夢の楔
目覚めの気分が悪い。
恐らく眠りについて、それ程時間も経過してない。まだ昨日のモアとのやり取りに、敗北感が痼りのように身体に沈殿している。この胸元を握りつぶす圧も、夢の中と現実の摩擦で摩耗したせいだ。
寝心地の悪さと、寝起きの良し悪しは比例はする。勿論眠っているときの幻想の中身も。要はどんな夢を見てどんな気持ちで目を覚ますか、そのバランスが大事だ。
気分は悪くとも「何故気分が悪いのか?」なんて深く考えたりはしない。いつもはそうだ、けど、今は考えずには居られない。何が? という原因が分からない。その思考に至る種は、目の前にある昨日まで無かったこの2つの異物。人の頭の中を覗かない限りあり得ないはずだ。
私が目を覚ました後、足に絡みついていた鎖は、ボロボロになって粉クズへと変わっていた。それと部屋には、目の粗い袋と、上下で一枚続きの汚れた女の子の服、決していい匂いはしない。これを着ろと言うのか? あり得ない。見覚えのある服と袋。服を手に取り身体に合わせても小さい。汚れたスカートの部分と腕の部分をちぎれば、着られないことは無い。まだこれが支給された物だとしたら、何かしらの使い道を探すだろうが、無意識下の私が警告を暗示していた。
昨晩、寝心地の悪さに四苦八苦し、横になった身体がこの張り付くような冷たい地を受け付けなかった、皮膚がむき出しの部分は硬質化もやむなしと悲鳴を上げる寸前、せめて布一枚でいい。
私は寝る時、多少なりとも重みが欲しい、反発では無く、身体を圧迫するまで重くなくていい、包み込む程度の圧力でいいから。
私がようやく寝るのに最適な体勢を見つけた時には、深い眠りについた。その後辿り着いた意識の先は、思い出の欠片。母の胎内で刻まれた記録の欠片。夢の中での私はまだそこに居ると認識された程度、私をクルーエルまで、母胎という何とも乗り心地のいい乳母車に乗せ、母と義父は元気で丈夫な子が産まれますようにと、荷を抱え街に向かった―――
一度目の道のりは険しいものだった。鬱蒼と茂った暗い野山で衣服に木屑を纏い、渓谷でこびりつく汚れを落とし。義父は慎重に、母は大胆に道なき道を越えクルーエルまで歩みを進める。
それでも二人は数日かけ街に着くと、母は真っ直ぐにエレナ象へと向かう。義父は一休みしようと弱音を吐くが母は
「無事に着いた感謝の気持ちがある内にお祈りしましょう」と義父が荷を下ろす間もなくエレナ象に向かう。そこには数人の街の人々、生臭い大きな荷物を抱えた家族連れ、一人祈りを捧げる少女。母と義父以外は色も無く全身真っ白ではっきり見えない。そして皆、何かに切羽詰まったように祈りを捧げている。
母もエレナ像の前で祈りを捧げた。本来はその一回で事足りる儀式のようなもの。しかし母は翌月もカドゥルまで足を運んだ。
カドゥルの街までの道のりを、一人で足を運んだ。何度訪れても義父は「気を付けてね」と静止する事は一度もなかった。
母が一人で向かうようになってからは、街に到着するまで私は眠りにつき、目が覚めるとクルーエルの町外れで、鼻歌まじりに甘美な蜜をなめている。母が一人で訪れるようになってから日をまたぐ事は無くなり、それどころかその日中に帰宅まで終えるようになる。それについても義父は何も言わず「無理したらいけないよ」と一言。
いつものように蜜の香りが私に届く頃、母は像の前で変わらず祈りを捧げる。そこではいつも、上下が一続きの服を着たようにも見える少女の陰、同じように祈りを捧げる。初めて訪れたときには気にも止めず、街の喧騒の道具に過ぎなかったその少女。ひと月、またひと月と訪れる度にいつもそこに居る。母は月に1度しか来ないが、このリリィという少女の陰は、いつ来てもここにいた。
ある時その少女から母に話しかけてきた。見た目の割にしっかりと話す幼い子供。
