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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
ヨルとの出会い
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ここにいる理由

 勝は新しい席に座りながら、黒板の前に立っている転校生を興味なさそうに見つめていた。その転校生は勝が思うような飛び切り可愛い女の子ではなく、見るからにやんちゃそうな悪ガキだったのだ。


「初めまして! 今日からこのクラスのナンバーワンになる真野翔太です! よろしくな!」


 その転校生は、私を勝の下に届けてくれたあの、自称さとりだった。先生は勝の横があいているから、とその転校生に勝の隣の席を指示した。そいつは、勝の横の席に座るなりこう言った。


「お前の飼っているあの犬、結構生意気だから、お前、これから苦労するよな」


 そう言われた勝は案の定、顔を真っ赤にして顔を思いっきりそいつからそむけた。その様子を見た自称覚の翔太は、面白いものでも見たかのようにニヤニヤしていた。


(なんで、転校生がヨルのこと、知ってるんだ? な、なんかの間違いだよな?)


 私は、勝が学校に行っている間、部屋の中を走り回るだけでは飽き足りなかった。勝の母親は、買い物に行っていて家の中は私だけだった。


(退屈だな~。誰も遊ぶ相手がいないんじゃ、つまらないな~)


 私だけで公園に行くことも考えてみた。しかし、勝がいないと楽しさが半減することも知っていた。夏休みというものが終わって勝が学校に行きだすようになってから、私は一人遊びをしないといけないようになってきた。


 公園に行けば友達のチワワに会えるかもしれなかったのだが、もし公園に誰もいなかったらという不安もよぎった。けれど、そんな悩みよりも、私だけひとりという寂しさのほうが勝ったので、家から出ることにした。


 しかし、である。公園に行こうとして玄関のドアノブに前肢をかけた(私は数か月の間に結構大きくなっていた)まではよかった。鍵がかかっているためか、何度まわしてみても開く気配がない。そこで私は庭に面した窓のほうに行ってみた。勝が窓を開けているところを何度も見ているので開け方は覚えていた。前肢を嫌というほど滑らせた後、ようやくかちりという音がした。窓に前肢をねじ込み何とか開けたのち、私は庭に飛びだした。塀があったが、私はそこをいともたやすく飛び超え、公園へと駆けだした。


 公園へと向かう途中のことだった。私はいつしか知らないうちに私が勝と出会ったあの裏山に来てしまっていた。公園へ行く道のりは覚えているので、何がどう転んで裏山に来てしまったのか皆目見当が付かなかった。私は勝のところへ来て以来、裏山へ行ったことはなかった。しかし、裏山で独りぼっちだったあの時の恐怖がまざまざと湧きあがってきた。私は何とか恐怖を噛み殺しながらこの山から離れることにした。


(どうして? なんでこんなところに来てしまったのよ!)


 山を降りようとした時、ガサガサッという音がした。誰かがそこにいる! 私は一瞬にして緊張感をみなぎらせた。いったい誰なんだろう……。


「チョットコーイ! チョットコーイ!」


 私の目の前に出てきたのは丸まるとしたウズラのようなコジュケイだった。私は人語が話せる鳥がいるなんて、と驚きを隠せなかった。でもさっきからあの鳥は「ちょっと来い」だけしか言っていない。もしかすると、私に来てほしいのかもしれない。そう思い、私はそのウズラっぽい鳥のほうへ近寄ってみた。


 しかし、その鳥は私が近づいたことが許せないらしく、足の蹴爪で私に蹴りかかってきた。私は間一髪でその攻撃をかわしたが、足の着地に失敗してしまい思いっきり転んでしまった。その時、私の腹に鋭い痛みが走った。どうやら相手の鳥の蹴爪が腹に食いこんだらしかった。傷口から血が滴っているのか生暖かい感触が広がってきた。あまりの痛さに足元がふらついたが、相手をひるませるため、私は思いっきり吠えたてた。


「ワン! ワン!」


 吠えたおかげもあってか、ウズラみたいな鳥は走り去っていった。


(まったく、来てほしく無いならちょっと来いなんて言わないでよね!)


