正しく歪む
妹が産まれ、母は私に声をかけてくる回数が増えた。
「ハイネ、お姉さんなんだから妹に譲りなさい」
「ハイネ、お姉さんなんだから我慢しなさい」
母に必要とされていることに私は幸せを感じた。
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妹が産まれて五年がたった、私は九歳、妹は五歳。妹の名は【エレナ】
とても賢く、私が五歳の頃よりはっきりと喋り、字もかなり読める。いくら妹が私に無いものを持っているとはいえ、近所の子供達に比べても賢く、評判の妹だ。
義父曰く、妹のエレナは、瞳が赤く、くりくりの眼をした綺麗な長い黒髪で、母と妹が一緒に出歩くと、街が華やかになるのだという。
最近ではそれが嫌で、家の中で私に本を読んでくれたり、私と一緒に2人だけで、外に遊びに行ってくれたりする。二人で外を歩くと、大人達は妹エレナに向かってこう言う。
「お姉ちゃんのお世話してえらいね」
「まだ幼いのにすごいね」
と、妹ばかりもてはやされる。一緒に歩く時も手を繫ぎ、少し先を歩き、低い段差でも声をかけてくれる。優しくて、本当によく出来た妹だ。
それでも私は、嫉妬なんかしない、妹の事も可愛いと思う。
何故、私が妹に嫉妬しないか、それは妹には出来ないことを私が出来るということ。
年を重ねるごとに光の見える範囲が広がっている。それに付け加え、最近では見える相手がどう動くか、どこを動かそうとしているか、予想する事が出来るようになった。といっても、見える範囲は手の届く距離までなのは変わらないが、おそらく私が成長すれば、もっと見える距離が伸びるのだろう。今も妹のエレナの手は、私の手を握り外に連れ出そうとしている。
「おねぇちゃん、きのう言ってた、お魚つかまえにいこう。お魚は川にいるんだって、エレナ自分で調べたんだよ」
エレナは好奇心旺盛だ。私は顔に巻かれた包帯を外し、前髪を下ろす。エレナは私の前髪を整え、ぐいぐいと私の手を引っ張り、母に出かける事を伝える。
「ママー!おねぇちゃんと川にお魚見にいってくる!」
「いってらっしゃい、川には入っちゃ駄目よ、早く帰ってきてね」
エレナに対する母の信頼は絶大だ、四つも年が下だというのに、私よりも信用されている。私はエレナに掴まれ、引きずられるように騒がしい外に出る。
この時期は外がいくらか賑やかで、大通りに出ると人の声も多い。木が擦れる音や、馬車の走る音がひっきりなしに聞こえる。もうすぐ四年に一度の大地祭が始まる。
「もうすぐ大地祭だね、おねぇちゃん! エレナたのしみ! パパといっしょにおまつりいこうね、おねぇちゃん!」
大地祭り、私と妹のエレナは、まだ一度も大地祭に参加したことが無い。義父から話を聞くだけで、いつも家の中から、外の賑やかな音を聞くだけだった。もちろん私だけの例外で、他の街からも来る多くの人に、私の姿を見せたくないのが理由だと思う。どうせ今回も、私だけ家の中で外の音を聞いて過ごすのだ…
すねて俯いた顔を上げると、妹は私の手を離して目と鼻の先で、体を大の字に広げ何かを表現している。誰に教わったのか知らないが、滑稽に見える。この辺りはまだ私の方が大人だ。
「おねぇちゃんも! 大地祭!」
エレナは同じ格好をさせようと、私の左右を軽やかに移動し、手足を広げる。
「エレナ…なんだかわからないけど…恥ずかしい」
私も妹の手によって同じ格好をさせられ、隣で誇らしげに同じ格好しているエレナが容易に想像できる。見えないと思って、恥ずかしい。クスクスと何処かで、笑われている気もする。恥ずかしさで私の顔は夕陽色に染まっていたんだろう、顔に熱を感じる。
「早くいこう、おねぇちゃんは今、すっごいなんかすっごい恥ずかしい!」
