ありえない邂逅
「……そうか、もう捨てちゃったんだ……」
力なく落胆した声を出したのは、稔だった。勝の機嫌があまりにも悪く、思わず声を荒げて勝の手を触った稔は、勝がヨルを捨てる過去を見てしまったのだった。このころには、もう孝輔は勝に話しかけても来ないし、幸也は相変わらず不登校を決め込んでいたので、勝と話す相手は翔太と稔だけになっていた。稔のつぶやきにハッとした勝は、やり切れなさそうにうつむいた。
「……ヨルと一緒にいると、俺の頭がどうかなりそうだったんだ。ヨルが、飯野をころしたんじゃないかって」
「まぁ、そう思っても仕方がないよな」
翔太は勝の肩を持つように言ったが、勝には何の気休めにもならなかった。良平が亡くなってから、友だちの絆はバラバラになりかけていたのだ。ヨルが、送り犬だとわかる前、幽霊が見えるだけだと思っていたころは、勝は妖怪好きな自分を許されているような気がしていた。
けれど、送り犬だとわかった今、勝は自分自身が決して、テレビアニメの主人公のようなかっこいい人物ではないことを思い知らされてしまったのだ。結局勝も、欠点を持つただの人間だというわけだ。
「……なぁ、日野。俺マジで思うんだけど、お前サッカー部入ったほうがいいぞ」
「……はぁっ? 今その話す……」
「いや、真野の言う通りだよ。思い悩んでるより、体を動かしたほうが気分が落ち着くだろうから」
それを聞いた勝は、その通りだと思ったが、声には出さず、うなづくだけにした。きっと、また何かを言ったら、翔太たちともケンカをしてしまいそうになるほどだったのだ。勝がその日部活をやろうと決めたのは、当然の成り行きだった。
私は、またあの橋のあるところへ行っていた。どうにも勝の家へたどり着けず迷い続けたら、どういうわけかあの橋のかかっている川へとたどり着いたのだった。私は、この近くにこんな橋がかかっている川があることなど知らなかったので、何かの間違いじゃないかと思った。
そもそも勝の家にたどり着けなくなっていたときからおかしいと思うべきだったのかもしれない。私は、橋のそばに女の子がいることに気がつき、駆けよろうとした。が、その時、すさまじい力で阻まれた。なんだか、前にも同じようなことがあったような気がする……。私が、なんとかすさまじい力から逃れようとしてもがいていると、誰かが近寄ってくるのを感じた。
私は近づいてきた人を見てびっくりした。近づいて来たその人は白いキツネの頭をした女性だったのだ。あっけに取られていると、その人(?)は、私に話しかけてきた。
「まったく、懲りない奴ね! あれほど忠告しておいたでしょ! あんたが人間のそばにいるのはいけないって」
その声には聞き覚えがあった。時折私のところに来ては、勝の家から出て行けと言った、あのふわふわの声にそっくりなのだ。もしかして、これがふわふわの正体、なのかな? 私が、キツネの頭をよく見ようと近づこうとしたが、それがいけなかったらしい。とたんに私は地面に叩きつけられてしまった。
「ワン!(何するの! 痛いじゃない!)」
キツネ頭の女性は得意げに私を見降ろしながらこう言った。
「私に文句言うのは、お門違いよ。送り犬さん?」
何なのっ。こいつ、ムカつく! 私は咬みつこうとしたが、相手はいとも簡単にそらしてしまった。
「私はこれでも妖狐の末裔なのよ? その私があんたみたいな半人前に負けるわけないじゃない」
「ワン! ワン! ワン!(この前のあの黒い物体、あれはあなたでしょ! 変な色になって私にここに連れてこられたのは、どこのどなた様よ!)」
あの話を振ると、キツネ頭は動揺したらしく、つっかえながら言い返してきた。
「そ、そんなの、し、知らないわよっ。あんたの勘違いじゃないの? バカ犬のくせに、生意気よっ」
