よどんだ心
「……言いすぎだって? そんなこと僕には構いやしないよ。真実を教えてあげたときのあの子の驚いた顔、見ものだったなぁ~。……そんなに怖い顔しないでよ。別にあなたが思うほどひどいことなんてやらかしちゃいないんだから」
私はあの火の玉が言ったことを受け入れたくなくて、気が付いた時には、私の叔父の家の前に来ていた。小さいころよく会ったけれど、叔父のことで変なうわさを聞くようになってからは疎遠になっていた。それは親が決めたことだった。私のお父さんがあの人を戒める意味で、会わないように決めたのだった。
叔父の家のインターホンを押そうとして、ハッとした。何度押してもインターホンは鳴らない。……私、何をやってるんだろう。今の私が何かを動かそうとしても、無駄なことなのに。ところが、インターホンは鳴らなかったのにもかかわらず、玄関のドアは開いた。そして、目当ての人が出てきた。
……この人が、叔父さん? 目の前にいる人は、昔よく遊んでもらっていた人の良さげなイメージとは違っていた。なんとも言えない威厳をまとっているとしか言いようがなかった……。出て来たその人は、顔をあげると、うっすらと笑みを浮かべた。
「もうすぐ来る頃だと思っていたよ。久しぶりだね。和沙」
「お久しぶりです!」
勝の大声に頭が痛くなりそうになる。元気なのはいいけれど、私の耳がどうにかなっちゃいそう。そんな大声のあいさつにもかかわらず、その人は笑顔を崩さなかった。
「やあ、いつも元気だね。昨夜はヨルは脱走しなかったかい?」
その人の言葉に思わず言葉を詰まらせる勝。勝、ごめん……。私、悪気があって出ていってるわけじゃないのよ。
「……その様子を見ると、また脱走してるみたいだね。まあ、何かあるときはまた頼んでくれてもいいよ。里奈はアルバイトしてないから暇だし」
「で、でもっ。迷惑じゃ……」
「いいんだって。あいつには刺激が必要なんだよ。力を鈍らせないためにもね」
私たちが会ったのは、この前私が脱走した時お世話になった里奈の兄の翠川賢志だった。この人も、妹の里奈と同じ霊力を持ってるのだけど、妹には負けるらしく、良平のように妖怪を見れるというのではないらしい。それにしてもこの人、稔を大人にした感じで素敵だわ~。
「……ところで、今日はヨルは機嫌がいいみたいだけど……。もうちょっと離れさせてくれないか……。ここから身動き取れない……」
「あっ、ホントだっ! ヨルっ、この兄さんが動けなくなるからくっつくのはやめろよっ」
勝はそう言うと、私のリードを思いっきり引っ張った。私は気がつかないうちにこの人に密着していたのだった。
私たちは賢志さんと別れた後、ようやくコンテストに向けての特訓を開始することにした。公園では知っている人に出くわす可能性があるため、それを避けてあえて少し離れたところにある河川敷で練習することになった。そこは、小学校の通学路のそばにはないため、同級生に会う危険性はないと見てよかった。勝は心なしか笑みを浮かべていた。ここなら誰にも邪魔されないとわかっているからなのだろう。河川敷には私と勝だけだった。
「よしっ。ここで今からヨルの特技になりそうなものを練習するからなっ! それで、今日はこれを練習しようと思う」
そう言ってとりだしのは、細長いひものようなものだった。やっぱり、玉乗りのためのボールは持ってないのね。
「これは縄跳び。こうやって使うんだ」
勝は、ひもの端と端を持ったかと思うと、ひもを回して跳び始めた。……それって、私がすることじゃ、ないよね? 勝は一通り跳んだ後、こう言った。
「ヨル、俺の前に座って。俺が縄跳びをまわすから、一緒にヨルも跳ぶんだ。わかった?」
なんだ。そういうことなら簡単じゃない。私は勝に指示された通り勝の前に座った。
