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お待たせしました。
クレメリー団長に紹介された日には警戒されていたのか、リーザベルとどの会話をしても当たり障りのない返答しか帰ってこなかった。妹のユリアーネに関しては完全に人見知りなのか姉のリーザベルのうしろに隠れてちらちらと俺の様子を伺っている様子だった。
それでも徐々にリーザベルの方がぎこちないが自然に笑うようになってきて、それに嬉しくなって微笑んでいると、ユリアーネの方も警戒を解いてくれるようになる。
「ヴィーヌスさまはおとうさまと同じきしさまなの?」
「ユリアーネ、ヴィーヌス様は騎士学校に通っているからまだ騎士様ではないのよ」
リーザベルが優しい顔でそう教えると、ユリアーネはキョトンとした顔で首を傾げる。
「でもきしさまなのよね?」
「そうだね。俺はずっと騎士になるように頑張ってきたし、その予定だよ」
「それなら、おそとでこわい人とたたかっているの?」
「うん。学校で怖い教官達に訓練を受けているよ」
「すごい!きしさまはそうやって私たちをまもってくれているのね!」
ユリアーネの質問に嘘もなく答えていると、端で聞いていたリーザベルは突然笑い出した。
「どうしたんだ、リーザベル様?」
「い、いや、ごめんなさい。だけど、会話ってお互いに違う事を想像していても成り立つんだなって思って」
確かに、まだ7歳かそこらのユリアーネに難しいことはいちいち説明しても理解できないだろうと思い、会話を成り立たせようと話をしていたのだが、それがリーザベルにとって面白いものがあったらしい。
「ヴィーヌス様、私大変失礼なことをしました」
「いや、そんな畏まらなくて良いよ。それと、先ほども言いましたが堅苦しいのはなしで。ヴィーヌスでいいよ」
「わかりました、ヴィーヌス。それなら私の事はリーザと呼んでください。両親はそう呼ぶので」
「それじゃあ遠慮なく。リーザ」
名前を呼んで頭を撫でてやると、リーザは驚いたような顔をしてから嬉しそうに微笑んだ。
クレメリー団長に依頼されていたように、それからは週に一度と定期的に家を訪れて彼女達と遊ぶようになる。学校側には既に団長がその許可を取ってくれていたらしく、特例という事で授業がない休みには外出許可が降りるようになった。
回数を重ねるうちにユリアーネは懐いてくれるようになったし、まだ幼いながらも笑顔を張り付けることに馴れていたようなリーザは自然な笑顔をみせてくれるようになった。何より嬉しかったのはユリアーネが体調を崩してその場に居ない時に、聡明で淑やかに振る舞っているリーザが実は身体を動かす事の方が好きで、こっそり馬で森を駈けるのが好きだと秘密を打ち明けてくれた時だ。
「どうして秘密なんだ?令嬢の中にも嗜む者は多いだろう?」
「そうね。だからこの間は動物と触れ合うのが好きなユリアーネにお父様が送られた馬を彼女に言って貸してもらったの」
「……自分の馬が欲しいとお父様には頼まなかったのかい?」
リーザの言葉に違和感を抱いてそう尋ねると、彼女は困ったように笑った。
「両親に頼み事をするのは、ユリアーネの仕事よ。私の仕事は、なるべく両親を煩わせないようにすることだわ」
その言葉は、彼女が家族の中でどのような立ち位置にいるのかを示しているようだった。
団長は何も言っていなかったが、初めてこの家を訪れた時に夫人の言葉から感じた違和感もこれだったのかと確信できた。彼女は家族と、特に両親との間に距離があるのだろう。そして、使用人達からも距離をおかれている。
現にユリアーネが体調を崩してこの場には居ないが、リーザよりも彼女に使用人が割かれているのは明確で、俺が来るまで庭で本を読んでいたリーザの側に控えているような使用人は見当たらなかった。普通側仕えが一人以上付くのが当たり前なのに。
