朝食
クラウドは昨晩、ほとんど一睡も出来なかった。
憧れのフェニックスに入れたという興奮と、初日から色々と大変な話を聞いたり、何よりも環境の激変に神経が追いつかないのだ。多分、慣れるにはまだ時間が掛かるだろう。
"おはよう、クラウド。昨日はよく眠れましたか?"
ヘッドセットに機械音声が入る。昨日、火星に通信を依頼した時に聞いた声。管理科所属のAIだ。
「タンゴ?残念だけど、あまり寝れてないよ。まぁ・・慣れれば何とかなると思うけど。食堂は7時に開くんだっけ?」
クラウドは這うようにしてベットから出る。
"正確には6時40分にオープンしますが、その時間はコーヒーやトーストくらいしかありません。アラカルトをお好みでしたら、7時にならないとダメです"
そうだった、とクラウドは思い出した。ダックスの説明では朝食を簡単に済ませたい人間が、朝食アラカルトをしっかり選びたい人達の渋滞に巻き込まれないために設けられた時間差措置だとか。
"それはそうとしてクラウドに連絡事項です。本日は朝食が終了したら研修室には向かわず、9時に管理科の労務管理班まで出頭してください"
クラウドも『AIはブレインと呼ばれる人工頭脳とは違う』というのは、知識としては知っているが、こうしてアカツキと聴き比べると確かに違う気がする。
なるほど、AIでも会話の遣り取りは出来るのだが『深さ』が違うというか。何の感情もなく、ただ論理的に言葉を繋げているだけという印象は拭えない。
「了解。分かったよ。後で場所を教えてくれる?」
"承知しました。時間になりましたら、ナビゲートします"
何かあったのかな?冴えない頭で考えながら、クラウドは身支度を始めた。
「よぉ!グットモーニング、クラウド・・・で良かったんだよな?」
食堂の出口でクラウドに声を掛けてきたのは、同期として昨日から一緒に研修を受けている『サンダー』だ。なるほど『名は体を表す』とは良く言ったものだとクラウドは思う。
確かに彼は『サンダー』のように、無邪気に喧しい。
「どーした、兄弟っ!冴えない顔してんなぁ!?」
バンっ、とサンダーがクラウドの背中を叩く。
「ゔっ!・・・君は元気でいいなぁ。僕は寝れてないんだ。調子はサイアクだよ」
多分、サンダーと自分は神経束の太さが違うのだろうとクラウドは思う。
少なくとも3割は違うだろう。
「ハハハハ!そいつぁいけねーな。よし、俺と一緒にメシを食おうぜ!な。?」
「いや・・・折角だけど、今『食べ終わった』ところだよ」
サンダー的に気を遣ってくれているのだろうけど、自分とは逆方向から歩いてくる人間が『今から朝食』という事はなかろう。
「え?そうか?まぁ、いいや!食べ直すって手も・・」
そう言いかけるサンダーの袖口を、背後に居た女性が軽く引っ張った。
「ダメよ?サンダー。彼は不調なんだから、あまり無理強いするべきではないわ」
彼女はクラウドに向かって流暢な英語で話しかけ、小首を傾げてニッコリと笑った。
東欧系独特の白髪に近い銀髪、透き通りそうな白い肌、水のようなライトブルーの瞳はまるで雑誌に出てくるモデルそのものだ。
昨日から気にはなっていたが、どうも彼女は美人過ぎてクラウドにとっては眼をあわせるのも恥ずかしかった。
「・・や、やぁ。おはよう、レインボゥ。君も今から朝食を?」
「ええ、どうも私は朝が弱くて。早起きは苦手なの」
レインボゥが頭を掻く仕草をする。
うん、そりゃそうだろう。
何処からどう見ても高血圧っぽくは見えない。彼女の血の気薄い肌を見て『貧血派』だと言われて信じないヤツはいるまい。・・・サンダーは多分、ただの寝坊だ。
「じゃあね、クラウド。後で研修室で会いましょう?」
レインボゥが軽く手を振る。
「いや・・・それが」
そう言えばAIは『教育研究班への連絡はこちらからしておく』と言っていたが、仲間にもひとこと言っておくべきだろうとクラウドは考えた。
「実は早々にアレなんだけど、9時に労務管理班へ出頭しろって。だから、少し遅れるんだ」
「え、労務管理班?何だそりゃ?あそこは人事管理担当で、研修中の新人には無関係だぞ?・・・お前、何かやったのか?例えば採用試験でズルをしたのがバレたとか?」
サンダーが茶化す。
「やらないよ、そんな事。だいたい、フェニックスへの入試は成績を問うものじゃないから、そんな事をしても意味ないだろ?」
クラウドはむくれて見せた。
「ハハハ!冗談、冗談。まぁいいじゃないか。お前、さっきよりは顔色が良くなったぜ?」
サンダーは笑っているが、やはりそれなりに気を遣っていのだろう。それなりにだが。
「・・・そう言えば」
レインボゥがクラウドに尋ねる。
「クラウドは、フェニックスに親戚?ご兄弟?が居るって聞いたけど?」
「あぁ・・・うん。叔父とさん姉さんがね。二人共、今は火星に居る」
クラウドとしては、あまり宣伝したくない事ではあるが何処からか情報が入るのだろう。
「えぇ!マジかよ!そりゃすげーな!」
サンダーが大げさに驚いて見せる。
「そいつぁアレだな、何れ任務に着いたときに頼もしいってヤツだぜ!」
「いやぁ・・・逆に・・やり難い・・かな?」
サンダーは『姉』を知らないから、そんな事が言えるのだ。と、クラウドは思う。とてもじゃないが『頼もしい』というタイプではないのだ、『姉』は。
「じゃ、じゃぁこれで。後で会おう」
クラウドはそう言って一旦、自室に戻ることにした。腹も満たされたし、少し仮眠がとりたかった。
「西暦2900年」について。
火星をテラ・フォーミングするのに必要な時間はどれだけでしょうか?
随分前に、とある研究機関が「300年もあれば」というシミュレーション結果を出してましたが、私はそれでは短時間すぎると思います。
火星に住むためには、大気と水を「ほぼ惑星1個分」供給しなくてはなりません。それを何処から持ち込むのでしょうか?とりあえず、地球からというのは無理でしょう。地球が死んでしまいますから。
又は、植物や動物は「ポンと置いただけ」で自活できるほど簡単ではありません。食物連鎖を微生物レベルから順に構築する必要がありそうです。これには途方無い時間が掛かります。
そんなこんなを考えると、例え現時点ではSFでしかない技術の数々が現実になったとしても、850年は掛かるだろう、というのが私の試算です。
スティーブン・ホーキング博士は「人類はあと100年」と言いましたが、それでは間に合いませんね。
うーん。困った、困った(笑