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欲しかったのは  作者: 稲穂
欲しかったのは
1/6

前編

 書きたくなった話を書きなぐった感じなので、あまり設定はしっかりしてませんが、それでも良いという方、お付き合いください。

「ええと、巾着は持ったでしょ、火打石も入ってる、……懐刀も持った。……よし!そろそろ行きましょうか」


 王都の貴族街にある大きな屋敷の二階の窓から昨晩からせくせくとシーツを結びつけて作成した紐をたらし、千切れないか確認した後にそれを伝って裏庭へと着地した。難なく降りることが出来る程度の運動神経は培ったつもりだったので、恐怖は感じない。それから誰の目もない事をしっかり確認しつつそっと屋敷を抜け出した。

 まだ朝日がうっすらと地平線から顔を出す前の夜明け前、私、リーザベル=クレメリーは人生初の冒険への一歩を踏み出したのだ。






ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 と、そんな一歩を踏み出してから既に半年が経った。王都から馬車で一週間ほど離れた、それでも流通の拠点であるこのシャイデンの街は他国からの商人も多く、大きな河があって輸出入の拠点になっている為、旅人が多いのだ。だから必然的に旅館が多くなり、それは大貴族様から一般的な庶民まで、様々な客層をターゲットとしたものがあり、私はその中でも庶民向けの旅館に滞在していた。大衆向けなのにどこか品があって、出される食事も文句なしに美味しいため、大変気に入っている。


 「リーザ!悪いけど今夜の食事のお使い頼んでも良いかい?」


 「お易い御用ですよ、ゾルデさん。ほぼ一文無しの私をここに居候させていただいてるんですから!もっといろいろさせてさせて下さい」


 「もう充分だわ。客室の掃除も洗濯も、料理の手伝いもしてくれてるんだからねぇ」


 そう言ってこの旅館の女将ゾルデさんは私に買い物リストを手渡してくれた。ふむ……レシピを見る限りでは今日は生クリームで牛肉を煮たザーネグラーシュという料理だろう。野菜やお肉がゴロゴロと入っていて、お肉も柔らかくて、食欲がそそる一品だ。うーん、早く食べたい!


 「それじゃ、ゾルデさん、行ってきますね!」


 「はーい!頼んだよ!」


 ゾルデさんの声を背中に受けながら、私はシャイデンの街に繰り出した。

 シャイデンの市場は、旅館からそう遠くない場所に位置しているので、散歩がてら覗く機会が多い。だいたいの物がどの辺りにあるのかは把握しているため、買い物にそう時間はかからなかった。最後に野菜を籠に入れて対価を払うと、私は少し寄り道をしようと遠回りになる道へと足を向ける事にした。


 パン屋や肉屋、八百屋などが並ぶ道にはこの時間帯庶民の奥様方が多く、知り合いにバッタリあって世間話で時間を過ごす事がしばしばある。そんな彼女らの情報網は以外と侮れないもので、例えば最近王都であの令嬢が駆け落ちをしたというホットな話題ももちろん、遠く離れた隣国のフレイ公国の流行ものや貴族がこう囁いた、といった言動までも話題に挙る。なんでそんな事解るんだろう、と思うところもあるが、情報収集がてら、今日も私もお仲間に入れてもらおうと思ったのだ。


 「あらぁ、リーザちゃん」


 「皆様お揃いですね。私も仲間に入っていいですか?」


 「もちろん歓迎するよ」


 「そんでさぁ、あの家の自衛の騎士さんと駆け落ちした令嬢、御家から絶縁されて完全に頼れなくなったそうなのよぉ」


 「駆け落ちするくらいの覚悟があるんだから、平民として暮らすことにも当然覚悟していただろうね。まぁ、御家で蝶よ花よと育てられた令嬢に耐えきれるかはわからないけどね」


