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すれ違いの神様

作者: 鳥丸唯史

〈すれ違いの神様〉


 ゴリ()に呼び出された。無視すればあとがさらに怖い。俺は勇猛果敢に従うしかなかった。

 第二体育館裏にいたゴリ夫は相変わらずゴリラの中のゴリラだった。メスゴリラじゃなくオスゴリラとして通用するボスの風格を兼ね備えている。そんなアフロゴリラだ。

 今回の取り巻きは三人。これらも相変わらずバリエーション豊富なブサイク三連星だったが、その存在感もかすむくらいゴリ夫はでかい。圧倒感によりさらに一回りでかく錯覚させる。胸もバレーボール並のでかさだったが、鼻の下を伸ばしてもみしだいてみたいとは思わなかった。実際にバレーボールを仕込んであるに違いないと俺はひっそり思っていた。これは死の呪文なので口が裂けても言えない。

「ちゃんとひとりで来たようだね」

 たらこ唇を器用に動かしてしゃべるゴリ夫。俺は従順さを優先させたことを薄ら後悔し始めた。このパターンといえば告白か脅迫の二択だったし、どちらも耐えがたい苦痛を伴うだろう。胃がキリキリしてきた。

「話ってば何ぃや?」

 平然を装って両手をズボンのポケットに突っ込み、砕けた立ち姿を取ってみせた。だが奴にとっては空威張りにしか見えていないだろう。まさに上から目線だった。

「お前は幸子(さちこ)のことどう思っているんだ?」

「は?」

「だから、幸子のこと好きかつってんだよ」

 ゴリ夫は親指で背後を示した。体育館の角から彼女が怖々と顔を斜め半分出している。

 高田(たかだ)幸子だ。そこで俺は軽く眉間にしわを寄せ笑ってやる。「は。なんであのブスと」最後まで言わせてくれはしなかった。笑みは横からどんっと潰れ、首に引っ張られるようにして体が吹っ飛んだ。

「上等だ! ひねり潰してやる!」ゴリ夫はマウントポジションを取ってきた。ゴリラの雄叫びが失いかけた意識を揺さぶる。幸いあごは外れず、歯も折れずに済んだようだ。俺はありったけの力で抵抗した。取り巻きが「ボンバイエ! やっちまえ!」と声援を送る。ゴリ夫は清い女子高生たちの最終兵器なのだ。こいつの手で何人もの女の敵が地に沈められてきたことか。

「ギブ! ギブギブ!」

 首をひねりつぶされる前にともがいていると、幸子が影に引っ込むのが見えた。



「ダメダ……。モウ、ダメダ……。ムリゲーダ……」

「お前が積極的に詰みに行ってんだろー?」

 頭を抱えてうずくまっている――きっと顔面蒼白だろう――俺を、悪友の長野(ながの)は小便を目皿の中心を狙い撃ちしながらケラケラ笑い続けている。肩を震わせるたびに金髪のリーゼントの先端がプラプラ揺れ、俺は苛立った。

「しょーがねーだろぉー? 恥ずかしくて中学三年間避け続けて」

「シカトな」

「高一でやっと声かけて」

「悪態な」

「今年やっとボディタッチをさ」

「ぶつかりに言ってるだけな」

 腹立たしいが、悪友は正しく変換してくれる。俺はことあるごとに幸子に「どけよブス」「じゃまだよブス」とブスブス言って悲しい顔をさせておきながら、男子トイレでは被害者面して情けない声を上げてきたのである。

 長野は(あわ)れみを感じる気などさらさらない声音で、へこたれている俺の肩に手を置く。

「せっかくゴリ夫がナイスアシストしてくれたんにな。ザンネンムネン」

「手ぇ洗えや」

 俺は溜め息をつく。腫れ上がった右頬の湿布がひりひりする。周りになんて答えればいいのか。ゴリラめ。親知らずがついにコンニチワしてしまったではないか。

 俺の真意をくんだだろうあのゴリラ。奴の前ですら虚言を決めてしまった。あの殺人的パンチは嘘を貫いた俺に対する失望か、本当に高田幸子のことを嫌っていたのか、信じていた自分が愚かだったという怒りか。どちらにしても俺はせっかくのチャンスをふいにしてしまったのだ。もはや幸子への態度を変えられない。

