12 部下と仲良くなるには根気が必要です。
あれから、ジャビは私が目の前で作ったお弁当であれば食べてくれるようになった。
いや、正しくは食べてくれていると思うという感じなんだけど……。
ジャビが来てから、早1ヶ月。
未だに、ジャビは私の目の前ではご飯を食べてくれない。
ただ、全く進展がないかと言えばそうでもない。
あの日の夕飯、私が手作りした物なら食べてくれるというのであれば、お弁当だけじゃ味気ないと思って、日本にいた時の私の得意料理、カルボナーラを作ってみた。
お弁当の時と同様に、ジャビの部屋に作ったキッチンで調理し、お皿に盛り付けてジャビに差し出した。
ジャビは調理の時から私の方を見ており、私の作ったカルボナーラにとても興味を示してくれた。
でも、手を伸ばしてくれる事はなかった。
お弁当時のように私が部屋を出る直前に持っていくかもしれないと思って、後ろ髪を引かれるような思いで振り返りたくなるのを我慢して部屋から出た。
でも……ジャビが私がいる所でそれに触れる事はなかった。
お弁当だけが特別だったのか、ただの気紛れなのかそれすらわからないまま、ガッカリしていると、翌朝には空になったお皿がそこにあった。
嬉しかった。物凄く。
その思いのまま抱きつこうとして……また威嚇された。
色々と考えた結果、尻尾の中に引きずり込みやすいものかどうかという違いだったのではないかという仮説に辿り着いた。
その後、何度か色々なパターンの食事を作って出しみたところ、それは間違えではなかったようだ。
そうやって、食事の度に試行錯誤していろんな事を試している内に、何とジャビは私がいるとこでも、私が一定の距離離れてさえいれば、尻尾の間から手を出して食事を受け取ってくれるようになった。
これは大きな進歩だ。
更に最近では、ジャビの部屋を訪れたのが私1人の時は、少し気を抜いてくれているのか、尻尾の巻きが緩くなってきている気がする。
実際に、今日は尻尾の先が1メートル程、ほどけていてゆらゆらと揺れていた。
……猫じゃらしに飛び掛かろうとタイミングを計る猫のように、そろりそろりと近付いて行って目でその動きを追っていたら、尻尾の動きが止まって拒否するように鱗の塊の中へと収められてしまったけれど。
私がジャビの鱗に触りたがって、ジャビがそれを拒否する。
何度もやっているやり取りだけど、それにだって実は少しずつ変化が出てきている。
1ヶ月前なら手の届く範囲には近づけなかったのに、今は手を伸ばせば届くところまで威嚇されずに行けるようになった。
ここ数日に至っては、拒否する前に若干悩むように尻尾の先を揺らめかせる瞬間すらある。
「私とジャビの関係は確実に進展している!!」
今日もしっかりと食べてくれて、空になっていたお皿をギュッと握り締めて私は自室で喜びに浸っていた。
「……進展と言っても、よく観察してないと気付けない位の微々たるものですけどね」
「フォビナ様、それは言っちゃいけないのぉ!」
「ご主人様は、ああやって自分を奮い立たせてるんですから!!」
いつも通り、私が僅かな喜びに浸っているところにジャバジャバと水を差してくるフォビナに、妖精モードのコウとサンが口の前に人差し指を立てて「シーッ」と言いながら注意をしてくれる。
……全然内緒に出来ていないやり取りだけど、可愛いから良しとしよう。
「有難う、コウとサン。本当にいい子だね。お礼にこのクッキーをどうぞ」
苦笑いをした私は、予め作っておいたクッキーをコウとサンに手渡す。
「わぁ、ご主人様の手作りクッキー!!」
「美味しそうなのぉ」
私が渡したクッキーを嬉しそうに抱えるコウとサン。
さり気なく手を出してきたフォビナは笑顔で無視をする。
……自主的にクッキーが入っている籠から持って行きやがった。しかも5枚も。
「いつも主様の為に身を粉にして働く私への、正当な報酬です」
早速手にしたクッキーを頬張りつつ、睨む私にしれっと言い切るフォビナ。
元々フォビナの分も用意はしてあったとはいえ、何だか納得出来ない、納得したくない。
「報酬はいつも自主的に食事出して食べてるから良いでしょ?」
フォビナが使う力の一部は私の神としての能力を貸しているからこそ使えるものだ。
その力を使って、好き勝手に食事を出して食べているのだから、ある意味あれも報酬になると思う。
