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欲しかったのは  作者: 稲穂
望んだのは
3/6

待って下さっていた方、お待たせしました。ヴィーヌス視点をお届けします。

もしかしなくても、本編より長くなります。すみません。

 


 「貴方を、愛しているわ」


 そう耳元で囁かれると、自分がどれだけこの目の前の娘を愛しいと思っているのか、その愛しさを抑える術を持たない事を思い知らされる。だから俺は、その白くて柔らかい肌に触れ、色づいている唇に触れ、愛の言葉を囁く。もう二度と、間違えないようにーーーー。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 そもそも俺が騎士になろうとしたのは、ハーロルト伯爵家、つまり俺の家の当代が五人の子宝に恵まれ、兄が二人、双子の妹と弟が1人づつという兄弟の丁度真ん中で生まれ育った俺に、妹が話しかけて始まったある兄弟内での会話がきっかけだった。

 あれは俺が10歳で、弟と妹も7歳という何ともまぁやんちゃ盛りで、上の兄は17歳で既に父について領地経営の手腕を発揮しており、14歳の下の兄は何かに捕われるのを厭い、海外に遊学をして偶々家に帰ってきていた頃だ。


 「ヴィーヌスお兄様、放蕩兄様がお土産にこのご本を私にくれたのよ!」


 「ちょっと妹!放蕩兄様ってなんだよ!俺は一応隣国の学校に通っている留学生なんだ!」


 「だって、お父様も上のお兄様も『放蕩馬鹿には困ったものだ』っていつも言っているもの。馬鹿兄様の方が良かった?」


 「……ちょっと会わないうちに妹が辛辣になってて、お兄ちゃんは悲しい」

 

 「ふうん?どんな話なんだ?」


 「ヴィー、そこはスルーしてくれるな……」


 「それがね、ある国の聡明なお姫様が悪名名高い隣国の王子からの求婚や、公爵家の子息からの執着でお姫様がさらわれたりするのだけど、お国のとある騎士様がその度にお姫様を救出して、その姿にお姫様が恋をして、身分違いの恋をするのだけど、最終的には騎士様と結ばれるお話よ!」


 「それはまた、結構な恋愛話だなぁ」


 「それでね?その騎士様は伯爵家の三男でね、跡取りの上のお兄様は優秀で、下のお兄様は将来兄の補佐をする為に見識を広げる旅にでてるのよ。うちの兄弟みたいだと思わない?」


 「放蕩馬鹿弟と跡取りの私、そこでヴィーヌスが騎士になればそっくりだね。うちのは放蕩馬鹿だけど」


 「兄さんまで、ひでぇ……」


 「だからね、ヴィーヌスお兄様。もしやりたい事がないのなら、この本の騎士様みたいに騎士になってよ!そしてお姫様と恋に落ちて!」


 この時のきらきらとした妹の表情は今でも忘れられない。第二の父だと言えるほど優秀な手腕を持つ跡取りの上の兄、放蕩していても隣国で着々と人脈を広げている下の兄。それなら俺は何をするべきなのだろうか、どうやってこの二人を支えていく?これから勉強をしたって、家を継ぐのはよほどの事がない限り上の兄だし、何かあっても下の兄が上手くやるだろう。そんな中俺が出来る事は限られていて、それが何かはまだ見つかっていない。そう考え悩んでいた俺にとって、この時の妹の言葉は夢見がちではあっても、まさに暗闇にさした一筋の光だったのだ。


 「ちょっと待って。今の王に姫はいないよ?王子が二人しか居ないんだよ?……このふわっとした夢見がちのが自分の双子の片割れだと思うと、ちょっと残念な気がするよね」


 「なによ!夢見がちな乙女で何が悪いの!貴方にとやかく言われるいわれはないわ!こんなツンデレなのが私の双子の片割れだというのも苦労するわよねぇ」


 「なっ!乙女って自分で言ってるし!」


 「うるさいわね!」


 口喧嘩を始めた双子達を視界の端に入れながら、このときの俺はくるくると思考を巡らせていた。基本的に男兄弟は剣術を嗜む程度には習っていた。だが、上の兄は身体を動かすことよりも執務などの頭を動かすことが得意で、下の兄は剣術は実はからっきしだった。そんな中、そこそこ身体を動かす事が好きな俺が本格的に剣術を習って騎士になれば、領地を守る力になれるかもしれない。国の騎士団に入ってそれなりに軍略を学べば、上の兄の力になる筈だ。

