美味しいもの
すべての感覚がマヒしたかのように思えた。何も感じることなく、あるのはただ怒りだけ。こんなやつらに、あの子たちがいたぶられていいわけがない。孝輔が良平にしっかりしろと叫んでいる声も、今の私には届かなかった。怒り、ショック、そして混乱が私を駆り立てていた。私の態度の変化に恐れをなしたのか、火の玉はどこかへと姿をくらましていた。しかし、今の私にはそれはどうでもよかったのだ。私はあの子たちを守りたい。ただそれだけだった。けれど……。
「大丈夫か! ヨル!」
……この声、もしかして、勝? 勝なのっ? 私は、慌てて辺りを嗅ぎ回った。これは確かに、勝の匂い……。
(焦るでない! ここは私に任せておきなさい!)
誰かの声がしたかと思うと、目もくらまんばかりの光があたりを包み込んだ。今って夜のはず、だよね? 徐々に光が消えていくと、周りの空気が変わっているような気がした。腐臭がしない……。
「うわぁ……。ゾンビがいなくなったっ。良かった! 助かったぞ!」
勝が駆けよって来て私を抱きしめた。あたたかい……。勝、助けに来てくれたのねっ! 私は急に体の力が抜けてしまったので、勝にもたれかかった。
「うわ! 重いってヨル!」
勝のその言葉には非難というより、安心した気持ちがにじみ出ているのがわかった。良かった、勝に会えて、良かった……。
「お、おい、飯野! しっかりしろ!」
突然響き渡る孝輔の呼びかける声。ど、どうしたのかしら? 私と勝は、孝輔たちのほうへ駆けよった。良平はとても苦しそうな顔をしていた。いったい、どうしたっていうのっ?
「ゲホッ。……だ、大丈夫、ただの、ほ、発作、だから……。薬飲めば、治る……。っはぁ、っはぁ……」
明らかに大丈夫そうではなかった。勝が心配そうな顔をすると、小鳥が割って入ってきた。
(持病の発作が出てしまったか……)
小鳥はそう言うと、自分の尾羽を抜いて良平の胸元においた。何をする気なのかしら? すると、小鳥は、きれいな囀り声を奏でた。とてもきれいな音色……。心地よい音色に聞き惚れていると、良平の発作が徐々に収まってきたらしく、体の震えがなくなっていった。良平の顔も幾分安らいだように見えた。とりあえず、大丈夫、なのね?
あれから、一夜が明けて朝になった。あの小鳥のとりなしで家に戻ることができたのだけど、今も裏山での冒険は生々しく私の記憶に残っていた。戻ってきたとき、稔が勝に土下座して謝ったのには驚かされた。きっと、自分の判断がよくなかったってことに気が付いてたのね。それでも、勝は稔のことを責めたりはしなかった。勝にしてみれば、もっと怒りたいはずなのに、だ。
けれど、このことがあって以降、稔はなぜか私たちのことを避けるようになっていた。最初は私も、勝もなぜ稔がそうするのかわからなかったのだけど、自分を責めているのだと気が付いた時、二人で稔を励まそうということになった。そこに、なぜか孝輔や良平も加わった。二人とも何か思うことがあったみたい。
「なあ、そんなに思い詰めるなって。俺、海野のこと怒ってないから。それに、俺、気がついたんだ。人は正解ばかり選べるわけじゃないんだって。だってさ。俺は自分が正しいて思うことを選んでも、いつだってホメられたためしないんだぜ。俺の選んだことが大人にとっては間違ってるらしいんだ。きっと、正解のなんて誰にもわからないんだよ。後になってから間違ってた、なんて言えるけどさ。だから、海野、これからも俺達の友達でいてくれよ。な?」
「そうだ、俺なんかいつだって間違ってるんだぜ。ちょっと人のもの借りただけですぐ返せなんて言われるし」
「……それは、佐野のほうが間違ってるよ。借りる時に『これ、借りるよ』なんて、一言も言ったためしがないじゃないかっ」
「あ、そうだったけ?」
「そうだっけ、じゃないよ! まったく……」
「……あ、ありがとう。なんか、皆がそう言ってくれると、気が晴れるよ。ところで、飯野は体の具合、大丈夫なのか?」
「大丈夫だって。かりょうさん……。いや、あの緑の小鳥のおかげで、だいぶよくなったから」
