見つからない過去
『ねえ、かずさちゃんちに遊びに行ってもいい?』
私は驚いて友達の顔を見た。友達はダメかな? という顔をしてこちらを見ている。それは単なる被害妄想だったのかもしれない。私の家はあまり客を呼び込めるような所じゃなかったから。だから、友達も好奇心で私の家を覗こうとしているのではないかと勘繰ったのだったが、友達の顔を見る限りでは、ただ、私の家に行きたいというだけのようだった。
『あ~、うん。お、お母さんに聞いてみないといけないかな……』
『そうなんだ……。でも、あたし一度もかずさちゃんちに行ったこともないし、お誕生日会の時も、私の家でやったよね? 何か、行ってはいけない訳があるの?』
私はすぐには答えられなかった。私もその理由を知らなかったというのもある。一度お母さんに友達を連れてきてもいいかと尋ねたことがあるけど、その時お母さんは見たことがないくらいに険しい顔をしたことがある。それを見て、友達を家に入れてはいけないのだと子供なりに感じたものだ。私が黙っているのを見た友達は、思わぬことを聞いてきた。
『もしかして、あたしが嫌いだから家に入れようとしないの? ねえ、そうなの?』
『そ、そんなことないよ! まりいのこと、嫌いなんかじゃないよ!』
『嘘つき! 本当に私のことが好きだったら、どうしてかずさちゃんちに行ったらいけないのよ! かずさちゃんなんか、もう知らない‼』
その子とは、もうそれっきりになってしまった。それからの私の交友関係はあまりにも表面的なものが多くなった。自分の家は何かがおかしいと感じていたせいもあるかもしれない。それ以降は、付き合いが深くなるのを恐れている私がいるのを感じないわけにはいかなかった。
まりいがいなくなった。ケンカ別れをしてから二日も経ってなかったように思う。その当時私は子供だったため、まりいは本当に私のことを怒っていたからどこかへ行ってしまったのだと思った。けれど、まりいの母親がとても憔悴しきった顔でうつむいているのを見たとき、子供ながらに何か嫌なことが起きたのだと感じた。まりいの母親は私を見るなり、駆けよって来てこう言った。
『ねえ、まりいの行きそうなところ、知らない? どんなことでもいいの!』
まだ幼かった私にこんなことを聞くなんて、よほどまりいの母親は切羽詰まっていたのだと思う。私はその気迫が怖く感じてしまったため、思わず、「ううん」と顔を横に振ってしまっていた。それを聞いたまりいの母親の打ちひしがれた顔はとても見れたものではなかった。
だけど、私は知っていた。まりいの行きそうなところを。ケンカ別れする前もそこに行ったのだ。だから私はまりいはそこにいるのではないかと思った。別に何か理由があるわけではなかった。ただ、ケンカ別れした後に行く場所としては、いつも一緒に遊んだ場所に行くのは、ふさわしくないように思えた。けれど、私はまりいがそこにいるに違いないと思ったのだ。なぜだかわからない確信めいたその思いを胸に、その場所に行くことにした。
『寒っ。あったかいの着てくるんだったな~』
それは、近くの裏山だった。まりいと私は時々、この裏山で一緒におままごとをして遊んだりしたのだ。裏山はさほど大きく無いが、夜が近づくと、視界が悪くなってくるので、懐中電灯を持参した。私は、すぐにまりいが見つかると思っていた。きっと、木のそばで泣きじゃくっているだろうと思っていた。だけど、探せど、探せど、まりいは見つからなかった。まりいの居そうな場所をくまなく探してみても結果は同じだった。私はいつの間にか心の中で謝っていた。
(まりいちゃんごめんなさい。謝るから出てきてよ!)