「あれはあれ、これはこれです」
全く悪びれる事なく言ってのけるフォビナに、これもいつもの事かと小さく溜息をついて気持ちを切り替える。
「そうだ、2人共。これをアンとムーにも届けてくれる?」
いつも私にくっ付いていたがるアンとムーだけど、ここ数日は仕事が忙しいらしくなかなか私の所には来られないらしい。
あの2人は、私に対する執着が他の精霊達より強いから、距離感を間違えないように気を付けてはいるんだけど、私は眠っていた500年間のサンとコウの努力の結果、以前に比べてかなり落ち着いてきているから、頑張りに見合ったご褒美くらいはあげても良いだろう。
「もちろん!有難う、ご主人様。きっとムーも喜ぶわ!」
「有難う、ご主人様!アンも喜ぶと思うわぁ」
何だかんだで自分の相方的存在であるムーやアンを大切にしているコウとサンは、2人が喜ぶ姿を想像して嬉しそうに笑い、届ける役を快く引き受けてくれる。
「お願いね。あ、今度はカビが生える前に食べてねって伝えておいてくれる?」
「……あ~、うん。そうね。わかったわ!」
「……しっかりとしっかりと伝えておくわぁ」
先日、精霊達に作ってあげてたサンドウィッチを、ムーとアンが持ち帰り、宝物としてそのまま保管し続けた事で起こった悲劇を思い出してそう言うと、コウもサンも視線を逸らし渋い顔をしていた。
「ちなみに、時間経過のし難い闇の領域で保管するって言い出した場合はぁ……?」
「……その場で食べるのを確認してきてくれる?食べなきゃ、没収って言ってもいいから」
十分あり得そうなアンの行動に、私は頬を引き攣らせながらコウに頼む。
もしかしたら、食べ物を悪くせずに保つ方法もあるのかもしれないけれど、食べ物はあくまで食べる物。
飾る為にあげるわけじゃないんだから、食べてもらいたい。
2人はそんな私の気持ちを理解してくれたのか、真剣な顔で頷いてくれた。
ちなみに、余談だけど、カビというものがこの世界に存在するのは、フォビナが発酵食品を地上に流行らせるべく、私が寝ている間に菌系統の生命も創っていたからだ。
私はまだ地上に行った事がないから、見た事はないけれど、その結果チーズやお酒等の食べ物も地上では普通に存在しているらしい。
「それじゃあ、早速届けてくるわぁ」
「私もムーの所に行ってくる!」
2人は、話が終わるとすぐにそれぞれの相方の所へと飛んで行く。
その後姿が何処かうきうきしているのを見て、「きっと、ムーとアンの喜ぶ顔を早くみたいんだろうな」と思い、ほっこりとした温かい気持ちになる。
「……主様、まだクッキー余ってますよね?もっと下さい」
「これは他の精霊達にあげる分なので余ってません」
わきわきと手を動かしながら、籠の中のクッキーを狙ってくるフォビナに折角の良い気分を邪魔されつつも、籠を抱えてクッキーを守る。
さて、全員には無理かもしれないけれど、渡せる子にクッキーを配ってこようかな。
私は手に持っていたお皿を机の上に置いて、足取りも軽く自室を後にする。
背後でフォビナの舌打ちの音が聞こえたけれど、それはもう無視する事にした。
***
カチャカチャ……モグモグ……コクンッ。
カチャカチャ……モグモグ……コクンッ。
私は目の前の光景に感動していた。
な、なんと、今日は遂にジャビが私の目の前が食事をしてくれるようになったのだ!
……尻尾の中でだけど。
何か、ここまで来ると逆にその器用さに感動する。
「……ジャビ、美味しい?」
微かに聞える、ジャビの食べてる音を聞きながら、私はタイミングを計り恐る恐る尋ねてみた。
正直、期待はしてなかった。
返事はきっと返って来ないだろうと思っていた。
それなのに……
「し、尻尾が揺れてる。お、美味しいって事かな?」
更に尻尾の先が左右に揺れる。
どうやら肯定してくれているようだ。
「よ、良かったぁぁ。ねぇ、ジャビ、何か食べたい物はある?明日の朝食とか、昼食とか、希望があれば作るよ?」
調子に乗って尋ねると、ジャビの尻尾は考えるようにゆっくりと左右に動いた後、パタンッと床に落ちた。
どうやら、特に思い付かないようだ。
「そっか。じゃあ、いつも通り私がメニュー決めて作るけど、もし食べたい物があったら言ってね!」
ジャビの尻尾が返事をするように左右に揺れる。
私達、今、しっかりと会話(?)が出来てる!
