それぞれの思い
私は、今どこか知らない山にいる。そして、いかがわしい天狗というやつが私のことを、送り犬と言う妖怪だということを聞いたところだった。けれど、私は早く勝のところへ戻りたかった。勝が私がいなくなってることに気が付いたら、どう思うのだろう。私のこと、心配してくれるのだろうか。それとも……。
「ふむ、どうやら今のお主はまだしゃべる力を備えるところまで、生きていないと見た。しかし、某の言葉はわかるな? では、簡潔に話す。お主に我らの側に来てもらう」
ど、どういう、こと? もしかして私、変なことに巻き込まれそうになってる?
「……わからんやつだな。某が何か言ったら返事をせぬか。何も、難しいことは言ってはおらぬ。お前の力を使って、森を汚す人間を排除してほしいだけだ。わかったな?」
……はいじょ、って何よ? もしかして、私が昨夜したようなことを人間にもしろって言うこと? っ! そ、それはダメ! 私があの黒い奴を連れていった場所に人間を連れていくことなんて、できないっ! あそこがどういう所かまだよくわからないけど、今ある場所とは違うところだということはわかる。あそこに行ってしまったら、もう戻ってこれなくなっちゃうじゃない! 私は天狗の言いたいことに気が付くと、肝が冷える思いがした。いったい、どうしてそんなことを言えるの……。
「……その表情を見るに、あまり協力したくないようだな。だが、いずれ人間の愚かさがわかるときが来る。その時には、もう人間のそばにはいたくなくなっているはずだ」
こ、こいつまでそんなこと言うなんて! 勝のこと、知らないくせに! あの子は私のことを考えてくれる、ちゃんとした子よ! それなのに、それなのに、そんなことをよくも言えたわねっ。
「ワン!」
私は思わず、そいつに飛びかかった。けれど、相手のほうが上手だった。楓を大きくしたような葉をとりだすと、私に向って振り下ろした。その途端、すさまじい風が巻き起こり、私はあの時のように吹き飛ばされてしまった。
気が付くと、私は冷蔵庫の前にいた。……? おかしいな。私は確か吹き飛ばされたはずなのに……。夢、だったの? 何だかわからないまま、立ち上がろうとした時、足の裏に何かがついているのに気がついた。冷たい……。もしかして、これって雪? 足の裏についた雪を見たことによって私はまたもや何だかわからなくなってしまった。
いったい何だったんだろう……。……気にしても仕方がないわよねっ。無事戻ってこれたわけだし。何かされたわけでもないし。確か、何か言われたような気がするけれど、気にしたところで何も始まらないわっ。そういえば、掃除機の音も聞こえなくなってる。もしかしたら、お散歩できるかもしれないっ。勝ママのところへ行こうっ。私は、足についた雪をすべて振り払い、彼女のもとへ行った。
「ワン!(お散歩行こうっ)」
勢いよく、飛びだして今度はソファにぶつかりそうになる。寸でのところで、ぶつかるのは免れたのだけど、勢い余って滑ってしまった。よくよく考えれば、フローリングって危ないわ。カーペットが敷いてあるところは別にしても、床だと足元が滑っちゃう。
私はやおら立ち上がり辺りを見渡した。掃除機がそのまま転がっている。……? 勝ママはどこに行ったの? ……多分、探せばいるはずよね。入られるところ全部探してみよう。私は、少しばかりの不安が忍びよったことに気がつかないふりをしながら彼女を探し始めた。
下校時のこと、勝はあたりをきょろきょろ伺いながら、帰り道につく。その理由はもちろんいじめっ子に見つからないためだった。出会っても、特に何かされるわけではないのだが、嫌な感じのする視線を投げかけられるのだった。勝は、気にしないふりをしてきたけれど、嫌な感じはぬぐえなかった。
以前ならば、大っぴらに殴られ痛い思いをしたが、今度は精神的に応えた。体の痛みより、心の痛みのほうがつらい思いをするなんて、勝にはこの時が来るまでこれっぽっちもわからなかったが、今ではそのことがよくわかった。翔太は確かに勝のことを守ってくれたかもしれないが、それがかえって陰湿な方向に行ってしまった。こうなるぐらいなら、守ってくれないほうが良かったかもしれない。そんな気さえしたのだった。
トボトボと歩いていると、誰かが歩いているのに気がついた。勝は思わず隠れようとしたが、それが稔であることに気が付くと、ほっと胸をなでおろした。
「お~い! 海野~!」
おかしい。お風呂場にも勝ママがいないなんて。掃除機をほったらかしにしたままどこかへ出かけたのかしら?確かめるため玄関に行くと、勝母の靴がそこにあったので、外に出かけていないことが判明した。
……いったい、どこへ行ったの? もしかして、あの天狗さんが勝ママも呼びよせたのかな? けれど、天狗さんが彼女に何か用があるとは思えなかったし、あそこで勝ママらしい人を見なかったのは確かなことだった。
だったら一体どこへ行ってしまったの? それとも、ただ隠れてるだけ? 私はもう一度、勝ママがいないか、辺りを良く嗅いでみたが、彼女の匂いはおろか、他の生き物の匂いすら感じられなかった。そして、外から時折聞こえてくるはずの小鳥の鳴き声すら聞こえなかった。猫の声だって聞こえない。私はふと窓の外を見て呆然とした。窓の外が暗い。う、うそ? もう夜になってしまったの? 私があそこにいってる間に、日が沈んでしまったの?
