19 トラブルは重なるものです
魂の泉のある広間に移動した私達は、そこで見た光景に一瞬言葉を失った。
「……やられました」
フォビナが苦々しげに呟く。
その視線の先には、巨大な黒みがかった綺麗な石の中で眠るジャビの姿があった。
「……ジャ……ジャビ?ジャビ!!」
苛立たしげに爪を噛んで、石の中で眠るジャビを睨み付けているフォビナを押し退けて、私は彼の元へと駆け寄った。
「ジャビ、どうしたの!?一体何があったの?ねぇ?ちょっと、ねぇってば!!」
ジャビの眠る石に触れ、必死で話し掛けるけれど、彼は目を閉じたままでピクリッとも動かない。
指先に触れる石は冷たく、彼の温もりに感じる事も出来ない。
「話し掛けても無駄です。そこにあるのは体だけで中身がありません」
いつの間にか私のすぐ後ろまで来ていたフォビナが、静かだけれど何処か怒りを押し殺したような声でそう告げた。
私はその言葉にゆっくりと振り返る。
「……中身?」
「そうです。その体にはもう中身――魂がありません」
「魂が……ない?」
魂がない。
魂が……。
頭の中が真っ白になった。
フォビナの言うことの意味を上手く飲み込む事が出来ない。
だって、魂がないって事は要するに死……
辿り着き掛けた答えの恐ろしさに、頭を振って必死でその考えを消し去る。
「主様、残念ながらそれは不正解です」
私の顔色の悪さから私が導き出した答えを察したフォビナが、緩く首を振ってそれを否定する。
フォビナの否定の言葉に私は心底ホッとして、詰めていた息をゆっくりと長く吐き出した。
「じゃあ、これはどういう事なの?」
いつの間にか小さく震えていた手を、ジャビの眠る石から離す。
向き直った私にフォビナは一瞬辛そうに眉を寄せた。
そしてゆっくりと視線を外し、ジャビを睨み付ける。
「……そいつは主様を裏切ったのです」
低く冷たい声だった。
光すら届かない深い深い海底から響くような。
全てを凍らせるような。
そんな声だった。
フォビナは怒っている。
今まで私が1度も見た事がない程強く激しく。
私はその様子に思わずゴクリッと喉を鳴らした。けれど、言われている事の意味は全く理解出来なかった。
「そいつは最も契約の効力の強い『体』を脱ぎ捨てる事で、その制限から抜け出し……魂のみで魂の泉を使って地上に逃げたのです」
そう告げると、ここにいてももう出来る事は何もないと判断したらしいフォビナが、私の肩をそっと押して場所を移動するように促した。
こんな状態のジャビを残してこの場を立ち去るのは嫌だったけれど、フォビナがここで今出来る事がないと判断したのならばきっとそうなのだろう。後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去る。
そしてそのまま、コウとサンがいる自室へと戻った。
コウとサンは床に座り込み、それぞれ眠ったままのパートナーを膝の上に乗せて指先で頭を撫でながら、私達が戻るのを待ってくれていた。
その表情には安堵と疲労の色が濃く浮かんでいる。
「……ご主人様」
私が戻ってきた事に気付いた2人が、小さく頭を下げる。
そこにいつもの元気の良さはない。
そんな2人に対して私は安心させるように頑張って微笑もうとしたんだけど……ジャビの事が気になってしまって、どうしても上手く笑えなかった。
「さぁ、一息吐きながら状況の確認を行いましょう」
私達の間に流れた沈黙を破るようにフォビナがそう告げ、パチンッと指を鳴らす。
すると、足下の床にフカフカの絨毯とクッションが現れ、更にその上にお盆にのったティーセットとお菓子が現れた。
床に直に座った状態だったコウとサンは、急にお尻の下に現れた絨毯やクッションにちょっと驚いているようだったけれど、原理はわかっているのですぐに表情を緩める。
多分フォビナはコウとサンがアンとムーを膝に乗せて床に座ってたから、移動しなくて良いように、その場に座れる状態を作ったのだろう。
フォビナにしては珍しく気が利いている。
丁度コウとサンの正面に現れたお茶とお菓子を中心に囲むようにして、フォビナと私が座る。
フォビナが慣れた手付きでティーカップに注がれた紅茶を配り終えたところで、再びゆっくりと口を開いた。
「まず、最初に主様にご報告しないといけない事があります」
「報告?」
いつの間にか冷えてしまった指先を、ティーカップの熱で温めながらフォビナに視線を向ける。
フォビナは紅茶を一口飲んでから、私の問いかけに頷いた。
「どうやらつい先ほど、神の敵――邪神が生まれたようです」
「……え?」
邪神が……生まれた?
邪神って、ジャビの事じゃないよね?
