牢星
水の運搬は大変な労力を要する。
何しろ二酸化炭素のようにドライアイス状に固めることは出来ないし、凍らせると逆に体積が増えてしまう。荷降ろしをするにしても、二酸化炭素のように『空中でばらまく』というワケにも行かない。
では、『積む』ときはどうするのか。
土星の衛星・エンケラドスには深さ1000mを超える分厚い氷の層があるが、ところどころで噴出口が見つかっている。フェニックスはこの噴出口付近の比較的温度の高いところに基地を設けている。
基地には『リグ』があり、輸送船が来るとこのリグを接続し、地下から水を吸い上げて輸送船に供給するのだ。
実は噴出口はあまり安定しない性質があった。場合によっては全く出なくなったりする事もある。そのため、常時監視とメンテナンスのために数人のスタッフを常駐させているのだ。
「流石に・・・寒いな」
クラウドは宇宙服を着込んで船外に出て、基地周辺をゆっくりと歩いていた。
直径僅か500kmの衛星は、ぐるっと見渡すだけで『球形』をしている事がよく分かる。周囲ではリグを中心にエンケラドス側のスタッフ達が忙しく作業を続けている。
その時だった。
「やあ・・・意外なところで遭ったね」
クラウドの背中から声がした。
驚いて振り向くと、宇宙服のヘルメットの中に『忘れようのない顔』があった。
「『ザッカー』・・・さん」
想像はしていた。
『恐らくはエンケラドスか金星だろう』と。だが、こうして目の前で見るとやはり、それ以上は言葉が出なかった。
「いや・・・『さん』は要らないよ。呼び捨てで充分。何しろ私は人権停止中の身だからね。おっと、そう身構えなくても心配はいらない。見てご覧」
そう言って、ザッカーはヘルメットの中にある『首輪』を差した。
「これがね・・・まぁ、『そういうモノ』なんだ」
言葉を濁しはしたが『何かあったら自動的に処罰されるシステム』であろう事は容易に推察できる。
「裁判は・・・終わったんですか」
クラウドの問いに、ザッカーが首をすくめる。
「ああ。懲役で80年だとさ。いやまあ・・・刑期に異論はないよ」
「80年ですか・・・」
クラウドはザッカーの正確な年齢を知らない。
だが、それでも80年という時間が人間にとって決して短くない事は確かだ。
そのままエンケラドスで寿命を迎えたとしても不思議はない。それに、仮に生きて刑期を終えたとしてもだ。クーロン先生のように『加速に耐えられない』年齢となれば、事実上の終身刑となるだろう。
また、身体の『慣れ』も問題だろう。火星と違い、重力調整システムが無いところで長期間滞在すれば身体が『それ』に順応してしまい、元の重力環境に耐えられなくなってしまう。
それだけではない。もしも、突発性の病気にでも掛かったとしたら?
此処は火星のように医療スタッフも居ない。何かあっても『次の便』まで対応は出来ない。最悪の場合は極限まで代謝を下げる『低体温保護』という方法を取るとドーベルから教えて貰っているが、それもかなりのリスクが伴う。
ザッカーはサダ教の元?司祭であるのだし、フェニックスに大きな影響力を持つサダの本部が異議を唱えれば地球での収監も充分にありえただろう。だが、それでも尚、辺境の地に幽閉同然の身となったのは何故なんだろうか。
何かあるとするならば、だ。
『余計な事を喋られては困る』といった辺りが妥当であろう。
死なせてしまうと他の信徒から不満を買う危険があるし、かと言って生かしておけばリスクもある。そう考えると『島流し』ならぬ『衛星流し』というのは、妥当な処理だったのかも知れない。あくまでも、想像でしかない話ではあるが。
「刑務地にも不満はないよ?そりゃ、火星なら此処より快適だろうけど流石にそういう訳には行かないしさ。エウロパはガスが危険だし、金星は人工衛星上での作業だから『地面』がなくて安心できないし。
最悪はプシケも覚悟したけど、それも免れたし。それだけは本当に良かった」
それは、まるで自分に言い聞かせるかのようだった。
「此処に居るとね」
ザッカーはリグを見上げていた。
「昔、通信班で救助の声を聞いていた時の事を思い出すよ。彼らは皆、死の恐怖に怯え、泣きながら助けを求めていた・・・。その時、私はできる限りの励ましをしていた『つもり』だが、それでも自分の仕事に納得はしていなかったよ。そう『自分だけこんな安全地帯に居て、それで心が通じるのか?』・・・ってね」
或いはそれは良心の呵責と言えるのかもしれない。
「もしかするとね、クラウド君。私はこうして『彼ら』と同じフィールドに立ちたかったのかも知れない。心の何処かでさ。その意味では『念願かなった』と言っても良いのかもな・・・」
ヘッドセットに届くザッカーの声に、寂しさを隠しきれてはいなかった。
ザッカーの抱いた『同じ不遇の地に立つべきでは』という欲求は『自分にそれが出来ない』からこその、心の動きと言えるだろう。
ならば今は逆に『恐らく二度と地球の地を踏むことはない』という現実が・・・
「・・・・。」
クラウドには言葉が無かった。
そんな雰囲気を悟ったのか、ザッカーがゆっくりと身体を向きを変える。
「さ・・・あまりサボっていると警告が出るからね。仕事に戻るとするよ。じゃあね。会えて『嬉しい』とは言わないが、知った顔に出会えて懐かしかったよ」
それだけ言うと、ザッカーはリグの方に行ってしまった。
「よお、クラウド。何処に居る?」
クラウドのヘッドセットに無線が入る。
「貯水タンクの調整をしなきゃならん。何しろ艦の重量バランスが崩れるからな。手伝ってくれ」
ドーベルからだった。
その声に特に変わったところはない。もしかするとドーベルは、此処にザッカーが居る事を知らされていないのかも知れない。ならば何も言わない方が良いのだろうと、クラウドは考えた。
「分かりました。すぐ戻ります」
エンケラドスの重力は地球に比べれば限りなく『無い』に等しい。重力という『枷』から脱出するのは地球よりも遥かに容易であろう。
だが、ここから地球を望む事はほぼ不可能だ。肉眼なら光の点に見える程度でしかない。それほどまでに地球は遠い。
クラウドはふと最初に火星へ降り立ったという『オリジン12』の事を思い出した。彼らもまた、こうした『途方もない寂しさ』の中で、それでも明るい人類の未来を信じたのだろうか、と。
長期連載をしている漫画などでよく『唐突に過去編が始まる』事があります。
これは後付で因縁を付与する場合に良く使われる手法ですが・・・
別に『それ』が悪いとは言いません。そういう方法もあるでしょうし、何から何まで「何れ分かるさ」式の伏線を張りまくっていると『何が何だかサッパリ分からん』という事態にもなりますしね。
しかし、私個人としては重要な伏線はチャンと本編の中で仕込むのが好きです。
さて。
次回から本編は火星に戻ります。
張るべき主な伏線は全て張れたと思っています。
ではでは。