 どうやら今回は例の駆け落ち令嬢の話題らしい。あの令嬢、とうとう家から見放されたのね。


「その覚悟がどの程度であったかわかりませんけど、駆け落ちするくらい好きなら、そのお相手の騎士とどうにか乗り越えるんじゃないですかね、いわゆる”愛のちから”で」


 私がそう言うと奥様方達は笑った。ちょっとした皮肉を言ったのが解ったのだろう。実は私、その駆け落ち令嬢と顔見知りだったのだ。両親に甘やかされて育って、周囲は自分の思い通りに動くと思っている節がある、性格的にも少し難のある娘だった。親から渡された政略的な婚約の話に反発して、思い通りにいかないことから近くに置いていた騎士と駆け落ちしたという。大方いつかは両親も折れてくれるだろうと鷹を括っていたのかもしれないが、貴族の血を残す目的の政略結婚という大きな役割をないがしろにして、社会的に許される筈がない。ちょっと痛い目を見ないと理解できないんだろうなぁと思っていたが、まさかここまでになるとは、予想もしていなかった。




「騎士といえば、あの代々騎士団の重役を務めてるクレメリー侯爵家があるじゃない。そこの令嬢と次期騎士団長と噂のハーロルト伯爵家の三男の婚約が決まったそうよ」


 奥様方の中の一人が告げたその情報に、私はびくりと体を震わせた。


「なんでも、ハーロルトの三男は昔から現騎士団長の当主のお気に入りだったそうで、婿養子に入るとか。きっと腕っ節も強くて、見目麗しいんだろうねぇ」


「あらぁ?奥様、浮気ぃ?」


「騎士様ってやっぱり女の憧れの対象でしょう。これはこれ、それはそれよ」


「旦那さん、可哀想ぉ」


 盛り上がっている中私は何とも言えず、ただ誤摩化すように笑顔を貼付ける。

 それからも様々な話題に花を咲かせていると、そろそろお開きの頃合いになった頃、近くを少年と青年との間くらいの男の子達が近くを通った。その中の一人が近くで足を止め、こちらに声をかける。


「リーザ!」


「あらヘルム、今帰り?」


「そうそう!今日もだいぶ疲れたよ。教官の訓練がもう鬼畜でさぁ」


「騎士になるなら、それくらいは普通よ」


「うわ、リーザも僕をそうやっていじめるの?大体僕は騎士になるより、母さんの後を継ぐつもりだから」


「それでも、妥協してしまうのはだめよ。お母さんを守る為の手段になるんだから」


 このヘルムは、ゾルデさんの1人息子で、私の二つ年下の少年だ。ゾルデさんの旦那さんは出稼ぎ先で不幸にあったそうで、彼女とヘルムの二人暮らしであったため、私がこの街に来た頃は旅館を彼も手伝ってたのだが、最近は私もいるので、ヘルムは集中して騎士の訓練場に通っている。


「僕はリーザも守るよ」


「はいはい、それならもっと頑張らなきゃ駄目ね」


「……意地悪だ」


 そんな会話を繰り広げる私たちを見て、奥様方は豪快に笑った。


「本当に仲の良い姉弟みたいよねぇ」


「リーザが最近この街に来たばかりなんて嘘みたいだわ」


「私もすぐにこんなに馴染めるなんて思っていませんでしたよ」


 そう言って私も笑うと、ヘルムに向き直った。


「そろそろ夕飯の支度をし始めなきゃいけないわよね。私も一緒に帰るわ。それでは皆様、お先に失礼しますね」


「はいよ」


「また明日ねぇ」


 背中に奥様方の声を受けながら、私はヘルムを連れ立ってその場を離れた。


「リーザ、何かあったの?」


「え?どうして?」


「だって、何だか少し元気がないようにみえるからさ」


 このまだ幼さが残る少年は関わってまだ日が浅いが、たまにこちらの心を見透かすような言葉をかけてくる。 ……やっぱり、話題にでるだけでも動揺してしまうのね。


「なんでもないわ。今日はゾルデさんが作るザーネグラーシュよ!楽しみでしかたないわね!」 


「……うん、そうだね」


 私はまた誤摩化すように笑顔を貼付けて、ヘルムと共に帰路についた。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 このグランバニア王国は隣国々と比べて力のある国で、農作物の生産ももちろんのこと、軍の力も大きい。その軍と聞いてこの国の誰もが思い浮かべるのは、創国時代から王家に使えており、代々騎士団に従じているクレメリー侯爵家である。そう、私の出身だ。