 長野は悩む俺を捨て、こっそりタバコを吸うために第一体育館裏へと行ってしまった。第二体育館じゃないのはゴリ夫と遭遇する恐れがあるからだ。教師も奴を頼っている節があり形無しといったところである。

 俺は俺でこっそり幸子のいる教室をのぞくことにした。任務を遂行する忍者の気分で壁にへばりつき、目元の高さまで顔を上げる。窓の向こうの幸子は仲よしの子たちとおしゃべりしていた。

(さっちー笑ってる! よかったぁ)

 彼女が首をかしげたり、肩をすくめたりするたびに肩下までの髪がさらりと動く。風にゆだねる花のようだ。黄色い花が似合うかもしれない。俺のへしゃげた精神力は徐々に回復していく。

 その笑顔をもっと近くで見られたなら。その笑顔の先が自分だったなら。わざと肩へぶつかりに行った時にかすめるヴィダルサスーンの匂いだって、思い出そうと思えば可能だ。

「ねえ、丸菱(まるびし)神社って知ってる?」

 幸子の友人の一人が口にした。卓球部で培われた聴力はここでも発揮する。

「どこそこ?」

「縁結びにご利益があるんだけど」

 耳を壁に食らいつかせる。

「前そこでお守り買って願ったら、次の日に告られちゃった」

「もしかしてこの前言ってた先輩?」

「そうそう!」

「スゴーイ!」

 女子たちが小汚い黄色い声を上げる。

「ちょっと、幸子も行けば?」

「エ?」

 不意に脇腹を突かれた幸子は呆気に取られる。

「ま、さっちーは可愛いから必要ないかもね」

 友人たちのちょっかいに幸子は苦笑いを浮かべつつ。

「わたし、神社めぐるの好きだから、今度行こうかな」

 さっちーは神社めぐりが好き! いい情報が手に入った。(わら)にもすがりたい思いだった。彼女が興味を持った場所なら尚更だった。



 土曜日。ガラパゴスケータイのナビを頼ると、その神社は徒歩でも軽く行ける距離にあった。午前中の部活を終え着替えてから出かけた。

 この住宅街近辺は卓球部のランニングで何度も来たことがあった。トタンと板の平屋と平屋の隙間にぎゅうぎゅう入り込んだように。意識していなかったせいかこんなところに鳥居があるなんて。

 真新しい朱塗りの柱には丸に花菱が組み合わされた紋が彫られてある。どこぞの有名な神社と関連性があるのかもしれない。

 鳥居をくぐる前に軽く一礼する。確かその方がよかった気がする。部長が言っていたのだ。それから参道は端の方を歩く。確か中央は神様が通るのだ。罰が当たってこれ以上幸子に嫌われたくはないし、せっかくだから覚えている限りのルールを守っていくことにした。

 しばらくは普通の路地裏がくねくねと続いた。神社なんて実はないんじゃないかと思うころに参道らしさのある道に出た。ど真ん中には女子の組がちらほらいて、いろんな濃さの恋話で盛り上がっていた。下品な笑い方ばかりで、神様も彼女たちを応援したいとは思わないだろう。

 石段を何十段も上がった。卓球部で培われた脚力はここでも発揮する。ヒールの高い女子たちがヒイヒイ言うのを尻目にすいすい上った。

 本殿はなかなか立派なものだった。やはり参拝客は女ばかりだ。幸子がいたら運命だと思えたが、それらしき影はない。縁結びのお守りを買う前に、汚れているだろう俺の手を清めるために手水舎に寄った。

 いざ参拝の時。二礼二拍手一礼。奮発して五百円玉を小気味よく入れた。幸子の笑顔が浮かぶ。

(さっちーと仲よくなれます、よーに!)