コミュニケーションが成り立ってる!!
長い道のりを経てのこの結果に、私は感激の涙を流しそうになった。
でも、ここであまりオーバーリアクションをしてしまっては、後々ジャビは反応を返しにくくなってしまうかもしれないと思い、ギュッと唇を閉じて堪える。
そしてそのまま、無言でジャビがご飯を食べる音だけを傍らで聞いていた。
カチャカチャ……モグモグ……コクンッ。
カチャ……
どれ位経った頃だろうか?
尻尾の中の様子が見えないからわからないけれど、雰囲気的にまだ食べ終えてはいないと思う。
それなのに、不自然に途切れた物音に不思議に思い鱗の隙間から中の様子を窺う。
「ジャビ、どうかした?」
最近では私だけの時は緩んで中が覗き込みやすくなった鱗の塊。
その隙間から、何かを警戒するように扉の方をジッと見詰めるジャビの姿が見えた。
バンッ!!
ジャビの動きが止まって数秒。
勢いよく部屋のドアが開けられる。
それと同時にジャビが警戒態勢を取って、緩んでいた尻尾をきつく巻き直した。
「ご主人様!」
「……ご主人様」
開け放たれた扉から、ムーとアンのコンビが妖精の方の姿で飛び込んでくる。
「え!?ムーとアン、どうしたの?」
いきなり飛び込んで来た2人は、私やジャビの戸惑いなどお構いなしに、いつも通りピタッと私に張り付いてくる。
「……ご主人様……好き」
「やっぱりここが1番落ち着くなぁ」
フォビナやサンやコウが私がいる時にこの部屋――ジャビの部屋に来る事はあったけれど、ムーやアンがここに来る事はない。
月や闇の精霊は性質上、邪に引き摺られやすいらしく、ジャビがどんな存在かわからない内はと、2人は警戒してあまり近寄りたがらないのだと、先日コウとサンが言っていた。
まぁ、単純にここのところ仕事が忙しくて私の所に来れる時間があまりなかったという理由もあるみたいだけど。
「2人ともちょっと久しぶりだね。仕事頑張ってくれてたんだって?」
まるで再開を喜ぶかのようにスリスリと私に頬擦りするムーとアンに苦笑を浮かべつつも、「少しなら大丈夫か」と思って指先でその小さい頭を撫でてあげる。
「ムー……頑張った……」
「フォビナ様が地上を繁栄させてから忙しくなったんだ。もう闇に籠って休みたい」
何処か疲れた様子の2人を見て、本当に頑張ってくれていたんだなと改めて痛感する。
「2人共、お疲れ様。いつも有難う」
笑みを浮かべてお礼を言うと、ムーもアンもパッと表情を明るくして嬉しそうに笑った。
「ご主人様の為……ムー……頑張る!」
「もうちょっと、籠るのは後にするよ。……頑張ったらまた撫でてくれるよな?」
満面の笑みになった2人をこういうところは本当に可愛いんだよなぁと思いつつ、「無理はしないでね」「休憩もちゃんと取るんだよ」と伝えた。
……油断して、ここで応援なんかして無理に頑張らせ過ぎると、またちょっと病んでくる予感がするんだよね。長年の勘的に。
純粋な好意は嬉しいけれど、それをに詰め過ぎてネバネバとしたどす黒いものに変容させるのは良くない。
彼等の事を可愛いと思えるようになってきたからこそ、健全に育って欲しいと神は願うわけですよ。
「ご主人様、クッキーも美味しかった!ちゃんと食べたよ!!」
「取っておきたかった……でも食べた……。美味しかった……」
2人が大事そうにコウとサンに2人分のクッキーを持たせる時に包んでいた紙を開いて、中身がなくなっている事を見せてくれる。
なるほど、ちゃんと食べたという事を報告しに来てくれたわけか。
「食べてくれたんだね。有難う」
私から離れて、フワフワと目の前まで飛んで来ていた2人の頭をまた指先で撫でる。
2人は何処か擽ったそうな様子で、頬を赤らめてもじもじしていた。
「ご主人様……これ……お礼」
「美味しいお菓子、有難う!」