「私はリリィ、お姉さんはいつも何のために来てるの?」
母は突然の問いかけに驚き、何故か身構えてリリィを見ると緊張した身体をほぐした。リリィは身の丈にあわない布袋に両手をすっぽりと突っ込むと、中からキャンディを両手いっぱいに取り出し、母に渡す。
「貰ってもいいの?」
「いいよ、沢山パパがくれるから」
母は私の為に来ていると答えると、リリィは「私のお母さんも、私がお腹に居るときいっつも来てたってお父さんが言ってた」と、そのお母さんはもう居ないと申し訳なさそうにした。それを聞いて母は「私にもお母さんはいないわ」とリリィに同調し母は一呼吸おき「同じだね」とリリィに頭をそっと触れる。母の思いもよらない返答にリリィはハッと顔をあげ「嬉しくないけど、同じだね」と不器用に笑う。
それから母は年の離れた妹のように接し、時には母親のように振る舞い、またリリィも月に一度だけ訪れる母を、姉のように接し無邪気に笑い、時たま自分の母のように甘え、擬似的な家族を数時間後にも満たない時間、お互いは何も言わずとも続けた。
それから数ヶ月、母が最後にクルーエルを訪れた時、母が来るのを待っているかのように、いつも段差に腰をかけ、母が来るとまた袋から、甘いキャンディを出す。
母は今日で最後かもしれないと伝えるとリリィは寂しそうな顔はするも悟ったように「うん」と一言。母はいつも貰ってばかりのキャンディのお返しに、小瓶に入った蜜をリリィに渡した。リリィは小瓶を空に透かし、黄金色に透き通りリリィの顔に薄らと蓋までびっしりと詰められた蜜越しに母のお腹を見ていた。「こんなに大きくなるんだね、凄いね」とリリィは言う「産まれたらリリィを追い越すかもね」と母は言う。先に産まれたリリィを追い越す事は無いだろうと、冗談だったのだろう。その言葉はリリィにとって冗談では無かった。
「大きくなるよ…」
ここまでは思い出せる。この少女に違和感を感じるがそれも朧気で気持ち悪く、思い出そうとする度、記憶の小径に逃げていく。
私は他に何か無いかと、夢と現実の楔を探す。部屋の壁を背に丁寧に調べていくが…。やはり服と粗い目の口を紐で縛る袋以外なにも無い、足枷が外れて自由になったせいか牢が広く感じ、昨日より開放された気分だが、目覚めの悪さが後を引く。
のびのびと出来る空間は広いが故、視界の届かない場所には、より一層不気味さを感じるが、いつまでも正体不明の異物に構っていられない。
気にも止めなければさほど怖くない、不安は無いはず。
そして訪れる、うるさいモアの声。モアは食事を配給し終えると通告する。
「いきなりですけど、皆さン査定の時間でス。独りづつ出しますからネ。痛いことしたらダメですヨ。モア弱いからネ、すぐ死んじゃう」
ざわめきの中には歓喜の囁きと戸惑いの渦。それもそうだろう、生き残ったとは言え、覚悟を決めきった者とそうで無い者はいる。私は勿論前者だ。
「では、その前にモアから! 部屋に見慣れないモノがあると思うんですけどネ」
この袋と服か。
「それお隣さんのだから大事にシテネ」
モアは手で口を押さえ私を見ながら肩で笑う。本気か? 私達にどうしろと、こんな物、只の嫌がらせじゃないか。手を地につけ四つん這いで震える。
私を見て、してやったとでも思っているのか「そうそう皆こうなるんだ」と首を縦に振るモア。そうやって今日も私を嘲えばいい。だけど
そんな事で
今の私が動揺すると思ったのか?
表面上は驚き焦り、取り繕った私だが内心は違う。
「くだらない」「なんて子供じみた嫌がらせ」と心の隙間で呟く。誰がこんな事をがしたかはどうでもいい、何処まで追い詰められようとも、私は壊れない、昨日の私じゃない。何処にでも私を連れて行けばいい、どんな適正かは分からないが受けてやろう。