 そう思い至ると、悩んでいたのが嘘のように自分がこれからするべき事が見えてくる。本当に、ちょっと不本意ではあるが、妹には感謝だ。


 それからは必死だった。この国の騎士学校には16歳にならないと入れない為、それまで嗜む程度で教えてくれていた領地の騎士団の隊長に頼み込み、騎士団の稽古に参加させてもらった。


 「ここで稽古するんなら、いくら領主様の子息だからって容赦はしないぜ?」


 「ああ、一体お前はどれだけ泣き言をいうのか楽しみだぜ。」


 「大体、貴族の坊ちゃんが俺らについてこられるのか?」


 「きっと一週間もすればしっぽを巻いて逃げ出すだろうさ」


 これにはカチンときたが、その言葉は本当にそのまんまで、俺はこのちょっと荒くれ者の騎士達の中に放り込まれ、容赦なく扱かれた。始めのうちは剣術の稽古どころではなく、身体づくりから始まり、馴れない身体は急激な環境の変化に耐えられず、毎日吐き、食欲もわかないのに無理矢理食べさせられさらに吐き気が増すという悪循環が辛かった。ああ、今までで一番辛かった時期はこの時だと自信を持って言えるよ。

 それでも負けず嫌いだったのか、俺は泣き言も言わず耐えきった。もともと兄弟の中でも喧嘩を収めるような立ち位置で精神的に鍛えられていたのもあると思うが。端から見ていた妹からは「お兄様、もしかしてマゾなの?」と心配されたが、これは断固として否定させてもらう。俺は放り込まれてから、罵ってきたやつらの鼻を明かすことばかり考えてきたのだから。


 「……あっぱれだ、ヴィー坊ちゃん。甘く見ていたのはどうやら俺たちだったようだ」


 「俺たちの中で坊ちゃんに敵うのはもう隊長くらいしかいねぇ」


 そう隊長をはじめ隊員達にそう言われた時には既に15歳になっており、次の年には王都にある騎士学校へと通うことも決まっていた。


 「ヴィーヌスお兄様、王都で素敵なお姫様を見つけてきてね!」


 「まだそんな事言ってるのかよ、本当、こんな奴が双子の片割れなんて恥ずかしい。」


 「いいでしょ!女の子はいつでも物語のような恋を夢見るものなのよ!それに、ヴィーヌスお兄様はかっこいいし、きっとお姫様が見つかるわよ!」


 「素敵なお姫様が見つかるかどうかはわからないが、騎士になれるように努力して来るよ」


 妹が好きな物語のような出来事が実際に起こるとも思えないが、それでも騎士になる事はこのときの俺に取っては夢ではなく、確実に手を伸ばせる位置にある目標だった。


 「お兄様なら素敵な騎士様になれるわよ!」


 「まぁ、俺も頑張るから兄上も頑張ってきてくれよ」


 「ああ」


  そう妹と弟に送り出された俺は、王都の騎士学校へと旅立った。


 騎士学校は、貴族の次男や三男など、跡取りには馴れない子息達ももちろん、平民でも試験さえ通れば通える開かれた学校だ。全寮制の学校で、朝の6時から夜の8時まで、座学やら訓練やらで拘束されて厳しい規則が定められている。貴族の中には平民の学生を見下して馬鹿にする輩もいたが、学校の中では身分は関係ない。同じような訓練を受け、指導員からは同じような扱いをされるのだ。特例中の特例がない限り、外出の許可すら貰えないのであれば、こんな男達ばかりの学び舎で令嬢と出会うことはかなわない。この場所で学び始めて一年も経てば、妹の言うような姫と出会うことはすっかり頭から消え去っていた。

 そんな中で俺が打ち込んでいた騎士になる為の座学や訓練自体は、俺にとってはそこまで苦になるものではなかった。実家の騎士団のあの扱きが、ここにきて役に立ったらしいと感じるのにはそう時間はかからなかった。だから、同学年との訓練は、俺に取って退屈に感じるものが多かったのだ。皆、俺ほどの環境で剣術を習ってきた訳ではなかった様で、根を上げるやつ、毎日吐いているやつ、必死に食いついているやつ等、様々な人種が居た。

