もう、一緒にいられない
良平の死は、翌日、先生の口からあっさりとした形で語られた。病気のせいで、中学校に来られなかったこともあってか、皆の反応も、それ相応のあっさりとしたものだった。他の皆にとっては中学校に入学するはずだった見知らぬ子が亡くなったことは、ニュースで誰かが死んだ話と大同小異なのだろう。
けれど、勝にとっては衝撃だった。良平の退院を心待ちにしていたのが良平と同じ小学校に通い、そして良平と友達だった子だけだというのは、周りの反応を見ても明らかだった。亡くなった原因について語られなかったのも、勝の気持ちをざわつかせた。
(白血病って、治るようになったんじゃないのか……? それとも、ほかのことが原因なのか?)
その様子を見てとった翔太は、良平が亡くなった原因について、いつまでも黙っていられるものではないと感じた。良平の死にヨルが絡んでいるとなれば、なおさらだった。
その時は突然やってきた。勝は家に帰ってくるなり、私のところに来た。手にはリードを持っている。私は散歩には早すぎる、と思ったけれど、勝の顔を見て何かよくないことがあったのだと思った。けれども、勝は、そんなことは口には出さず、こう言っただけだった。
「ヨル、早いけど、散歩に行こう」
今までの勝とは違い、明らかに態度が変だったこともあり、私はリードをつけられるままになった。勝、一体何を隠してるのかしら? 明らかに様子がおかしい勝に連れられながら、私は家を出ることとなった。
ついたのは裏山だった。色とりどりの花が咲き、蝶が舞っている。けれども、それに反して勝の足取りは重たげだ。本当にいったい、どうしちゃったっていうのよ?
私たちは裏山の山頂にたどり着いた。私は、今まで山頂に入ったことがないはずなのに、なぜか奇妙な既視感を覚えた。以前ここに来たことがあるような、そんな錯覚。そんなはずはない、と思っていると、勝が意外な行動に出た。私の首輪を外したのだ。勝のとった行動にあっけに取られていると、勝は感情を押し殺したような口調で私に言った。
「……良平が亡くなったらしい。今日、先生に言われたんだ。……なぁ、ヨル。お前が良平をころしたんじゃ、ないよな?」
私は自分の耳を疑った。勝、どうしてそんなこと、言うの? 私は、ただ……。私が黙ったままでいると、勝は、感情が堰を切ったかのように、まくしたてた。
「どうしても、考えてしまうんだよっ。お前がころしたんじゃないかって。そうじゃないって思おうとしたけど、やっぱり無理だっ。……だって、お前は送り犬なんだもんな。佐野は気が付いてたんだ。お前が恐ろしい妖怪だって。人をころすかもしれないって。けど、俺は、見て見ぬふりをしてきたんだ。その結果が、これだっ。俺が、お前を拾ったからこうなったんだ……。お前を拾わなかったら、飯野は死なずに済んだんだっ! ……お前なんか、お前なんか、もう家族なんかじゃない! もう、あの世でもどこでも、俺の目の届かないところへ行ってしまえっ!」
ちょっと、待ってよ! 勝! 私は良平をころしてない! どんなに否定したくても、言葉を持たない私に、それは無理な話だった。勝は私に当たり散らすと、そのまま裏山を駆け下りていった。私は、捨てられてしまったのだ。
「……ねぇ、ミミ先輩」
「ん? なぁ~に? どうしたの? 怖い顔して? 何かあったの?」
白山薫がとある資料を持って桃井美海の前に立っている。資料を持っている手が戦慄いているのが見えた。
「これ、どういうことなん!」
ミミ先輩につきだした記事には、薫が取材することになった、とある山の記事が載っていた。そこには紫乃和沙の顔写真が載っていた。
『○△山で、行方不明だった紫乃和沙さん(24)が、発見されたものの、未だ意識を回復していない』
「……あぁ、これのこと……」
「どうして、見つかったこと言わなかったんっ?」
「……」
薫の剣幕に対して、ミミ先輩は黙ったままだ。何か、隠している、そんな態度。
「……やっぱり、18年前にここで谷中真里衣が行方知れずになったのと、関係……」
「そのこと、なんだけどね。君には、別のことを取材してほしいと思ってる」
「えっ? で、でもっ」
「わかったら、この話は終わりっ。はい、もう終了時刻なんだから、帰りなさいっ」
ミミ先輩は半ば強引に薫をオフィスから追い出した。薫は納得してない様子だったが、あきらめて帰っていった。
(……このことを、嗅ぎつけていること、相手にばれちゃったら、ただじゃ、済まされないと思うの。私だって、和沙のことは心配してる。けど、このことはつつくべきことじゃない。それは、あなたが一番よくわかってるはず。紫乃聖人を刺激してはいけないってことを……)
その日の夕方のこと、勝の母親は、勝が一人で帰ってきたことに気がついた。勝の手にはリードも、何も持っていない。
「……もしかして、またヨルが逃げちゃったの?」
「……あ、まぁ、うん……」
「で、でも、ヨルのことだから、また戻ってくるわよっ。ね?」
「……うん」
勝としては、もう、戻ってきてほしくなかった。友達をころしたかも知れない犬をそばに置いておきたくない、そう言いたかったけれど、何も言わずに二階に上がっていくことにした。
言ってしまえば、自分がこれ以上にないほど、傷ついてしまう、そのことがわかっていたから。母親も、何かに気がついたらしく、これ以上追及しようとはしなかった。ただ、やはり、親としては言ってほしかったに違いなかったのは間違いないことだった。
しばらく呆然としていた私は、誰かに話しかけられていることに気が付かなかった。それぐらい、勝の行動が信じられなかったのかもしれない。私に話しかけている相手は、私が反応しそうにないことに気が付いたらしく、私の体を思いっきりつねった。
「ワンッ!(い、痛いじゃないっ! 何するのよ!)」
「ようやく気がついたのね。本当に鈍感なんだから」
私をつねった相手は、長い髪をかき上げた。もう、つねらなくてもいいじゃないのっ。私は不満を相手に伝えるために相手の服を引っ張ろうとした。が、私の口は相手の体を貫通してしまった。ど、どうなってるの?