やっぱり、こいつだったんだ……。
キツネ頭ともみあっているうち、橋のそばの女の子はどこかへと行ってしまっていた。私は、もしかしたら橋の向こうへ行ったかもしれないと思い、橋を渡ろうとした。その時、向こうからものすごい勢いで誰かがこっちに向ってきた。そして私のそばに来るなり、猛烈な勢いで怒鳴った。
「そこの送り犬っ! 橋を渡るんじゃない! お前はただ死者の魂をここに届けるのが役目であって、この橋を通る資格はない!」
あまりの剣幕で怒るので、私はたじろいでしまった。おびえた様子の私を見たその人は、おや? という顔をした。
「こいつ、よく見たら、あの送り犬ではないな……。心なしかあの送り犬より小さいし……。別犬……。いや、別の送り犬か……。怒ってすまんな……」
怒鳴られた私は、怖さのあまり、体が小刻みに震えていた。良く嗅いでみたらこの人、人の匂いがしない……。
私は、いつの間にやら、あの裏山へと返されていた。暗いので嗅覚が匂いをかぎ取って裏山に帰ったんだということがわかった。私は、もう一度勝の家に帰ってみることにした。私の住むべき場所はここじゃないのだから。
裏山を出たとき、今度はあの黒犬にも出くわさなかった。今度こそは勝の家に戻れる。そう思い、私は勝の家へと勇んで帰っていった。歩いて行くと、誰かの声がしたので、いつの間にか私の気持ちはそちらのほうへと気が向いて行った。ついて行ってみよう。
「せんぱ~い。ミミ先輩ってば、記事を書くのに、遠くへ行けって言うんですよ~。どう思います~?」
「そりゃ、先輩は編集長だからでしょ。記事を編集するのが編集長の仕事、取材するのは記者の仕事、でしょ」
二人の女性が、仕事とかいうものの話をしている。一人はショートカットで、パンツスタイル、もう一人はセミロングで、ゆったりとしたスカートをはいていた。二人の話は意味がわからないけど、興味を持った私はもう少し話を聞きたいと思い、もうしばらくつけていくことにした。
「え~。でも~。僕はやっぱり、近くが良かった……」
「記者が行先に文句言ってどうするのよ。私だって仕事に文句言いたいのはやまやまだけど」
僕っ娘に、鋭く切りかえしたセミロングの人は、やれやれと言いたげに首を振った。
「でも、先輩だって、いつまでも校正の仕事するわけじゃないでしょ?」
「そりゃあ、ね」
「だったら、僕と一緒に別の仕事探しましょ~よ~。個人の自由が利く会社に行くべきっ」
「あのね。そんなこと言ったら、ミミ先輩に失礼よ」
「……あ」
何かを思いだしたかのように、僕っ娘は、口を噤んだ。痛いところを突かれたに違いない。けれど、僕っ娘はたじろいだ様子もなく、こんなことを言いだした。
「じゃあ、仕事をもっと楽しくできるようにすべき、かな?」
「……その楽しさを見つけられればいいんだけどね……」
この二人、仕事とか言うのに悩んでるみたい。そんなに辛いなら、やめればいいのに、なんで仕事をするのかな?
「じゃあ、僕が取材先で面白いネタを探しますよっ。先輩が楽しめるようにっ」
「……はいはい。期待しないで待ってるわ」
「人の話を立ち聞きするなんて、ホント趣味が悪いよね~」
誰かの声が聞こえたので声がしたほうを振り返った。しかし、そこには誰もいなかった。……気のせい、かな?
「気のせいじゃないよ。ほら、よく見てよ」
その瞬間、私の目の前に火の玉が現れた。でも、以前会ったことがある火の玉とは違って、少し小さいような気がする……。別の火の玉なんだろうか。でもこの声は聞き覚えがあった。
「そういや、君ってさ、確か送り犬のはずだよね? どうしてこんな街中にいるの?」
あれ? この火の玉、前に私と会ったこと、忘れてる? どうしてなのかしら?
