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捨て犬ヨルは人間の夢を見る  作者: 火之香
閉ざされた過去
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とある過去の話

 いつまで続くかわからない退屈な毎日。会社に向う足取りが重い。紫乃和沙は電車から降りるなり溜息をついた。


(……こんなはずじゃなかったのにな~。志望の会社にはどんどん落ち続けて、やっと就職できた会社も、第一志望じゃなかったし……。はぁ……。校正の仕事なんてやってらんない~。はぁ……。早く、時間が過ぎて退社時間にならないかな~)


 紫乃和沙はようやく受かった会社で変わらず続く単調な毎日に幻滅していた。周りの友達は早くにいいところに受かったりする中、和沙だけ落ち続け、とうとう、就職ができたころには大学を卒業してから一年が過ぎていた。


 やっぱり、辞めようかな……。もっとこう華やかな仕事がしたいし。けれど、辞める、と言いだしたら、父親が反対するのが目に見えていた。自分の思い通りにならないと怒りだすような人なので、相談しにくい……。





 歩いてから徒歩十分、会社にたどり着いた時には和沙の気力はゼロどころか、マイナスを更新していた。会社の中に入り、エレベーターに乗りこみ、自分の会社がある階のボタンを押す。エレベーターの中の自分の顔をふと眺めてみる。きれいにメイクができているはずなのに、やる気がない顔のせいでだれて見える。


 なんか、これじゃ、体力仕事をやってるみたいではないか。しかし、どんどん減っているのは体力ではなく、気力のほうである。気力のないだらけた顔がエレベーター内の鏡に写っていたのだ。これでは、あのウザい熱血上司が文句を言いに来るだろう。和沙は慌てて笑顔を作るが、そこにはやっぱり無理があった。引きつった笑顔があまりにも痛々しい。エレベーターのドアが開いた時、彼女は慌てて笑顔を引っ込めた。






 単調な作業を繰り返し、欠伸を咬み殺していたとき、彼女のスマホから『ラインっ』という声が聞こえた。


(……仕事中なのに、誰だろう?)


 そう思いながらも、スマホを見る。相手は大学時代の先輩、桃井美海みみからだった。


『今仕事中? おいしいカフェをこの前見つけたから一緒にそこでランチしない? ミミ』


 和沙は呆れながらも辺りを見まわし、誰にも見られてないこと確認してからラインを返した。


『今は仕事中なの、ミミさんだってわかってるでしょ。けど、ランチはしたいかも かずさ』


『OK! じゃあ、休憩時間にそのカフェに行こうね。楽しみにしててね ミミ』


 桃井美海は和沙の仕事場の先輩でもあり、編集長だ。一体どういう仕事をしているのか、自由度の高い行き方を謳歌している。和沙はそんな先輩を見てうらやましく思ったが、自分にはそんなことできそうもない。目の前の原稿を見て溜息を漏らした。






 ランチに誘われた場所は暖かい陽ざしが降りそそぐカフェテラスがあるカフェだった。女性たちがスマホをとりだし、熱心に食べ物の写真を撮っている。


「どう? 仕事のほうの調子は?」


 席につくなり美海は和沙に仕事の様子を聞いてきた。大学時代の後輩が自分の会社に入ってきたものだから気になったのだろう。


「……はっきり言って、楽しくないんですよ」


「うん、顔を見たらわかる。大学の時と比べ物にならないぐらい、どんよりしてるもんね」


「美海さんがうらやましいです。編集長をやってるだなんて」


「編集長の仕事も、大変なものよ~? 周りから見たら華々しく見えるだけ」


「そうなんですか」


「そうよ。常に周りにアンテナ張ってなきゃいけないし」


 常に楽しく見えるのは気のせいだろうか。食事をしていると、向こうから誰かが走ってくるのが見えた。よく見ると和沙の会社の後輩だ。和沙たちのところに来るなり、息を切らせながらこう言った。


「ミミ先輩! そこでなにしてるのっ! 話があるって言ったの先輩じゃんっ」


 いきなりタメ口でまくし立てた後輩は白山薫、見習い記者だ。約束をすっぽかされた子犬のように不服を口に漏らしている。


「まあまあ、落ち着きなさいって。連絡しなかったのは謝るから。ほら、席に座って」


「……は~い」


 ぶつくさ文句を言いながらも、さっそくメニューを手に取る後輩、こいつ、おごってもらうつもりだな。


「それじゃ、このエスプレッソにしよう」






 私と後輩は美海さんが出してきた、タブレットを凝視する。そこにはこう書かれていた。


『夏の特集企画(予定)