その後も、涙で顔がぐちゃぐちゃになりながら探した。しばらく経って足が棒のようになって動けなくなったときのことだった。
『かずさ! 心配したんだぞ! こんなところにいたのか!』
それはお父さんの声だった。気がついたころには私はお父さんの腕の中にいた。
『お、お父さん! ご、ごめんなさい! 許して! わたし、まりいちゃんを探してたの! で、でも、み、見つからないの! まりいちゃん、どこかに行っちゃった‼』
まりいがいなくなってから一週間が経った。私はまだ希望を抱いていた。まりいはきっと何もなかったかのように、戻ってくるはず。はっきり言って根拠がなかったが、そのように信じていたほうが気が楽だったのかもしれない。ケンカ別れをしたままお別れなんてしたくなかったのだ。町のあちこちにはまりいの捜索願のポスターが貼ってあった。
『谷中真里衣 6歳 ○月×日以降、行方がわからなくなりました。どんなささいなことでもいいので、わかったことがございましたら、下記までご連絡ください。電話○△◇―××××
真里衣の特徴:髪は長く、リボンでツインテールにしています。口元にほくろがあり、笑うとそこにえくぼができます。身長は115cmです。いなくなったときの服装はフリルの付いたワンピースと、赤いスカート、ピンクの靴です。』
ポスターにはまりいの写真も載っていた。清々しいくらいの笑顔で写っていて、私は見るのが辛くなり目をそらしたが、別の電柱にもまりいのポスターが貼ってあったので、見ないようにするのは大変だった。
(まりいちゃん……。一体どこへ行っちゃったの? 出てきてくれないと、ちゃんと謝れないよ。まりい……)
進展がないまま時が過ぎた。まりいが見つかる気配もないままで、いつしか私はまりいのことを考えなくなっていた。いや、忘れてしまったと言ったほうがいいかもしれない。生活に追われていてまりいちゃんどころではなくなったというより、いつの間にか気にしなくなっていったのだ。
けれど、まりいのことは忘れてしまっていたけれど、裏山の近くを通るたびになぜか胸が痛んだ。記憶のかなたに消えたはずの、まりいを探したころの思いが、探しだせなかった悔しさが、痛みとして残ったのかもしれない。本当のところは分からないけれど、何か嫌なことがあるたびに、私は裏山に行くようになった。なぜだかわからない。満月を見ると癒されると、自分なりの解釈をしていたのだけれど……。
『何を見てるの?』
いつものように満月を見ていると、どこかからか声が聞こえてきた。振り返って見ても誰もいない。気のせいかと思い、前に向きなおした……。
『ひゃっ!』
いつの間にか目の前に、あの少女が現れた。長い髪を垂らした白いワンピースの女の子が……。その顔を見て私は誰かに似ている気がしたが、誰だか思いだせなかった。後で思いだせるだろうと私はそのうやむやを残したままにした。今にして思うと、その子がまりいだったかもしれないと思う。ツインテールではないにしろ、長い髪だったし、口元にほくろがあって笑うとそこに、えくぼができたのだ。
しかしその子は見た感じ12歳ぐらいだった。勝手な憶測だけど、そうなると、まりいはどこか知らない場所で12歳まで生きていたということになる。……いや、もしかしたら私と同じように生霊なのかもしれない。まりいが死んだなんて考えたくもない。そうしたら、私は本当にまりいを探しだそうともしなくなったことを生涯悔いることになる。……だから、あの子はまりいじゃないと思いたい。けれど、私がまりいを救おうとしなかったという、罪悪感はあの子がまりいという確証がないにもかかわらず、しつこく胸の中に残ったままだ。
『ちょっ、びっくりしたじゃない! 私の前は崖なんだよ!』
『わかってるって。また、月を見に来たんでしょ。ねぇ、今日の月はとってもきれいだよね? と~っても、青いの!』
言われてみてみると、確かに月は透き通るほどに青かった。空気の冷たさと相まって、青さを増しているように見えた。
『ほんと、綺麗だね。ねえ、知ってる? 青い月ってブルームーンて言うんだよ』
『ブルームーン……。まんまじゃん! あのねえ、私だって簡単な英語ぐらいわかりますよ~』
『あはは……。ごめんね』
『私を小さい子扱いしたお返しだっ』
その子はそう言うなり、私の前に立ったかと思うと、思いっきり脇をくすぐってきた。
