑うものたち
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和解の謎

 形を持った薄黒い影はどんどんみあに迫っている。みあは恐ろしさのあまり、ジャングルジムに固くしがみつき、まぶたを閉じた。そして、影の手がみあに触れる、というときだった。


「ワン! ワン!」


 ヨルの緊張感のない声が響き渡る。みあは恐る恐る薄眼を開けると、まだそこに薄黒い影がいた。しかし、戸惑っているようだった。下のほうでヨルが影にじゃれついていた。


「ワン!(遊ぼうってば~!)」


 影はうっとうしそうにヨルを押しのけようとしたが、ヨルは一向に影から離れようとしない。大きな体を影にもたれかけて前肢で押さえた。


「やめろっ! 離れろ!」


 今まで無言だった影が初めて口を開いた(口があればの話だが)。慌てた口調でヨルから逃げようとするも、ヨルのほうが力が強いらしく、どんどん締め付ける力が強くなっていく。


「頼むからあっち行ってくれ! 送り犬はごめんだ~!」


「ワンッ! ワンッ!(遊ぼうって言ってるだけじゃない!)」





(……そうか。あの子は無事なのか)


 天上界のとある場所。緑の小鳥こと、迦陵頻伽かりょうびんがは、キツネ耳から報告を受け取っていた。


「あまり、嬉しそうじゃないですけど? 和沙は魔の手から逃げることができたんですよ? これは喜ぶべきことじゃないんですか?」


 キツネ耳は和沙が紫乃聖人から逃げ切れたことを知って大いに喜んでいたが、緑の小鳥の浮かない顔を見て、浮ついた表情を改めた。


(翠川里奈という子を知っておるな?)


「……知ってますけど、その子がどうしたんですか?」


 話の行先がわからないまま相槌を打つキツネ耳。いつもは狐面をかぶっているが、迦陵頻伽かりょうびんがの前とあって、今は外していて、ひもで腰にくくりつけていた。体を動かすたびにあちこちに揺れる。


(里奈はもう感づいておる。奴が我々を騙すためにわざと、和沙を解放したのだと)


「えっ、それじゃ、まだ問題は……」


(何も解決しておらん。この前天狗に話をつけに行ったが、全く無意味だった。奴が裏で糸を引いているのは間違いない。これは、紫乃聖人を倒すだけでは意味がないのだ)


 そう言うと、小鳥は目を遠くに向けた。眼前には辺り一面の蓮の花がが咲いていて、空には魂と思しき球体が飛びかっていた。いつもだったら、この光景を見るたび現世うつしよでの煩わしさを忘れることができたが、小鳥の胸の内は暗澹あんたんたる思いでいっぱいだった。


(……よみという送り犬をどうにかせねばならんな……)




『話がある。休憩時間に、体育館裏で話そう』


 そうラインをよこしたのは、しばらく話をしていない孝輔だった。勝は、ラインを見た瞬間、行こうか迷った。あの時のやり取り以来、孝輔と全く話ししていない勝は、またケンカの原因でも作ってしまったのかと訝しんだ。


「何悩んでんだよ? 行ってやればいいじゃないか? アイツだってバカな真似するほどやわじゃないだろ」


 いつの間にか翔太がスマホをのぞきこんでいた。勝は慌てて画面を隠したが、勝自身は何の返信も打っていなかった。勝が黙ったままでいると、翔太が明るい声で言った。


「だ~いじょうぶだってっ。こっそり後をついてきてやるからさ。佐野が何かしようとしたら、俺が何とかしてやるよ」


「日野っ、まさか佐野とケンカでもするつもりか?」


「まさかっ。そんなことしないってばっ」


 稔まで会話に加わってきた。顔には大事にならなければいいんだけど、というのがありありと出ていた。稔の心配そうな顔を見た勝は、不安が伝染したような気分になった。


「けれど、ラインで話せばいいんじゃないのか? ……なんで……」


「たぶん大事なようでもあるんだろ。さっきも言っただろ。何かあったら俺が何とかしてやるって」


 本当は行きたくなかった。が、断った後が怖いと思い、渋々行くことにした。いったいどんな顔をして会えばいいというのだろう……。




 おなかが痛い。早く話してくれればいいのに、孝輔は渋い顔をして一向に口を開かない。勝は、いつまで黙ってるつもりなのか問い詰めたくなったが、無駄にケンカをしたくない以上、我慢することにした。