そう考え到ると、沸々と怒りが湧いてくる。リーザが歳のわりに達観しているような雰囲気があるのも、笑顔を貼付ける能力を身につけたのも、素直に自分を出せないのも。この家の人間達の振る舞いのせいなのだろう。
「だけどね、今は久しぶりに毎日楽しみなの。だって、ヴィーヌスがこうしてお話してくれるし、いつ家に来てくれるのか待つのも楽しいわ。」
「それで満足なのかい?」
「ええ!だって貴方が家に来てくれるようになってから、私の世界は広がったわ!」
きらきらとした瞳で、嬉しそうに笑顔を見せられると、それだけで俺の心は幸せで満たされるようだ。始めは一目惚れだっただろうけれど、こうやって自分だけに見せてくれる彼女の姿を知るたびに、彼女への愛しさが増していく。彼女の周囲の環境が彼女に取ってあまり良い状態ではないが、その中でも俺の存在が安らげる存在になれるのなら、俺はこの位置を誰にも譲る気はないし、心地よく感じる。
彼女が自分の素を見せるのは自分だけで良い。自分の前だけでは本当の笑顔で居て欲しい。
「最近は剣術も少し練習しているのよ?」
「剣術……この屋敷でかい?先生は?」
「先生は居ないわ。こっそりやっているのよ。剣になりそうな棒とか、屋敷の木の剪定していた時に落ちてたものをこっそり拾っておいたの。あとは書庫にあった剣術指南の本を見て自主練習をしてるわ。っていっても、一日中素振りくらいしかできないけれど」
その言葉に俺は驚いて、目を見開く。
「……1人で、だよね。」
「ええ、だから素振りしかできないのよ」
「どうして剣術を?」
「だって、運動するのにちょうどいいし、自分の身は自分で守れた方がいいと思って」
「普通令嬢は、男に守られるものだよ?」
「それなら私は普通じゃないのね。この間庭に忍び込んできた怪しい男に刃物で脅された時も誰も守ってくれなかったわ」
それを聞いて俺はリーザの肩を掴んだ。
「何もされなかったか?怪我は!?」
「だ、大丈夫よ?その時丁度呼んでいた『不審者への対処法』の本を実践して、掴まれた時に足の間を蹴り上げたもの」
「……」
そのシーンを想像してしまって、眉間に皺を寄せる。……痛かっただろうな。
それにしても。
「それから屋敷の家令に庭に横たわっている男が居ると言えば、一件落着よ。」
「……誰もリーザの側に控えていなかったのか?」
「?そうよ?だから簡単に屋敷の外に出られるから、楽しいわ。ユリアーネが臥せっている日はよく朝に抜け出して、夕方に帰って来るの」
ということは、やはりその日だけではなくいつも控えていないのだろう。屋敷で姿を見せなければいくらなんでも使用人達が心配してもおかしくはないと思うが。この様子だと彼らが探しにくるようなことはないようだ。俺はリーゼにはわからないように溜め息を吐いた。
リーゼはそれが普通だと思っているのか、不思議そうに首を傾げているが、俺の目にはこの状態は異様に映る。俺の家族は兄弟が喧嘩する事はあっても、両親からそれぞれ何かしらの形で可愛がられているし、皆仲が良い。けれど、この家族はリーザだけがはじき出されているように映るのだ。団長はそれなりに気にかけているだろうことはわかるが、何かをする事はない。夫人は一度会ったことがあるくらいだが、ユリアーネの方を溺愛しているというのはリーザの話からもわかるし、使用人の配置でも察する事はできる。
思案顔になった俺の様子に俺が何を考えているのか気がついたのか、リーザは繕うように微笑んだ。
「大丈夫なのよ?私、勉強の時間以外は干渉されずにすむから」
「そうかい?」
寂しくはないのか、という言葉は飲み込んだ。これは他人が口を出して良い事ではない。ましてや俺はどちらかというと両親に愛されて育ってきた方だからだ。そんな人間が励ましても、同情にしか映らないだろうし、その心には届かないだろう。それに、そんな安っぽい慰めは彼女の為にもならない。
俺に彼女の為に出来る事は、他にある。
「よし。リーザ、これから出かけるか」
「え?どこに?」
「この屋敷の外、と言ったら決まってるだろう?」