 現在騎士団の団長を務めているクレメリー家の主人は私の父であり、母も貴族でありながら騎士団の仕事に理解のある人である。私はそんなクレメリー家の長女として生を受けた。

 生まれたときから2年程は両親に可愛がられて育てられていたとおぼろげには覚えている。父は表向きには厳格であるけれど、家族に対しては甘い人間であったし、母はそんな父に愛されていたので、二人の初めての子供は可愛がらない筈はなかったのだと思う。


 そんな環境が変わったのは、妹のユリアーネが生まれた時からだった。彼女が生まれる時、母は体に負担がかかり、生死を彷徨ったのだ。私はそのときのこともおぼろげにしか覚えていないが、意識がない母の隣で泣く事しか出来なかった。


 やがて生まれた妹のユリアーネは、まさに社交界でも美姫と例えられていた母の生き写しのようで、周囲が息をのむほど美しい女の子だった。だけど産まれるのに苦労した為か身体が弱く、心配されていたのを覚えている。母はしばらくして体調が安定したが、愛するものを失う恐怖を味わった父はそれから母への寵愛ぶりが凄まじく、当然生き写しのような身体の弱い妹への愛も、溺愛という言葉がまさにあてはまるものになった。


「リーザ、ユリアーネが熱を出してお母様が看病しているから邪魔をしないようにしなさい」


「お姉さんになったんだ。あまりお母様の手を患わせないようにしなさい」


「はい、お父様」


 私にはユリアーネやお母様に事あるごとにそう告げ、お父様は彼女たちのところに寄っていく。その背中を見つめるのが私の常になっていった。

 

 それに、妹が産まれてから、母の近くに行く事が出来なくなった。始めこそ隣で早く元気になってまた微笑んで欲しくて泣いていたが、泣く事ですべての事が解決するわけではないのだと、そこで身を以て学んだからだ。

 それに、何も出来ない自分が情けなくて自分の足で立てるようになろうと決意したきっかけがそれだったため、淑女になる為の知識を付ける為に暇さえあれば本を読み、父のような騎士になるのには及ばなくても、たしなむ程度に身体を鍛え始めた。そうして日々明け暮れて、10歳になって周囲の使用人達には子供らしくない子供というレッテルが貼られるほどに感情を過度に表に出さなくなり、母との間に見えない壁が存在していたのに気がついたのは、父と母が談話室で会話をしているのを偶然聞いた時だった。


 「リーザベルはユリアーネと違って愛想が無いわ。昔はあんなに笑っていたのに」


 「ユリアーネは身体は弱いが、よく笑うしリーザベルより可愛気があるのは確かだな」


 「最近は私、リーザと話してもいないのよ。何だか、私の娘じゃないみたいに感じてしまって」


 「おいおい、リーザは間違いなく俺とお前の子だぞ」



 その会話は、私に取っては衝撃を受けざるを得ないものだった。

 私にとっては母に心配をかけないように、負担をかけないようにという行動だった。だが、子供らしくない私に、母の愛情はやがて身体の弱かった妹の方へ向かうのは今考えると当たり前なような気がする。

 父と母、そして妹の間にはそれこそ誰もが見て取れる家族愛というものが見えるのだが、一方で私はその空間に居るだけで、一人ぽつんと取り残されたような気持ちに陥った。愛されていない訳ではないと思う。けれど、私と妹が危機に陥っているとして、どちらか一方しか助けられないような状況になれば、両親は迷わず妹をとるだろう。

 この事は私にとって、自分と両親の間に深い溝があり、いくら自分が努力をしても自分の手が両親には届かない事を突きつけられた出来事だった。

 