ジャビはここに来た時から邪神だった。
最近は私にも懐いてくれるようになって、良い事もたくさんしてくれて、私の従神になろうと頑張ってくれていた……と思う。
その状況はフォビナのいう「先ほど」「生まれた」という言葉には一致しない。
フォビナの言葉の意味がいまいちよくわからなくて困惑していると、フォビナはまるで出来の悪い生徒を見るような目で私を見てから小さく溜め息をついて詳しい説明を始めた。
「主様には以前ご説明したと思いますが、『世界』というものがある程度創造出来ると、神の敵的な者が自然発生します。その形態はその時々で違いますが、魔王や邪神等がそれにあたります。主様が創造されたこの世界もある程度進化したので、遂に邪神が湧いて出てきたようです」
フォビナの話を聞いて、「そういえば、昔そんな話を聞いた気がする」と思い出す。
あの時はまだまだ先の事だって思っていたけれど……フォビナのせいで何百年も寝ているはめになり、気付けばかなり進化した世界に生まれ変わっていた。
進化の過程を見ていないから正直全く実感は湧かないけれど、つまり私の世界は着々と進化し神の敵の発生条件を満たすまでに成長していたという事か。
「ご主人様、アンとムーは黒色を持ってるから、邪神に引きずられやすいのよ」
「でも、裏を返せばそれだけ邪神とか魔王とかそういう神の敵になる存在には敏感なんです」
コウに続いてサンが辛そうな表情でアンとムーの事を話す。
「今回も、邪神の誕生をいち早く察したのは2人だったの」
「邪神が誕生するとご主人様の危険度が増すから、2人は少しでも早くご主人様にその事を報告しようと飛び出していったんです」
コウとサンの話によると、コウとアン、サンとムーのコンビはそれぞれ別々の所でいつも通り自分達の仕事をしていた。すると大きな揺れが起こり、それとほぼ同時にアンとムーが邪神の誕生を感じ取ってそのまま飛び出して行ってしまったようだ。
邪神が誕生すれば、敵対する神の危険が増す。
それと同時に、アンとムーが邪神の力に引き摺られる可能性も増す。
また、邪神と相反する力を持つコウやサンと一緒であればに邪神の力に引き摺られないよう抑制する事が出来たのだろうけど、アンとムーは私に危険を告げることを優先して、コウとサンを置き去りにしてしまった。
慌てて後を追ったコウとサンは途中で合流して、私の所へ来たのだけれど時は既に遅し。
アンとムーは邪神誕生と共に世界に発せられた邪神の力に引き摺られて、我を忘れていた。
黒い感情に支配され、私を害そうとした2人に対して、怒りをぶつけるジャビ。
私を害する事がアンとムーにとっても本意ではないという事を理解しているコウとサンが慌てて止めに入ったという事らしい。
「ジャビ様が邪神が生まれた際に発された邪神の力に引き摺られていたのかはわからないです」
サンが申し訳なさそうに視線を落とす。
「私達もパートナーを闇落ちしないように浄化する事で手一杯だったの。多分、意識はしっかりとあったと思うんだけど、邪神としての本質に引き摺られてた部分があったのか、主を害されそうになった事への単純な怒りでああなっていたのかは、しっかりと確認出来なかったのよ」
コウの方も、しょんぼりと項垂れる。
けれど、彼等にとってパートナーとなるムーとアンは特別な存在。
ジャビの事まで手が回らなかった状況に対して詫びる気持ちはあっても、自分達の選択した優先順位に後悔はないようだ。
もし、あれでジャビが牙を向けていたのが他の誰でもない私だったら、きっと2人の対応は変わっていたんだろうけれど、ジャビはあくまで私の事は守ってくれていたからね。
私自身もコウとサンの対応に間違いはなかったと思っている。
「邪神は元々本質そのものが悪です。神がしっかりとした監視の下で調教する事は出来ますが、本来の考え方は闇落ち達のそれにとても近い。本質に抗う意思が弱い者は掬い上げようとしても、完璧に本質が変わりきるまでは容易に元に戻ってしまう。しかし一方で本質が悪だからこそ自分の意思に反して他者から与えられる悪への抵抗力は強いとも言えます。……要するに自分の意思次第で抵抗する手段はあるはずという事です」
『自分の意思次第』
フォビナの発したその言葉がとても重いもののように感じた。
つまりは、ジャビが再び闇落ち――悪しき存在、神に敵対する存在になるかは、彼の意思次第。
彼がそれを望むのであれば、この世界に邪神が誕生した今が私の元を離れ、本来の彼――邪神として生きる道に戻るのに最も適した時。
また、私の従神になる事に僅かでも拒否感や躊躇いの気持ちがあるとすれば、1番闇に引き摺られやすくなる時でもあるという事だ。
そう考えた時、私は考えた。
彼と私の間に、彼が闇落ちに戻ろうと少しも思わないだけの、確かな繋がりがあっただろうか?……と。
私はそれに自信を持って頷く事は出来なかった。
