盤の指す道
得体の知れない二人組、女は妙な液体を私に飲ませた。ドロリとした液体は、喉に粘膜を張り、纏わり付く気持ち悪さ、その直後から私は声をあげることが出来ずにいた。苦しい訳では無い、口はパクパク動くし、息も出来る。なのに声は出ない、自分の首が何処かに行ってしまったように感覚が無い。無造作に転がる瓶は、いやみたらしくカラカラと音を立てる。
拘束を解かれた私の肩は、裂けそうなほど捻られた所為か、腕を動かすのが困難で、右腕を動かそうとすると肩に激痛が走る。立ち上がる事の出来ない、地を這う虫になった私を、担ぎあげた男の光は黒かった。
今まで後ろに居たため、光が見えないと思っていた男だがそうでは無かった、押さえ込まれ冷静では無かったとはいえ、私が捉える光は後ろだろうが関係ない、前後、上下左右とはっきり見えるはずだ。なのに、この男の光は黒く無いように見える。生命の無いモノには光が無い、しかしこの男は【死んでいる】という訳ではなく生命に満ちあふれている。恐ろしい位の力、私を掴む肌の感触は、義父とは比べものにならない程筋肉質で、熱を持っている。それと相反するように語り口は冷淡、この男の光は異質な光、紛れもなくこの男は生きている。
女の方は今までと変わりなく、全身綺麗に光が張り巡らされている。腰からのびた、長い光がゆらゆらと揺れている事以外は、エレナや義父同じように見える。
乱暴に担がれ、不用な荷物を放り捨てるようにこの光無しの男は私を藁の上に投げ捨てた。頭の上で布のこすり合う音、袋に入れられたのか、女の光が見えなくなり、耳を澄ませば雨音もそれ程聞こえない。私をこれからどうするつもりなのか、肩の痛みに耐え逃げだそうとしても、一歩踏み出せばすぐに光無しに捕まるのは目に見えている。再度押さえつけられれば、痛みで気絶してしまいかねない。私を殺すつもりは無さそうだが、救うつもりもさ無いのだろう、二人は私を袋に入れた後、一息ついたように会話を始める。
「エイク、さっき気になる事を言っていたが、本当に俺達は見えていなかったのか? 雨の所為とか、欠陥があるんじゃ無いのか?」
「今まで見られた事はないで、現にこれまで数千人以上はすれ違って、あたしらに気付いた人おるか? 雨の所為でも無い、欠陥品ちゃうで」
「なら、こいつがおかしいのか? 雷紅狩りに支障は無いんだろうな?」
「せやなぁ、雷紅狩りに問題はあらへん完璧や、こいつ最初から朦朧としとったし、ボケてただけちゃうか…なぁ…うーん」
光無しの男は冷静で、女の方は何かまだ気になる事があるのか、雷紅狩りとやらに自信満々に言うが、私の入った袋をつついて、男に相談を始める。
「ん―…アンリ、やっぱりこの子持って行ってももええかな?」
「邪魔にならないのならいいだろう、俺も何かスッキリしない、宿まで連れて行ってから喋られるようにしてやれ」
良かった、ずっと喋れないと思っていた、もう失ったものだと、諦めかけていた。大人しくしていれば声は戻りそうだ。
女は「よし、解体するで」と不吉なセリフと共に私の入った袋を担ぎ、光無しと目的地へと向かうようだ。女の方は、袋に包まれた私を軽々担ぎ、小雨のなか足音も無く進み出す。何処に連れて行かれるか分からない不安が、私の体を締め付け、腫れた肩の痛みを和らげる。
暫く歩いた後、女は立ち止まり自分の胸元を探ったような音と金属がひらく軽い音、そして振り返り再度軽い音がし、今まで進んだ道を引き返す。今度はすぐに立ち止まり、また探る音と金属音、何かを開閉しているのか何度も軽い音が響く。焦るように何度も繰り返す音が止むと、呆れたように光無しが口をひらく。
「おい、雷紅狩りに支障は無かったんじゃ無いのか?」
「問題はあらへん…おっかしいなぁ…この【対雷光盤】壊れとるんかな」