でも、そこで新たな疑問がわきあがった。もし、今が夜なのだとしたら、帰ってるはずの勝はどこ? それに、夜ともなれば街灯というものがあたりを照らしているはずなのに、それすら見えなかった。窓の外に見えるもの、聞こえるものが一切なかった。どうなってるの……。私は不安を押し殺し、耳を研ぎ澄ませたけど、何も耳に届かなかった。いったい、ここはどこなの?
「……あ、日野。こんちは」
返事をした稔の言葉になぜか元気がない。それに気が付いた勝は、あえて気が付いてないそぶりをすることにした。
「ここって、海野の通学路なのか? 隣の学校に通ってるんだったよな?」
「まあ、な」
返事もそっけない。これにはさすがに勝もカチンと来たのか、少し声を荒げた。
「おい、いくらなんでもそれはないんじゃないか。何があったか知らねぇけど、その返事の仕方はないだろっ」
「ごめん……。そんなつもりじゃ……。ただ……」
「……なんなんだよ?」
勝は突っかかるようにして聞いた。今や気分は落ち込んでいた。だが、聞かれた稔はそれ以上に虚を突かれたような目をした。
「お前、真野から聞いてないの? 飯野が入院したんだ。検査だけど」
「……え」
「あいつ、風邪をこじらせただろ。あれから少し体調を崩してしまったんだ。だから、飯野の母親が念のため、検査入院させたんだ」
「う、嘘だろ……。マジかよ……」
「その様子だと、聞いてないんだな。まあ、あいつのことだから、余計な心配を増やさないようにしたのかも知らないけど」
「どこ……」
「へっ?」
「どこに入院してるのっ?」
「○△病院だけど、家族以外は……」
勝は稔の言葉を最後まで聞かないうちに走り出してしまった。
「……あいつの病気のこと、言わないほうがいいかも……、な」
誰もいない家の中、私は不安を押し殺しながら、家から出ようとしていた。けれど、どの窓も鍵がかかっていて開けることはできなかった。窓から漏れるはずの光がないので、外に出たところで、身動きができなくなるだけだと思ったけど、誰もいない中一人で居るのは嫌だった。何もしていないと不安に押しつぶされそうになってしまう。その思いだけが私を動かした。
私は、何の気なしに畳の部屋にあるふすまを開けた。いったい、私は何をやってるのだか……。けれど、私は自分の鼻に家以外の匂いが漂ってくることに気がついた。恐る恐る中に入っていくと、そこはもはや家ではなかった。そこは外につながっていた。私は訳がわからないながらも、辺りを確認してみた。……ここってっ! 私はもしかしたらという思いで駆け出した。そして駆けだした先には、案の定、あるものがあった。しかし、そこには誰かがいた。
「……誰かと思えば、子どもの送り犬ではないか。この前黒い怨霊を連れてきたというのは、もしかしてお前か?」
目の前には川が流れていて橋が架けてある。それにしても、またここに来てしまうなんて。ここは私があの黒い物体を連れていった場所だった。私は話しかけてきた人が何か知っているのではと思い近づいてみた。すると、その人はしゃがんだかと思うと、私の顔を見つめてきた。私は見られるのが嫌なのでそっぽを向いたけど、相変わらずその人は私を見つめている。けれど、その人は何かに気がついたらしく、驚いた口調でこう言った。
「……ま、まさか、お前はっ……。こ、こんなことがあるなんて……。これは知らせなければっ」
そう言うとその人は、慌てた様子で、橋を渡っていった。……? 私、何かこの人に変なことしちゃったの? けれど、その人はいつの間にか姿をくらませていた。あの人、誰なんだろう……。
里奈は裏山に来ていた。とても寒いのか、マフラーをきつく巻いているが、そんな時でもなぜかゆるふわファッションをやめないのか、足元はとても寒そうだ。けれど、里奈はそんなことはおかまいなしに目の前の相手に何かを問いただしていた。