 だが、妹との関係はそれとは違った。血のつながった姉妹であるし、妹のことは目に入れても痛くない程には可愛いと思っている。請われれば勉強を教えたり、遊びを教えたり、ユリアーネが寝込んだときには側で看病だってしたのだ。そんな私たちの関係は仲睦まじい姉妹であることは周囲にも知れ渡っている。


 そんな中、私たち姉妹の兄とも言える存在ができたのは、私が11歳の頃。この国の騎士団は16歳から入学できるのだが、その学生の中で騎士団長である父の目に止まり、家につれて来られるような少年がいたのだ。名前はヴィーヌス=ハーロルト。私の6つ年上の青年だった。

 外見は幼さが残っていたが赤みがかった茶色の髪を持ち、鼻筋も通っていて人当たりの良い容姿を持っていた。

 

「初めまして、リーザベル様、ユリアーネ様。私の事は気軽にヴィーヌスと呼んでください。堅苦しいのは苦手ですので」


 そう言って笑った彼に、はじめは世の中には不思議な人がいるのだなと思った。それまでの私の周囲には畏まって話を始める使用人に、貴族の子息や令嬢達しか居なかった為だ。

 始めは警戒していた様子のユリアーネも、何度か彼が家に訪れるとまるで本当の兄のように甘えた。彼はその容姿の様に人当たりが良く、面倒見の良い人だったから。

 私ももちろん彼に好感を持った。それまで両親に甘える事ができなくなった分、彼にはそれが許されるような気がしていたのだ。だから私は妹の目がない時にはそれまで両親に見せた事がないような無邪気な感情を彼の前では見せる事ができた。嬉しい時には笑ったり、驚いたときには目を丸くしたり、悲しいときには彼の胸を借りて泣いた事だってあった。


「ヴィーヌスはお父様の後を継ぐの?」


「そうだなぁ、剣術は好きだから続けてるけど、他にやりたい事が見つかれば、そっちをやると思う」


「え!じゃあ、もしかして家には遊びに来なくなってしまう?」


「リーザはまだまだ子供だな。ほら、そんなに泣いていると大きな瞳が溶けてしまう」


「だって、ヴィーヌスが居なくなってしまったら、私寂しいんだもの!」


「……リーザにそんな可愛い事言われたら、かなわないなぁ」


 そう言って抱きしめて甘やかしてくれるヴィーヌスに、両親にも抱いた事が無い特別な感情をもつにはそう難しい事はなかった。


 ヴィーヌスと出会って何年も経てば、私はその感情が恋愛感情なのだと気がつくようになる。私は彼の隣に居られるように、勉強にも、剣術や乗馬などの稽古も一層力をいれた。

 彼は相変わらず人が良くて、面倒見がよくて。その人柄からか彼が20歳になる頃には王太子の側近になり、頻繁に家に訪れていた回数も忙しいのか減っていった。だから、私が身体の弱くなったお母様の代わりにお父様の連れとして社交デビューをしてからは、地道に人脈をつくり、様々な方面から見る彼の噂を追いかけた。


 「御機嫌よう、クレメリー嬢。今日の夜会は楽しんでいただけているかい?」


 「御機嫌よう、フォルセ殿下。本日はこのようなすばらしい会にお招きいただきまして、大変感謝しております。とても楽しい時間を過ごしていますわ」


 「それは良かった。クレメリー嬢は今日も周囲の令息達の目を惹きつけてやまないな。」


 「あら、お上手ですね。聡明な頭脳とこの場の令嬢の視線を独り占めしている美貌をお持ちの殿下には誰も敵いませんわ」


 「私はお世辞でも嘘は言わない主義なんだけどなぁ」


 「ふふ、ありがとうございます。そう言えば殿下、ヴァルトス王太子殿下とご一緒に最近また剣術の稽古を増やしているとお聞きいたしました」


 「ああ、私は剣術よりも執務の方が性に合っているけれど、教えてくれているヴィーヌス=ハーロルト殿が面白くてね、兄上と三人で時間が空いた時には息抜きと称して稽古を付けてもらっているんだ」


