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18/22

18 トラブル発生です。


「ジャビ、地上って結構楽しいところだったね」


フォビナに連れ回されつつも意外と地上をエンジョイしてきた私は、自分の住む神殿に戻るとすぐにジャビを檻から出してあげた。


檻から出ると、ジャビは両手を床について、犬がよくするように腰を上げた体勢で背伸びをし始める。


ただ、ジャビの下半身はあくまで蛇なので、室内……しかも私の居住スペースの中でまっすぐ一本に伸びきる事は出来ず、上半身を伸ばした後に波打たせるように下半身を伸ばしていき、伸ばし終えた部分からとぐろを巻いていくという、なんとも面白い背伸びの仕方になっていた。


「あ、でも、ジャビは檻の中にずっといて、外を見ているだけだったからあんまり楽しめなかったよね」


自分が楽しかった事で、ジャビもきっと楽しかっただろうと思い込んでいた自分に反省。


私はフォビナに連れ回されてはいても、見たいと思った可愛い雑貨屋さんとか洋服屋さんへは行きたいと主張して行く事が出来た。


実際に、見て歩く中で気に入った物をいくつか買い物の練習として購入してきている。


でも、ジャビはそれをただ見ているだけだったのだ。


「楽しいところだったね」と同意を求められても困るだろう。


自分のミスに気付き、苦笑いを浮かべていると、背伸びを終えたジャビがジッと私を見つめてくる。




「どうしたの?」


「……」


ジャビが無言で首を振る。これはどういう意思表示だろう?


首を傾げるとジャビがプイッと顔を背けた。



「……楽しい」


小さな声でそう告げると、照れたのか作ったばかりのとぐろの中に上半身を埋め、緩めの鱗の塊になる。


何て可愛い子なんだ、うちのジャビさんは。


その光景と言葉に、思わず頬が緩む。



「そっか。ジャビも楽しんでくれたなら良かった。また行こうね?」


尻尾の隙間から背中が見えるから、多分彼は尻尾の中でこちらに背を向けているのだろう。


ジャビは無言のまま振り返るも事もなかったけれど、尻尾の先がまるで頷くようにピョコンと鱗の塊から出て、機嫌良さそうに左右に揺れた。


きっとこれは肯定の意思表示なのだろう。


「有り難う。今度は事前にジャビの見たいところも確認して、もう少しジャビも楽しめるようにするからね」


また、ジャビの尻尾の先が嬉しそうに左右に揺れる。


穏やかで楽しくて癒される時間。


こんな時間がこれからどんどん増えていったら良いなぁなんて思った、その時だった……





『…………見つけた』


不意に低い声が何処からともなく聞こえた気がした。


「え?」


「……っ!?」


妖精か精霊達でも隠れているのかと思って周囲を見回しても誰もいない。


唯一傍にいるジャビはピタリッと動きを止めて、何かを警戒するかのように虚空を睨む。



「ねぇジャビ、今……」

ドォォォォン……。


ジャビに声を掛けようとした瞬間、大きな音と共に立っていられない程の揺れを感じる。


「キャッ」


突然起こった大きな揺れに耐えられず、思わずその場に座り込む。


すかさず、ジャビが私を守るように近づき私の周囲を太く艶やかな尾で囲んでくれ、頭を抱きかかえてくれた。


「な、何なの?」


突然起こり、あっという間に収まった揺れに戸惑う私と、私を抱きしめながら周囲を警戒するジャビ。


彼の喉からはまるで何かを威嚇するかのように「シューシュー」という音が聞こえる。


揺れが収まった後も、暫くは周囲の様子を窺って2人抱き合ったまま動かずにいた。


けれどその後は何も起こらず、次第に私を抱きしめるジャビの腕からも力が抜けていった。


「……大丈夫?」


心配そうに私の顔を覗き込むジャビに、「私の方が見た目はお姉さんなのに情けないな」と思わず苦笑してしまう。


「うん、大丈夫。ちょっと驚いただけ。今の何だったんだろうね?」


「……っ」


私の言葉にジャビが答えようと口を開き掛け、何かに気付いたようにハッとして扉へと視線を向ける。


私の周囲を取り囲んでいた彼の尻尾が離れ、私を守るように扉と私の間に移動する。


「どうしたの、ジャビ?」


「……来る」


警戒を強め、扉を睨むジャビにつられるように、私も視線も扉へと向く。


何が起こっているのかはわからない。


でも、ジャビの様子を見るとただならない何かが起こっているような気がして、不安に体が強ばる。


ジャビに守られるんじゃなくて私が守ってあげなきゃと思う気持ちはあるのに、私はその場から動けずただ彼の背中とその向こうに見える扉を見つめる事しか出来なかった。



バァンッ!!