 ……確かここで祝詞(のりと)というものを唱えるといいらしい。天津祝詞(あまつのりと)だ。確か部長が言っていたのは……

「たかあまのはらにかむづまります……〈省略〉……かしこみかしこみもまおす」

 中盤はかなり適当だったが、後ろの子が「わあ」と感心の声を薄ら漏らしていた気がする。形さえよければ神様も寛大に納得してくれるだろう。

 ところが結局、良くなかったらしい。はっと長野の声が横から聞こえだした。

「神頼みとかさ、順序違くね? お前マジピュアなのなー」

 やけにリアルな妄想が俺を馬鹿にする。奴なら間違いなく言いそうなセリフだった。言い方はひどいがいつも正論だ。いるかもわからない神の力を待つ前に、自力で何とかするべきなのだ。まずは潔く彼女への態度を改めるべきなのだ。謝るべきなのだ。

 女ばかりなのも相まって、俺は段々と恥ずかしくなった。こんなところで一人何をやっているのか。

(お守りを買ったところで、無意味に決まってら)

 買ったばかりのお守りを賽銭箱に投げ捨てた。

「帰ろう」

 ぽつりと言って振り返ると、それなりに残っていたはずの女の列がなく、石段までの一本道はしんと静まり返っていた。

 何かのドッキリだろうか。不安に駆られ、人の気配を求めて歩き出そうとした時。本殿の障子からまばゆいばかりの光がバンと差し、辺りは白に染まった。サンバのようなインド音楽のような、そしてどこか間抜けなリズムの音楽が流れてきた。


 パッパラアアア パパパパ    ピロピロピロピ

  パッパッパラー  ズンドコズンドコ ピロピロピロピ

 パッパパラー  ズンドコズンドコ     ピロピロピロピ


   パッパッパラー  ズンドコズンドコ     ピロピロピロピ

  パッパパラー  ズンドコズンドコ     ピロピロピロピ


  パッパッポラー   ズンドコズンドコ  ピロピロピロピ

 パッパポラー   ズンドコズンドコ    アハーン


  パッパッポラー   ズンドコズンドコ    アハーンアハーン

   パッパッポラー  ズンドコズンドコズン  アハーンハーン


             ズンドコズン アハーン

                    アハーンアハーン


                  ハーン



「なんだなんだ!?」

 混乱する俺に追い打ちをかけるように障子がばっと開いた。


 アハアアアアン!


 赤と黄色の派手なシャツに花柄の短パンのチビハゲヒゲオヤジを中心に、ボンキュッボンボディのおねえさんダンサーと大太鼓を叩くムッキムキテッカテカのおにいさんの団体がポーズを決めて飛び出してきた。俺はおののいた。声が出ないというのは脳の処理が追い付かないからなのだろう。

 どうやら一連の何かは終わったらしく、硬直する俺を一目確認してから、謎の団体はチビハゲヒゲオヤジを残して本殿へ戻っていく。俺の目や心が病気でなければ、オヤジは全身から輝いていた。パナマハットをかぶると、ウーンとうなっている。

「イマイチ、グッとこない」

 今の演出のことを言っているのだ。ぴしゃりと障子が閉められるのを背に、輝くチビヒゲオヤジは段差に腰を下ろす。「華やかさに欠けてんのかな」などと不満を漏らしているのを、俺は口半開きで見守るしかない。

「チョット、あんたね!」急にオヤジは視線を上げ、ビーチサンダルをパタパタ音立てながら詰め寄ってきた。「困るんだよ、お賽銭以外の入れんの。トイレだってトイレットペーパー以外流しちゃダメなワケぇ。それとおんなじ!」

「じいさん誰?」

「アー? じーさんはここに転勤した神サマよ。困るんだよ、もの買ってすぐ捨てんの。罰当たりめが」

「スイマセン……」

 輝いているのには服の下にトリックがあるのかもしれなかったし、どこかでドッキリ撮影のカメラが潜んでいるのかもしれない。そこまで冷静を取り戻すとオヤジはにやりと指差す。

