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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
閉ざされた過去
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潰える未来

 暖かい陽気に包まれ、うつらうつらとしているのは、まだ中学生になったばかりの勝だった。授業中だというのに、勝は教科書を目の前に立てかけ先生の話を聞いていないのをごまかしていた。隣の席の翔太は見知らぬふりをしていたが、勝の後ろの席にいた生徒は勝が寝ていることに気が付くと、思いっきり手をあげた。


「せんせ~! 寝ている人が約一名、目の前にいます!」


「……日野さん、眠らないといけないほど、先生の授業は退屈か?」


 声に気が付いた勝は、飛び起きた拍子に、目の前の教科書を飛ばして前に座っている生徒にぶつけてしまった。


「ごっ、ごめんなさい……」


 教科書をぶつけられた生徒は頭を撫でさすりながら、「気をつけろよ」と言っただけだったが、勝は周りから笑い声が上がっていることに気がつき、ばつが悪い思いをした。





『起こしてくれてもよかったじゃないかっ。何で起こさなかったんだよ? まさる』


『ごめんって。あんまり気持ちよく寝ていたもんだから、起こしちゃ悪いと思ったんだよ しょうた』


『おかげで、恥ずかしかったんだからなっ まさる』


『話し合ってるところ悪いんだけど、そろそろ飯野の見舞いに何を持って行くか決めたほうがよくないか? みのる』


『あ、そうだったな。悪い。今度の日曜日に行くって決めたんだったんだよな。俺はやっぱり、漫画がいいなっ しょうた』


『自分の好きなものを持って行くわけじゃないんだよ。見舞いに持って行くものなんだから。ここは飯野が好きなものを持って行くべきだ みのる』


『僕もそう思う。日野君は何を持って行く? ゆきや』




 休憩時間、勝はラインで良平の見舞いに何を持って行くか皆とやり取りをしていた。先ほどの幸也からのラインを見た勝は、一瞬妖怪図鑑を持って行こうと思ったが、かぶりを振った。


(……ダメだ。もう、それとは縁を切るって決めたんだった……。でも、飯野が好きなものって何だろう? 聞いたことがないな……)


 途方に暮れていたとき、目の前が暗くなっていることに気がついた。誰かの気配がする……。恐る恐る目をあげてみた……。





 私は公園につくと、辺りをくまなく探した。みあのことが心配だったのだ。勝ママは、公園につくなりうろつく私をかなり不気味に思ったらしく、落ち着かせようと躍起になっていた。


「ねえ、友達と遊んだらどうなの? ほら、そこにココアちゃんがいるじゃない」


「ワン!(おい! お前、どうしたってんだよ! さっきから何を探してんだよ?)」


 私はみあを探すのに必死で、ココアの存在に気が付かなかった。チワワのココアは、私よりかなり小さいので、あやうく踏みかけそうになったのだ。


「キャン!(お、お前! 何するんだよ! 気をつけろよ!)」


「すみませんっ。ヨルが落ち着きなくって……」


「えぇ、構いませんよ。元気があっていいじゃないですか」


「ほら、ヨル。ココアちゃんにあやま……。って、どこに行くのっ」


 みあはここにいない。だとしたら、まだあの動物病院にいるんだ。私は、みあに会うべく公園を出ようとしたところを勝ママとココアの飼い主さんとでとり押さえられてしまった。


「ワン! ワン!(みあに会いに行くの! 離してよ!)」


「キャン!(みあって、なんなんだ?)」


「ワン!(私の新しい友達なのっ。早く会いに行かないとだめな気がするっ)」


「ヨル、落ち着きなさいっ。まだ公園に来たばかりなのよっ」


 あまりにも、もどかしくて悔しかった。もうみあに会えないかもしれないのに、人間たちに伝えられないなんて、あんまりだ。みあ、もう一度会いたい。





「さ、佐野! な、何の……用事……」


 勝の前に立っていたのは、最近どうも勝を避けているらしい孝輔だった。深刻そうな顔つきで勝を見ている。その顔を見た勝は、どうやらただ事では済みそうにないと感じ、はやくも逃げ腰になっていた。だが、孝輔の顔を見る限り、逃げるのは事態を悪くさせるだけだと思い直し、相手が口を開くのを待つことにした。