そう言って良平は胸を撫でさすった。見る限りでは、変なところはどこも見受けられなかったけれど、きっと、病気が治ったわけではないのだろう。これからは、勝だけでなく、良平のことも見ていよう。だって私にとって、勝だけでなく他の皆も、私にとって大事な仲間になったのだから。けれど、昨晩のあのような目に遭うのは、もう二度とごめんだわ。
公園から出ようということになったとき、何かの足音がした。二人分の足音だ。どんどん近づいてくる。
「ちょ、ちょっと待ってっ。真野君ってば!」
「お前が速く走ればいいだけだろっ。あ、おーい! 皆! 集まってるな!」
駆けつけてきたのは翔太と幸也だった。翔太は意気揚々と駆けつけてきたのに対し、幸也はへとへとになっていた。それにしても、何が皆集まってるな、よ。翔太は昨夜、私たちのところに助けに来なかったじゃないの。私は、あけすけに翔太のことを無視しようとしたが、翔太は私のそんな意図もお構いなしに話し続けた。
「……実はお前に知らせることがあるんだよ」
勝は、とてもウキウキした顔でリードを引っ張っている。うれしさが顔から滲みだしている。私にはその理由がわからない。翔太が伝えてきたことに理由があるのかもしれない。翔太が持ってきた紙には何やら文字が書かれていたのだけれど、それによると、私たちが住んでいる町で『ドッグコンテスト』なるものが開かれるそうだ。まったく意味がわからなかったけれど、そのコンテストとか言うのに出て優勝すれば、何か品物をくれるらしかった。
「いいか? ヨル。コンテストに出るからには、今から特訓を開始しないとなっ。……そう言えば、まだ待てとか、お座りとか、やったことないんだったな……。まあ、いいや。このコンテストで皆にすごいと思われる芸を見せてやるだけでいいんだからっ。何といっても優勝したら、景品をくれるんだからな! 今から楽しみ~」
勝がそのコンテストとか言うのをすごく楽しみにしていることがその声色だけで分かった。私はコンテストが何なのかよくわからないのだけれど、勝のうれしい顔を見た私もうれしさが伝染してくるのを感じた。
「ワン!」
「そうか、ヨルもうれしいか~。優勝したらくれる景品の中に高級ドッグフードもあるかもしれないしなっ」
え? おいしいものをくれるの? それに出て優勝すれば、食べ物をくれるのね? もしかして、骨付き肉かしら……。それだったら、私、頑張るっ。骨付き肉のために、私、そのコンテストで優勝して見せるわっ。私は嬉しさのあまり駆けだしていった。
「ぅわっ! ちょっとっ、ヨル! 引っ張らないでよ! ただでさえ、ヨルは大きいのにっ」
大きいって言われたけれど、この時の私はそんなことを気にならないぐらいに有頂天になっていた。だって、優勝したら、骨付き肉をくれるのよっ。うれしくないわけがないわっ。勝はしばらくの間、気分が高揚した私に引っ張りまわされる羽目になってしまった。
その日の夕方、勝はさっそく勝ママにドッグコンテストに私を出場させたいことを伝えた。あまりの勢いでしゃべったので、勝ママに落ち着きなさいと言われるほどだった。
「で、でも、これに優勝したらさ……」
「……勝は、ヨルをコンテストに出場させて、どうしたいの?」
「……え?」
勝ママからの突然の質問に思わず変な声を出してしまった勝。たぶん、こんなことを聞かれるなんて思わなかったのだろう。勝は、もちろんそれに対する答えなど、用意しているはず等無く、黙ってしまった。頭の中では答えを考えだしているのだろうけど、今からでは遅いのよ、勝。
「勝は、ヨルと一緒に暮らし始めて半年にもなってないでしょう。確かに勝はヨルのお世話を、めげずに頑張ってくれてる。でも、しつけまではできてないでしょ?」
「……」
勝は、母親が話をどこに向かわせているのか分からなかったけれど、話している口ぶりで、はしゃいでる場合ではないと感じたのか、口を噤んだままだ。勝ママはそんな勝を見て思わず息を漏らした。
「あのね。別にコンテストに出ることは反対してないの。ただね。明確な目標もなしに安易な気持ちで出るなんて言ってほしくないだけ。それに、数か月後には勝、小学校を卒業するでしょう? いつまでも子どもじゃないのだから、何かをしたい時には、自分の意志をはっきりさせてほしいの。わかるわね?」
