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1話


 メイドであるメアリーは非常に困っていた。

 旦那様――自分が仕えているご主人様が、どうにもこちらに懸想しているようなのだ。

「どうしよう……。私みたいなしがない一般庶民が、あのスチュアート家当主に好かれてしまうだなんて……」



 スチュアート家。



 それはこの国で知らぬ者はいないとまで言われている大貴族の一つ。主に貿易関係で躍進している名家であり、財政界にも顔が利くと言う。

 そんな名家の――しかも当主であるリヒド・スチュアートに、よもや恋慕の情を抱かれてしまうとは。

 先述の通り、メアリーは極々一般家系から出稼ぎにきた単なるメイドであり、容姿にしたって何も特長のない女の子である。強いて述べるなら平凡な人よりも平凡らしい、誰も彼女に対して気後れもしなければ陰口の対象にすらならない(存在感がないせいで)、普通の十六歳の乙女だ。

 そんな彼女が、リヒドに好かれていると思い至った経緯。それは数週間前までに遡る。




「はあ。今日は洗濯物が多いな……」

 嘆息しつつ、メアリーは大量に洗濯物が入った籠を抱えながら、長い階段を昇っていた。

 昨日は遅くまでパーティーを開いていたせいか、主にシーツ類で洗濯しなければならない物で溢れているのだ。

 スチュアート家にはメアリー以外にもメイドを雇っており、これだけの量であると本来なら三、四人で担当するはずなのだが、メアリー以外は他の用で手が貸せず、仕方なく一人だけで運んでいるのである。

「これが済んだらお屋敷の掃除をして夕食の準備を手伝って……」

 階段を上りながら、次にやるべき予定を復唱するメアリー。

 おそらくはそうやって気が削がれたせいであろう――最後の一段へと上ろうとした際、誤ってメアリーは階段から足を踏み外してしまった。

「きゃっ――!?」

 無意識か、もしくはメイドとしての意識からか、メアリーは洗濯籠を抱えたまま後ろへ倒れ、重力には逆らえず落下していく。

 このまま落下すれば、大怪我は避けられない――そう覚悟して瞼を閉じたその時、



「危ないっ!」



 突如として響く男性の声。その後、床へと叩き付けられた洗濯籠の衝撃音が鼓膜を揺らす。

 暫しの間。何故かいつまで経ってもこない痛覚に、メアリーは恐る恐る瞼を開けると――

「大丈夫かい? 怪我はなかった?」

「だ、旦那様っ!?」

 そこには、端正な顔立ちに、貴族特有の気品を感じさせる青年の顔。

 スチュアート家当主――若干二八歳にして数々の企業を担っているリヒドが、見惚れんばかりの微笑を湛えてこちらを見つめていた。

 リヒドが間一髪の所で、メアリーを抱きとめたのだ。

 そう理解した瞬間、メアリーははっと自分の足で立ち上がり、あまりの申し訳なさに深々と頭を下げた。

「す、すみません旦那様! とんだお手間を……!」

「いやなに、これぐらいお安い御用だよ。それに――」

 そこでグイっと気取ったようにメアリーの顎を指で持ち、実にキザったらしくこうのたまった。



「いつも見ているその綺麗な顔に、傷が付いたら大変だからね」



 それを最期に、リヒドは「それじゃあ」と片手を上げ、優雅なメアリーの元から去っていく。

 途中で「あの子、誰だっけ……?」と呟いていたのだが、すっかり心あらずといったメアリーに、その声が届く事はなかった。





 以上が、メアリーがリヒドに惚れられていると思った経緯である。

 お前それ、逆にそっちが惚れただけとちゃうんか、と第三者が聞いたらすかさずそう突っ込まれそうな回想だった。

 しかしながら、メアリーはその事実に気が付いてない。むしろ、



 ――私の顔を見て、いつも綺麗って思っていてくれてたなんて……。



 と浮かれているくらいなので、リヒドが社交辞令程度であんなセリフを吐いた事など、知る由もなかった。

「でもどうしよう。旦那様――リヒド様にまだ奥方はいらっしゃらないけれど、私となんてあまりにも身分差があり過ぎる……」

 若くして当主の座を引き継いだリヒドと、平々凡々とした人生を歩んできたメアリー。その差にはおよそ埋めようのない溝がある。

 きっとリヒドを狙っている女性は星の数。それも自分なんて勝負にならないほどの、どれも名家のお嬢様方だ。

 そんな方々を差し置いて、果たしてリヒドと隣りに並ぶだけの価値が自分にあるのか――



「おや。独りそんな所でどうしたんだい?」


 と、箒片手に庭を掃除していたメアリーに、そんな声が掛けられた。

 誰だろうと、その声の主をあちこち視線を巡らせて探す。

「だ、旦那様!」

 果たしてその声の主は――現在専ら悩みの種となっているメアリーのご主人様こと、リヒドであった。

 服装は上から下までブランド物で固めており、質素な部分など一切見受けられない。また、これだけ上質な物で着飾っているのに、まるで嫌味を感じさせず、爽やかさすら窺える。これもリヒド特有の人の良さから来るものなのだろう。

「旦那様っ。お、おおおお帰り下さいませーっ!」

「うん。んん!? えっ、今すぐ帰れって事?」

「も、申しありません! つい噛んじゃいましたーっ!」

 ビックリするあまり、とんでもない事を口走ってしまった。

「いや、いいけど……。庭の掃除をしていたのかい?」

「はいっ。その通りでございます!」

「そっか。君一人で隅々(、、)まで掃除だなんて大変だね」

「そんな君が好き好き(、、、、)だなんて……!」

「えっ」

「えっ」

「…………」

「…………」

「……えーっと、他の子はいないのかい? まだいたはずなんだけど」

「あ、はい。いつもは二人でやるんですが、もう一人の子は病欠で……」

「なるほど。じゃあ尚更大変だね。身体だけじゃなくて、精神的に疲れていても病気になりやすいから、ほどほどにラフ(、、)な気持ちで仕事に励んでおくれ」

「ひゃ!? ラブ(、、)な気持ちだなんて、私一体どうしたら……!」

「えっ」

「えっ」

「………………」

「………………」

「……まあ、うん。頑張ってね。それじゃあ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 妙に苦味走った笑みを浮かべて、その場を早々と後にするリヒド。

 そんなリヒドを見送りながら、メアリーは「やっぱり」と独りごちる。

「やっぱり、旦那様は私の事が好きなんだ……。やだ、どうしよう……」

 顔を真っ赤に染めながら、メアリーは悩ましげに瞑目して、はふぅと熱い呼気を零す。

 リヒドがメアリーに恋しているのは明らかだ。しかしながら、これは許されざる恋。リヒドにはもっと相応しい女性がいるはず。

 だから――



「旦那様、その恋はいけません!」




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