「いいか? ちゃんと跳ぶんだぞ」
勝が縄跳びを回し始める。そして、勝と一緒に跳びあがったときのことだった。私の頭に鈍い衝撃が走ると同時に勝が倒れてしまった。口から血を流している。た、大変だわ! 勝にケガさせてしまった! 私は心配になり、勝を見つめた。勝の唇は切れ、痛々しそうだ。
「いった……」
見る見るうちに勝の口が腫れあがる。こうしちゃいられない。誰か助けを呼ばないとっ。私は、誰か気が付いてくれることを願いながら大声で吠えた。
「ねぇ。なにか聞こえない?」
女子高生が何かに気づき、隣にいた友達に話しかける。隣にいる友達はスマホを持っていて何かに夢中になっていたせいか、話しかけているのに気がつかなかったようだった。
「……え? ごめん。もう一度言って。聞いてなかった」
「何か聞こえるんだけど。……犬の吠え声、かな?」
「なぁ~んだ。だったら気にすることないじゃん」
「なんかすごく慌ててる感じなんだけど?」
「それ気にしすぎだって。これからクレープ食べに行くの、忘れてないよね?」
「ごめん。今日は一緒に食べに行けないかも。先に行ってて」
そう言うと女子高生は声のしたほうへ向った。
「ちょっとー! クレープ食べるの一番楽しみにしてたの江里菜でしょー!」
友達の叫び声むなしく江里菜と呼ばれた女子高生は河川敷に向って走って行った。
ほどなく勝は、その女子高生に見つけられることになった。見つけられた時の勝はあまりの痛さにうめいていた。
「どうしよ……。ばんそうこうしか持ってない……」
「……ぅうっ。いたっ」
「あ、無理してしゃべんなくていいよ。ケガしたところ水で冷やしたほうがいいかも……。ハンカチ、ハンカチっと」
女子高生はカバンから花柄のハンカチをとりだすと、水入りペットボトルを取り出し、水で湿らせた。
「川の水は菌があるかもしれないからね。痛いかもしれないけど我慢してよ」
そう言うと、勝の口にハンカチをあてた。
「いった!」
「あぁっ、ご、ごめんねっ。強く押しすぎちゃったみたいっ。あぁ、これぐらいのケガだとわかっていたらなぁ……」
??? どういうこと? ……そういえばこの人の匂い、誰かに似てる……。気のせいかな?
「……変なこと聞くけど、幸也から何か聞かなかった? 今日ケガするかもしれないって。君、幸也の友達だよね?」
……もしかして、この人、あの怖がりの幸也のお姉さん? 勝もそれに気が付いたけど、ケガで話すことができないので、ただ首を横に振るだけだった。
「……そっか……。もしかしたら見たのは私だけか……。でも、見つけることができてよかった。見つけられなかったら、君は口から血を流したまま帰らないといけなかったよ」
「それはいやっ。うっ、痛い……」
「このハンカチ、返さなくていいから、家に帰ったらちゃんと、傷口洗ってね」
そう言って女子高生は帰ろうとした。
「あ、あの!」
勝、口が痛いのに、しゃべっちゃだめじゃないっ。勝何か忘れたの? 勝の呼びかけに女子高生は立ち止まった。
「ん? どうしたの? まだ痛む?」
「そ、そうじゃ、なくて……、いたっ。あ、あ……」
勝ってばどうしたのよっ。女子高生も不思議そうに首をかしげている。何を言いたいの?
「……あ、あ、ありがとう……」
「ま、いいってことよ……、って顔まで赤くなってるけど大丈夫?」
「……うん」
家に戻ってから勝は、どうも様子がおかしい。勝ママから、「本当にいじめられてないの」という質問をうまくはぐらかせたのはいいとしても、何をやるにしても上の空だ。いつもならゲーム機をとりだして遊びだすはずなのに……。どうしてかしら?
私は勝にケガさせてそれで怒ってるのかもと思い、勝に謝るしぐさをしてみた。けど、勝はそれに気が付かず、壁の一部を見つめたままだった。もう、勝ってばどうしちゃったのよ!