「あーそんで? おにいさん片思いなの?」

 どきりとして顔が熱くなった。神サマは俺の肩に腕を伸ばし、強制的に前かがみにさせる。

「ちょうど客層に若いにいちゃん目ぇつけてんの。信仰業界も競争激しくてね。サービスしたげるから広めてよ評判。えっと、さっちーっての?」

「ちち違うよ! 何言ってんだっ」

 俺は慌てて神サマの腕から離れ、火照った頬を両手で隠した。我ながら気持ち悪い動作だ。

「願ったっしょ、いじらしそうに。物忘れヒドイね」

「いやそんなハズない。難聴なんじゃねーの」

「ハァー?」

「俺が高田ブス子を好きになる訳がないんだッ。ここに来たのは観光目的であって、縁結びのためじゃないんだッ」

 そう言う間にも、脳裏に彼女と手をつないで微笑みあっている幻想が繰り広げられる。それを見透かしたように、神サマはフーンと怪訝そうに流し目だ。

「恋する少年。神サマの前では素直になりなよ。モノホンだろ、さっきの願いは」

 俺はムッとなった。幸子の笑顔がかすんでいく。

「俺は、ブス子がキライだ!」

 思いとは裏腹の言葉が自身の耳につんざく。

 高田幸子に恋したのは中学校の入学式前。通学路の確認で正門まで来てみた時に出会った。同伴していた母親似の丸顔で、線が細い感じで、笑うと困ったように眉を八の字に下げるのが可愛らしかった。髪を耳にかける時の指の曲げ具合や、白い耳たぶがきれいだった。今もそうだ。一年目は同じクラスだったので、何度か声をかけてきてくれる機会があった。が、長野の言うとおりシカトしてきた。彼女の善意と勇気をふいにしたのだ。悪友になら彼女への思いの丈を打ち明けられるのに。

 長野は意外と口が堅い。だからというより、俺の恋心を笑ってくれるからだと思う。これは笑い話なのだ。

「あのさぁ」神サマは呆れている。自ら歯がゆい道へ進んでいることを見透かしているような眼差しだ。

「ウソじゃねーよ、もう顔も見たくねえ。アイツのせいでいじめっこ呼ばわりはゴメンだ!」

「ようし、わかった!」

 神サマの白い眼差しが突き刺さる。

「なら用はない。ゴーホーム」

 神サマは本殿へ戻っていく。

「後悔しても知らねーよ?」

 最後まで白い目をして、神サマは障子を閉めた。光が失せると、女たちの声が瞬間移動してきた。



 月曜になると頬の腫れもひいて、湿布をやめた。いつも通りの時刻に登校し、靴を履き替えているだろう幸子をこっそりのぞいた。しかし、ロッカー前には誰もいなかった。

 タイミングがずれたらしい。教室にもいなかった。もしや珍しく遅刻なのか。いや、風邪で欠席なのかもしれない。

「あ、さっちー! 髪切った?」

 階段下から聞こえた幸子の友人の声。その方向へ駆けていくと、トランポリンのように弾力のあるものにぶつかった。

 ゴリ夫が酷い形相で見下ろしていた。遠くで「ショートめっちゃ似合うー」「もうちょっと切っても」と、批評が続いている。

 見たい! 猛烈パンチが火を噴く前にゴリ夫の横をすり抜け走った。ゴリ夫のおっぱいはバレーボールではなかったらしい。

 教室に戻っても幸子はいなかった。休み時間ごとに教室をのぞき、次に図書室、女子トイレの前で座り込み、ゴリ夫に追いかけられ、まいたあとは吹き抜け下を観察し、最後に美術部の様子をのぞいた。

 彼女のキャンバスには馬が描かれていて色をつけ始めたばかりらしい。白い馬だった。彼女は繊細そうに見えて力強いタッチで絵を描くのだ。

 結局本人はそこにいなくて、部長が代表してどこにいるのか秘匿にされた。なぜ内緒なのかも内緒にされた。美術部長は鼻翼のホクロが大きい馬面色白の男で、もしや幸子はこいつのことが……などと勘ぐってしまった。ゴリラといい馬といい、彼女は動物に好かれている。

 俺はしぶしぶ男子卓球部へと向かった。ラリーをしている間はメトロノームになったつもりになって幸子のことを忘れることができた。いつもなら。


 パンコッパンコッパンコッ!

 パンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッ!

 パンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッパンコッ!


 小気味いいピンポン玉の音にイライラさせられたのは初めてだった。

 激しいスマッシュを決めると、相手をしてくれていた同級生を越えて部長の禿げ頭にヒットしてしまった。仁王の額にぶるぶると血管が浮き出てくる。部長は怒る時ぶつぶつ念仏を唱えながら近寄ってくるのだ。そして「カーッ!」とキレる。俺は噴火される前に土下座をして、恋慕していると正直に吐くしかなかった。この前の頬の腫れについても理由を付け加えた。

 ほんの少しだけ心が軽くなったのも束の間。たくましい腕を組んで部長は言う。

「そうか。なら丸菱神社がおすすめだ。縁結びに関してはどこの神社よりも効果覿面だぞ。そして天罰覿面もな。参拝するなら誠心誠意をもって行くんだぞ」

「天罰っすか……?」

「そうだ。生半可な気持ちで、ましてやふざけていると神様だっていい気分にならないだろう。神様にだって感情はあるんだ。気に食わない奴には意地悪してやりたいだろうさ」

 そんなことは信じたくなかった。あれは悪い夢だ。



 三日経って、俺は鏡で一目瞭然の顔面蒼白の状態だった。

「サッチーニ、アエマセン」

「さっきいたぜ? ゴリ夫とキャッキャしてた」

「まじかよ……」

「三日だぜ? 今日も会ってねえ」

 部活に来ているのは確かだ。着実に白馬が隆々(りゅうりゅう)となって、ナポレオンも気に入りそうだった。図書室で本を借りているのも貸出カードの有無で判断できる。

「ゴリ夫でも追っかけろよ」

「もうやったっつの」

「ストーカーされて予知能力身につけたんじゃね?」

「これは笑い事じゃねえっつうの」

 洋式トイレに向かって弱気な苛立ちをぶつけてやる。カラカラカラカラと、延々紙が引っ張りだされる音まで悪友の笑い声に感じてくる。全校生徒が協力して幸子から遠ざけようとしているのだと卑屈になってしまう。

「人間、諦めが肝心だよ」

「いやだああ」

 カラカラカラカラ

   カラカラカラカラ

     カラカラカラカラ

       カラカラカラカラ



 俺は走った。一目散に丸菱神社のある住宅街へ向かった。二周走ってやっと鳥居の存在に気づいた。夕方の深い影が余計に見えづらくしていたらしい。もはや隅を歩くなんてルールを律儀に守っていられない。

 お守りは全て売り切れだった。身を乗り出して賽銭箱をのぞくも、あのお守りは見えず闇が広がっている。

「何にーちゃん、また来たの?」

 神サマが本殿の縁でビーチサンダルをつま先でぶらつかせながらだらしなく寝そべっていた。俺は怒り心頭した。

「おい! 神サマのせいだろ!」

「はー?」

「さっちーのことだよ!」

 神サマは小指で鼻をほじくる。「さっちー? ああ、ブス子?」

「ブスじゃねーっ! どーしてくれんだ、さっちー出せ!」

 神サマは人差し指で耳をほじくる。「アーそんなこと言われてもネー。どーしよーもできないよねー」

「神サマだろコラ」

 神サマは金の耳垢を吹く。「さっちーは離縁の神サマのご利益を受けてるワケ」

「は?」

「だから、縁切りの神サマに頼ったの。よっぽどきらってるんだね。言ったでしょ、素直になれって。もう遅いけど。切った縁を無理やり固く結んでみたところでね、所詮はそこがコブなワケ、わかる?」

 ぐさりぐさりと言葉が胸に刺さりめまいがした。そんな俺の肩を神サマは馴れ馴れしく引き寄せる。「まあキミは若いんだし、今回の教訓を生かしてちょちょいと新しいラブを見つけるとイイよ。安くしとくから」