「……うん。わかった」
「じゃあ、もう一度聞くけど、勝はヨルをコンテストに出場させてどうしたいの?」
「……今よりもでっかい男になりたい。身長の意味じゃなくて、いろんな意味でのでっかい男になりたいっ。もちろん、ヨルと一緒に」
……ちょっと、勝。わかってると思うけど、私、女なのよ? これ以上大きくなったら、稔に嫌われちゃうわっ。……でも、私も勝と一緒に目指してみたい。……これ以上でっかくなりたくはないけどね。
「そう、なら、コンテストに出場しなさい。でも、後悔のしないようにするのよ? いいわね?」
「おうっ、あったり前だ!」
そう言って勝は跳びはねた。それじゃあ、私たち、コンテストに出てもいいのね? 勝がうれしいと、私もうれしくなってきた。いまだにコンテストの意味がわからないのだけれど、きっと良いことに違いない。コンテストに出たら、高級お肉を食べれるのだから。
その夜、私はソファで寝そべっていた。勝のそばで寝れないのは寂しいけれど、ソファはとても心地よかった。私は、ソファの触り心地を存分に楽しもうとしたけれど、やはり夜だからか、眠気には勝てず、そのまま寝入った。
私は夢の中で、古い家の中を探索していた。スマホを持って。そう、スマホ。夢の中で私はまた二本足で立っていた。足には靴をはいている。けれど、ここは家の中だ。なぜ靴をはく必要があるのだろう? それは、家の中が物で散乱していたからだった。足の踏み場もないぐらいだ。家に明かりが来ないのか、私は手にしたスマホで前を照らした。とてもじゃないけど、ここには住めそうもない。けれど、私はここに住みに来たのではなかった。なにか目的があって来たのだった。
「すみません。誰か、いませんか~?」
まだうら若い少女の声が私の口から出る。夢の中での私はきっと、かわいい女の子に違いない。そのかわいい少女こと、私は返事がないのをいいことに、どんどん家の奥へと入っていった。何かを見つけだすために。
風が凪いでいる裏山。勝たちが冒険した頃とはうって変わって、静寂があたりを包んでいた。そこに黒く大きな犬が一頭、横たわっていた。ヨルが出会った、あの送り犬だった。人間を目の前にしたときとは違い、顔を憎しみで歪めてはなかった。けれど、その眼差しは暖かさのかけらもない。
ふと、草がガサガサいう音が聞こえてきたので、その犬は顔をあげる。そこにいたのは、高校生と思しき少女だった。髪を長くのばし、カールさせているし、服装もフリルが付いたかわいいものを着ている。そんな少女が、夜遅くに一人で裏山にくるなんて……。しかし、その少女を見ても黒犬は、良平たちを目の前にしたときのような嫌悪感を見せなかった。それどころか、顔つきが和らいだ。
「ま~た、こんなとこにいたのねっ。みんなが心配してるんじゃないの? それに、聞いたわよ。子どもたちに迷惑かけようとしたんだって?」
それを聞くと黒犬はうっとうしそうにした。
「(人間なんて、見たくもない。あんな奴らがまさか、ここに来るなんて思いもしなかった)」
「何言ってるの。私だって人間よ。あなたはその人間と今まで話してきたのよ?」
「(……里奈は別だから)」
「それって、私が霊力を持った家系に生まれたからってこと?」
里奈と呼ばれた少女はそう言うと、黒犬のそばに腰を下ろした。黒犬は嫌がるそぶりもせず、それを受け入れる。
「(……そんなこと、言ってない)」
「……そう」
「(ただ……。あいつらのいないところに行きたい。ただそれだけだ)」
里奈は黒犬の言った言葉がよく聞き取れなかったようで、手で草をいじっていた。しばらく草をいじり続け、おもむろにこう問いかけた。
「ねえ、よみが好きなことって何? 私ね~。イチゴパフェを食べるのが好きなんだ~」
「(……は? い、いちご、ぱふぇ?)」
黒犬は聞きなれない言葉に少し顔をしかめた。が、里奈は構わずに続けた。
「嫌いなこと考え続けたら疲れるでしょ? だからっ、よみの好きなこと、教えてっ」
黒犬は質問が馬鹿らしいと思ったのか、はじめは答えようとはしなかった。が、答えないのでは里奈に悪いと思ったのか、答えることにしたようだ。
「(それは……)」




