前夜
「おい、クラウド。あまり根を詰めているとバテるぞ。これを食っとけ」
ベルが前座席から手を差し伸べる。その手には乾パンが乗っていた。
「あ・・・有り難うございます」
次の太陽が地平線に顔を出せば、アカツキが予測した『第一陣』がやって来る。
今はまだ、その夜明け前の暗がりが辺りを支配していた。
「緊急用の備蓄に使う乾パンだから旨くは無いが、とりあえず栄養は間違いねぇ。腹が減っては戦は出来んと言うからよ」
ガリ・・・とクラウドがパンをかじる。なるほど、顎の力を試されるような乾パンだ。
「おっと、いきなり食うと歯が欠けるぜ?少し・・な、少し口に含んで湿らせるんだ。そうすると、この『レンガ』も多少は『マシ』になる。やってみな」
確かに、ベルはガリガリと音を立てることなく食べている。コツがあるのだな、とクラウドは妙な事に感心した。
「ベルさんは前にもこれを食べた事があるんですか?」
「ん?火星に居たら別に珍しい事じゃねーよ。特に冬場は食料事情が苦しくなるからな。ヘタすりぁ1日絶食なんてぇ日も・・・昔はあったな」
現在では、冬場になると人数を減らす習慣になっている。そういうのも、そうした過去からの積み上げと反省があってのものなのだろう。
「あの・・・ベルさんは火星、長いんですか?」
「そうだな・・・そりゃま、クーロン先生ほどじゃぁないが・・・結構、長いな」
そう語りながらも、ベルの視線はなお、外の景色に注意している。
夜間で周囲の見通しが悪いが、それでもガサガサとジャングルの木々を掻き分ける音は確実に多く、大きくなっている。何時、襲撃が始まってもおかしくない状況に変わりはないのだ。
「此処に来る連中には2つのパターンあるんだ。ひとつは『数年で帰る』連中よ。『合わない』ってヤツだな。何しろキツいからな・・・火星は。昔ほどじゃぁねぇが、死亡事故も後を絶たねぇし。
ま、仕方ねぇだろう・・・そして、もうひとつは『オレら』みたいに延々とアホみてーに残る連中だな」
耳を澄ますと、微かにチチチ・・・と昆虫の鳴き声のようなものが聞こえる。火星用にDNAデザインされた、小型恐竜のために放たれている食料用昆虫だろう。
「ベルさんは・・・どうして此処に残っているんです?地球に戻りたくないんですか?」
クラウドの指は、常にキャノン砲のトリガーに添えられている。何時でも応戦できるようにだ。
「オレか?うん・・・まぁな。なんつーかよ、帰っても『居場所が無い』って言うかさ。何しろ、此処で『150年』も居すわっているからよ・・・今更、地球に戻ったところで知り合いの一人も残っちゃぁ居ねぇからな・・・」
「ひゃっ!150年ですか!」
思わず、クラウドが大声を上げる。
「いやっ!ちょっと待ってください!流石にそれは人類の『寿命限界』を超えてませんか?!」
だが、ベルは淡々としている。
「・・・今は昔に比べりゃぁ技術が進歩してるから余程『無い』がな・・・昔はオレみてーに『極端に寿命が長い』ヤツらが稀に居たんだよ。理由は・・・多分、お前も受けたと思うが『DNA操作』だ
宇宙に出るヤツらはアレを受けることで宇宙線によるDNA損傷を自己修復できるようにするんだが・・・DNAってのは『未知の領域』でよ。ま・・・そういう『失敗』が出るんだ」
人類のみならず生物の大半に存在する『寿命』というシステムは、進化の過程で備わった『能力』である。それを『行使』することで、次世代に食料や縄張りを引き継ぐ事ができるのだが、そのシステムには分かっていない事も少なくないのだ。
「オレはさ・・・こう見えて、最初『宇宙船パイロット』だったんだよ。宇宙航海は放射線の暴露が大きいからな、余計にDNA修復能力を上げたのが原因だったのかも知れん。その後、船も代替わりしてオレが操船してたヤツも次々退役したからさ。『潮時』って事で、オレも船を降りて火星に来たんだ。
それから・・・気づいたら今に至ってるって感じだよ。別にこう・・・崇高な理念とか、そういうのは無ぇさ。まぁ、長くやってる連中なんてぇのは、皆んなそんな感じだと思うよ?」
「あの・・・」
おずおずと、クラウドが尋ねる。
「怖くは・・・無いんですか?」
「ん?何がだ?」
ベルの声は落ち着いている。
「いえ・・・この状況が、です。シバさんじゃないですが『もしも』があれば、全員が死んでも不思議じゃぁないと思うんです」
「ははは・・・ああ、そういう事か」
そう言って、ひと呼吸置いてからベルが続ける。
「『腹は括ってる』よ。最初からな。なぁ、クラウド。どうしてフェニックスが『部隊』を名乗っているか分かるか?・・・宇宙はよ『戦場』なのさ、戦場。一応それでも『建前』ってぇヤツがあるから『兵士』とは言わずに『クルー』と呼んじゃぁいるが、実質オレらは何時に死んでもおかしくねぇし、ある程度は『損耗』も数の内なんだ」
かつて、ナチスのアイヒマンは『ひとりの死は悲劇だが、数万の死は統計上の数字に過ぎない』と語ったという。フェニックスにとってみれば、自分たちもまた『統計上の数字』に過ぎないのかも知れない。ベルの言葉を聞いて、クラウドは思った。
「当たり前・・・なんですか?その・・・自分が死ぬ事が・・・」
その問いは、フェニックスに入って以来、クラウドの胸に去来する思いでもあった。
「ははは・・・まさかっ!」
ベルは笑って返した。
「んな、ワケきゃぁねぇよ。自分が死んで良いワケはねぇさ。だから目一杯に抵抗してやるのさ。出来る事ぁ何でもやるし。だがな、ひとつだけ出来ねぇ事がある。そいつぁ『逃げ出す事』だぜ。そいつだけぁ出来ねぇ相談だ。何しろ、仲間の生命が掛かってんでな・・・まぁ・・・それがオレの選んだ『道』なんでな・・・」
「ベルさん」
「何だ?」
ベルはクラウドが座っている後部座席を振り返ろうとはしなかった。
「・・・一緒に戦えて、光栄に思います」
「止めろよ、まだ『死ぬ』と決まったワケじゃぁ無ぇんだ。まぁ何だ、ハダカネズミ?とか言うネズ公に出来る事が、同じ哺乳類の人間様に出来ねぇってワケにも行くまい?」
ベルは時計に眼をやった。
夜明けの時刻が近い。
空に眼を転じると、地平線の彼方が薄っすらと明けかかってる。
いよいよだな・・・
クラウドは気を引き締めた。
大型恐竜の、それも草食恐竜の多くは夜目が利かない。だから『一斉に』となれば、高確率で襲撃は『日の出と同時』だと、アカツキも予言していた。
徐々に、夜が白々と明けていく。
そして。
無線に『第一報』が入ってきた。