「うう、やだやだっ。あきらめないっ」

「女々しい奴だな」

 神サマはあっちいけとばかりに手を振り、つまらなそうに一瞬の輝きの中へと消えてしまった。



 あんなクソチビハゲのクソヒゲハゲオヤジになんて頼らない。俺だって男だ。翌日に腹をくくって懇願した。

「頼むゴリ夫! さっちーのアドレス教えてくれ!」

「いやよ」

「ええっ」

 ゴリ夫が拳を不気味に鳴らす。「イタ電とかチェンメ送る気だろ。その前に病院に送ってやんよ」

「マジそれ勘弁な! 違うんだよ、今までの全部! 口じゃうまく伝えらんねーからからさ! メールで謝ろうと思って!」

 まるで浮気した彼氏みたいなセリフを並び立ててしまい、今度は左頬から殺されるかもしれなかった。

 しかし数秒の間の後、嘘のように殺気めいた表情が失せる。

「しょーがないわねー。ケータイ出しな」

「恩にきるぜ!」

 やっぱりゴリ夫は話せばわかるゴリラだと思う。

「わかってるだろーけど、泣かせたらアゴ割るよ」

「ハイ」


  高田さんへ

  今まで僕は高田さんのことを困らせてきました。

  もしかしたら泣かせたこともあると思います。

  とても後悔しています。

  中学生の時、高田さんのことを無視してきました。

  理由は高田さんのことを直視するのが恥ずかしかったからです。

  だけどそういうのが恥ずかしい行為だったと思います。

  高校生になってからはがんばって話しかけようと思ってい


「えらい長いメールじゃね?」

「うっせ」

「ぐだぐだ女々しくね?」

 長野の添削がうっとうしい。

 胸に押しとどめていた言葉は思いのほかにぽんぽんと打ちこめた。普段は省略している句読点も誠意の印として存在する。鼓動が苦しくなる前に、息を整える。

 ふう。

 送信!

 携帯電話の画面をにらむ。三十秒も経たないうちのバイブレーションに、俺は椅子ごとはねる。

「早くね?」

「は!?」思わず立ち上がる。送信に失敗したというメッセージだ。羽の生えたメールが、思いが重すぎるとばかりに虫の死骸の如くはらひらと落ちていく。

「じゃあ電話だ!」

「さっき口じゃ無理って」

「顔が見えなきゃいいんだよ!」

 教室を飛び出して通話を試みた。機械的な女が「電波が届かないところに」と言う。

「うそだろ」

「ちと貸せ」

 長野が携帯電話をふんだくり、コールする。

「あ、もしもーし」

 唖然とした。我に返り「かわってかわって!」と小声で催促するも長野は無視する。

「こいつがどーしても頭下げたいってぇ、……そう、待ち合わせぇ。なんならゴリ夫も」

「ゴリ夫はアカン!」

 悪友がつなげてくれたチャンスだ。俺は行きつけのファミレスの窓際の席でじっと、今か今かと幸子を待った。部活は休ませてもらった。正直に恋愛成就がかかっていると告げると、部長たちは背中を叩いて気合を入れてくれた。

(来てくれるカナ……?)

 オレンジジュースを飲む。客が入れ替わる。

 氷を食べる。客がどんどん入れ替わる。

 水を飲む。日が落ちていく。学生客が減り、家族客が増えてくる。

 携帯電話のバイブレーション。ゴリ夫からだった。俺はファミレスを飛び出した。

 走りまくった。にぶい自動ドアに体をねじ込んだ。幸子の母親が泣き崩れていた。手術着の男が立っていた。その間を横切る。鉄球を引きずっているみたいだった。ずるずるずるずる。幸子らしき人がベッドに横たわっていた。顔は白い布で隠されていた。手を伸ばして、白い布に手が触れて白い布を取って、幸子の顔を見なければと思い白い布を落としてしまい幸子の笑顔が見たかっただけなのに幸子の顔がぽっかりなくなっていたので