『あはっ、はははっ。ちょっと、やめっ、ははははっ』
あまりのくすぐったさに私は地面に倒れこんだ。それを見た少女も横に倒れこんだ。そして、またくすぐってきた。
『ははっ。いや、もうやめて~。はははっ』
『やめないもん! だってお姉ちゃん、ここに来るたび少し暗い顔をするじゃない。だからっ、お姉ちゃんには笑ってもらうのです!』
彼女の言う通りだった。私はあまりにも、暗くなりすぎていたのかもしれない。彼女のくすぐりが利いたのか、外気が冷えているにもかかわらず、私の体は火照ってきていた。こんなに笑ったの、しばらくぶりかもしれない。
あの子と仲たがいをした。私の勇気のなさのせいだった。あの大きい黒犬から、あの子を守ろうともしなかったことを見咎められた。あの時と、同じだった。私の思いが強くなかったせいで、まりいを探しだす気を最後までもたなかったせいで、まりいは今もいなくなったまま。そして、今度はあの子を怒らせてしまった。私が飛びだしてあの子の前に出ていったなら、こんなことにはならなかったのだろうか。
あの裏山に行かないようになって、どのくらい経っただろう。スマホがないせいで、今が何月かもわからないまま。気温が低くなっていることだけが、どんどん冬が近づいているということに、思い当たっただけだった。もうすぐ冬になる! 冬になってしまう! 人肌のぬくもりを求めていた私にとって、冬がもうすぐそこに来るというだけで、気が重くなることだった。
あの子と仲たがいさえしなければ、こんな気分にはならなかったのに。けれど、後悔したところで、あの子と仲直りしようとする勇気が出るわけでもなかった。私は、何を思ったのか、病院に行くことにした。私の体が横たわっている病院に。何があるわけでもないし、癒されることがあるわけでもない。ただ、お母さんのそばに行こうと思ったのだった。少なくとも、母親は私のことを思ってくれているのだから。
私は、愕然とした。病院に行く前、家に戻ることにしたのだけど、塀や玄関のドアのいたるところに、張り紙が貼ってあったのだ。家を出る時にはこんな物貼ってなかったのに……。いったい誰が?
『娘が戻ってきたからっていい気になるな! はやくこの町から出ていけ‼』
『お前のところの娘がシンでくれたほうがよかったんじゃないのか。このケダモノ一家』
『娘がシンでないだけありがたいと思え。お前たちは今まで恵まれ過ぎている』
『家族皆で心中してしまえ!』
私はそれらを見るなり、玄関のノブに手を伸ばし、勢いよく家の中に入っていった。家の中は電灯が灯っておらず、暗いままだった。そしてその中に母が一人呆然自失とした状態でうつむいて座っていた。目には明らかに生気がなかった。
「お、お母さん! もう、こんなところにいたらダメだよ! もう、引っ越そう? ね? そうしたほうがいいよ。このままここにいたら、お母さんまでダメになっちゃう!」
お母さんには私の声は届いていなかった。私はいつまでたっても聞いてもらえない叫びを、あげ続けた。
「ねえ、お母さんったら! ここから、出ていこう!」
「まったく、君はどこまで人間が憎いんだい? 関係のない人にまで憎しみをばらまいちゃってさ。あの和沙って子のお母さんに自分自身で、あんな張り紙を張らせるなんて、本当に君はあくどいねぇ~」
青白い火の玉が楽しげに言う。まるでそんなことはどうでもいいといったことが見えすいた口調だ。そのそばにいるバカでかい黒犬はあまり面白くはなさそうにしている。
「(黙れ。好きでこんなことをしていると思うのか)」
「え~? 楽しくないのぉ~? 人の悲痛な顔を見るのが楽しくない妖怪なんて、聞いたことな~い」
黒犬が怒りはじめたが、火の玉は明らかにこの雰囲気を楽しんでいる様子だ。
「(黙れと言ったはずだ。この口先だけの性悪鬼火め)」
「君に言われたくないなぁ? 骨の髄まで憎悪まみれの送り犬さんwww」
「ワン!(黙れと言ってるだろうが!)」
黒犬は吠えたてたかと思うと、火の玉に咬みつこうとした。が、火の玉はいとも簡単に黒犬の攻撃をよけた。
「もう、悪かったよ。怒らないでよ? ね? あ、そうそう誰か僕たちの話を聞いてる不届きものがいるみたいだけど? ……もう、そんなに怯えなくていいよ。ね? 隠れてないで、出てきなよ。……魂の隠れ蓑さん」