 ホッと一息つきたいところだったが、ケガを負ってしまった以上、それは無理な話だった。肉食獣がこの血の匂いを嗅ぎつけるかもしれないからだ。そうなると、一刻も早くこの山から離れないといけなかった。けれど、私の不安は的中してしまった。私の血の匂いを嗅ぎつけたものが早くも私の目の前に来たからだった。しかし、目の前にいるそれは、私の想像を超えたものだった。


「おいしそうな血の匂いがすると思ったら、ただの犬か。しかも子犬だから食えるところも少ないと来た。でも、まあ、腹の足しぐらいにはなるか」


 私は今まで嗅いだどの人間の匂いとも違うそいつに恐れを感じた。一体こいつは何なんだろう……。


「心配するな。苦しまずに一瞬で死なせてやるから」


 嫌だ。死にたくない。見知らぬ人に出会った時の何倍もの命の危険を感じた私は早く逃げだしたかった。だけど、私の足はすくんでしまったせいで一歩も動きそうになかった。なんで、こんなところで死なないといけないの? まだ、勝のところにいたいよ。私なんて食べてもおいしく無い、こっちに来ないで!


「なあ、あれはいったいなんのつもりだよ?」


 昼休み、勝は転校生の翔太に今朝のことを問いかけていた。勝はいまにも突っかかりなそうな雰囲気だ。翔太はあまり気にするふうでもなくこう言った。


「……ここに転校する前に、お前んとこの犬に会った。それだけ」


 これだけ言うと、外にいる男子生徒に手を振った。もう友達を作ったらしい。その友達のところへ行こうとする翔太を勝が遮った。


「ちょっと! 話は終わってないっ」


 行く手を阻まれた翔太はうんざりしているようだった。


「どうして犬を飼っていることを知っているんだ? って言いたいんだろ?」


 聞きたいことを先に言われた勝は面食らってしまった。どうしてわかったんだという顔を隠すことができない。


「そ、そうだ。なんでヨルのことを知ってるんだよっ」


 気を取り直して翔太に聞き直した。顔は紅葉したモミジのような色になっていた。


「ふぅ~ん。あいつヨルっているのか。残念な名前つけられたもんだな。夜にその犬を拾ったから、だろ」


「~~~っ!」


 勝は今度はネーミングセンスをなじられたことで赤くなっていた。とっても安直な名前だと。翔太はそんな勝を見て少しひき気味である。


「どうしてそんなに怒るんだよ。別に怒ることほどでもないだろ。俺があの犬を知っているのはな……」


「なんだよ」


 翔太はもったいをつけてどう言おうか思案していたようだが、ふと溜息を漏らした。


「……やっぱ、い~わない!」


 そう言って翔太は外へと駆けだして行った。勝は虚を突かれたように呆然としていたが、はっとして怒鳴り返した。


「気になるじゃないか! その言い方! 途中まで言ったんなら教えろよ!」


「言ったとしても信じないだろうから、教えな~い!」


「なんだよ、それ!」


 勝はしばらくカッカして火照った頭だったが、気持ちを落ち着けると、ようやく疑問がわいてきた。


「……言ったとしても信じないって、どういうこと?」


 迫りくる痛みを想像して私は目をつむった。けれど、あの鳥に蹴られた時にできたケガ以外の痛みは襲ってこなかった。代わりに別の人の匂いが私の鼻腔を通っていった。誰かが助けに来てくれたに違いなかった。でも、勝でないことだけは確かだった。


「お前、牙があるんだから相手に咬みつくことぐらい、できるだろ」


 恐る恐る、目を開ける。この人は誰だろう。勝の知り合い、じゃないよね?

 

「クゥ~ン」


「あっ、ケガしているじゃないか! まさか、あいつにケガさせられたとかじゃないな?」


 目の前の知らない人は、私の心配をしてくれているようだ。でも、なぜ? やっぱり、勝の知り合い? 目の前の人は、懐を何かしらまさぐって何かを取り出した。何だか得体のしれない匂いがする。まさか、毒じゃないよね? 目の前の人は、私が心配そうな顔をしているのに気が付いたようで、説明してくれた。


「大丈夫。これは薬草なんだ。おまえのケガを治すためのな。ちょっとしみるかもしれないけど、我慢してくれ」


 そう言って、その薬草を石ですりつぶし(変な匂いが強まった)、私のケガに擦りつけた。


「キャン!」


「ああ、ごめんよ。でも、これでケガは治るはずだから」


 言われた通り、痛みは徐々に引いていった。私の疑念とは裏腹にこの人は本当に私を助けてくれたのだ。私のケガの処置が終わると、その人は私を襲ったものについて話し始めた。


「この山は、な。普通の人には見えない物の怪のたまり場になってるんだ。けれど、見えない人には悪さができないんだ。でも、お前には見えた。だからこそあの鬼はお前を襲おうとしたんだ。猫は物の怪の類を見ることはできるけど、犬でそういうのはめったにいないからね」


