奇襲
余程の事が無い限り、だ。
通常、火星地上基地の敷地を囲う電牧の修理は恐竜たちが南下を始める秋にまとめて行われる。これは電牧の修理中に恐竜から襲われるリスクを避けるためだ。
こうした習慣は、遥か昔から続いている。そう、グリーンが記憶している限り、ずっと変わっていない。
彼らが獲物を追って基地から離れるタイミングで行われるのだ。グリーンは『これ』を熟知していた。
電牧の威力は、グリーンもよく分かっている。とてもではないが生身で突き破ることは出来ない。彼がこの電牧を突破出来るとすれば、それは人間が電牧のスイッチを切った時しかない。つまり、逆に言えば人間がウロウロしている時なら安全なのだ。
グリーンとそのファミリーは賭けに出た。
彼らはもう、1週間も何も食べずにじっとしている。
もしも人間が気まぐれで電牧の故障を放置し続けたとしたら、彼らは何処かで見切りをつけて例年通り南下を開始するしかない。その場合は『出遅れた』分だけ、食料を見つけるのが困難になる。それはヘタをすれば餓死の危険すらあった。
それでもグリーンは今年『待つ』事に賭けた。人間に与し、自分を敵視する憎きターコイズを屠った今、基地周辺で自分を邪魔するヤツは居ない。
グリーンはジャングルに隠れる事を得意としていた。何故なら、ティラノサウルスは平地ではなくジャングルのど真ん中が主戦場だからである。これはその『足跡』を見れば分かる事だ。
仮に平地を主戦場にするのなら、象のように平らな足跡が出来る足の方が効率的であり、鳥のようなY字型の足はバランスの観点から不利なのだ。
彼らが持つY字型の足は、倒木など足元の障害物を巧みに乗り越えながら進むのに適していると言える。また、平地では目立ち過ぎるその巨体も、ジャングルの中なら木々に紛れさせることが出来ると言えた。
グリーンの眼はまるで眠っているかのように閉じられている。
これは眼球の反射光で獲物に発見されるのを防ぐための習慣だった。この状態なら、じっとさえしていれば『そこ』に自分が居ることを気取られる心配はない。
ほんの、うっすらとだけ。グリーンは薄眼を開けて前を見る。
待ちに待った時が、そこには広がっていた。電牧の近くに人間が沢山居る。今なら、安全なのだ。
電牧の近くに、トリケラトプスのような大きい2本の『角』を持ったヤツがいる。忘れようがない。
ヤツは以前にブルーを殺したのと同じヤツだ。要注意だが怖くはない。ヤツはウスロノだ。スピード勝負なら相手にすらならない。
問題は『あの』初めて見るヤツだ。まるで人間を巨大化したような形と動きをしている。アレは速そうだし、簡単な相手ではないだろう。アレをどうするか、だ。
グリーンはじっと、様子を伺っていた。
「おーい、こっちにもバーナーをくれ。肉片がこびりついてて・・・ちくしょう、取れやしねぇ!」
ゴリラ班長たち施設班のクルーが電牧に絡まっている恐竜の死骸を剥ぎ取っている。
「今回はまた・・・えらくシツコイこびりつき方だな。まるで、腐ってから付着したみてぇで・・・うわっ!」
ゴリラ班長が慌てて身を臥せる。
「姉さんっ!危ないって!」
クラウドが無線でシーガルに注意する。
シーガルが電牧の近くでシャドーボクシングをしているのだ。
無論、VF-Xに乗ってのことである。自分の近くで、自分の身長の3倍もある巨人がブンブンと腕を振り回しながら動き回っていたら、とてもじゃないが怖くて堪るまい。
「だいじょーぶだって!絶好調だからねぇー!」
シーガルはご機嫌な様子だ。
「いや、姉さんの方じゃなくって!・・・・」
周囲の空気が緩んだ。グリーンはそう確信した。今だ、と。
瞬間。
シーガルの右手に突如として大きな『影』が現れた。何事か?とシーガルが頭を振るよりも早く、その大きな影がシーガルに襲いかかった!
「な・・・!何だぁぁぁ!?」
ドドーン!
不意を突かれて、VF-Xがグリーンに押し倒される。
「くっ!し・・・しまった!」
慌てて体勢を立て直そうとするも、グリーンの巨体がずっしりと伸し掛かり思うように動けない。
グ・・・ギャァァァァ!!
グリーンの奇声が辺り一帯に響き渡るのを合図に、ドドド・・・・と地響きを立てながら、別のティラノサウルス種が5頭、ジャングルから飛び出して来た。『グリーン・ファミリー』だ。
「うわぁぁぁぁ!」
施設班の人間が慌てふためきながら、車両に戻ろうとする。だが、相手の方が遥かに早い。彼ら5頭は全て『電牧の中』に侵入してしまった。
「くそっ!コイツら・・・」
クラウドがグリーンファミリー達に機重の銃口を向ける。
「ダメだ!ここで銃撃戦になると施設班の人達が巻き添えを!」
後部座席のガゼルがこれを制止する。
「・・・っ!」
クラウドはトリガーに掛かった指を止めた。
次の瞬間、グリーンがVF-Xを踏み台にして、一気に電牧内に入ってきた。ヤツの狙いは、逃げ遅れた施設班のクルーだった。
「ぎゃぁぁぁ!来るなぁぁぁ!・・・」
悲痛な叫びをものともせず、グリーンは逃げ遅れたクルーを、その大きな顎に咥え込んだ。
「あっ・・あ・・・!」
さしものクラウドも足が竦んだ。
まさか、人間が恐竜に食い殺される瞬間を目撃する事になるとは。
グリーン達は、そのままクラウド達がやって来た方角、すなわち基地の方角目掛けて一斉に走り出した。
「野郎っ!逃がすかぁっ!」
シーガルのVF-Xが立ち上がる。
「ダメです、シーガルさん。トラックの荷台に乗ってください!すぐに追走しますからっ!クラウド君も、機重をトラックに乗せて!」
ガゼルが大声で怒鳴る。
「くっそ・・・!」
シーガルが荷台にVF-Xごと乗る。
仕方無かった。
追走すれば先にガス欠を起こすのは自分の方だから。持久戦は分が悪いのだ。
「本部ウ!聞こえるかっ!やられたっ!グリーン達がそっちに向かったぞ!」
急発進するトラックの荷台から、シーガルが本部に連絡を飛ばす。
「こちら本部、アカツキから緊急警報が発令された!そっちは無事・・・」
本部からの入電を遮るように、シーガルが怒鳴りつける。
「B32ブロックと隣の境界を仕切る電牧をONにして!それ以上侵入されないように!早くっ!」
だが、その実行はつまり、シーガル達の『孤立』を意味していた。