 その1:インスタ映えするかき氷がおいしい店特集

 その2:夏にうれしいかわいい小物特集

 その3:これからはやる? 穴場スポット特集

 etc……』


「これはなんですか?」


「これはね、一年に一度だけ、夏だけの特集を組もうと考えてある企画よ。いろいろ、考えてみたんだけど、これっていうものはまだ思いつかないのよね。それで、あなたたちに意見を聞こうと思って」


「で、でも先輩、私校正係ですよ?」


「そう、僕だって記者だし」


 言ったとたん、美海さんの顔つきが変わった。その顔のせいで、私のカフェラテを持つ手が止まってしまった。それは、隣に座っている後輩も同じようだった。


「……いいのよ。別に手伝ってくれなくても。これは編集長である私の仕事だもんね……」


 彼女の顔を見て、しまったと思った。美海さんは泣かせたらあまりいいことがない、というのは大学時代から心得ていたことだった。


「そ、それじゃ、この8番目の企画なんてどうですかっ? 夏のホラー特集っ! 夏にぴったりっ」


「……そう? それじゃ、夏の企画は8番に決まり、でいいわね?」


「は、はいっ」


「う~ん。和沙先輩がそれがいいっていうんなら、いいんじゃない?」


 はっきり言って私は、美海さんを泣かせないためなら何でもよかった。しかし、隣の後輩は自分の仕事を左右することかもしれないのに、その態度はないんじゃなかろうか。かくして、私のこれからの校正は、ホラー記事で彩られることになった。





 帰宅途中、ふと眩暈が襲ってきた。思わずしゃがんだ私は、強く目をつむった。頭がぐらぐらするのを通り過ぎるのを待った。額から冷や汗が出てくるのを感じた。知らないうちに体に疲れがたまっていたのかな……。


 まだぐらぐらする身体を何とか水平に保ち、近くにあった公園に入りベンチに座った。カバンからハンカチをとりだして額を吹く間、次第に眩暈が収まってきた。単調な仕事しかしてないはずなのに、疲れってたまるもんなんだと、変なことに感心しながらも体の調子がよくなるまで、ベンチに座っていることにした。


 でも、とりあえず遅くなりそうなことは家に連絡しておこう。そう思い、カバンからスマホをとりだそうとした……。


「わぁ、そのヘンなの、何? 見せて!」


 素っ頓狂な声にびっくりした私は思わずスマホを手から取り落としてしまった。


「えっ? な、何?」


 辺りを見まわすも、声の主らしき人物は見当たらない。気のせいだったんだろうか……。気を取り直してスマホを拾い、顔をあげた……。




「ぎゃっ!」


「うわっ!」


 なんと、目の前には、さっきまでいなかったはずの小さな男の子がまじまじと私の手元のスマホを眺めていた。私は、その子になぜか奇妙な違和感を感じながら、話しかけてみることにした。