彼が私の元に来た時に比べれば、お互い歩み寄る事は出来ていたと思う。
ここ最近は、ずっと私の傍に居たがっていたし、私の言動をよく見ていて気遣ってくれる事も多かった。
素直な態度でない時もあったけれど、その不器用な感情表現を可愛いと思っていたし、私にとって彼と過ごす時間が癒しになってもいた。
一緒にいる時間が長くなるにつれて、居て当たり前の存在になっていた。
……けれど、それは私の一方的な思いや感じ方だ。
彼が私と同じ思いでいてくれたのか、私が推測した通りの思いでいてくれたのかはわからない。
「今回、アンとムーは邪神が誕生した事で生じた邪神の力に引っ張られて暴走をしました。彼等は『黒』を持っている上に、精霊としてはまだ未熟で邪神の力への抵抗力も弱い。こうなってしまったのは致し方ない事でしょう」
フォビナの視線がコウとサンの膝の上で未だに眠っているアンとムーに向けられる。
その目には特に何の感情も浮かんではいない。
ただ、純然たる事実としてそれを捉えているだけ。そんな雰囲気だった。
けれど、次の瞬間、私に戻された瞳の奥には静かな怒りがしっかりと浮かんでいた。
「……けれども、ジャビは違います。彼にはある程度の抵抗力があったはず。もちろん多少の影響は受けたでしょうけど、主様との繋がりである体を脱ぎ捨て、魂だけで地上に逃げたのは彼の判断に他ならない。彼は……主様を裏切って逃げたのです。この落とし前はきちんとつけないといけない」
今ここにはいないジャビを睨みつけているかのような強い視線に、私は思わず息を呑む。
多分、ジャビはフォビナの中の絶対に越えてはいけない一線を越えてしまったのだろう。
そしてその一線とはおそらく主である神を――『私』を裏切る事。
もしも、フォビナがいうようにジャビが私を裏切って敵になってしまったのならば、私はこの世界の神としてきちんとした対応を取らないといけない。
いくら可愛がっていた子だからとはいえ、私の世界で生きている存在達を害させるわけにはいかないのだから。
それは、この世界で命を創造した私の責任。
どんなに嫌でも辛くても、やらなくてはいけない事だ。
でも……
「フォビナの言いたい事はよくわかった。ジャビが本当に私達を裏切って、敵側に付くというのなら、きちんと落とし前は付けさせる。……でも、それはジャビが敵になったと確定してからだよ。今の段階ではまだ断定出来ない」
「何を悠長な事を仰っているんですか!」
フォビナが私の発言に一瞬唖とした後、声を張り上げた。
コウとサンがその声に驚いたようにビクッと体を揺らす。
私はそんなフォビナを微動だにせず見つめ、ここは譲らないと態度で示す。
「主様の許から逃げ出した。これだけで十分は裏切りの証拠でしょう!?」
「私はそうだとは思わない。裏切りの可能性は否定できないけれど、他に何か理由があった可能性だってあるでしょう?」
それがどんな理由なのか尋ねられても私には答える事が出来ない。
けれど、私の許を去った時のジャビの切なげな表情が、私の中でずっと引っ掛かっている。
「あ、ちょっと待って。そういえばあの時確か……」
ジャビが私を置いて飛び出して行った時の光景を思い出す内に、不意に彼が去る直前私のポケットの中に何かを入れていた事を思い出した。
あの後一気に色々あって、まだ何を入れられたのか確認していなかった。
私はフォビナから怪訝そうな顔を向けられつつ、慌てて自分の服のポケットを探った。
中には……
「……ジャビの鱗?」
それは純白の鱗。
最近少しずつ増えてきたそれを、ジャビは嬉しそうに見ていたからよく覚えている。
ジャビの更生の証であり、彼が私の従神に近付いてきていた事への証拠。
それを彼が最後に私に託したその理由は……
「フォビナ、私はやっぱりジャビは私達を裏切ったんじゃないと思う。だって彼は自分の黒い鱗が白く変わるのを喜び、反対に白くなった鱗が黒く染まっていた事にショックを受けてたもの。そんな彼が自ら邪神に戻り敵対する事を望むとは思えない」
掌に乗せた白い鱗を見詰めながらそう告げる。
私には、彼が残した白い鱗が「必ず戻ってくる」という誓いのように思えた。
「それは……ジャビが白い心を捨てるという証なのではないですか?」
私がジャビの鱗を見て心を決めた事に気付いたフォビナが、眉間の皺を濃くして正反対の解釈を提示する。
「そうだね。そういう風にも取れるかもしれない。でも、それはやっぱりジャビ自身に聞かないとわからない事だと思う。だから……」
掌に乗ったジャビの鱗をギュッと握り締めて、意思を込めた視線でその場にいた全員に視線を向ける。
「探すよ、ジャビを。それで本人にその気持ちを聞こう」
否は受け付けない。
私は地上に降りたジャビの魂を見つける。
そして、ジャビ自身にどうしてこんな行動を取ったのか確認する。