「エココがカドゥルの街で待っている。先ずは合流だ、エココに直してもらえ」
「なんや、えらい淡泊な反応やな、もっと怒るおもたわ」
「もう不具合には慣れた、今日で二度目だ、一々怒っていたらきりが無い、むしろ今、準備が完璧では無いことに気づけて良かったと思え」
「優しいんか厳しいんかわからんわ、あー今日は寝れそうにあらへんなぁ…」
向かう先は、運良く私の住む街カドゥルだ。二人の会話を聞く限り、どうやら長年の付き合いという訳でも無さそうだ。お互い昨日、今日という訳ではないがまだ日が浅いのか、それ程親密でも無い様子に聞こえる。街に入れば逃げることも可能かもしれない。
二人はカドゥルに着くまで会話は無かった、私の事を気をかける事も、二人の歩む音も無く。
目まぐるしく人が行き交い、慌ただしい音が徐々に大きくなり、カドゥルの街に入ったことを確信した。この人混みの中なら逃げられるかもしれないと、袋の中で機会をうかがう。ここまでの道中、袋の中でただじっとしていただけでは無い。街は今、大地祭の準備と、それを目当てに方々から人が集まっており、この二人は明らかに人の目を避けている。という事は…袋から出てしまえば追いかけては来ない、きっと誰かが助けてくれるはずだ。それには先ず女が私を地に置かなければ、担がれたままでは不安定で出ることが難しいが、すぐにその機会は訪れた。
段差を三段ほど上がった揺れと、乾いたノック音が二度、間を置いて三度、そしてドアの空く音と女の声、私を担いでいる女とよく似た声で「遅いよ」と一言。
「はぁー疲れた、ふかふかベットにダイブボムや」
「その前に、盤をエココに渡して直してもらえ、それとその娘の世話しっかりしとけよ、声も出せるようにしてやれ、俺は別件がある」
「ヘイ…」
良かった、声は出せるようにはなるんだ、取り戻せるんだ女は意気消沈気味に返事をし、別の場所に移動する。袋に入った私を床に置き、女のダイブボムと言う叫びと共に、綿と空気が圧迫され溢れ出す空気音が部屋に響き、ここは部屋の中でそれ程広くは無いと思えた。空気音から数分経った頃、静かだった部屋は、心地よさそうで間抜けな寝息が辺りを緩い空間へと変貌させ、光無しの男も何処かに行ったようだし、どうぞお逃げ下さいと誘うように隙だらけだ。今しか無い、外に出るにはこの部屋と隣の部屋を出れば、後はどうにかな…らない!
袋から出る、音を立てずに部屋を出て、恐らくもう一人そこで寝ているエイクと呼ばれていた女とは別の女、流れからするとエココという人物だろう。そのエココとやらに見つからずに抜け、外に出た後どうするか、助けを呼びたいが声が出ない、必死に身振り手振りで行き交う人に縋るか、泥だらけで目も見えなくてボロボロの私を助けてくれる人など居るだろうか。居るとしても、またこんな不幸が待っている気がしてならないが、悩んでいても光無しが帰って来る。そうなればこの機会逃す訳にはいかない、外に出る! 先ずはそれを超えなければ。
右手に比べ自由に動かせる左手で袋の出口を探り、紐で結ばれている事は分かった。だが紐は堅く、更には水分を含んでガチガチだ。左手で紐を抑え、交差する部分を噛み体を使って何とか紐をほどき袋の外に出た。次は出口だ、エイクはまだベットに大の字の格好で寝息を立てている。雨を凌いだ小屋で見た姿と一部違う部分はあるが、今は気にしてはいられない。ドアは何処だ…
エイクがこの部屋に入って歩いた歩数は数歩、部屋に入る時、ドアを開ける音はしたが閉める音は聞こえていない、空いているはずだ。そしてドアの位置はおそらくエイクの足側を背にして正面の可能性は高い、違えば壁伝いに探せばいいだろう。音を立てずに少しずつ、少しずつ進もう。
「エイク姉、雷光盤壊れてないでー…ってなんやこの子は」