 必死になっているやつには、その時の感情に共感ができるし好感を持てたので、それとなく助言したり相談に乗ったりする、同級生の中でも兄貴分としての立場が定着していった。そんな中で同級生からは尊敬や羨望の視線を受ける一方で、俺のその態度が気に喰わない奴らも当然現れる。


 「おい、ハーロルトの三男」


 「……なんですか、レーオルク侯爵子息」


 「なんだ、確りと身分の差がわかっているじゃないか。ならば、何が言いたいかわかるよな?」


 「いいえ、さっぱり」


 「侯爵家の俺を差し置いて指導員の覚えめでたく優遇されるとは。我が家を侮辱しているととるぞ」


 その言葉を聞いて、内心うんざりするのは入学してから何度も経験してきた。指導員達の覚えめでたいとは、まぁ指導を直々にお願いをしているし、頼み事を良くされるために自然とそうなっていったのだ。成績もまぁ良いし、面倒見が良いと思われているためにこきを使われていると思っているのだが、そこから学ぶ事も多いので俺に取っては幸いなことではあった。


 「差し出がましいようだが、レーオルク侯爵子息。貴方はこの王立騎士学校の規則を読んでいるだろうか。いや、読んでいないのだろうな。一番上に書いてある規則だぞ?『一、校内での身分は統一のものとする』。この意味が、頭のいいレーオルク侯爵子息殿はわかる筈だが」


 「……っ!」


 「それとも、自身の力ではない親の権力をかざして偉くなったつもりの愚かな輩なのか?」


 本当、貴族というものは(全員とは言わないが)馬鹿が多いと思う。自分のその権力は、自分の収めている民の力があってこそのもの。それに、令息の持つ権力というのは無いに等しいのに、自分のものであると考えている者達も多い。


 「貴様……!」


 どうやら頭に血が上って、俺を殴ろうとしていたようだったのだが、これも規則違反になる。『一、私闘をゆるさず』。さて、どうやってこの馬鹿を黙らせようか。そう振り下ろされる拳を見ながら考えていると。


 「ああ、見てみろ。あそこでレーオルクとハーロルトが体術の自主練習を行っているようだ。フォルセ、参考のために見学をしてみよう」


 低く、それでも響いて来る声を聞いて、俺は聞こえて来る方に意識を向けた。殴り掛かろうとしてきていた男も同じようにそちらに視線を向けたのだが、こちらはさっと顔を真っ青にさせて、行き場のなくなった拳はそのまま中に止まった。


 「お、王太子殿下、フォルセ殿下……!」


 それからだらだらと汗を流し始めたレーオルク侯爵子息は、おろおろとする。


 「なんだ、やめてしまうのか?」


 「いえ、は、はい。これはちょっとした遊びだったもので。殿下達のお目汚しになりますし、もう終わらせる予定でしたので」


 「そうなのか、ハーロルト」


 「ええ、そのようですね」


 「ならば、ちょっと俺たちに付き合ってくれないか、ハーロルト。フォルセがこの学校に見学に来ていてな、数年後には俺と同じようにここで学ぶ事になるんだ。お前さえよければいろいろと教えてやって欲しい」


 「初めまして、フォルセ殿下。お会いできて光栄です。是非ともご一緒させて下さい」


 そう言って俺は後ろから睨みつけるような視線を感じながらヴァルトス王太子殿下、フォルセ殿下とその場を離れた。……全く、妬む前にやることがあるだろうに。

 ヴァルトス王太子殿下は、俺と同じ歳であり、男子王族教育の一環としてこの王立騎士学校で学んでいる。その弟のフォルセ殿下も同じように学ぶようになるのは事実で、先ほど王太子殿下が言っていたことは事実だろう。だが。


 「全く、ああいった輩がいるのは、国として恥ずべき事なのだろうな。ヴィーヌス、お前も上手く回避するものだと思っていたが、ああも煽って何をするつもりだったんだ」


 周囲には聞こえないような声で尋ねて来た王太子殿下は、眉間に皺を寄せている。俺と同じように、彼もああいった人種を嫌悪しているのが明らかで、稀にこういった場面に居合わせると不機嫌を隠さない。