「……お前の飼っている犬のことで、話がある」


「ヨルの、ことか?」


「調べてみたんだよ。あいつがどういう妖怪なのか。そしたら見つけたんだ」


 そう言って、孝輔はスマホを勝の前につきつけてきた。そこには、妖怪図鑑のあるページが載っていた。


『送り犬』


「お前の犬、送り犬っていう妖怪らしいな。人間の後をつけてきて、もし転んだらあの世送りにする妖怪だ。妖怪好きのお前はそのこと、知ってたんだろ?」


 何の話をしようとしているのか、見当が付かなかったが、あまりいい話でないことは確かだ。


「……で、でも、今までヨルは誰も襲ったりしてなんか……」


「このこと、飯野は知ってるのか? お前の犬が、送り犬だってこと」


 それを聞いて勝は、孝輔が何を心配しているのか分かった気がした。けれど、勝は、それに対して反論したい気持ちもあった。


「知らない……、けど……」


「俺はあの犬を捨てるべきだと思う。でないと、人をころすようになるかもしれないんだぞっ。お前はわかっててあの犬を飼っていたのか?」


「それ、は……」


 何も、言い返せなかった。確かにヨルが送り犬だってことはうすうす感づいてはいた。けれど、普通の犬として育てることによってその本性が抑えられる、と考えていたことも事実だ。でもそれは、勝が事実から目をそむけている何よりの証拠だったのだ。


「わかったら、あいつを拾ってきたところに捨てろよ。でなきゃ、俺はお前を殴るだけじゃ、済まさないかもしれない」


 そう吐き捨てると、孝輔はその場を立ち去った。勝の手元にあるスマホから『ラインっ』という、声がむなしく響いた。


『なんでもいいから、飯野のところに持って行くもの、考えとけよ しょうた』






「それじゃあ、ね。元気にしててよ。みあ。そんな顔しないで、また会いに来るんだから」


 みあは、見舞いに来た飼い主の女性、由佳が動物病院から出て行くのを見届けると、周りの空気が変わるのを感じた。


「……(また、あんたなの……。来ないでって言ったでしょ……)」


「(またとはなんだ、また、とは。強情な娘だな。さっさと覚悟を決めたらどうだ)」


 みあの目の前には、いつの間にかバカでかい黒い犬がいた。憐みのかけらもない目でみあを見降ろしている。


「……(嫌よ)」


「(この世での思いが強いほど、来世での苦しみが強くなる。それでも、こんなところにとどまりたいのか)」


「……(あんたの言う、来世なんて知らないっ。私は、ただ、また由佳に会いたい。そして、新しい友達にも……)」


 みあは立ち上がろうとして、足を滑らせる。前より状態は悪いようだった。


「(またそれか。お前が俺によく似ているとかほざいている、あのバカ犬のことか)」


「……キャンッ(バカ犬なんて言わないでっ。ヨルはいい子よっ。なんであんたなんかに似ないといけないのか分からないくらいよっ)」


「(……言いたいことは、それだけか)」


「……(え……)」


「(お前の寿命はもうすぐ尽きる。あれほど覚悟を決めろと言ったのに……。残念だな)」





 私は、走っていた。勝ママの手を振り切り、あの動物病院へと向かったのだ。もしかしたら、間に合うかもしれない。そんな淡い期待を抱いてのことだった。みあにもう会えないなんて、考えたくもない。その思いだけで、私はがむしゃらに走っていった。


 しばらく走り続けたときのことだった。ある建物の前に嗅ぎなれた匂いを放っている人がいることに気がついた。あれってもしかしてっ。私は思わずその人のほうに向って走っていった。相手もそれに気が付いたようだった。


「ヨルッ。どうしてここにいるんだ? 日野はどうした? あ、今の時間帯はお母さんが散歩させてるんだったよな……」


 良平っ。久しぶりじゃない! どうしてたのよっ! 私は良平へのあいさつがてら、彼の匂いをかぐことにした。……あれ、この匂い、なんだか変……。もしかして、良平……。


「……俺、入院中なんだ。今は少し気分がいいから散歩させてもらえてるんだけどね。でも、退院できたら、また遊べるからな」


 そんな……。せっかく会えたのに、その病気とかのせいで、遊べないなんて……。……あれ? 向こうで何か、おかしな音がしてる……。なんだか、どんどんこっちに向ってきてる?