「ふふんっ。私は幽霊だから、あんたがどうやって咬もうとしても、咬めないのですっ」
なんだか、とっても扱いづらい子、いや、幽霊に出会ってしまったわ……。それにしても、なんだかこの子を見ていると、あの川のあるところへ送りたくなっちゃうわ。やっぱり、この子が幽霊、だからなのかしらね。でも、この子は私の体触れた、よね? まあ、いいわ。そうとわかったら、連れて行かないとっ。私がやろうとしていることに気が付いたのか、幽霊の女の子は私の口に手を差し出してきた。
「やれるものならやってみなさいよ? 送り犬ちゃん?」
? 何のこと? おくりいぬ、って何? 私がキョトンとしていると、女の子はじれったそうに、また手を差し出してきた。
「ほんっと、バカ犬なのねっ。何度言ったらわかるのっ! 咬んでみなさいよっ」
こ、この子、私のことを、バカ犬って言ったっ! ひどいこと言うじゃないっ! そこまで言うなら、本当に連れてってやるんだからっ。私は再度その子の服の裾を咬もうとしたが、やはり、すり抜けてしまった。ど、どうして?
「私はね、じばくれいって言うんだって。だからこの場所から離れられないのよ。って、あんたによく似たおっきい黒犬にそう言われたんだ」
そ、そうだったの……。……じばくれいの意味、あんまりよくわからなかったけど……。とりあえず、ここから離れられない幽霊ってことよね?
「そういえば、まだ私の名前、言ってなかったわね。私、谷中真里衣っていうの。あんた、ヨルって名前なんでしょ? あの黒犬が言ってたわよ」
! あ、あの黒犬、どこまで私のこと知ってるのよっ。も、もしかして、私のこと、好き、とか? ……それは、ないわね。私のこと、見下してる感じだったもんね。私だって、あんな奴より、稔のほうが好きだわっ。
幽霊の女の子は、私がまた反応薄くなったことに気を悪くしたのか、どこかへ姿をくらませてしまっていた。私は、これからこの裏山で暮らしていくことになるとは考えもせずに、稔をどうやって誘いだすか、しばらく思いを巡らせていた。
勝がベッドで物思いに沈んでいたころ、幸也の姉の江里菜は里奈と一緒に公園にいた。ヨルが起こしたことについて話し合っていた。
「……問題は、どうしてヨルが送り犬だということが、今までわからなかったのかってことよ」
「私たち、今まで、別のことで頭がいっぱいだったじゃない。ほら、紫乃聖人のこととか」
江里菜がポツッとつぶやいたが、里奈はそれを無視して話を進めた。
「そうだとしてもよ。今まで気がつける要素は最初からあったのよ。ヨルが幽霊や妖怪が見えてる時点でおかしいと思ってなければだめだったんだわ」
「……でも、私たちは無意識のうちに気が付いてた。ただ言葉にするのを恐れてただけなんだって」
話し合いは冷ややかなものだった。二人してパフェを食べに行くときにはなかった、そんな冷たさが二人の間に漂っていた。
「……ところで、幸也君の様子は、どう?」
「部屋にこもってる。起きてほしくないことが起きたから、とてもショックを受けてる。ひきこもるなんて、今までなかったのに……。けど、里奈のほうも、どうなのよ? あの黒犬とヨルの接点が今じゃ見つかったわけじゃない。里奈は知ってたんでしょ? あの黒犬が送り犬だってこと」
江里菜の口調にはやや非難めいたものが混じっていた。妖怪が見えてなおかつ親しくしてるとあれば、妖怪が起こした問題はすべからく里奈の問題でもあるかのようだ。
「……知ってた。けど……」
「知ってたんじゃない。知ってて、送り犬がしていることに目をつぶってたんじゃないの」
今や二人の間には、マリアナ海溝よりも深い溝が広がっていた。もう、なすすべはないのかもしれない。
「一つだけ、言わせて」
「……何?」
「前にあの黒犬と話していたんだけどね。何が好きかって話」
「……それで?」
「よみさん。あの黒犬の名前なんだけどね。よみさんは、復讐をするのは好きじゃないって言ってた」