私はエレナに目的地に早く行こうと催促した。するとエレナは、私の広げた腕をつかみ「じゃぁ家に帰ったらママ達に見せようーぅ」と大きく私の手を振りながらゆっくり歩き出す。
街を離れると、湿った涼しい風を感じる。ここに来るまでの道中、エレナは私に「枝がおちてる」「尻尾の生えた人が歩いてる」「なにか飛んでる! 今度あれ捕まえよう」と道中の光景を説明する。家に帰ればまたそれらを調べるのだ。私はその独り言のようなエレナの言葉を覚え、伝え、そしてエレナから教わる。今回の【さかな】とやらも、エレナが私に説明して、触ってみたいと言ったことがきっかけだ。さかなは水の中を泳ぐ、だから川に行く。それはわかったけど、どうやって泳いでいるのだろう。
エレナは突然歩みをやめ、私の手を離し何処かへ行ってしまった。すぐに、ばしゃばしゃと水のはねる音がすると、私の顔に水がかかると、思わず息を吸い込むような、驚いた声をあげてしまった。
「スィー…エレナ…? 冷たい」
「おねぇちゃん冷たい? きもちいいよ! おいでよー」
私を置いて行って「おいでよ」とは…受けて立とう。私はエレナの楽しそうな挑発に心が弾み、一つ確認する。
「エレナ、濡れて帰ったらママに怒られるよ? いいのかな?」
「だいじょうぶ、川では水あそびしてない、ね? おねぇちゃん」
なるほど、【嘘】をつくのか、それならもう一つ聞きたい。
「エレナ、おねぇちゃんや、エレナの周りに何かある? いわとか?」
「ないよ?」
何もない、私の前にあるのは川とエレナ。十分、この機会逃す訳にはいかない。私はエレナの声の方に身体を向け、手を前にだす。エレナの身体は見えない…まだ遠い。だがここからまっすぐの所にエレナはいる。川の音で正確な位置はわからないけど、今、向いている先にエレナがいるということは確かだ。
私が必死でエレナの正確な場所を把握しようとしていると、川の流れの音に違和感が。
その直後私の顔が濡れた。
「おねぇちゃん…こっちぃぃぃい! こっちだよぉぉお」
「…」
私は今までに無い衝動に駆られた、こんな感情もあったのかと。叫んだ、お腹の底から声が反響し、川のせせらぎをかき消すように。
「おるぅぅるぁっぁああああ! えぇぇれぇっぇえなっぁぁあ」
私はエレナの方へ走った、決して怒った訳では無い、楽しいのだ、私と何の隔たり無く、普通に接してくれるエレナと遊ぶ時間がとても楽しい。どこからが川と地面の境目か分かりはしないが、そんな事はどうでもいいんだ。
「うわああああああ!おねぇちゃんがぁああはしってくるううううううう! おねぇちゃん! そこから…は…あっ」
エレナの叫び声が間近に迫ると、足の裏が地面を踏む感触が無くなり、川に全身を打ち付けた。そのまま浅い川にぷかぷかと揺られ、エレナが手の届く距離までくるのを待ち、視界にエレナの手の光が見えた瞬間、逃すまいと手を掴み、水面から顔を出した。
「つかまえた」
「おねぇちゃん……」
エレナの様子がおかしい、驚くと思ったが、発した言葉は、見てはいけないモノを見たかのようだった。確かに前髪が隠していた目の部分をさらけ出してはいるが、それもエレナは見慣れているはずだ。なのに、この反応は何だろう、何をそんなに怯えるのか。
「エレナ、どうしたの? 何か変?」
「うねうね…おねぇちゃんの眼…」
うねうね? 眼が? まさか、あれは幻覚の類だと思っていた。産まれてすぐに見た、自分の顔に纏わり付く黒いうねり。何故今、エレナに見えるのか。何を言っていいか分からない、謝ることしか私は出来ない。
「エレナ、怖いよね? ごめん、おねぇちゃん普通じゃないみたい、ごめんね」
エレナは私の手をゆっくりとほどき、水を弾く音と共に何も言わず何処かへ行ってしまった。私を置いて逃げるように。このままエレナも他の子供達と同じように、私を避けるようになるのかもしれない―――
どうやって帰ろう…
次回はどうだろう、来週月曜日でしょうか。