暫くの静寂の後、勢いよく扉が開かれる。


そして、そこにいたのは……


「ご主人様、ご主人様、大変!大変!!」

「ご主人様、無事か!?大変だぞ!!」


……ムーとアンだった。


ちょっと、拍子抜け。


「何だ、2人だったのね」


私を心配してくれたのか、もの凄い慌てた様子で駆け込んできた妖精姿の2人の姿を確認して、私は詰めていた息を吐いて警戒を解いた。


「私は大丈夫だよ。2人も怪我はなさそうだね」


私の方に飛んでこようとする2人を招き入れるように手を伸ばそうとすると、ジャビの体がスーッと動いてそれを阻む。


「ジャビ?」


ジャビは私に執着を見せるムーとアンに対して、普段からやや警戒する様子を見せる事はあるけれど、ここまで露骨な態度を取る事は今までなかった。


いつもだったら、ちょっと注意深く観察する程度なのに今は、警戒するどころか威嚇するように「シューシュー」と喉から声を発している。


「ジャビ、ムーとアンだよ?大丈夫だよ?」


何故彼がこんなにピリピリしているのかはわからないけれど、落ち着かせないといけないと思って声を掛ける。


それでも警戒を解かない彼を宥めるように、近くにあった尾を撫でると、鱗が少し逆立っている事に気付いた。


こんなのは初めてだ。


「ご主人様、大変!」


「ご主人様、邪神が……」


ジャビの異様な様子に首を傾げていると、私の方に飛んでこようとしてそれを阻まれてしまったムーとアンがその場から必死で私に話し掛ける。


彼らもまたいつもと違い、余裕がないようだった。


「え?何?どうしたの?」


体の位置をずらして、ジャビの後ろから覗き込むようにして2人に声を掛けた。


その時、彼らに異変が起きた。


「ご主人様、逃げ……っ!」

「邪神が………生ま……っ!」


ムーとアンの体がビクンッと大きく痙攣し、今まで私に必死に何かを訴えようとしていた瞳がドヨンッと黒く濁り、感情が抜け落ちる。


そして、彼等の周囲に黒い靄のようなものが生じた。


「シャァァァァァ!!」


2人の変化を見た瞬間、ジャビが2人に対して一際大きな威嚇の声を上げた。


「ムー?アン!?」


目の前で起こっている事が飲み込めずに呆然としている私の体を、ジャビの尻尾がゆっくりと押して後方に下がるように促す。


「ご主人様……ムーのもの……」


「俺の闇の世界に閉じ込めて……」


真っ黒に染め上げられ、光を失っていた瞳に仄暗く淀んだ感情が浮かび上がる。


彼等の瞳が私を捉えた瞬間、背筋にゾクッとするような冷たいものが走り抜けた。


「ヒッ!」


頭で理解するよりも、本能的な危機感を覚えて後退る。


恐怖。


それも、生命を脅かされるような、そういった類いの恐怖。



今まで私に対して異様な執着を持って接してきた男の人達にも、これに通じる感情を向けてくる人達はいた。


けれど、今、目の前で向けられているのは、それらを更に集めて煮詰めて不純な物を取り除き、その感情をより濃く純度の高いものに仕上げたもの。


純然たる狂気。


向けられたら、逃げ場などない。


そう感じさせるものだった。



「ご主人様、遊ぼ?……2人だけの世界で。……永遠に」


「ご主人様……ムーだけを見て?」


「……寄るな。シャァァァァ!!」



ニッコリと笑って私の方に飛んで来ようとする2人にジャビが再び威嚇の声を上げると、その声に反応して強い風のようなものが起こり、2人を後ろに吹き飛ばす。


「ジャビ!」


2人から守ってもらえてホッとした反面、小さな体が勢いよく飛んでいく光景に焦る。


ムーとアンの体は壁に叩き付けられ、ペショッと床に落ちた。


その様子を見て思わず駆け寄ろうとすると、それより先にジャビが動いた。


「シャァァァ!」


鱗を逆立て素早くムーとアンに近付いたジャビは、床に落ちてもすぐに上体を起こし、まるでゾンビのように這いながら私に近付こうとした2人を再びその長い尾で払って吹き飛ばす。