「驚いたァ?」

 神サマがのん気に聞いている。右頬に痛みを感じる。はがしたはずの湿布が貼られたままだ。ここは、丸菱神社だ。しんとしている境内で神サマの声が嫌になるほど透き通って、今は土曜日だという認識が頭に飛び込んできた。

「今のはただの幻だよん。ちょっと極端だったと思う? でもキミの行動次第によっちゃあ、そうならないとは言い切れないワケ。運命の赤い糸ってあやとりみたいに複雑に交差し合うものってこと。まあよかったよ、心変わりしてくれて。後半からちょっと面倒くさくなっちゃって畳みかけちゃったんだけど」

「ヒドイヤ」

「イタイです、おにいさん」

「ヒドイヤ」

 抱えきれないほど文句があったがそれしか言えず、涙目で憎たらしい神サマの両頬をギリギリと掴み続けてやった。離縁の神サマというのは嘘で、幸子が死んだというのが嘘であることが何よりほっとした。

「んー? 離縁の神サマならいるヨ。今は出かけてていないけど。客の暴力夫を苦しめるために根回ししてる最中。運よかったネ」

 と、ウインク。背筋が寒くなった。

「さ! 気を取り直して、本番はこれからヨ。告白の練習をしよう」

「エッ」

 本格的に涙が出ようという時に、この神サマはせっかちだ。とたんに熱が右頬の痛みを助長させた。

「ほら、じーさんをさっちーだと思って」

「いやいやいや、それは」

「練習だっつってっしょ。ほら! 神サマだって気は長くないの! 一体何万の片思いを神経衰弱みたいにしなきゃいけないと思ってんの? こちとら業績かかってんの! 十月なんてすぐなんだから!」

「まさか毎回こんなことしてんの?」

「ハーァ? そんなワケないっしょ、キミは単なるキリ番踏んだ客なのー。だからスペシャルサービスして出迎えとかしてやってんのー。超絶ラッキーボーイなんだからありがたく思えっつうの!」

「わかった! わかったから!」

「ほら!」

 俺はせかされるまま声に出すしかなかった。

「すすす……すすす……」

「ほらほら!」

「スキデス」

「誰が?」

「さささ……」

「あーもう、ダメまったく。もっとはっきりと!」

「さっちーが好きだ」

「もっと口開けて、心を込めて」

 ぎゅっと目をつぶった。

「さっ、さっちーが好きだ!」

「エ!?」

 聞き覚えのある声にはっと目を開けた。幸子が驚いた顔で俺を見ていた。

 図られたのだ。神サマの姿はどこにもなく、二度と現れることはないということを葉風が立ったことで悟った。

 散髪をしたらしい。幸子はショートカットが似合う子だ。それは出会った時からゆるぎなかった。

 彼女は縁結びのお守りを握りしめていた。俺は少ないつばを飲み込む。

「そ、それ。買ったんだ……?」

「あ、うん……」

 まだ彼女は目を白黒させて肩をすくめている。もしかすると、彼女にしてみれば突然隣に現れたように見えているのかもしれない。

「その……。俺も、買った。でもこん中に捨てちゃった」

「えっ」

 幸子は目を丸くして賽銭箱をのぞいた。

「本当だ……。なんで?」

「い、いらないかなーって、思って、その」

「ふうん……」彼女は何か言いたげに、遠慮がちに見つめてくる。さっきの告白は丸聞こえだったのだろうか。彼女にとっては舌の根の乾かぬうちの信じがたい話だろう。

 これは天罰だ。今までの報いの清算の時が来たのだ。正式に真正面から振られ、諦めさせるために用意された場であってもおかしくはないのだ。

 まずは、他校との練習試合がもうじきあるから、見に来てもらえるかどうかを聞いてみよう。卓球に興味ないか聞いてみよう。別にゴリ夫とか美術部の誰かとか一緒でも構わないから。友だち未満でも構わないから。どうせマイナスからのスタートなのだ。振られてもゼロになるだけなのだ。俺は怖々と口を開かせた。


〈了〉

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