にやり、と笑った俺を見て、リーザはぱっと破顔した。
「城下ね!」
この嬉しそうな表情をみて、俺は決心した。この周囲との距離のせいで大人になろうと努めて人に甘え馴れていない少女を自分は甘やかしてやろう、と。それがこうやって彼女の沈んだ心を浮上させることができる筈だから。
その日は城下を彼女と二人で周り、いろんなところへ興味をうつす彼女を見て、初めて見たときの淑やかなイメージは、完全に消え去っていた。それよりもこうやって天真爛漫に振る舞っているほうが彼女に合っているし、ますます愛おしく思うのは、きっと俺がリーザを自分の姫だと思った時以上に、彼女自身に惹かれているからだ。
初めこそ、俺は妹の影響か恋愛に夢を見ていたかのようにリーザに対して憧れのような感情を抱いたのだと思う。だがそれはきっかけにすぎず、聡明で淑やかな貴族令嬢という表の仮面に隠した好奇心旺盛で表情が良く変わる本当のリーザを知り、改めて彼女に恋をしたのは俺に取ってまぎれも無い事実だ。
物語に出てくる姫とは違う。それでも物語の騎士が姫を何度も救い出し守ったように、俺も彼女の側に居て守りたい。
俺も恋愛に夢見ていたのだな、と内心苦笑をしながら日暮れ頃には彼女を屋敷に送り届け、俺は王宮にいるクレメリー団長のもとへ向かった。
「いつも済まないね」
「いえ。今日はユリアーネ様が体調を崩して部屋で横になっていたので、リーザベル様とお話ししました。それと……自分の判断で彼女を城下につれていきました」
俺は非難されるのを覚悟で今日の事を報告する。その内容に団長は一瞬目を見張ったが、すぐにふっと硬い表情を崩した。
「リーザはどんな反応だった?」
その質問に、内心驚きながらも俺は答える。
「目に映るものが新鮮なようで、とても様々なものに興味をお持ちでしたよ。」
「そうか……」
すこし陰りがある表情をしたまま団長は黙り込んでしまい、俺はその様子を見てやはりこの人はリーザを気にかけているのでは、と感じた。自分の子どもに対して何も感じていないのならば、このような反応は見せない筈だ。そこに少し安心した俺は、口を開いた。
「そういえば、リーザベル様、馬がお好きなようですよ。」
「!そうか」
その言葉を聞いてぱっと表情を変えた団長は、どんな馬がリーザは好きだと言っていたのかとか、乗馬がしたいのかと色々と聞いてきた。これは恐らく彼女に馬を送るのだろう。俺はそれに内心微笑みながら、団長の質問に答えていった。
良かった。団長はリーザのことを愛していないわけではないのだ。きっと拗れてしまった関係を前にどうすればいいかわからなかっただけなのだろう。その事に安心した俺はユリアーネに馬を送ったときの馬のリストを引っぱりだしてきて悩んでいる団長に挨拶をしてその部屋を後にした。
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リーザの家族との関係をクレメリー団長に彼女の事を話して少しずつ環境を改善させていくことは、俺に見せてくれるリーザの表情が増えていく事につながった。相変わらずクレメリー家内での彼女の立ち位置はかわらないが、団長はリーザに美しいが脚力のある馬を送ることを皮切りに、たまにリーザが興味を示した分野の本を送ったり、年頃になればドレスやアクセサリーなども送り出した。
それらを身に付けて社交の場にデビューした彼女は’淑やかで聡明な令嬢’と周囲から言われ、徐々に人脈を広げているらしい。それを仕事仲間から聞いたのは数年が経ちクレメリー団長の下で仕事をし、後継として認知される様になった頃だ。
俺はその噂を聞いてからすぐに団長にリーザとの婚約を申し込んだ。団長は一瞬驚いたがすぐにそれを隠して渋い顔を見せたのだが、最終的にリーザがそれを了承するなら、と了承の報告を受けて舞い上がる。それが隠しきれていなかったのか、その後ユリアーネに会った時に『ヴィーヌス兄様、やっとお姉様に告白するのね!』と声をかけられた時には思わず周りにリーザが居ないか見回してしまった。彼女には他の誰でもない、自分の口から想いを伝えたかったからだ。だからユリアーネにはそのまま伝えて『秘密だよ』と約束をしてもらうと、彼女は『とっても素敵だわ!』と言って喜んでいた。