「ちょっ!」


思わず制止の声を上げるけれど、ムーとアンを完全に敵と見なしているジャビは動きを止めない。


壁に叩き付けられては起き上がり私に近付こうとする2人を、ひたすら尾で払い除け吹き飛ばす。


何度も繰り返される暴力に、私は思わず息を詰めた。


「や、やめ……」


ジャビと2人の力の差は歴然だった。


一方的にやられているムーとアンを見ていると胸が痛くなる。


でもジャビが攻撃を止めれば、2人は私を襲いに来る。


どうすれば良いのかわからず、私はただただ震えながら涙を零していた。



何か方法を考えなくてはいけないというのはわかっているのに、「どうしよう」という言葉だけが何度も何度も頭の中を繰り返し回り続けるだけで、焦りが募る。


今までいろんな修羅場はくぐり抜けてきたけれど、こんな風に誰かが身体的に傷つけ合う場面に遭遇する事はなかった。


こんな風になる前に、いつも私には助けてくれる友達や家族がいた。


それがどれだけ恵まれていた事だったのかを改めて痛感する。



「……お、お願い。もう止めて」


震える声で呟く。


どちらを制止しているのかは自分でもわからなかった。


否。


きっと両方に言っていたんだと思う。




ただ震えるだけの時間をどれ位過ごしただろうか?


私にとってはとても長い時間のように感じられたけれど、おそらく数分程度の事だっただろう。


不意に遠くの方から慌てた様子の女の子2人の声が聞こえ、それが徐々に近付いて来るのを感じた。



「ムー!!」


「アン!!」


部屋に飛び込んできた2つの光。


コウとサンだ。


2人は室内の様子を見て、サーッと顔を青ざめさせた後、素早く妖精の姿から精霊の姿へと変わり、攻撃を続けるジャビの元へと駆け寄った。


「ジャビ様、後は私達がやりますから!」


「気を静めて下さいませ、ジャビ様!2人は今正気じゃありませんの!!」



ボロ雑巾のようになっても尚も、私への狂気を衰えさせる事のないムーとアンを威嚇し、攻撃し続けるジャビを止めるコウとサン。


さすがにすぐには起き上がれなくなってきたムーとアンを背に庇い、怒りに瞳を染めるジャビに自分達が何とかするからと必死で言い募る。


ジャビはそんな2人に対して攻撃こそしないけれど、鬱陶しそうに眉間を寄せて、その奥にいるムーとアンへの威嚇を続ける。


コウとサンの姿は見えてはいるのだろうけれど、まるでそこに彼女等が存在していないかのように、ただひたすらムーとアンを睨んでいる。


今のジャビにとって、きっとコウとサンはただそこに置かれているだけの障害物程度のような認識なんだろう。


攻撃こそ収まったものの、一向に怒りを収めないジャビに緊迫した空気が続く。


そんな中、静まりかえった室内にカツンッとやけに大きく靴の鳴る音が響いた。



「……これは一体何事ですか?」


声に反応して視線が扉の方に集中する。


そこにはジャビを見据えたフォビナが腕を組んで仁王立ちしていた。


表情の変化こそ乏しいけれど、明らかに怒っている。



「ジャビ、これはどういう事ですか?……貴方、まさか主様の僕に手を出したのではありませんよね?」


静かな怒りを秘めた冷たい声が、室内に響く。


「……」


ジャビはそれに対しても無言で何も返そうとはしなかった。


しかしフォビナが現れた事で少しだけ冷静さを取り戻したのか、ムーとアンへの威嚇を止め、フォビナを無表情で見詰め返していた。


その様子にホッと息を吐いたコウとサンは、すぐさまジャビに背を向けムーとアンに駆け寄り名前を呼んだ後、それぞれのパートナーを光の球体のようなものを生み出してその中に入れていた。


「ジャビ、答えなさい」


ムーとアンの様子を視界の端でチラッと確認した後、フォビナがスッと目を細めて再びジャビに詰め寄る。


ジャビはそれにも答えず、スーッと音もなく私に近寄り、私の周りをその長い尾で囲む。


……否。囲もうとした。



パンッ!