 「なるほど、彼は親しみやすいでしょうね」


 「クレメリー嬢は彼をご存知で?」


 「お父様につれられて我が家に訪ねていらしたので」


 「確かに、彼は次の騎士団長候補に挙っていますからね」


 「ええ。お父様も見込んでいるのだと思いますわ」



 その後殿下からいろんな話を聞いたけれど、彼は私と妹のように、王太子にも兄の様に慕われているそうだ。

 それは寂しくもあったけど、それでも彼がたまに家に来てくれた時には生き生きとした表情をしていたから、それだけで彼のいる場所が彼にとって充実した時間を与えてくれているものなのだと解る。彼が笑顔で、それを隣で見られるだけで心が満たされていた。


 だが、そんな日々はある日を以て一変した。

 その日は久しぶりにヴィーヌスが我が家を訪れる日だった。私は久しぶりに彼に会えるということで、心は浮き足立っていて、前日からどのドレスを着ようか、どんな髪型にしようかうきうきしながら用意していた。

彼の前ではいつだって綺麗で居たくて、彼が到着したという知らせが届いてもあーだこーだと髪型や化粧を直していて、彼が居るという庭に着いたのは知らせが来てからしばらく経ったころだったのだ。


 笑い声が聞こえてきて、そちらの方へ彼の姿を探すと、私は駈けそうになっていた足を思わず止めてしまう。そこに居たのは彼と、ユリアーネ。相変わらず母に似て可愛らしい妹は頬を染めて笑顔を見せながら彼を見つめている。ヴィーヌスはそんな彼女の頭に手を乗せて、私が見た事もないような笑顔で優しく撫でていた。


 「これはまだ秘密だよ」


 「ええ!でも、とても素敵だわ!」


 衝撃だった。それはまるで恋人同士の逢瀬のようで。


 それから私に気がついた二人は一瞬ばつの悪そうな顔をしてから何でもないように私を近くへと招いたが、私の内心がぐるぐると不安が巡った。ヴィーヌスはすぐに表情に出なくなったが、ユリアーネはずっとそわそわしたような状態でいたからだ。

 

 ヴィーヌスは、ユリアーネが好き?ユリアーネは、ヴィーヌスを好き?


 結局折角の彼の訪れの日には、私は少し体調が優れないといって部屋に籠った。ヴィーヌスもユリアーネを心配して部屋まで来たが、風邪で遷すと悪いといって突っぱねた。


 不安でいっぱいの心を落ち着かせようと思考を巡らせる。ヴィーヌスを特別だと思っていた私は彼しか目に入って居なかったし、よくよく考えれば彼が訪れる時は三人一緒で、ユリアーネの体調が優れないときは私と彼の二人になることはあっても、妹と彼が二人きりになることはそうなかった筈だ。

 もしかして、私は彼らの逢瀬の邪魔になっていたのだろうか。だって、あんなはにかむような、それでも幸せそうなヴィーヌスの顔は初めて目にしたのだ。ユリアーネの様子だって、恋する可憐な少女のようだった。


 夜会では、デビューをしてからユリアーネの体調が良い時には、パートナーとしてヴィーヌスがエスコートする様になった。私はお父様に身体の弱くなったお母様の代わりに付き、お父様がまつりごとの話を要人とする時にはすっと離れて二人の姿を探せば、まるで絵に描いたようにお似合いの姿が目に入る。その度に心にひびが入っていくように痛んだ。


 「リーザベル嬢、私と踊っていただけませんか」


 「……ええ、喜んで」


 そんな痛みを忘れようと令息達のダンスのお誘いにのる私は、上手く笑えていたのかすら解らない。

 ただ、友人や令息達と談笑をしていて、時々視線が合ったときには、ヴィーヌスの顔が妹に向けるような幸せそうな笑顔ではなく、どこか視線で腹の内を探るようなものであることに気がついたときは、私の心は完全に打ちのめされていた。


 それから私はヴィーヌスの我が家への訪れがあっても一歩引いてヴィーヌスとユリアーネの様子を見るようになった。最初は私の態度に不思議がっていた二人だが、徐々に二人で話に花を咲かせるようになる。三人で居ても一人残されたような感覚に、私は既視感を覚えた。