 後ろには、翔太が隠れて二人を見守っていたが、翔太もなぜか難しい顔をしていた。きっと孝輔の心の内を読んだに違いなかった。孝輔が口を開いた時には、休憩時間は残り10分だった。


「小野のことなんだけど……。……いや、やっぱりやめた。あいつに内緒でこのことを話すのはよくない。もう教室に戻れよ。休憩時間を無駄にして悪かったな」


「な、なんだよっ! 呼んでおいてそれはないだろっ。……小野に、何かあったのか?」


 勝は思いあまって孝輔を問い詰めたが、孝輔は口を割ろうとしなかった。体調がよくないのかと思うほど、孝輔の表情は青かった。勝は、イライラしつつこう言い放った。


「わかったよっ。もう教室に戻るからなっ。じゃあなっ」


「あのさっ」


 駆けだそうとした勝に孝輔が呼びかける。勝は立ち止まったが、振り向こうとしなかった。体全体で怒っているのがまるわかりだ。


「あの時は本当にごめんっ。お前のヨルが飯野を殺したなんて言ったりして悪かったっ。俺、物事の一面しか見てなかった。ほんと、ごめんっ」


 声の調子からして、孝輔が本当に謝っているのは、明々白々だった。けれど勝には実感がわかなかった。皆に無視され続け、心が疲弊していたのだ。しかし、孝輔の謝罪に答えないのは、ダメだと考え直し、勝は向き直った。


「……俺のほうこそ、ごめん。佐野の気持ち考えないで、悪かった」


 笑って見せたものの、無理やりなためか、顔がひきつっていた。それでも、孝輔には伝わったみたいだった。


「あ、ありがとう。許してくれて……」


 孝輔との冷戦は終わった。しかし、勝はなぜ孝輔が勝と仲直りしようとしたのか、その理由を知るのはまだ先の話だ。





「ヨルちゃ~ん! この前の告白の答え、聞いてないんだけど~!」


 穴を掘っていると、性懲りもなくおいしそうじゃない肉、ぬっぺがまた現れた。まったく、私はあんたに一番会いたくないのっ! イラッとした私は、掘った穴の土をぬっぺめがけて飛ばした。その土はみごとぬっぺに命中した。


「な、何するんだよ~! もしかして、照れ隠しでそんなことしたの?」


「ワン!(そんなわけないでしょ!)」


 いったい、どこからそういう発想が出てくるのやら……。今のはもちろん全くの照れ隠しじゃない。私が好きなのは、稔なんだからねっ! 稔の声、稔の匂い、そのどれをとってもぬっぺとは違うんだから! 私はぬっぺから逃げだすため、穴から飛びだした。けれど、飛びだした場所が悪く誰かにぶつかってしまった。


「痛いじゃないかっ! ……おや、誰かと思えば、ヨルじゃないか。穴なんか掘ってどうしたんだ?」


 私がぶつかってしまったのは、木霊こだまさんだった。実りの秋なのか、木の実を体の枝に実らせていた。


「ワンッ、ワンッ(何でもないの。ただ……)」


「ちょっとっ、おいらのこと無視しないでよっ。まだ答え聞いてない……」


「ワンッ、ワンッ、ワンッ(黙らないと咬むわよ! 私は木霊さんと話ししてるのっ!)」


 ぴしゃりと言い放つと、ぬっぺは観念したように立ち去っていった。あの様子だと、たぶんまた私に会いに来るかも。厄介な奴に好かれちゃった……。


「なんだか、ぬっぺふほふのこと嫌ってるみたいだけど、あまり邪険に扱わないほうがいい。この裏山で暮らし続けるのなら、我を張らないことも必要だ。わかったね?」


 なんだかあの時と違う……。木の枝を折ろうとした時、あんなに怒ってたじゃないの……。なんだか腑に落ちないけど、まあいいわ。別に木霊さんとケンカしたいわけじゃないし。