私までの距離が1メートル位になった瞬間、何もないはずの空間で乾いた音が鳴り、ジャビの体が弾かれる。


不快そうに眉を寄せたジャビがフォビナを睨むと、フォビナがスッと目を細めた。


「その汚れた体で、私の主様に近付かないで下さい」


まるで、周囲を凍り付かせるような冷ややかな声だった。


その声を直接向けられたわけでもないのに、思わず体がビクッと跳ねる。


けれどジャビの方は、それにも不快さを示し何処かイライラした様子で左右に体を揺らすだけで何も答えない。


しかし、急にハッと何かに気付いたように、自分の下半身――鱗の一部に視線を向け、ショックを受けた表情をした。


「ジャビ、どうし……」


ジャビの様子に疑問を感じた私も、彼の視線の先に目を向けて言葉を詰まらせる。


ここ最近、白い鱗が増えていたジャビの尻尾の一部分が……再び黒くなり始めていた。


「……っ」


口を開き掛けて、キュッと唇を噛み締めるジャビ。


私はジャビが自分の尻尾に1枚、また1枚と白い鱗が増えていくのをこっそりと、でももの凄く喜んでいたのを知っている。


彼は時々人目の少ないタイミングを見計らって嬉しそうに白い鱗を撫でて笑みを浮かべていた。


だからこそ、その鱗が数枚とはいえまた黒くなってしまった事に対して、どれ程大きなショックを受けているか簡単に想像出来た。


「ジャ、ジャビ?」


さっきまでの苛立ちがショックで抜け落ち、冷静さを取り戻した彼が私の事をジッと見つめる。


そんな彼に何と声を掛ければ良いのか迷っていると、彼はギュッと拳を握り締め何かを覚悟した表情になった。


次の瞬間、握り締めた拳に黒い靄のようなものをまとわせて、勢い良い振り下ろした。



パリンッ!


澄んだ音を立てて、何も見えなかった目の前の空間に罅が入り、そしてそれが崩れ落ちる。


「なっ!」


フォビナが珍しく焦ったような声を上げているのを、まるで遠くの世界の出来事のように感じていると、ジャビがスッと近付き……私の頬に口付けた。


それと同時に、私の服のポケットに何かを入れる。


「え?」


驚いて、離れていった彼の顔を見詰めると……彼は今にも泣き出しそうな顔で微笑んでいた。



「ジャ……ビ……?」


呆然と立ち尽くす私の前で、ジャビは再び顔を引き締めて私に背を向けて勢い良く動き出た。


そして、威嚇するような声を上げながらフォビナの脇をすり抜ける。


「待ちなさい!!」


大きな声を上げたフォビナがジャビを捕まえようと手を伸ばすが、その手は見えない壁に弾かれて、彼の体に触れる事は出来なかった。


ジャビを追おうとしたフォビナは一歩足を踏み出した所で、呆然と立ち尽くす私の存在を思い出し、「チッ」と小さく舌打ちをして足を止めた。


「主様、ご無事ですか?」


私に歩み寄り、心配そうに顔を覗き込んでくるフォビナ。


いつもは常に何処か飄々とした雰囲気を醸し出しているのに、今は真剣そのものだ。


「わ、私は大丈夫。ムーとアンの様子がおかしくて、ジャビが守ってくれたんだけど……あ、そうだ。ムーとアンは……」


まだ混乱している頭では、思考が上手く纏まらない。


それでも必死に状況を説明しようとしている内に、ジャビに気を取られてコウとサンに任せっぱなしになっていた2人の存在を思い出し、慌てて視線を向ける。


2人はそれぞれコウとサンの作り出した光の球体の中で暴れていた。


中で何かを叫んでいるようだけれど、何を言っているかは全く聞こえない。


そんな2人を前に、コウとサンは光の球体に向かって祈るように力を注いでいた。


しかし、それもほんの僅かな時間だった。


おそらくもう既に処置の最終段階に入っていたのだろう。


私が視線を向けてすぐに、ムーとアンの体から黒い靄がじわりと染み出てきた。


体から靄が出始めると2人は苦しそうに悶えていたけれど、それもほんの僅かな間だけだった。


コウとサンが生み出す光がその黒い靄を溶かすように消し去ると、穏やかな表情になり眠り始める。


コウとサンはその様子を見て「フゥゥ……」と安堵の息を吐き出し、光の球体を解いて静かな寝息を立てるムーとアンをそれぞれ掌で受け止めギュッと抱きしめた。



「……あちらはもう大丈夫そうですね」


「良かった」


穏やかな声でフォビナが告げると、私もホッとして肩の力を抜いた。




ムーとアンが無事で良かった。



「あ、フォビナ、ジャビを追わないと……」


彼等の無事を確認すると、今度はやっぱりさっき走り去ったジャビの事が気になる。


フラつく足でゆっくりと後を追おう歩き出すと、フォビナが溜め息を吐いた。



「あれはまだ調教中の邪神です。その体には契約の印があるので、そう遠くに逃げる事は……」


私を諭すように語り掛けていたフォビナの動きが、何かを感じ取ったかのようにピタリッと止まる。


「まさか……チッ」


眉間に深く皺を刻んだフォビナが踵を返す。


明らかに何かトラブルが生じたようだった。私も慌ててその後を追った。


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