 「いや、あそこは一度騎士学校の規則に乗っ取って一度痛い目にあってもらおうかと。そうでもしないと馬鹿はわからないだろうし」


 「なかなか言う事が辛辣だな」


 「こういった事には馴れてるんです。中途半端な回避をしていれば、何度も来て無駄な時間コストがかかるでしょうよ」


 「ま、そこは同意だが。」


 「今度は無駄に気をまわさないでいただけると幸いです、ヴァルトス殿下」


 「……お前には敬語を止めて欲しいと何度も言っているよな」


 「そうだったな、ヴァル」


 12歳の社交デビューからは何度か王都へと訪れており、そこそこの友好関係はあったが、それ以上に長い時間付き合い苦楽をともにする学校というものは、なるほど、深い信頼関係が生まれるらしい。それを実感したのは、学校に入って初めての訓練の場で彼と試合のペアになって、恐れながら意気投合して付き合うようになってからだ。それから1年も経てば、その信頼関係は唯一無二の親友を生み出した。


 「それにしてもヴァル。いくら何でも体術の練習はないだろ?ふきだしてしまうのを抑えるのが大変だったぞ」


 「いや、レーオルク侯爵家は権力には逆らえないんだよ。だから、王族である俺が直接是と言えばあの一家の中でも是となる。平民の上に立つ者としてはどうかと思うが、王族として扱いやすい貴族なのは確かだな」


 「まぁ、将来王になるのなら、ああいったのは手のひらで転がしておけば役に立つ事もあるだろうが」


 「だろ?お前ならそう言うと思ってたよ、ヴィーヌス」

 

 お互いに笑い合っていると、フォルセ殿下がためらいがちに声をかけてきた。


 「兄上、ハーロルト殿と仲がよろしいんですね」


 「ああ。ヴィーヌスとは入学してから気があってよく話す。同い年だが他の貴族連中のように媚びてこない貴重な人材だ。兄貴分みたいで変に繕う必要もないし、何より優秀だぞ」


 「なるほど、もしかして将来的に近衛騎士にとお考えなのですか?」


 「俺としてはそうして引き抜きたいと思ってるんだがな」


 そう言う殿下達の会話に、俺は笑顔を貼付けた。


 「俺の実力を認めていただけているのは幸いだが、本当にそう思っているのであれば、手出しは無用だ」


 引き抜きなどされれば、殿下の力でその立場に立つ事になる。だが、それは自分の力ではない。そんな風に周囲に認められるのではなく、自分の力でのし上がっていき、目の前の高貴な人の役に立ちたいというのが、この時の俺の思いだった。

 

 「と、言う風に、自分の力でのし上がりたい奴なんだ。そんな事をしてはこいつは俺の前から居なくなるだろうさ。俺はそこが気に入っているし、下手な事をして嫌われたくはないからな。」


 「なるほど、ヴィーヌス殿は今まで兄上の周囲に居た人間とは違う人種なのですね。」


 「ああ。面白いだろう?フォルセ、ヴィーヌスは俺が友人と認めた者だ。これから顔を会わせる機会も増えるだろう。」


 「……ヴァル、俺はまだフォルセ殿下が過ごしている王宮に入れるような身分ではないのだが」


 「いや、まぁな。だが、これからそうなる可能性もあるだろう」


 少し含んだ笑みを浮かべてそう言った王太子殿下の表情の意味を知る事になるのは、その一週間後の事だった。


 その日は急に訓練の予定が変わって、1対1の学生同士で試合をするトーナメントが行われる事になった。学年を問わず、実力があれば優勝も狙える。優勝者には3日の外出許可がいただけるらしい(基本学校から出る事は禁止されている)。特に外出許可に興味はなかったのだが、実力が認められる良い機会が舞い込んできた事で俺はいつも以上に真剣に試合に取り組んだ。

 午後になって順調に勝ち進み、試合も残りわずかとなったとき、教官達の見物席に現れた人の姿を認めると、俺は一週間前の王太子殿下の言葉がよみがえってきた。その人物と目が合ったかと思うと、穴が空く程見つめられる。その視線から何かを見透かされている様で、俺は不自然にならない程度に視線を逸らし、王太子殿下の姿を探した。