そこでリーザがこちらを見ていた時には動揺が隠せなかったが、それでもしばらく仕事で会えなかったので会えた嬉しさの方が勝り、笑顔で彼女を向かえたのだが。彼女は体調が優れないようで部屋に戻ってしまい、それから忙しい合間を縫って会おうとしても会えない日々が続いた。
それに、やっと会えてもリーザはどこか作った笑顔で対応してくる事が多くなってきた気がするのだ。ユリアーネと三人で話していても一歩引いて傍観しているようにも感じる。距離を置かれているのか?いや、他に何か事情があるのかもしれない。それを確認する為にも充分に会う時間が欲しいのに。
「王国騎士団団長補佐兼王太子付き伝令役。……今程この職に付いた事を恨んだ事はないぞ、ヴァル。」
仕事で王太子の執務室を訪れた俺は、彼と二人になるとそう悪態を付いた。
「そう本人を前にして悪口を言うのはお前くらいだ。言っとくが、この配属は騎士団長も同意したぞ?この方が次期騎士団長を育てるためにも、まずは親交を深めるのもいいだろうってな」
国の武力の向上や国外の動向を探る仕事の他、普段騎士達の訓練なども管理しているクレメリー団長の補佐の仕事と、王太子殿下の伝令役……もとい、公務の手伝いは、俺の自由な時間をどんどんと食いつぶしていった。
おかげで中々時間が作れなくてリーザに想いを告げるどころか会う事も出来なくなっているっていうのに。
「親交は学園で充分深めただろうが。おかげで休みが取れないわ、夜会に出れないわ……」
「……なんだ、夜会に出たかったのか?お前が夜会好きだとは知らなかったな」
「そうじゃないんだが……」
デビューを果たしたリーザの事が気になって気になって仕方がないのだ。身体を動かすのが好きで一人で遠乗りにいってしまうような令嬢らしからぬ趣味があったとしても、もともと美しく聡明な彼女は夜会での自分の振る舞い方をすぐに覚えるだろう。そんな彼女に寄ってくる男は数多に居る事は簡単に想像がつく。……変な虫が付かないかどうか、目を光らせておかなければならないというのに。騎士団に所属になったために夜会は大体警備に駆出され、参加する機会は少なくなっていく。
それに、やっと夜会に参加できたと思ったらリーザは団長の付き添いで、クレメリー夫人に頼まれた俺は身体が弱く滅多に外に出ないユリアーネのパートナーとして出る事になり、彼女の虫除けとして使われた俺はリーザの近くに居る事ができない。それでも彼女を目で追ってしまうことに『そう思うのなら早く想いを告げれば良いのに』とユリアーネには呆れられた。
聡明なリーザは、団長が仕事や政の事を人と話し始めるとそっとその側を離れて会場の様子を伺っていたのだが、そんな彼女を周囲の年頃の子息達が狙っているのは容易に把握できた。それを少しでも排除しようと睨みつけるようにして子息達を牽制する。それに気がついた者はそこで彼女から離れたのだが、それでも彼女に寄ってくる男達は居り踊りだすところを見れば、早く彼女を自分のものにして誰にも取られたくないと独占欲にかられるのだ。
「ああ、もしかして今年頃の子息達に有名なリーザベル嬢の事が気がかりなのか?」
「何だって?何故ヴァルがそれを知っている?」
「フォルセが先日の夜会で彼女を気に入ったみたいで調べたようでな。聡明で会話も面白く、気が合うそうだ。」
「っ!」
「ああ、あの様子だともしかしたら、俺の将来の義妹になるかもしれないな」
その言葉を聞いて、俺は焦燥感に駆られた。リーザが自分を見せてくれるのは俺の前だけだ、そう思っていたのはきっと間違いではなかった。けれどこれから先どうなるかはわからないのだ。