 この人は自称覚と、サイコなんとかと、同じ類の人なんだと思い至った。あまりそう言うのは信用できないけれど、人間じゃない匂いをさせている奴に襲われそうになったのは確かなことだった。あいつが何だったのか、よくわからないけれど、これからは裏山に近寄らないようにしようと心に決めた。


 その人はあろうことか、その自称覚と、サイコなんとかの友達だった。スマホから誰かを呼びだしたかと思うと、ここまで来たのがそいつらと、またほかの私の知らないだれかだったからだ。今の時間はみんな学校のはずなのに、どうしてここまで来れたのかというと、どうやらその知らない人がここまで連れてきたらしい。裏山と学校は離れているはずだから一瞬にここまで来れるはずはない。


 しかし、この人達の友達ということだから、きっとまた何か胡散臭い能力の持ち主なのだろう。その人曰く、一度に大勢は連れてこれないのだから勘弁してほしいとのことだった。いったい何のことなのやら。


「なあ、本当なのか。その犬が普通の犬じゃないって?」


 知らない人がそう口を開いた。それに応えるかのように私のケガを処置してくれた人が言った。


「俺が言うのだから確かだよ。この犬は確かに俺と同じように物の怪が見えてる。こんな犬、めったといない」


 私はホメられているのか、けなされているのかよくわからなかった。けれど、その人がそう言った瞬間に自称覚と、サイコなんとかが目配せしたのを見て、これは重大なことなんだと気が付いた。この人達、私をどうしようとしているのかしら。でもこの人達は勝と同じぐらいの声の高さ、つまり子供のはずだし、悪いことは考えてないはず……。しかし、次に聞いた言葉は私の予想を上回るものだった。


「それってまずくないか。もしこのことが人間を良く思ってない奴に知れ渡りでもしたら……。この犬、確かラブラドールレトリーバーだよな……」


「そう、真っ黒けの黒ラブだ」


 自称覚がそう交ぜっ返したせいで、知らない人は大きな溜息をついた。それはサイコなんとかも同じだった。


「こいつは、悪いやつらに手渡してはいけない。たしかこいつの飼い主は日野勝って言ったな」


「そうだ。俺が隣の学校に転校した時に出会った奴だ。俺の子分にはもってこいだな」


 おあいにくさま。勝がこの人の子分なんて似合わないわよ。


「あのな……。俺はまじめに話ししてるの!」


「わ、わかってるって。そう怒るなよ」


「そこで、だ。俺らもその、勝ってやつに会うべきだと思う。このことの重大さをそいつにもわかってもらわないと」






 私が出会ったあの子は、今まで出会ったどの少女よりも変わっていた。こんな夜中に出歩くなんてという疑惑や、いつも同じ服を着ているなんて、家は貧乏なのかなという心配もさることながら、私をいつも疑問に思わせたのは、私がこの山に来る頃にはいつも先だって来ていることだった。


 服を見ても汚れている様子はないし、疲れきってへとへとの様子はみじんも見せなかった。実はこの裏山は小高いながらも、子供が一人でのぼるには少し危ない箇所があるのだ。それを一人でのぼったなど考えにくいが、私が来る頃にはいつもそこにいるので、よけい疑問は膨らんだ。


「ねえ、聞きたいことがあるんだけど」


「ん? なぁに?」


「あなた、私がここにつくころにはいつもここにいるわよね。ここには誰に連れてきてもらっているの? 見たところ、ここには誰もいないようだけど」


 少女は私が可笑しなことを聞いたかのように、目を丸くした。そんなに変なこと、聞いたつもりはないんだけど。少女はしばらく黙っていたが、やがてこう答えた。


「……ひとりだったの」


「え?」


 彼女が言ったことの意味がわからず、思わず聞き返す。すると、少女はこう付け足した。


「私、気が付いた時にはここにいたの。……どうやってここまで来たのか覚えてない。それに……」


 言おうかどうか迷った挙句、彼女は大きく息を吸って一気に言いきった。それを聞いた時の私の顔はとても唖然としていたに違いない。彼女はやっぱり、言うんじゃなかったという顔をしたからだ。


「私、ここから離れられないの。裏山から降りようとしても、いつの間にかここに戻ってきてしまうの。なんでこうなったのか、思いだせないっ。……ねえ、私、死んじゃったのかな……」

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