そう言うと2人は両手を前に出して「えいっ」と小さな掛け声を発した。
2人の目の前に、綺麗な石と可愛らしい花がポンッと音を立てて現れた。
「え、これって……」
2人の突然の行動に驚きつつも、目の前に現れた石と花を手に取る。
「満月草。……満月の日だけ……咲く……特別」
「闇光石だよ。暗闇の中でだけ光るんだ」
私が驚いた様子で2人の贈り物を手にした事が嬉しいのか、2人はご機嫌そうにフワフワと飛びながら教えてくれる。
「そっかぁ。素敵なプレゼント、有難う」
私は2人のはしゃぐ様子を見ながら、内心「お礼なんてしなくても大丈夫なのに……」と苦笑しつつも、素直にお礼の言葉を紡ぐ。
2人は私の言葉を聞いて、パチンッとハイタッチして更に嬉しそうに飛び回った。
それから暫くすると、ムーが花を持っている方の私の手に止まった。
「ご主人様……クッキー……美味しい。……また……食べたい!……ダメ?」
上目遣いにお強請りしてくるその姿が、あざといながらも可愛い。
その様子を見て、今度はアンが石を持っている方の手に止まって上目遣いに私を見てくる。
「俺も食べたい!ご主人様」
誰だ、この2人にこんな極悪的に可愛いお強請りの仕方を教えたのは。
フォビナ辺りだろうか?
そんな事を考えながらも、私は2人に満面の笑みを向ける。
「うん、また作るからね!!」
その言葉を聞いて、2人は顔を見合わせた後、弾けるような笑みを浮かべて、再び飛び回り始めた。
その時……
バシンッ!!
床に何かが強く打ちつけられる音が聞こえて、そちらの方に視線を向ける。
すると、そこにはずっと沈黙を保っていたけれど、何処か不機嫌そうなジャビの姿があった。
……そういえば、忘れていた。ここ、ジャビの部屋だった。
自分の部屋で他人が、自分とは全く関係のない話を急にし始めて煩く騒げば、その部屋の主はあまりいい気分はしないだろう。
「ジャビ、煩くしちゃってごめんね!今、出てくからね!!」
内心「しまった」と思いつつも、慌ててアンとムーに「またね!」と別れを告げて、外に出るように促し、私も退室しようとする。
ところがその時、突然、足首に何かが巻きつく感覚がした。
「ヒャッ!」
少しヒヤッしたそれに、反射的に背筋をビクッと震わせる。
「な、何?」
よくわからない感覚に、慌てて自分の足首を見ると……
なんと言う事でしょう。ジャビの尻尾の先が私の足首に絡みついているではないですか。
今まで触れさせる事すらしなかったジャビのその突然の行動に驚いて、尻尾の絡みついた足首と、ジャビの本体が隠れている鱗の塊を交互に見つめる。
しっかりと絡みついている鱗の塊からは、ジャビの表情を見る事は出来ない。
辛うじて目が見えるかどうか位の隙間しか空いてないのだ。
「ジャビ、どうしたの?」
いつもとは明らかに違うその様子に、戸惑いながらも心配になって声を掛ける。
しかし、今彼の尻尾は私の足首に絡みついていて、いつも通りの尻尾による返事は出来ないだろう。
どうやって彼の気持ちを探ればいいだろうと思案していると……
「……いて」
小さな小さな声がボソッと鱗の塊の中から聞こえた。
聞き逃してしまいそうな、そんな小さな声だったけれど、ジャビの様子に集中していた私には確かに聞えた。
ジャビは確かに「いて」と、ここにいて欲しいと言った。
「ジャ、ジャビが懐いてくれたぁぁぁ!!」
私は思わず、鱗の塊に抱きついた。
抱きついた。……抱きつけた!!
腕の中ではツルツルとしたやや体温が低めの体が、居心地悪そうに身じろいでいる。
でも、拒否はしてない。
「ジャビ、いるよ!私はジャビの傍にいるからね!!」
ギューッと腕に力を込めて、ジャビに伝えれば、ずっと腕の中で確かな硬さを保っていた鱗が僅かに緩むのを感じた。