「まぁ、あの令嬢なら俺も満更ではないな。美しく、聡明ならそれだけで王太子妃の候補に挙るだろうし、何しろ侯爵家だ、引く手数多だと聞いているぞ?求婚者が絶えないと。……ふむ、そうなると早急に令状を用意させて早く王宮に招くべきか。おい、そこのやつ、フォルセに用意させるように伝令を出してくれ」
「止めろ!リーザは俺の、」
「お前はクレメリー侯爵に約束を取り付けただけで、本人は承諾をしていないのだろう?ならば彼女はまだクレメリー侯爵のもので、他の誰のものでもない。それに、俺やフォルセのような王族やそれに連なる公爵家に婚約の令状を出されれば、忠臣の侯爵家はそんな約束など放って命に従うだろうな」
その言葉に何も言い返せないのは、ヴァルの言う事が真実だからだ。……そんな事はわかっている。しかしあの笑顔が他の男に向くのは嫌だ。そう思うのに、何故俺は彼女に想いを告げて、婚約を申し込まないのか。なんとか仕事の合間を縫って会いにいく事だってきっと不可能では無かった筈だ。約束でも取り付けて、王宮に来てもらう事だって出来た筈。
それでも俺が彼女に想いを告げられないのはきっと、仕事が忙しいからでもなく、彼女に会えないからでもなく。
ああ、そうか。
「なんだ。周囲の嫉妬にも恐れず、対峙する敵にも恐れないお前が、恐れているのか」
どこまでもこの親友は俺の心を読み解くのが上手いらしい。軽くあしらおうにも俺の心は動揺しすぎてその余裕を持ち合わせては居ない。俺は観念して本音を零す事にした。
「……不安なんだ。彼女は俺に取っての姫で、大切で、守りたくて。」
それでもそれは俺が一方的に思っている事で、彼女の想いはわからない。無邪気に表情を見せてくれた彼女が、最近は作り物の笑顔を俺に見せ、距離をおかれているのがその答えなのかもしれない。そう考えると、今の関係を維持する方が良いように思えてしまう。それが、これから先彼女と長く一緒に居る方法であると。
「本当にそれで良いとは思っていないのだろう。」
ヴァルの言う通りだ。彼女に近づこうとする男は排除したい、彼女を自分だけのものにしたいという独占欲だってある。だがそれを彼女に押し付ける事は憚られた。俺の独占欲で縛ってしまえば、広げられたであろう好奇心旺盛な彼女の視野を狭めてしまうかもしれない。今まで良くも悪くも両親の影響を受けて、『良い子』になろうと縛られていた娘に、俺の思いを押し付けて、これ以上窮屈な思いをしてほしくない。
そこまで言うと、ヴァルは首を傾げた。
「あの令嬢は、それを窮屈だと言ったのか?」
「……え?」
「お前が言っている事は、全てお前の考えでしかないだろう?リーザベル嬢がどう思っているのかを直接確認したのか?」
「いや……」
「ならばくよくよ悩む前に、本人に直接聞け。悩むのはそれからだろう。おい、誰かこの男をクレメリー邸に送ってくれ。今日は休暇中の騎士団長宛の親書を持たせる」
「……ヴァル、」
「一見お前がリーザベル嬢を大切に思っているがための行動に見えるがな、お前がただ彼女の想いを聞くのが怖くて怯えているのを隠すだけのただの理由付けにしか俺には見えないぞ」
「……それは」
「ああ、今日の残りは明日にまわしとくぞ。……ったく、女の事になると途端に鈍くなる奴だな。とっとと行け」
強引に執務室から出された俺は、否応も無くクレメリー家に行くしかなくなった。そうなると屋敷に居る団長やユリアーネ、そしてリーザに挨拶をしないといけなくなる。
結局のところ、俺はヴァルにリーザと会う時間を貰う事になったのだった。
ヴァルの言う事は尤もで、俺はリーザの想いを確認する事が怖くて逃げていたのだ。だが、踏み出さないと何も解らないし、何も変わらないのだ。
クレメリー邸を訪れた俺は、入り口でユリアーネに会い、彼女にも呆れた顔をされる。
「まぁ、なんて顔をしてらっしゃるの?ヴィーヌス兄様。戦にでもいくのですか?」
「ああ……そんな様なものかな」