 「ヴァル……お前知っていたのか」


 「ああ、もしかしてもうわかったのか」


 「わからない訳がないだろう、王立騎士団の団長が直々に試合を見に来ているんだぞ?これは確実に人材の見繕いをしに来たことはあの顔を知っていれば誰でも察せる」


 「この間許可を取りにきていたクレメリー団長と話込んでな。大丈夫だ、俺はお前の事を何も話していないぞ?」


 「その割には、ずっと見られている気がするんだが」


 「……まぁ、それは俺が言わなくても周囲がだまってないだろうからな」


 「は?」


 「それより良いのか、お前次試合だろ?剣術と腕力で有名なあのデブラント伯爵の子息が相手なんだ、それなりに準備しないと、お前でもまずいんじゃないか?」


 「……後でまた話そうか、ヴァルトス」


 「だから、俺はお前の事は何も話してないって。」


 その言葉に俺は笑顔で返した。それを見た王太子殿下は困ったような顔から、真剣なものに変わった。


 「勝てよ」


 「勿論」


 背を向けて俺は控え室へと向かった。王太子殿下が騎士団長に俺の事は何も言っていない、というのは俺もわかっている。ただ、この試合が全て終わったとき、俺と王太子殿下の関係が変化するような予感がしたのだ。そして、それを彼も望んでいたし、俺も望んでいた。

 ならば、何が何でも優勝するしかないだろう。



 そして一層真剣に取り組んだその後の試合は危なげなく勝ち進み、俺は3日間の外出許可を勝ち取ったのだ。



 「ヴィーヌス君、君には学校を卒業後私の下で働いてもらいたい。」


 決勝後に厳格と有名なクレメリー騎士団長から呼ばれ、そう賜わった時の嬉しさは、例えようもないものだった。自分が認められたという実感とともに、親友だと思っている王太子殿下の立場に近づける機会になったからだ。


 「私のような者でお役に立てるのならば、光栄なことであります」


 「ああ、君なら問題ないだろう。あと一つ頼みがあるのだが」


 「何でしょうか?」


 「今回の外出許可の1日を、私にくれないだろうか」


 「団長に、でありますか?」


 困惑した表情を見せると、クレメリー団長は困ったように頬をかいた。


 「ああ、正確には私ではなく私の娘達に、時間をくれないだろうか」


 「お嬢様達に……」


 確かクレメリー家には娘が二人いるというのは有名で、どちらもクレメリー団長の奥様に似て美しいとの噂がたっていた。


 「私のようなものが、よろしいのですか?」


 「君は、信用に足る人物だと思っているよ。それに娘達はまだ社交デビュー前でね、普段あまり家から出さないから他に交流が少ないのだ。だから、君に遊んでもらいたいと思ってね。君は兄弟が居るらしいし、学校でも兄貴分のような存在であると聞いているので適任だと思う」


 信用に足る人物だと言われて、内心ひやっとする。釘をさされた気がしたのだ。手を出したら容赦しないぞ、と。

 それにしても騎士団長は、厳格だと有名だったのではないのか?目の前の男はそれまでの厳しい表情を変え、困ったように眉を寄せている。厳格なのは表向きのもので、家族には実は甘いのかもしれない。そう感じさせる発言だった。


 「わかりました。お嬢様方のお相手、是非にさせていただきたいと思います」


 双子の妹と弟も居る事だし、年下の面倒なら馴れている。俺は団長の様子を微笑ましく思いながら、その申し出を快く受け入れたのだった。

 それから数日後、外出許可を貰った俺はクレメリー団長に王宮へと呼ばれ、彼の仕事場である詰め所へと向かうと俺と同じように王宮に用事で訪れていた王太子殿下とはち合わせた。


 「ヴィーヌス、今日が例の外出の日か」


 「ああ、これからクレメリー団長のところに行く」


 「あの人はお前の事相当気に入ったみたいだからなぁ。あのトーナメントの後、詰め寄られたぞ?『どうして彼の存在をもっと早く教えてくれなかったのか』と。ちなみに、王宮に来ている年頃の公爵やら伯爵やらの令嬢たちにも、あの優勝した子息を紹介してくれともな」


 その言葉に苦笑いを浮かべた。王太子殿下も苦笑いをしているから、令嬢達は相当しつこかったのだろう。彼と婚約するには、王家からの許しがなければできないし、今俺は彼と友人という立場だ。彼との繋がりが出来なかった時の保険として将来繋がりがあるだろう人物と知り合い、あわよくば婚約をしたいという貴族達の思考も手に取るようにわかる。


