似ている
勝は、朝から溜息をついている。昨夜に勝ママから前歯が折れたのはいじめられたからではないかと聞かれたからだった。勝は転んだだけだとあくまでも言い張ったけれど、母親はあくまでも真剣だった。
『本当に、いじめられてないのね? 転んだだけなのね?』
『そ、そうだよっ。打ち所が悪かっただけなんだ!』
勝のその必死さはそれが本当のことではないとばらしているようなものだった。勝母は、勝の答えを聞くとかぶりを振った。
『ねえ、もしいじめられてないにしても、これだけは言わせてちょうだい。勝がもし困ったことがあったときには相談してほしいの。だって母親は何があったとしても子供の味方でいたいのよ。それだけは覚えていて』
真剣な顔で母親からそう言われたものだから、勝はただうなづくことだけしかできなかった。けれど、勝は勝母を心配させまいとして嘘をついているのだとしたら、きっとその後もいじめられていると言うことはないだろう。私は勝ママの言いたいことがわかるだけに、どうして本当のことを言わないのか不思議だった。
勝が学校に行くとき、私はお留守番してないといけないなんて。もし私が人間だったら、勝のそばについて行くことができたかもしれないのに。
勝は戦々恐々としながら学校へ行った。あの窓ガラス破壊事件の後、学校七不思議が出るようになって、勝いじめの頻度が減ったとはいえ、いじめてくる奴は何かと理由をつけていじめてくるからだった。
たとえば、学校七不思議の原因は勝にあると言ってしまえば、いじめる奴にとってそれだけで理由は事足りたのだ。勝はいつも隣に翔太がいるわけではないとわかっていたから、一人になるときはいつも警戒してなければならなかった。
(ああ、あのままヨルを帰すんじゃなかったな。そうすれば、もしかしたら……。いや、それじゃダメだ。ヨルが俺の犬だってわかったらなおさら、ヤバいぞ。なんでったて俺は疫病神体質なんだ……)
勝が警戒しながら廊下を歩いていると、案の定、いじめっ子が歩いてくるのが見えた。勝は相手に気づかれずに踵を返そうとしたが、相手のほうは目ざとくそれを見てしまった。
「おい! 逃げてんじゃねぇぞ!」
(嫌な奴から逃げるのは当然じゃないか!)
勝は先生に怒られるかもしれない恐怖よりもいじめる奴の恐怖のほうが上だったので、躊躇なく廊下を走った。
勝は勉強はからっきしダメだが走るのは得意なほうだ。翔太には腕力では負けても、走ることならトップクラスだという自信があった。しかし、走り続けるのにも限界というものがある。しばらく走っていると息が上がってきたのだ。けれど、勝は止まるわけにもいかなかった。あいつにつかまってしまえば、もしかしたら今度は金をせびられるかもしれない。もしそうなったら、母親に迷惑がかかるのは明白だった。
勝は校舎の外に飛びだそうとしたが、目の前にふわふわが横切ったような気がした。勝は一か八か、ふわふわが行ったかもしれない方向へ行ってみることにした。「彼女」なら、きっと何かしら勝を救ってくれるかもしれない。そんな思いを抱いたからだった。
果たして、勝が行った先にはふわふわがいた。どこかへ行こうとしているようだった。
「待って!」
勝は慌てて、ふわふわの後を追った。ふわふわが入ったと思われる、部屋の中に入ると、勝は唖然としてしまった。職員室のはずの部屋は、いつのまにか、とある神社に通じていた。勝は何が何だかわからず、自分の頬をつねったが、やはり痛かった。
「まさか、夢……なのか? いきなり神社が現れるなんて……」
勝が呆然としていると、そこにふわふわが現れた。
「まったく、ここまでついてくるとは思わなかったわ。何で来たりしたのよ?」
ふわふわは、前にあったときのようにいきり立ってはおらず、むしろ平静さを保っているようだった。勝は、目の前に起きたことが今だ信じられず、思考が追い付かなかったせいか、ふわふわに対する答えもしどろもどろだった。
「え、えっと、ちょっと、逃げてて、いや妖怪からじゃなくて、その、同級生から逃げてて、それで、逃げてたら、なんというか、君が見えたものだから……」
勝の答えを聞いてもピンと来なかったようだが、ふわふわは気を取り直して目の前の神社の説明をし始めた。