ユリアーネはきっと俺が何をしにきたのかわかっていてのこの対応なのだろう。現に、遅すぎですわ、と呆れた顔で応接室に案内された。
「なぁ、リーザは他に良い相手とかいるのか?」
先ほど王太子殿下から聞いたフォルセ殿下が気に入ったという話を聞いて、彼女が他に好意を抱く相手が居るのかが気になった俺は、思わずユリアーネに尋ねていた。
「それは、お姉様に直接聞くべき事です。」
「まぁ……そうだな」
「なに?ヴィーヌス兄様、不安なの?」
「そう……だな。最近会う事も少ないし、避けられてるのかもしれないし。」
「お姉様は……そうね、今までもだけど、最近は特に心ここにあらずの状態が多いのよ。貴方と居るときはそんなことは無かったのだけど、ずっとどこか遠くを見つめているように見えて」
心配なの、と続けたユリアーネは、リーザの事を本当に気にかけているのは、彼女が目に見えて両親の愛情を一身に受けて、姉にそのベクトルが向かない事に申し訳なく思っているという負い目もあるが、単純にリーザを姉として慕っている部分が大きい。
ユリアーネも彼女なりに両親に促したりした事もあるようなのだが、一度出来てしまった壁を破る事は難しいのか団長の方はどうアプローチすればいいのかわからない状態で、夫人のほうは言葉を濁すばかりだったようだ。それにその事について何も出来ない自分自身にユリアーネは憤りを感じていると相談された事もある。
「とりあえず、お姉様をここに連れてくるところまでが私にできることですから、その後は貴方次第ですよ」
そう言ってユリアーネは応接室を出て行った。それからリーザが来るまでどう話を切り出そうか考えてぐるぐると悩んでいたのだが、その間に彼女は来てしまった。
久しぶりに会った彼女は、相変わらず愛らしく移って思わず頬が緩んでしまう。
「良かった、最近忙しそうにしていたから、もしかしたら会ってくれないかも知れないと思っていたんだ」
「……そんな事はないわよ。それよりもユリアーネは?」
「ああ、彼女なら少し外してもらっているだけだ。すぐに戻ってくるさ」
「そうなの。……それで、話があると聞いたのだけど」
リーザは居心地の悪さを感じているように視線を彷徨わせた。それに俺は痛む心を押し隠しつつ、尋ねた。
「いや……リーザに確認しなければならない事があってな」
「何を?」
「その……意中の相手がいるのか聞きたかったんだ」
気恥ずかしく感じて、思わず苦笑いをしてしまったのだが、リーザは気にせず答えてくれた。
「居ないと思うわ。私たちは姉妹だし、家の為に嫁ぐのも全て覚悟の上で、感情云々は関係ないとも思うけど……」
何故だか笑顔を貼付けて一般的で当たり障りの無いことを言われ、心が痛む。だがここで怯んでは駄目だ、やはりはっきりと直接想いを告げるべきなのだと意気込んだのだが。
「話はそれだけかしら?なら、私はこれで失礼させて貰うわ。ちょっと立て込んでるの」
勢いをくじかれるようにそう言われ、俺は言おうと思っていた言葉をなんとか飲み込んだ。
「あ、ああ。すなまい、忙しいところ」
「ええ。……上手く行くように祈っているわ」
「は?リーザ、それはどういう……」
何故そんなに他人事のような事を言うのか、と続けようとしたのだが、リーザはそのまま部屋を出て行ってしまった。追いかけられなかったのは、彼女が本当に煩わしそうに溜め息を吐いたからだ。
俺は、リーザにとって邪魔な存在でしかないのか。そう感じてしまって、部屋に戻ってきたユリアーネに、意気地なしと言われても何も反論が出来なかった。
もしかして、リーザは俺との婚約の話をどこかで聞き及んで、それが嫌で俺を遠ざけようとしているのか。
そんな疑問を自分の部屋に帰るまで抱いて居た俺は、その翌日のユリアーネからの早馬で知らされた情報に打ちのめされた。
今回のヴィーヌス視点が長くなったのは、リーザベルの周囲の人間の様子を解るように書こうという意図があったのですが、上手くかけているかは微妙ですね。
もう一話で終わる予定ですので、お付き合いください。