「君、そこで何してるの? お母さんは? 一人で何してるの?」


 けれど、その子は私のした質問には答えず、相変わらず無邪気にスマホを眺めていた。


「ねえ、この小さな箱、なぁに? キラキラしてるねっ」


「これは、スマホって言うんだけど……。それより、私の質問に答えてよ。お母さんはどうしたの?」


 しつこく問いただすと、その子は心なしか寂しげな顔になった。私、きつく言いすぎたかな? そして、その子はおずおずと、話し始めた。


「僕、お母さんいないの」


「え? じゃあ、お兄さんか、お姉さんが一緒にいるのかな?」


 辺りを見まわしてもそれらしき人物は見当たらないが……。


「ちがうの、お母さんはいなくなったの。それで、僕のお兄ちゃんもいなくなっちゃった……」


 もしかして、この子、迷子、……なのかな? とりあえず、なんとかしないと。


「じゃあ、お姉ちゃんが一緒に探してあげようか? お母さんと、お兄ちゃん」


「だめだよ」


「……え? で、でも……」


「だって、お母さんはしんじゃって、お兄ちゃんも、たぶん、しんじゃったから」


「え……」


 その子の体は心なしかおぼろげに感じる。気のせい、よね……。重い気分を取り払うため、話題を変えることにした。


「……君、名前はなんて言うの? 私は紫乃和沙」


 その子は、何を聞いてるんだろう? という顔をしたが、さっきの寂しげな顔は吹きとんで、明るく答えた。


「僕は、まさちかだよ! くろのまさちか! お兄ちゃんの名前はつくおみだよ!」


「それじゃ、君の、住んでいる場所は? 送ってってあげるから」


「ここだよ? 僕、お母さんにころされちゃってから、ずっと、ここに住んでるんだ」


 そう言うと、さっきまで見えなかった赤い血のようなものが、その子の体から吹きだしてきた。


「……ひゃ」


 座ったまま腰が砕けるのを感じた。私の顔を見たまさちか君はやっぱり、という顔をした。


「やっぱり、しんでる人って、こわい、よね……」


 まさちか君は寂しそうな顔をして消えていってしまった。私は、頭の中が真っ白になったまままさちか君が消えた後をいつまでも眺めていた……。





「あっはっはっ! でね? その子ってば、もう三十分ぐらい固まってたんだよ? その時の顔ったら、薫君にも見せてあげたかったなぁ~」


 火の玉は公園でのことを嬉しそうに語っている。聞かさせられている相手は面白くなさそうに黙りこくっている。


「なんだよ~。もうちょっと、反応してくれたっていいじゃない? 僕が面白いことを話しているんだからさ~」


「……それ、もしかして和沙先輩じゃない? ナキメが驚かせた相手って? たしか、黄色いヘアピンをしてたって言わなかった?」


「相手が誰だろうと、僕には関係ないね~。驚かせるのは、妖怪の生き甲斐なんだからね? 薫君ならわかってくれると思ったんだけどな~」


「……僕、妖怪じゃないんですけど……」


 薫はやれやれといったふうに、立ち上がった。周りはあまり片付けられてないせいか、足の踏みどころがあまり見当たらない。


「そういえば、さ。今度の仕事、夏の企画でホラー特集をやるんだって?」


「……何でナキメがそのこと知ってるの?」


「いいじゃない、そんなこと。それで、なんだけどね。僕、手伝ってあげてもいいなぁ~と思うんだけど? どう? 例えばあそこの裏山なんてどうかな? 地縛霊が出るってうわさだよっ。夜な夜なあらわれてはしんだことを嘆いてるんだってっ!」


 それを聞いた薫は思いっきり溜息をついた。


「あのなぁ、そんな人の不幸を笑いものにするような記事、僕は書きたくない……」


「仕事を選んでばっかりいると、いつか仕事なくなっちゃうよ? 人間には仕事ってものが必要なんでしょ?」


 火の玉は時々、薫がイラッとするようなことを言ってくる。しかも結構楽しんでいる声で。


「……なんで、こういうときばかり優等生めいた回答をするかな……」





「ところでさ~」


「何?」


 薫は不機嫌を隠すこともせず、ぶっきらぼうに返した。火の玉は薫の不機嫌そうな顔を見るなり嬉しそうに跳びはねた。妖怪にとっては人の不幸は蜜の味なのかもしれないが、薫にとってははた迷惑でしかなかった。特に、人に迷惑をかけていると気がついた後は。


「その和沙先輩って人、僕みたいな妖怪が見えるんだね~」


「だから?」


「も~う。わかんないの? 僕が見えるのはね、薫君。幼い子どもか老人は別として、霊力を持った人にしか見えないんだよ。それか、もうこの世の人じゃない、とか」


 バンッ。


「ひゃっ。な、何をそんなに怒ってんのさっ」


 大きな音は薫が机を強くたたいたことが原因だった。顔からはすさまじい怒りがみなぎっていた。


「ナキメ、和沙先輩は生きてるし、これからも生きる。これ以上、茶化すのはやめな」


「は~い」


 怒り心頭に部屋を出ていった後に残された火の玉は、やっぱり怒られたことがわからない、とでもいうようにつぶやいた。


「僕は事実を言ったまでなんだけどね~。だって、あの和沙って子」





「死に魅入られちゃったから、僕が見えたんだよね」

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