 ユリアーネが体調を崩した時には、私が彼と話していても、すぐにヴィーヌスはユリアーネのもとに行き、そこから離れない。その慈しむような様子を見て、私はいつも苦しくなるのだ。


 ああ、またか。あなたも、きっとユリアーネを選ぶのね。


「リーザ。最近どうしたんだ?何か悩み事があるのか?」


 再び久しぶりに我が家に訪れたヴィーヌスにそう尋ねられて、私は固まったが瞬時に笑顔を貼付けて、平然を装う。


「別に、何もないわ!あるとすれば、私の愛馬のリリィが遠乗りする時にもっと走りたい!って強請ってくる事かしら」


「リリィは相変わらずリーザに似てお転婆だからなぁ」


「お転婆で悪かったわね!これでも私、夜会ではそれなりに男性が寄って来るくらいにお淑やかな令嬢で通っているのよ!」


「……ああ、俺も噂でよく聞くよ。”聡明で淑やかなクレメリー家のご令嬢”だと」


「そうね!お姉様は先生のように私に色々教えてくれるくらい物知りで、何でも出来て、尊敬する方ですもの!」


 ヴィーヌスとユリアーネがそう言い、私はいつの間にか癖のようになっていた笑顔を貼付けた。


 いくら本を読んで知識をつけても、剣術や乗馬で身体を鍛えても。父や母が見るのは身体が少し弱くて可愛らしいユリアーネ。そして、心惹かれたヴィーヌス、貴方が特別な笑顔を見せるのも手を伸ばすのも、妹であるユリアーネ。




 いくら誰からも愛される妹を羨ましがっても、私が手にできる物は何もない。いままでいくら努力したって、両親はユリアーネに見せるような愛おしい顔を私に向けてはくれなかった。きっと、ヴィーヌスもこれから向けてくれる事はないのだろう。

 だが、いくら嫉妬したとしても、私は妹のことを無下にできるような心は持ち合わせていない。彼女は私だって家族として愛しているし、彼女は純粋で良い子なのだ。そんな妹を愛してくれる男性がヴィーヌスなのなら、申し分ないではないか。私の尊敬する男性で、ユリアーネを大切にしてくれるのは解りきっているのだから。


 だから私は見守る事にした。妹の幸せを。……ヴィーヌスの笑顔を。

 



 それからの私は一層部屋に引きこもって二人から距離を置くようになった。ヴィーヌスの訪れがあってもこちらから会いにいくようにはせず、部屋の窓から庭で仲睦まじく楽しそうに話している彼と妹を眺める。

 チクリと痛む心を押し隠すのに慣れてきて、自分の思いも他人にみせる事がなくなった私は、自分が自分では無いような、フワフワとした状態だった。それでも、まだ彼らを見守る事ができる気がしていた。



 そんなころだった。偶然屋敷の父の執務室を通り過ぎようとしていた時に、父と家令、そして母が話している内容を耳にしたのは。


「ハーロルト家の三男の方とお嬢様のお話はどうなさるのです?」


「ああ、もちろん承諾した。アイツも強く望んでいたし、俺だって跡継ぎができる。それに、アイツなら幸せにしてくれるだろう」


「ええ、きっとユリアーネも喜ぶわ!」


「……そうでございますね」


 それは言うなら人生で何度目かの大きな衝撃だと言っても良い。

 ハーロルト家の三男はもちろんヴィーヌスのことで、父に跡継ぎができるということは、彼を家に入れるということ。それに、愛娘を幸せに、ということは。


 婚約だ。ヴィーヌスとユリアーネの。


 二人の仲を見守ろうと決意したばかりの私は、急に現実味を帯びてきた事に狼狽えた。

 ヴイーヌスとユリアーネが結婚する。私はそれを隣で見るしかできないのだ。幸せそうな二人を見続ける事が私に出来るだろうか?いや、幸せになって欲しいとは思うが、隣で見守ることに耐えられる訳が無い。可愛いと思っている妹に嫉妬する程に、私はヴィーヌスを想っているのだから。いつかきっとこの醜い心が露になってしまうだろう。