「ワン!」
「ぅわっ。よ、ヨルか……。なんだ、驚かすなよ……」
勝はそれだけ言うと、二階へと上がっていった。あれ? 私に対して怒ってるんじゃないの? 拍子抜けして私は勝の後ろ姿を見届けたまま一瞬フリーズしてしまった。ほ、本当に、あれが勝なの? あんなに遊ぼうとしない勝、始めて見たわ……。
「ね、姉ちゃん……」
「ん? どうした? 幸也? 青い顔しちゃって。変なもの食べちゃったの?」
「そ、そうじゃない。そ、その……」
幸也は口ごもりながら答えようとする。しかし、うまく話せないと見ると、姉の江里菜は幸也の口に人差し指をあてた。
「もう、うまくしゃべれないのは自分でわかってるんだから、無理に言わなくてもいいから。言えないならスマホで伝えればいいじゃない」
「い、いや。い、今、い、い、言わないといけ、いけないんだ」
「何? 今日の夕ご飯のこと……、じゃないなぁ。その顔は」
「そ、そう。実は、ま、また、見ちゃった……」
「もしかして、夢の話? 友達の飼い犬が飼い主にケガさせた……」
「ち、違うっ。僕が見たのは、そ、そんなんじゃないっ」
幸也の顔は本当に真っ青になっていて、これは相当ひどい悪夢を見たな、と江里菜は思った。
「……何を、見たの?」
「そ、それは……」
幸也は姉に近づきそっとつぶやいた。それを聞いた姉は愕然とした顔になった。
「そ、それって……。ま、マジヤバいやつじゃん……」
裏山では、雪がちらついていた。あまり高くない山とはいえ、山頂では、うっすらと雪が覆っていた。寒さのせいで鳥などの声も聞こえない。けれど、白い雪に似つかわしくないほどすすけた色のふわふわがいた。前よりも色合いがひどくなってきている。このすすけた色はまるで今のふわふわの心境を現しているようで、実際そうだった。
まりいという地縛霊が出した名前に聞き覚えがあったのみならず、それにひどく動揺してしまっていた。それがふわふわがすすけた色になった原因なのだろう。ふわふわは、一人雪がちらつく裏山で、まりいに言われたことを思案していた。
(あいつ……、あいつさえいなかったら私は、こんなことにはなってなかった……。私がまだ生きていたころ、あいつは、あいつはっ!)
嫌なことを考えるにつれ、辺りの白さと反比例してふわふわの色は淀んでいった。しかし、ここにいたのはふわふわだけではなかった。その様子を見ていた者がふわふわに近づいてきたときには「彼女」はどす黒く変色してしまっていた。
(やめなさいっ。それ以上、自分を傷つけないでっ)
突然の声に驚いたふわふわは一瞬だけだったが普段の白さを取り戻した。
「な、なんだ。フクロウじゃない。あなたには関係ないわ。帰ってよ」
(なんだ、じゃないでしょう。あなたは、十分苦しい思いをした……。もう忘れてもいいはずです)
「だからあなたには関係ないって!」
(あるから言ってるんでしょ! あなたは、あなたは……、私の子孫なんだから……)
その言葉を聞いた瞬間ふわふわはうろたえた。このフクロウは何を言ってるのか、すぐにはわからなかったのだ。
「な、何を言ってるのかよくわからないわ。本当に、あなたが私の先祖だって言うのなら、なぜあなたはフクロウなのよっ」
(こ、これは、仮の姿なのです。あの姿ではもう生きることができなくなってしまった……)
「そ、そんな……。それじゃ、私たちの種族はもう、力を失ってる……」
(それは、もう昔からわかっていたことです。人間の活動が強まっていくにつれ、森の力が弱くなったことが原因。けれど、これはあらかじめ決まっていた定め……)
「定めなんてくそくらえよ! そんなもののせいで私は、私の子どもを、あいつにおろさせられて、私は死ぬに死にきれず、こんな姿になったのよ! どうして私はこんな目に遭わなきゃいけなかったのよ……」
(ケセラ……)
「私にはやることがあるの! 止めないで!」
「ホー!(ケセラン!)」
窓から外を見てみると、雪がちらついていた。私は嬉しくなって勝を呼びに行った。
「ワン! ワン!(勝! 雪が降ってるわよ!)」
しかし、勝はいくら呼びかけても降りてこようとしない。もしかして傷がまだ痛んでるから、遊びたくないのかな? 私は少し心配になり、勝のいる二階へ行こうとした。が、いくら脚をあげても階段を上がることもままならなかった。そこに勝ママがやってきた。何の用かしら?
「勝~。夕食の用意ができてるわよ~。降りてきなさい~」
あ、もうそんな時間だったのね。雪で遊んでる場合じゃなかったんだ。けれど、いくら待っても勝は降りてこない。あれ? いつもなら、すぐさま駆けつけてくるはずなのに……。勝ママも何かおかしいと感じたらしく、二階へと登っていった。そして、勝の部屋を開ける音が聞こえる……。
「きゃあ! な、なんなの! あっち行きなさい! ここから、出ていって!」
勝ママの悲鳴のような叫び声が聞こえる。もしかして、勝に何かあったの? 助けに行かなくちゃ! けれど、どんなに上がろうとしても階段からずり落ちていくばかり。ど、どうしようっ! 二人を助けないといけないのにっ。お願い、誰か、二人を助けにいって!