「……まあ、いいわ。別にここにあなたが来たって悪いことではないわ。ここはね。あなたを見張るために、とある神社をこの部屋に繋げたのよ」
「え、見張るだって!? それにしても、繋げるってどういう……」
「まあ、あなたに言っても難しいでしょうから、この際の説明は省かせてもらうわ。あの犬がいなくても勝の周りに変なことが起きだすようになってしまったからには、いつでも、勝のことを見張れる場所が身近にあったほうがいいのよ。どうも、あの犬だけが変なことが起きる要因じゃないみたいだから」
勝が行った後、私は大きくなった身体を持て余していた。というのは、私が駆けまわるたびに、カーペットがずれ、ぶつかってしまうたびに、何か物を落としてしまうことが度々あったので、勝ママから家の中を駆け回らないようにと、きつく注意されてしまったからだった。そのせいなのか、私の足は駆け出したい衝動と戦っている最中で、ひっきりなしにあらぬ方向へムズムズしていた。
勝ママとの朝の散歩が過ぎてしまうと、家へ帰らなくてはいかず、しかもそのうえ、走りだしたい衝動をこらえないとならなかったため、その反動が出てしまいかねなかった。これは、朝の散歩だけじゃ不完全燃焼だわ。なにか、気を紛らわせるものでもあればいいのだけど。
ふと、階段が目に入る。階段が登れないせいで、勝の部屋に行かなくなってどのぐらいになるのだろう。勝の部屋に入りたいなぁ。勝ママは、なんでかわからないけど私が階段を登ろうとするのを阻止しようとしたことがある。私の腰が痛くなってしまうからって言ったけど、きっと本当は勝の部屋を汚したらいけないからに決まってる。そう思うと、悔しくなり、絶対登って見せるという思いが沸々とわいてきた。勝ママは、ちょうど買い物に行ってて家にいないから、誰も私を止めることなんてできないはず。そうと決まったら、あの階段を登ろう! 私は血気盛んに階段へと向かった。
「どうして今まで言ってくれなかったのよ!」
「どうしてって言われても……」
勝は突然怒りだしたふわふわにタジタジになっていた。普通に話しているはずだったのに、急に怒りだすものだから、勝は何が何だかわからなかった。
(何か怒るようなこと、したっけ??)
とりあえず謝れば、矛は収めてくれるだろうかと思った勝は、ふわふわに謝ることにした。
「何だか知らないけど、ごめん……。謝るよ」
けれど、この選択は間違っていたようだ。その言葉を聞いたふわふわは、怒りを静めるどころか、怒りMaxになってしまった。
「何が、謝るよ、なのよ! あなた自分が何者なのかわかって言ってるの?! あの犬だけじゃなく、あなたまで疫病神体質だったなんて! 道理で、あの犬がいないときまで、妙なことが起こり続けてるんだわ!」
「え、いやだって……(自分を貶めるようなことを言うなんて、そんなやついないだろ……)」
反論しかけたが、そのせいでふわふわの怒りは頂点に達した。勝は、ふわふわの色が真っ赤になっていることに気がついた。これはちょっとやそっとじゃ、許してはくれなさそうだ。
「いやだって、じゃないでしょ! あなたのその体質を何とかしない限り、あの犬の悪い面が出てきてしまうのよ!」
悪い面。その言葉が妙に引っかかり、勝は、口を噤んだ。が、それを見たふわふわは、勝が機嫌を損ねたと思ったらしく、口調を和らげた。ついでに、真っ赤な色も和らいだ。
「ご、ごめんなさい……。あなたがそこまで気を悪くすると思わなかったから……」
勝は終始無言だったが、ようやく口を開いた時には、神社の周りの空気が少し冷えてきていた。
「……ヨルについて、何か知ってることがあるの?」
「え?」
今度はふわふわが口ごもった。まさかそんな質問が来るとは思わなかったのか、ふわふわは言いよどんでしまった。
どうしよう。脚が一歩も前に進まない。階段を上がろうとしてから長い間、私の肢はあげようとするたび、ずるずると滑った。どうして登れないの? 誰かが階段に細工をしたとか? 一歩も登れず、四苦八苦しているうちに、階段の周りが暗くなってきていることに気がついた。そして、気温が下がって来ていることにも。家の中は電気というものをつけていないため、明かりといえば、外の太陽しかなかったわけだ。視界が遮られてしまったので登る気力も萎えて来てしまった。