「ワン!(私、勝のところで暮らしてるんだけど、追いだされちゃったの)」
「いや、勝って、どこの勝だよ。分かるように話してよ。それよりもさ。僕の話し相手になってよ。僕今ひとりなんだよね~」
「ワン! ワン! ワン!(あなたに仲間がいるじゃないの。ほら、私によく似た大きい黒犬と、人間みたいな妖怪がいるじゃないのっ。そいつらと話せばいいでしょっ)」
しかし、帰ってきた答えは意外なものだった。
「君、何言ってるの? さっき僕は一人だって言ったんだけど? 仲間なんて持ったことはないんだけどね~? 誰かと勘違いしてるんじゃないの?」
私はその返答に戸惑った。いったい、どういうことなんだろう? この火の玉、自分の仲間のこと、忘れちゃったのかな? 私がうろたえていると、火の玉は呆れたように言った。
「……はぁ、それじゃ、僕はもう帰るよ。これから夜は更けてくるし、人間を驚かす絶好のチャンスっ、だからね~。 君も、街中で獲物探すんだったら、あまり人の多いところは選ばないほうがいいよ。じゃ~ね~っ」
そう言うと、火の玉はどこかへと姿をくらませてしまった。……それにしても、どうしてあの火の玉は私が送り犬だってすぐにわかったのかな? 送り犬の特徴か何か、あるのかもしれない。
私は、そのまま勝の家のある方へと向かって行った。勝は今、どうしているだろうか? その答えがわかったのは、勝の家に来てすぐにわかった。家の前に車が停まっている。そこから出てきたのは紛れもなく勝とその家族だった。
私は、勝に駆けよろうとしたが、あることに気がついた。勝が前より小さく見えるのだ。私の知っている勝は確かに子どもだけど、成長期にある子どもらしく、背も勝ママに近づいていた。それなのに、私の目の前にいる勝は、どう見ても背が小さく、幼さが残る顔だちをしていた。そしてさらに困惑させる言葉が私の耳を貫いた。
「母ちゃんっ、犬がほしいっ! 犬を飼ってよっ! 妖怪のお犬様みたいな犬がほしいっ! 弟がいないんだから、それぐらい、いいでしょ~!」
「だ~めっ。第一、勝は、最後まで何かをやり遂げたこと一度もないじゃないの。宿題だって最後までしてないでしょっ」
「それは違うよ~。あれは事故だったのっ。宿題をやろうとしたら、何かに邪魔されるんだっ」
「またそうやって言い訳して。言い訳する子に犬を飼う資格はありませんっ」
「いやだ~!」
「ほら、勝、お母さんを困らせるんじゃない。家に入るぞ」
こうして三人は私には目もくれず、家の中に入っていった。……私、夢でも見てるのかな……。
急に疎外感を感じた私は、一旦裏山に戻ることにした。本当は戻りたくないのだけど……。目の前で起きたことに理解が追い付いてなかったということもある。けれど、それよりも私が感じたのは、ここは私の知ってる場所ではない、ということだった。足の裏の感覚、鼻をくすぐる匂いが、これは夢ではない、と知らしめていたので、この困惑を解消するには裏山に戻るしかなかった。
裏山についた時のことだった。私はなぜか頂上まで行ってみようという気になった。もう二度と戻らないつもりでいたのだけど、頂上まで行けば気分転換になると思ったのだ。暗くなっていたので、簡単な道のりではなかった。匂いだけを頼りに頂上までの道を探っていくのは、大変だった。けれど、上まで登り切った瞬間、ようやく登れた、という安堵感がわいてきた。歩き疲れたので、少し休もう……。
「あら、こんなところにワンちゃんがいるなんて、めずらしいわね」
ここには私一人だけ、だと思っていたので、声がしたとき、驚いて跳ね上がってしまった。
「ご、ごめんねっ。まさか私のこと見えてるなんて思ってなかったから……」
そう言うと、女の子は少し涙目になった。私は慰めようとその子の手をなめようとした……。しかし、私の舌はあろうことか、その子の手を貫通してしまった。そう言えば、前に私、この子に会ったような気がする……。なんていう名前だったっけ? 思いだせないなんて、じれったい……。
「私、ね。今ひとりなの。本当は、会う約束してる人がいるんだけど、その人仕事が忙しいみたい。紫乃和沙さんっていうんだけど、ワンちゃん会ったことある?」
そんなの知るわけないじゃない、と思ったけれど、なぜか私にはその名前は聞き覚えがあった。初めて聞く名前のはずなのに、懐かしく、そして同時に憎らしい感情が芽生えてきた。なぜだろう? 初めて聞く名前のはずなのにとても憎く感じてしまうのは? 私が黙ったままでいると、女の子は続けてこう言った。
「紫乃和沙さんはとても良い人よ……。でもその叔父さんは許せない。だから、これ、嗅いでみて」
女の子が差し出したのは、布の切れ端だった。一体何なんだろう? 私は疑問に思いながらその布を嗅いでみた。
「……ッ!?」
「これ、紫乃和沙の叔父さんの紫乃聖人ってやつの服の切れ端。あいつのところから逃げだす際に取っ組み合いになってこの服の切れ端を持って来ちゃったみたい。でも、ここまで逃げてきたはいいけど、私、捕まっちゃってころされっちゃたの……。お願い。ワンちゃん。紫乃聖人をやっつけてよ。そして私の恨みを晴らしてっ」
あの服の匂いを嗅いだ瞬間、私はいつの間にか紫乃聖人への復讐を誓っていた。この匂い、憎いアイツの匂い。どうしてもやっつけないといけない奴の匂い。この匂いのする奴をなんとしても……、
殺す。