「じゃあ、俺、これから戻んないといけないから。またな」


 ちょっと、待って! 良平! そっちに行ったらっ……。






 良平が事故に巻き込まれた。自動車が病院に向って突撃した先に運悪く、良平がいたのだった。私は、良平を助けるべきだったのかもしれない。けれど、気が付いた時には、彼は車の下敷きになっていた。もう、どうしようもなかった。


 車を運転していた人は、慌てて車から飛び降りたけれど、良平を見るなり、あろうことか、車に戻って逃げてしまった。ほかの人が駆けつけてきたころには、私は、あの橋があるところへと逃げていた。きっと、このままじゃ、いけないことに巻き込まれる、そう恐れたからだった。





 私があの橋についた時、見覚えのある犬がいることに気がついた。


「キャン!(ヨル! どうしてアンタがここにいるの? それにアンタ、その口にくわえているのは……、何?)」


「(静かにしろ。お前にはこれからここを渡ってもらう)」


 私の目の前にいたのは、みあと、あのバカでかい私にそっくりの黒犬だった。私は、あの黒犬を見るなり、腰が引けるのをどうしても止められなかった。


「キャン!(絶対にいや! 由佳に会いたい!)」


「ウ゛~(ダメだ。渡ってもらう)」


 私がどうしようか迷っていると、口元から声が聞こえてきた。びっくりして口を開けると、そこから透明のキラキラした球体が飛び出てきた。


(うぁ~。怖かった。どうなることかと思った……。……って、ここ、どこ? 病院前じゃ、ない、よね?)


「ワン!(もしかして、良平なのっ?)」


 私は知らないうちに良平の魂を連れてきてしまっていたのだった。私、なんてことをしてしまったのだろう……。






 どうして、言わなかったのか、自分でもよくわかる。言った後の反応が怖いからだ。夢で見たことを伝えた後も、友達でいてくれる確証なんてあるはずがない、と幸也はどこかしら思っていた。自分は臆病者だと罵りさえしたが、気分がよくなるものではなかった。吐きそうな顔でスマホをしまった幸也の横顔を見た翔太は、言えないのも当然だ、と思った。


(……俺も、そんなこと言えねえな。友達の飼い犬のせいで、飯野が死にそうな目に遭うなんて、言えないよな……)


「……ご、ごめん。つ、つ、付きあわせて。も、もう帰って、い、いいから」


「いや、いいって。俺も一緒に帰るから」


「えっ、で、でも……」


「いや、一緒に帰ろう。悪いがお前の心の中、見させてもらった。はっきり言って、お前は一人にできない。自分でも分かってんだろ? 見た夢がどれだけひどいのか」


「……そ、それは、そうだけど」


 幸也はうなだれたままだったが、顔色が真っ青なのがうかがえた。このままいけば、卒倒するかもしれない。


(……能力って、テレビアニメみたいに、すごいものじゃなくって、呪縛のようなもんだな……。それを発揮すれば、するほど、自分を苦しめる……。まあ、俺にはそれが普通だから、そんなこと考えもしなかったけどな)





 私は、呆然としたまま勝の家に戻っていった。目の前で、良平が車に轢かれたときのあの衝撃が目からこびりついて離れない。忘れたくても、忘れられそうにない、血の匂い。そして、車を運転していた人のとった行動。すべてが、現実に起こったことでないかのように感じた。けれど、すべては起きてしまった。もう、良平は戻れないのだと、頭では分かっていても、胸の内ではそれを拒絶していた。


 私が家に戻った時には、勝ママは、いつも通りそこにいた。そして、私を見るなりこう言った。


「……戻って、来たのね。あぁ、よかった。心配したじゃない。勝手にどこかいったらだめじゃないの」


 そう言うと、私を抱きしめた。勝ママに抱かれた瞬間、やっぱり、ここが私の居場所なのだと感じた。どんな嫌なことがあっても、私を受け入れてくれる場所。けれど、これが、勝の家にいられる最後の時だなんて、この時は思いもしなかった。安心できる場所にいられなくなるなんて、微塵も私の頭にはなかった。


「おなかすいたでしょ。今日は早めに食べていいからね」


 これが、暖かい場所にいられる、最後のひと時だった。

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