「そんなっ、あの子がふわふわを連れていったなんてっ。まさかと思っていたけど、本当なの? ヨルが、その、あなたと同じって……」
バカでかい黒犬はどうでもよいというような態度を通していたが、里奈には弱いのか、渋々答えた。
「(……もうすでに気が付いていると思っていたがな。あの黒犬、同じ匂いがする。だが、あいつが言うように血筋でも何でもないが)」
「そんな……。ふわふわのこと、何とかならなかったの?」
「(あいつのことは関係ない。妖孤どもは敵も同然、そいつらの一匹や二匹が死のうとかまいやしない)」
「あなたはそうでしょうけど……」
里奈はそこまで言うと口を噤んだ。ふわふわのことを思いだしていたのだ。ふわふわに頼まれていた、まりい失踪の犯人捜しを手伝っているさなかの出来事だったので、ショックだったのだ。
「(そんなに気になるなら、黒犬のこと、見張っていればいい。変な気を起こさないようにな)」
「そ、それは……」
里奈はできればそんなことをしたくなかった。けれど、ヨルが送り犬の力を発揮してしまった以上、看過できない問題であることは確かだった。里奈は自分を叱咤するように、黒犬に聞いた。
「ねえ、あなたがヨルを見張る……」
「(ダメだ。自分に似ているやつが、人間におべっか遣うところを四六時中見なければならないと思うと、虫唾が走る)」
「そ、そう……」
黒犬が人間嫌いであることを知らないではなかったが、それでもこう言うことを聞いてしまった後、気分が沈んでしまうのはどうしようもなかった。けれど、こういったことを里奈に打ち明けるということは、信頼の証であることを里奈は感じてもいた。
「(……やつには気をつけろ)」
「え? や、やつってヨル……」
「(違う。お前が探しだそうとしているやつのことだ。あまり、関わり合いにならないほうがいい)」
「……」
「(……お前の死体だけは運びたくないからな)」
里奈は一瞬、固まった。一体何を言ってくれてるんだろうか。
「し、心配しなくても大丈夫っ。お兄ちゃんがいるしっ」
「(どうだかな……)」
靴の裏につく雪が解けかかっている。春の訪れも、近いようだ。
病院を駆け抜ける。勝は、慌ててたものだから、看護師に何度もぶつかりそうになった。病室を聞くのも忘れそうになったが、なんとか良平のいる病室を看護師から聞きだすことができた。足が速いとはいえ、全力疾走で駆け抜けたものだから自ずと勝の息は上がる。良平のいる病室の前まで行くと、ノックもせずに入っていってしまった。
「ひ、日野っ? どうしてここにいるのっ?」
良平が驚いた声で声をあげる。驚いたのは、隣にいた良平の母親も同じだった。
「突然入ってきてすみませんっ。俺は飯野の友達の日野といいますっ。そ、その、飯野の具合は大丈夫ですか?」
勝は入るなり、良平の母親に不躾にも唐突に質問してしまった。彼女は驚いた様子を隠せなかったが、落ち着きを取り戻し、ややあってこう言った。
「……検査入院だから、まだわからないわ。もしかしたらすぐに退院できるかもしれないから、そんなに心配しないでもいいわよ。ね?」
「そ、そうだよ……。それに……、日野、学校から帰る途中じゃないの?」
「あ……」
勝は、病室にあった時計を見て愕然としてしまった。もう4時半を過ぎている。もう家についてなければいけないころなのに、こんなことしてる場合ではないとやっと気が付いたようだった。
「遅くなるって連絡しておいたほうがいいよ」
そう言われた途端、勝は青くなった。スマホを壊されて以降、新しいスマホを買いかえてもらってなかったので、連絡の術がないのだ。勝の顔に気がついた良平の母親はこう切り出した。
「……よ、よかったら、私のを、使う?」
「え? いいんですか?」
「病室の中じゃ使えないけど、……ほら」
そう言って良平の母親がとりだしたのはガラケーだった。勝はそれを見てますます青くなってしまったのだった。