……もしかして、勝ママは、初めからこうなることがわかっていて階段を登ることを禁止したのかな……。私はやり切れない気持ちになり、勝の部屋に行くことをあきらめかけた。
「なんだ。もう上がんねぇのか? つまんねぇやつだな」
後ろから見知らぬ声がした。誰だろう? 勝ママは、ちゃんと鍵をしてから出かけたはず。それにしても、この声、どこかで聞いたような? 私は、ひとまず後ろを振り返ってみることにした。
「別にいいじゃないか。上がれなくても。君がそんなに気にすることでもないでしょ」
「けどよぉ。親分だったら、どんな障害もぶち壊すんだぜ」
そこには、以前台所に勝手に侵入し、冷蔵庫の食べ物をこれまた勝手にくすねた小柄な人間と、チャラい言動がムカつく大きめの火の玉がいた。こいつら、一体ここに何の用事があって又入ってきたんだろう? 小さい奴と火の玉はまるで前に私がいないかのようにしゃべり続けた。
「けど、この犬は君の親分とは全然違うよ。確かにこの犬は君の親分にそっくりだけどね」
「まぁ、そうなんだけど、けど、見た目が似ているしな」
本当に何なの? こいつら。たしか、あの小鳥にダメだって言われて出て行ったのよね。それにしても、また入るなんて懲りない奴。あれ? そういや、私あの小鳥に何か言われたような気がする……。なんだっけ? まぁ、いいや。早いうちにこいつらに出ていってもらわないと。
「見た目が似ているからって、この犬が本当に『よみ』の親戚かどうかなんてわからないじゃないか」
……しんせき? いったいどういう意味、なの?
「親戚でなくってもよぉ、親分に似ているぜ。……何かを思い立った時の行動力とかさ」
親分って、もしかしてあの大きな黒犬のこと?
「……それも、そうかもしれないね」
しんせきって、似ているって意味、なの? い、いやよ! そんなの! あいつの目はすごく冷たかったんだもん! あんな奴に似ているなんて、絶対に嫌! 私の中で、何かが崩れるような音がしたのは、気のせい、だろうか。
緑の小鳥はいまだかつてないような悲しげな目つきになっていた。ヨルに忠告しておいたことを、どうもヨルは忘れてしまっていることに気が付いてしまったからだった。そのそばで退屈そうにしているのは、前にヨルがいなくなったときに、勝に居場所を教えた翠川里奈だった。
「あの犬に言ったことを忘れてしまったってそれは不思議じゃないでしょ? だって犬だもの。それよりも私たちがすべきことは、これから起きることを阻止することよ。でしょ?」
(まったくもってそうだ……。しかし、我々がしていることはどうも後手後手に回っているような気がしてならん。あいつら物の怪をとどめておくこともできぬとは……。私は迦陵頻伽失格だ)
あまりにも後ろ向きな発言を聞いて呆れたらしい里奈は大袈裟に溜息をついた。
「あのねぇ。過ぎたことをあれこれ悩んでても仕方がないでしょ? 確かに、あいつらを説いて伏せることはとても難しいことだわ。神様道理、ましてや人間道理で動いてるわけではないもの。でもそれは、私たちが止めようとしている相手だって同じ、かもしれないのよ?」
(……それもそうだな。……だが、良い妙案をどうにも思いつけぬのだ)
「……気持ちが沈んでたら、解決策なんて思いつかなくて当然だと思うけど? ねぇ、私、試してみたいことがあるのよ。聞いてくれる?」
里奈がボソッと小声で言ったものだから、緑の小鳥はどうにも気になってしまった。
(な、なんだ?)
里奈は小鳥に近づいて、周りに誰もいないにもかかわらずこそこそと耳打ちした。里奈の話を聞くにつれて小鳥のまん丸い目が、さらに丸くなった。
「ね? いい案だと思わない?」
飛びっきりの笑顔を浮かべて里奈は答えを促したが、小鳥はというと、驚いてものも言えぬ感じだった。が、ややあってから応答した。
(……お、お主は何を言いだすかと思ったらっ。そ、そのような話に乗れるわけがなかろう! 第一あの方に会うことすらままならんというのに……)
「え~。いい案だと思ったのになぁ~」
どんどん寒くなっていき、日も短くなる中一人と一羽は、戯れのような会話を続けていくのであった。