 「……令嬢達はともかくとして。まさか、あの時試合で剣の腕を見て、少し会話した程度なのにか。」


 「ああ、彼はいろんな人間を見てきてるからな。人間性も剣の腕を見ただけで何となくわかるらしいぞ。それで、団長は何故お前を呼んだんだ?」


 「今日は彼の家に招かれているんだ。お嬢様方のお相手をして欲しいと仰っていた」


 「……まさか、団長がそう言っていたのか?」


 「何を驚いているんだ?」


 「いや、別に。……そうか、そういう事か」


 「勝手に何を納得しているんだよ?」


 「いやいや。それよりもヴィーヌス。お前ももうそろそろ婚約相手とか居てもおかしくない歳だろ?誰かいい人は居ないのか?」


 「……うーん、そうだな。それなりに社交界で知り合った人は居るけど、あんまり興味がないな。騎士になるのに精一杯だったし」


 「確かに、お前女の影が見当たらないよな。ちなみに、どんなのが好みだ?」


 「好み、ねぇ……。べったりと媚びられるのは嫌だな。そうだな、聡明で淑やかな女性、かな」


 妹の影響を受けているのだろうな、と内心苦笑しながらそう告げる。


 「聡明で淑やかねぇ……まるでどこかのお姫様だな」


 王太子殿下はにやにやしている。


 「!いや、一般的にそう言う女性に憧れるだろ?」


 「そうだな、どこかの姫君のような女性が理想の男は多いよな。お前みたいに」

 

 正直に答えた俺が馬鹿だった。目の前に居る親友は、こういう事で俺をおちょくるのが楽しいらしく、たびたびこのような会話になり、俺はいつも負けたような気分になる。

 

 「そういうちょっと抜けているところが、団長に認められた要因の一つなんだろうな」


 「は……?」


 含んだような笑顔を見せた後、王太子殿下は手をヒラヒラとさせて行ってしまった。


 「……まぁいいか、とりあえず詰め所へ急ごう」

 

 あの王太子殿下が肝心な事を言わずにあのような態度を取るのは人の反応を見て楽しんでいるからなのはわかっているので、半ば呆れながら詰め所へと向かった。

 

 それからクレメリー団長と合流し、促されて馬車に乗り、クレメリー家へと向かう。団長と二人きりの馬車内はどこか緊張してしまい、身体がこわばっているのがわかる。

 

 「ヴィーヌス君」


 「何でしょうか?」


 「今日会ってみてからで良い。君が娘達の面倒を見ても良いというのなら、これから家に通って欲しいんだ」


 「通い、ですか」


 「ああ。……恥ずかしながら仕事が忙しくて私はあまり娘達とかかわる事が出来ないのだ。だから、君が様子を見て、それを私に教えてくれると嬉しい」


 そう言った団長の言葉は、どこか寂しげだった。


 「特に……。ああ、もうすぐ着くな」


 何かを言おうとした団長の言葉は外の景色に遮られ、俺の耳に届く事はなかった。



 王都の貴族街にあるその邸宅はさすが建国時から王族に仕えているだけあって、他の邸宅よりも大きく小さな城のようで、庭も非常に広かった。


 「ここだ、娘達は今は中庭でくつろいでいる頃だから、そちらへ向かおう」


 「はい」


 団長の後についてクレメリー邸内の様子を失礼にならないように観察する。外観は古くからある伝統的なものだったが、中は改装されているのか手入れが行き届いているのか、そのどちらもなのだろうことが伺える。すれ違う使用人達もハーロルトの家のような人ではなく洗練されている印象を受けるし、この家の取り仕切りを任されているだろう団長の奥様も他の貴族夫人に多いように自分を着飾ることに力とお金を注いでいるだけのような人物ではない事は、すぐに伺えた。

 そんな事を考えていると、落ち着いた色とデザインのドレスを身につけた、栗色の髪の美しい女性が広間の扉から現れる。


 「あら、お帰りなさい旦那様。今日はずいぶんお早いお帰りですね。」


 「ただいま、と言いたいところなのだがな、またしばらくしたら王宮へ戻るんだ。我が君に呼ばれていてね。今帰ってきたのはこの子をリーザベルとユリアーネに引き合わせたかったからだよ。こちらはハーロルト伯爵家のヴィーヌス君だ。これから家につれてくる事もあると思うから、よろしく頼む」