 それほどまでに私の決心はすぐにほどけてしまうものだったのだ。


 ……離れよう。


 そう考え到るのは早かった。部屋に駆け込むように戻った私はクローゼットを開けて大きなバックを取り出し、動きやすそうな服を選んで詰め込んだ。遠乗りの時に持っていく簡易食料と火をおこすのに必要な火打石、ナイフ、ランプ……。


 準備を進めていると、途中で家令から知らせが入った。どうやらヴィーヌスが訪ねてきたらしい。


 「私は今気分が悪いの。だから会うのは遠慮しとくわ。それに、ユリアーネが対応してくれているのでしょう?」


 「ですが、リーザベル様。ハーロルト様は貴方にお話があるので是非にと。ユリアーネ様がお茶を用意していますので、ご一緒にどうぞと伝言を言付かっています」


 「……解ったわ。すぐに行きます」


 そう言って部屋で広げていた旅の準備に悟られないように部屋を片付けてから、客間に向かう。部屋に入ると、当然いると思っていたユリアーネが席を外していた。ヴィーヌスが優雅に紅茶を飲んでおり、私の姿を認めると屈託のない顔で笑った。


 「良かった、最近忙しそうにしていたから、もしかしたら会ってくれないかも知れないと思っていたんだ」


 「……そんな事はないわよ。それよりもユリアーネは?」


 「ああ、彼女なら少し外してもらっているだけだ。すぐに戻ってくるさ」


 「そうなの。……それで、話があると聞いたのだけど」


 何だかヴィーヌスと二人きりということに居心地の悪さを感じて、そう尋ねるとヴィーヌスは少し困ったように眉を寄せながら言った。


 「いや……リーザに確認しなければならない事があってな」


 「何を?」


 「その……意中の相手がいるのか聞きたかったんだ」


 ばつが悪そうなその顔を見て、私は察した。ユリアーネに席を外してもらっているのもこういう事なのだろう。これから本人に婚約の申し込みをするための最終確認といったところか。


 「居ないと思うわ。私たちは姉妹だし、家の為に嫁ぐのも全て覚悟の上で、感情云々は関係ないとも思うけど……」


 自分の感情を押し隠して貴族で一般的な話をする。どこか心にズシリと重石が乗っかってきた気がするが、気がつかない振りをした。


 「……そうか。わかった」


 「話はそれだけかしら?なら、私はこれで失礼させて貰うわ。ちょっと立て込んでるの」


 まだ家を出る準備が終わっていないし、早くこの場所から離れたくて私はそう告げた。


 「あ、ああ。すなまい、忙しいところ」


 「ええ。……上手く行くように祈っているわ」


 といっても、そんな心配はないだろうけれど。


 「は?リーザ、それはどういう……」


 そのとき、丁度部屋にユリアーネが戻ってきて、私は入れ違うように部屋を出て行った。これからヴィーヌスはユリアーネに婚約を申し込み、ユリアーネはそれを受け入れるのだろう。

 これで、きっと良いのだ。私は二人の幸せを遠くから見守ろう。


 そうして全ての準備が終わる頃には日が暮れていた。夕食の準備が出来たとメイドからの知らせがあったが、体調不良で断り、家の者が寝静まる時間を待つ。

 

 家を勝手に出て父は怒るだろうか?母はユリアーネのことでいっぱいだろうし何も思わないだろう。でも、よく考えてみれば私が居ても居なくてもあまり変わらないのかもしれない。そう考えると、苦笑いがでる。

 ユリアーネは悲しむかもしれないけれど、きっと夫になるヴィーヌスが慰めてくれるだろう。

 私はこれから自分一人で生きていこう。大丈夫、だって今まで一人で立てるように力を蓄えてきたのだから。


 そんな事を考えていると家中は寝静まり、怪しまれないように部屋から、屋敷から脱出する準備を始めた。それから薄らと地平線から光が見えてくる前には、私はクレメリー家を後にした。

 

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