「人殺しの犬なのに?」
絵里奈の声はもはや絶対零度を記録していた。里奈を慮る態度は、そこには微塵も見受けられなかった。
「……よみさん、寝るのが好きなんだって。それも熟睡。夢なんか見る暇もない」
「あのね、今はそう言う話を……」
「彼は心の平穏を願ってたのよ。ヨルも同じよ。ヨルはただ、自分が何者か知らなかった。自分が普通の犬と信じていた、勝君と一緒に平穏に暮らしたい、ただそれだけなの。勝君も、ヨルがまさかそんなことをするなんて思ってなかったはずよ」
「……それは、そうかもしれないけど……」
「それで、江里菜はどうなの?」
「どうって、何が?」
「勝君のことよ。何かあったら約束してって、言ったんだよね。……あれ、嘘なの? 勝君の飼ってる犬が妖怪だったから、その約束はなしにするの?」
「別にっ、そんなこと、言ってない……」
「だったら……」
「別に、勝君が悪意を持ってあの犬を飼ってたなんて言ってない。けど、やっぱり、妖怪全てに優しくするなんて、間違ってる」
話は済んだとばかり江里菜はベンチから立ち上がった。里奈は江里菜を引き留めることはしなかった。里奈自身が言った通り最初から気が付く要素はふんだんにあったのだ。ただそれに、構おうとしなかっただけだったのだ。
(……私、甘すぎた、のかな……)
里奈はベンチに座ったまま、手に持った時間が経って固くなりつつあったクレープを眺めていた。
「……ホント、バカみたいだよねぇ~。憎いなら憎いで、どうしてさっさとやつをヤらないのか、僕にはまったく理解しがたいよ」
「でもよぅ、こういうふうに思わないか? 親分は反撃を恐れてるって」
「まさかっwww。よみは送り犬だよ? 君みたいに命にしがみついてちゃ、送り犬なんかやめて、普通の犬みたいなことしてるよ。君、そういうこと、想像できる?」
「……できねぇな。ってか、さっき俺のことディスらなかったか?」
「さぁ? 気のせいじゃない? それにしても、君の口からディスるって言葉が出てくるなんてね~www」
「おかしいかよ」
「ムフッ。おかしいに決まってるじゃないか~。いくら薫君の話に合わせようとして、いつかは消えゆく言葉を使おうだなんて、ものすご~く、おかしいよwww」
「それをお前の口からは聞きたくねぇな……」
「それって、僕がいつでもネットスラングってやつを話してるって言い方みたいじゃない」
「してねえのかよ。それよりも、さっきの話、本当だとしたらよ、『しのせーと』とかいうやつ、何か隠してるよな。なんかやべぇやつをさ」
「……君、それさっき気が付いたの?」
「へ? じゃ、お前は気が付いてたのかよ?」
「そりゃもちろんさ。そういや、面白い話があるんだけど」
「話かえるなよ。……で、その話って何だよ」
「ヨルちゃんて覚えてる?」
「……だれだ? そいつ?」
「よみに瓜二つの黒犬だよ」
「そんなやついたっけか。で、そいつがどうしたって?」
「飼い主の子どもに捨てられたんだってさwww」
「それのどこがおもしれぇんだよ。聞いて損したぜ」
「いや、面白いね。想像してみただけで笑えてくるんだから」
「はぁ~。そうかよ……」
主のいないアパートの一室で妖怪二人が何事かを話している。時折笑い声を立てながら話す火の玉に対し、小さな人間といった感じの子鬼っぽい妖怪は面白くなさそうだ。あんまり理解力が遅いことにじれったさを感じた火の玉はいささかムッとしながら、話のけりをつけた。
「君にはこの面白さがわからないかな? 今まで、信頼していた子に捨てられたんだよ。勝手に拾ってきて、ヨルって名前をつけて、散々一緒に暮らしてきたくせに、その飼い犬が、よみと同じ送り犬で、しかも人をころしたかもしれないと気がついた途端に捨てたんだよ。まさに人間特有の身勝手極まりない行為だね。……これからのヨルちゃんがどうするかなって思うと、可笑しくって仕方がないじゃないか」