 リーザベルとユリアーネというのが、クレメリー団長の娘達の名前なのだろう。俺は頭の片隅にその名前を書き留めながら、目の前の女性に挨拶をした。


 「御機嫌よう、クレメリー夫人。ご紹介に預かりました、ヴィーヌス=ハーロルトと申します。」


 「まぁ、お客様でしたのね。遅ればせながら、妻のヘルミーナと申します。ヴィーヌス様、これから娘を是非ともよろしくお願いいたしますわ」


 「こちらこそ、よろしくお願いいたします。」

 

 「さて、ヴィーヌス君を娘達に紹介して来るから、ヘルミーナ、失礼するよ」


 「ええ、旦那様。後ほどまたお会いしましょう」


 「さあ、ヴィーヌス君。こっちだ」


 夫人の言葉にどこか違和を感じたが、それが何かわからなかった俺は、笑顔のまま夫人と分かれた。団長に促されて向かった先には金木犀の香りが漂う、美しい中庭だ。中庭と言っても、ここで大規模なパーティーを開いても多くの人が入れるような大きさで、ここでくつろいでいるらしいクレメリー団長のお嬢様方の姿はすぐには見当たらない。団長は少し思案顔になったが、すぐに中庭の奥の方へと足を進め、俺はその後を着いていった。すると、お嬢様方の姿を見つけたらしい団長は、優しげな声でその名前を呼ぶ。


 「ユリアーネ」


 「おとうさま、おかえりなさい!おしごとはもうおわったの?」


 「いいや、まだだよ。ああ、リーザベル。お前もいたのか」


 「……お帰りなさいませ、お父様」


 ユリアーネという下のお嬢様に団長は笑みを向けて居たのだが、少し死角になっていた所に居たらしい上のお嬢様には、声が少し固くなった。どうしたのだろう、と疑問に思いながら俺は団長の隣に立ちお嬢様方の姿を拝見する。

 団長に駆け寄ってきていた下のお嬢様のユリアーネ様は、まるで夫人の生き写しのように美しい栗色の髪とくりくりとした翡翠の瞳を持っていた。なるほど、愛妻家と有名な団長もこれは溺愛するに違いない。ユリアーネ様は俺の姿を視界に入れると、少し警戒したように不安げな視線を団長に向けている。

 それから、死角から姿を現した上のお嬢様の方に視線を向けると、俺は思わず息を呑んでしまった。


 父である団長から受け継いだのであろう波打つような銀色の髪。

 夫人とは異なるがまるで精巧な人形がそこにあるような整っている顔立ち。

 そして、どこか達観しているような印象を受ける、夫人から受け継いだのだろう翡翠色の瞳。


 その姿はまさに美術館で彫刻として飾ってあってもおかしくないような、手の届かない高貴な姫君のように俺の目には映った。

 彼女は俺の姿を見て一瞬動揺したように瞳が揺れたが、次の瞬間には笑みを浮かべて挨拶をしてくる。歳は恐らく10歳前後だろうが、洗練された所作一つ一つでこの娘が聡明であることはすぐに伺えた。

 

 妹の語っていた物語が頭の中を過る。ある国の聡明な姫と、その騎士の物語。それとともに妹のきらきらとした表情と、俺の人生を決定づけたような言葉が思い起こされた。


 『この本の騎士様みたいに騎士になってよ!そしてお姫様と恋に落ちて!』


 ああ。俺は出会ったのだ。

 物語のようにまだ正式に騎士ではない。目の前の娘は国の姫でもない。それでも、姿を認めた一瞬で自分の運命と出会ったように、それまで俺が感じていた世界が急に色づいたように変わった気がした。

 他の誰が何を言おうと関係ない。このまだ幼さを残しながらも大人に見える娘は、俺の姫だ。

 まるで妹の言葉が予言だったかのように、俺は恋に落ちたのだ。



 「初めまして、リーザベル様、ユリアーネ様。私の事は気軽にヴィーヌスと呼んでください。堅苦しいのは苦手ですので」


 団長から紹介を促され、笑みを浮かべてそう告げると、俺の姫は不思議そうに俺の顔を見上げていた。

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