「ワンッ。ワンッ(わかった。これから怒らないようにしてみるから)」


 木霊さんは納得したらしく、うなづいた。木の実がおいしそうに揺れたので、思わず、よだれが落ちた。


「よかったら食べても構わないよ」


 そう言うと、木の実を差し出した。つややかに光る実は微かに甘い匂いがした。




 病院独特の匂いが鼻をつく。たとえどんなに健康でも、この匂いは人を何かしら不健康にするところがある。私は鼻を抑えながら、自分の病室に向かった。エレベータのボタンを押しても無反応なので、無論階段を使わなければならない。一歩一歩階段を上がっていき、私の病室のある3階へと向かう。そうして目的の階についた時だった。病室に向かおうとした時、誰かの手が私の肩に触れた。


「ひゃっ」


 間抜けな声を出して、その場にへたり込んだ。いったい誰が私に触れたのだろう? 恐る恐る見上げると、案の定、誰かが私のことを見降ろしていた。心配そうな顔をしている。


「ご、ごめんなさいっ。まさか腰を抜かすなんて思ってなくってっ。あの、大丈夫ですか?」


 私は驚きを隠せないまま、その人の顔をまじまじと見る。病院に場違いな白い和服を着ている女性の頭に、動物の耳が生えている。おまけにキツネの尻尾付きだ。尻尾や耳はどう見ても作り物に見えず、しかも時折動いていた。


「じ、人獣……」





 ふわふわと名乗るその女性は、叔父に監禁されていた私にお守りをくれた人だとわかった。その後の私のことが心配で探しに来たのだという。


「でもどうして、私の居場所がわかったんですか?」


「お守りのおかげよ。ほら、あなたに渡したでしょ?」


「……あの、そのお守り、なくなってしまったんですけど……」


「いいのよ。あれは消耗品だから」


 そう言うと、キツネ耳、もといふわふわは口を閉じた。何かを言いたそうにこっちのほうを見た。時々、尻尾がブルっと震えた。何か言いたいけど言えない、そんな感じがした。


「……あの、そろそろ病室に行ってもいい? 私の体の様子を見たいんですけど……」


 ふわふわはなかなか口を開こうとしなかったので、私は自分の病室に行くことにした。沈黙が気にかかる。けれど、今の私がやりたいことを後回しにするつもりはさらさらなかった。




「おやぶ~ん! さっきから寝てばっかりでつまんねえよ! 起きてくれよぉ~!」


 物が散らばった生活感満載のとあるアパートの一室で、子鬼が物を投げ飛ばしながら不平不満をこぼしていた。ヨルに似た大きい黒犬がうっすら目を開けると、子鬼に一瞥くれただけでまた寝入ってしまった。子鬼の不満をなだめるように火の玉がなだめすかすような口調で言った。


「しかたないよ。よみは疲れがたまってるんだから。寝たい時に寝させてあげなきゃ、ね?」


 しかし、子鬼は全く納得がいかない様子で喚き散らし、物を蹴飛ばした。ますます汚部屋感がひどくなっているのは、半分こいつのせいでもある。部屋の主である薫はパソコンを開いたまま寝入っていた。ワードで雑誌に載せるための記事を打ったままになっている。


『ハロウィンにぴったりの、仮装特集!!』


「なんでったって、こいつは仕事ってやつに時間を盗られてるんだ? こんな物やめてしまえばいいのによっ!」


 そう言うと、子鬼は薫の背中を思いっきり蹴り上げた。しかし、薫も疲れがたまっているのか、蹴られても熟睡したままだった。


「けっ! つまんねぇやつ! ……そういや、昨夜お前らどこかに行ってたな。何しに行ってたんだ?」


「……ああ、そのこと? 別にたいしたことなかったよ。自サツしたい少年がいたから僕が手伝ってあげようとしたんだけどさぁ。よみが止めたんだよ。そいつには死相が浮かんでないってね。ほんと、最近のよみはつまんなくなったよ。以前だったら憎いやつらをあの世逝きにしまくりだったのに、ねぇ?」


「し、しそう?」


「そう、死相。僕にはただの言い訳にしか聞こえなかったんだけどねぇ……」


 ため息交じりに言ったかと思うと、火の玉は薫の寝顔を見た。薫が小さいころはよく火の玉が背中に体当たりして泣かせたものだった。が、今はその役は子鬼に譲ってしまったことを悔しく思わないわけではなかったが、それでもやっぱり、火の玉にはそれが退屈の原因だったようだ。


(何か面白いこと起きたりしないものかな……。月臣つくおみがいたころは退屈しなかったのに、ねぇ……、よみ?)



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